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 さあ、面白くなってきました。

考え方一つで、人生はどんどん楽しくなるね

幸せは手に入れるものではなく、気づくもの。

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(この記事は前回からの続きです)

 

人生で本当に大切なことは、すべておしっこが教えてくれた。

 

3.幸せは手に入れるものではなく、気づくもの。


「尿道瞑想」を始めるまでは、私はトイレの中でも考えごとをしたり、いろいろと思いを巡らせたりしていました。

つまり、おしっこをしながらも常に頭を回転させて、いつも何かを考えている状態だったわけです。


だから、当然と言えば当然ですが、おしっこをするときに幸福感を得ることなんてほとんどなかったと思います。

 

それが、「尿道瞑想」をするようになってからは、おしっこをしながら満たされた感覚に浸れるようになったのです。

人は誰でも毎日排泄行為をしますが、意識しなければその心地よさ(排泄の快感)を味わうことはできません。

意識を集中することによって初めて、深い快感と幸福感を得ることができるのです。

 


繰り返しますが、意識を向けなければ、それを感じることはできません。

感じることができないというのは、存在しないのと同じことなのです。

 

逆に言えば、感じようと意図しさえすれば、それがあなたの世界に表れます。

つまり、幸せを感じようとすれば、幸せがそこにあることに気づくのです。

 

日々の生活の中にある一見何でもないようなこと、取るに足らないこと、ほんの些細なことに幸せを見出すことができれば、人生の幸福度は格段にアップします。

なぜかというと、私たちの人生というのは「私たちに与えられた時間」を意味するからです。

 

私たちが生まれてから死ぬまでのトータルの時間の中で、幸せを感じる時間が増えれば増えるほど、私たちの人生の幸福度は上がるでしょう。

 

前回の記事で、おしっこする時間を合計すると年間で15時間にもなると書きました。

仮に人生が80年だとすると、成人してから死ぬまで60年あります。

そしてこの60年間のおしっこ時間が幸福で満たされるということは、人生の中で幸せな時間が900時間(60年×15時間=900時間)も増えることになるのです。

 


どれだけ恵まれた家庭で生まれ育ったとしても、多くの友人がいたとしても、たくさんお金を持っていたとしても、有名企業に勤めていたとしても、日々幸せを感じることができなければ、その人生は幸せとは言えないでしょう。

一方で、恵まれない家庭環境にあったり、友人が少なかったり、経済的に貧しかったり、健康を害していたとしても、身の回りの小さなこと一つ一つに幸せを感じることができれば、その人生はきっと幸せなものだと思います。

 

つまり、今この瞬間に幸せを見出し、次の瞬間にも幸せを見つけ、また次の瞬間にも幸せを…という具合に、「幸せ発見能力」の高い人こそが幸せな人生を送れるわけです。

 

そして、おしっこという、日常生活の中のほんの些細なことにでも幸せを感じられるようになれば、「幸せ発見能力」は自然に上がっていくのです。

 

息を吸うこと、物が見えること、歩けること、お風呂に入れること、布団で寝られること、水が飲めること、食事を味わえること、空想すること、人と会話をすること、住む家があること、本を読めること、スマホを持っていること・・・などなど、どんなことにでも幸せを見出せるようになります。

おしっこにすら幸せを感じられるのですから、それは当然ですよね。(笑)

 


おしっこは私に教えてくれました。

 

“幸せなんて、そこらじゅうに転がっているんだよ”

“手に入れようとして追い求める必要なんてない。そこにある幸せに気づくか気づかないか、本当にそれだけのことなんだ”

 

と。


次回へ続く)

 

 

 

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「今ここ」を意識することの大切さ。

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(この記事は前回からの続きです)

 

人生で本当に大切なことは、すべておしっこが教えてくれた。


2.「今ここ」を意識することの大切さ

 

おしっこをするときに、頭を空っぽにしてただひたすら尿道に意識を向ける。

それはつまり、今この瞬間感じていることに意識を集中するということです。

 

実際にやってみるとわかっていただけると思うのですが、たったこれだけのことなのに、リフレッシュできて、リラックスできて、そして満たされた気分になります。

それは、思考を止めることによる「瞑想効果」によるものだと私は考えています。

 

ちなみに、かつては瞑想というとどうしても宗教的なイメージが強くて、特にオウム真理教事件以後は、瞑想してるなんて言うと、「ちょっと危ないヤツかも?」なんて思われかねない状況でした。

それがここ数年、マインドフルネスが浸透したことで、以前に比べると瞑想もかなり一般的になってきたように感じます。

マインドフルネスならやったことがある、という方も少なくないのではないでしょうか。

 

ご存じない方のために簡単に説明しますと、マインドフルネスというのは、広義では「今この瞬間を大切にする生き方」のことを指しますが、狭義では瞑想方法の一つとして捉えられています。

ストレス解消や、リラックス効果、また集中力アップなど脳機能の向上といった様々な効果が期待できるため、近年ではGoogleやAppleをはじめとする世界中の企業でも導入・活用されているようです。

 

ところで、瞑想には様々なやり方があるのですが、メジャーなものの一つに、意識を何か一点に集中するという方法があります。

例えば、呼吸に集中したり、手のひらの感覚に集中したり、眉間のあたりに意識を集中したりといった方法です。

 

瞑想というと「雑念を振り払って頭を空っぽにする」というイメージが強いと思いますが、実は、常人にとって「頭の中を空っぽにする」のは容易なことではありません。

そのため、古来から瞑想を探求してきた求道者たちは、何か一つの感覚に意識を集中することによって「思考」を止め、その結果として「頭を空っぽ」にする方法を発見しました。


ただ、そうはいっても長時間にわたって一つの感覚に集中するのは簡単なことではないですし、そもそも、瞑想のためのまとまった時間をとる余裕のない方も大勢いらっしゃることでしょう。

 

かくいう私もその一人でした。

 

ですが、おしっこをする時間は誰にでもあります。
しかも1日に何度もあります。

そこで私は、おしっこをするときに、おしっこが尿道を通り抜ける感覚に集中することを始めたのです。

 

やってみるとわかるのですが、これは素晴らしい体験でした。

 

マインドフルネスなどによって瞑想の心地よさを体感するためには時間が必要ですが、この「尿道瞑想」であれば、意識を向けた瞬間から快感を得られます。

そして、快感があるからこそ意識をそこに向け続けることができるのです。


もちろん、おしっこをする間なので、長くても30秒程度のことかもしれません。

ただ、1日に5回おしっこをするとすれば、合計150秒間も思考を止められることになります。

1日150秒、1カ月で75分、1年では、なんと15時間になります。

 

一見、短い時間に感じられるかもしれませんが、四六時中休みなく思考し続けている脳を一瞬でも休息させてあげられるというのはすごいことだと思います。

 

そして、何より重要なのは、常に思考し続けて「心ここにあらず」の状態で暮らしている私たちの意識を、定期的に「今ここ」に向けることなのです。

 

人間関係の悩みや経済的な問題など、過去の後悔と将来への不安が常に頭の中で渦巻いている現代人に、おしっこは教えてくれます。


“今この瞬間をじっくり味わってみなよ”

“日々の生活に追われて、こんな気持ちいいことに気づずに生きてるなんて、もったいないよ”

 

と。

 


次回へ続く)

 

 

 

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人生で本当に大切なことは、すべておしっこが教えてくれた。

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人生で本当に大切なことは、すべておしっこが教えてくれた。

 

1.はじめに ~尿道瞑想のススメ~

今この地球上では80億近い人が暮らしていますが、おしっこをしない人はいないと思います。

もちろん、けがや病気のために自分で排泄ができない方もたくさんいるとは思いますが、人は誰でも毎日おしっこをします。

 

聞くところによると、健康な成人がおしっこをする回数は、平均で1日5回前後のようです。

私は、ちょっとした持病があって水分を多めに摂るように心がけていることもあって、1日に7~8回、多いときには10回くらいおしっこをしていると思います。

 

ところで、あなたはどんなふうにおしっこをしますか?

おしっこをするとき、どんな姿勢で、何に意識を向け、何を考えながらおしっこしていますか?

 

私は会社員なので、平日は職場の男性用トイレでおしっこをしますが、いくつか並んだ小便器に向かっておしっこをするので、ほかの人がおしっこをする姿を目にすることもあります。

 

小難しい顔で目の前の壁の一点をじっと見つめたまま用を足す人、便器に視線を落としてシューティングゲームのように排出先をコントロールしている人、何かぶつぶつ独り言を言っている人、何度もため息をついている人、電話しながらあるいはスマホ画面を見ながらおしっこをする人もいますし、隣の人とおしゃべりしながら用を足している人もいます。

 

そんな中で私はいつも、目を閉じて身体全体の力を抜き、大きく息を吐きながら尿道に意識を集中して、できるだけ何も考えずにおしっこします。

ただただ排泄の快感を味わうのです。

ちなみに、私自身はこれを「尿道瞑想」と名付けているのですが、尿道瞑想をするようになってからは毎回トイレに行くのが楽しみで仕方ありません。

 

こんなふうにおしっこをするようになってから、私はいろいろなことに気がつきました。

人生において大切なことを、「おしっこ」からたくさん学びました。

 

そして、それによって人生の幸福度が日に日に高まっていくのを実感しています。

冗談で言っているわけではなくて、本気でそう思っているのです。

 

そこで、おしっこが教えてくれたそんな人生の秘訣を、これから皆さんにおすそ分けしたいと思います。

 

頭のおかしな人だと思われそうですが、私は、80億の人類がおしっこを楽しめるようになったら、地球はもっともっと平和で楽しい場所になると本気で考えています。

 

さあ、めくるめく「おしっこワールド」へようこそ!(笑)

 

次回に続く)

 

 

 

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直感も論理もない、思考停止の世界。

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僕はこのブログでよくスピリチュアルなことを書いているけど、どちらかと言うと左脳派で、ロジカルに考えるほうが得意だ。


それでも、映画や音楽、写真、芸術品、雑貨、食器なんかに触れるときは、直感的に好き嫌いで判断することが多いし、最近では暮らしの様々な場面で直感に任せて動くことも多くなった。


後から考えてみて、直感で判断したことは間違っていなかった、と感じることは少なくない。


一方で、ロジカルな思考だけで出した結論は、イマイチな結果に終わることが多々ある。

 

そういうことで、最近では、直感で出した答えをロジカルな解釈によって納得感を持たせるというのが僕のセオリーになりつつある。

 

 

例えば、新型コロナワクチンのことに関してもそうだ。


新型コロナのワクチン(mRNAワクチン)のことを最初に知ったとき、僕は直感的に「気持ち悪い」「嫌だ」と感じた。


そして、その直感の後付けとして、嫌だと感じる理由をロジカルに考えていった。

 

その考えについてはこれまで何度も書いてきたので詳しくは触れないけれど、ロジカルに考えれば考えるほど、いろいろとおかしなことがわかってくるので、ああ、やっぱり僕の直感は間違ってなかったんだ、と気づく。

 


ところで、今の日本社会では、マスコミや政治家をはじめ、多くの国民がロジカルに考えることができていないと思うし、かといって直感も働いていないように見える。

 

おそらく「コロナ=怖い」というマスコミを通じた刷り込みによって思考停止しているんだと思う。

それはまるで、ヘビに睨まれたカエルが恐怖のあまり硬直して、何もできなくなっているかのようだ。


そのことは、最近の新型コロナに関するニュースを客観的に見ているとよくわかる。

 

新型コロナをめぐる最近のトピック

  • 日本人には「ファクターX」があり、新型コロナ耐性が強いことが確認された。
  • 世界中でオミクロン株による感染が拡大している。
  • オミクロンは感染力がとても強い。
  • オミクロンは弱毒化していて重傷化や死亡のリスクはかなり低い。
  • 今後、新型コロナの大半はオミクロンに置き換わると想定される。
  • ワクチン接種者でもオミクロンには感染する。

 


で、これを受けて、国が何をしようとしているかというと、

  • 3回目のワクチン接種を前倒しします!
  • ワクチンパスポートを導入します!
  • 5〜11歳のワクチン接種を2月から開始します!

 

いやいや…。

だ・か・ら、オミクロンは毒性低いんだって…。

しかも、ワクチンは効かないんですから…。

 

 

もう、あまりにロジックが破綻していて、笑ってしまうくらいだ。

「思考停止した社会」っていうのはこんなふうになっちゃうんだね。

 

 

オミクロンによって、新型コロナは名実ともに「風邪」になったのに、得体の知れないワクチンを幼児にまで打たせようとする狂気。


「いや、もうただの風邪でしょ、これ」とか、「感染リスクのない子どもたちを治験に参加させるの?」といった真っ当な意見を誰も言えない空気。

 

狂気の空気。

 

 

80年前に、負けるとわかっていて太平洋戦争を始め、竹槍でB29に対抗しようとした非ロジカルな国民の子孫が、またしても同じ過ちを繰り返している。


あの戦争が終わった後、多くの国民が「本当は、私は戦争に反対でした」とか言ってたのと同じように、このコロナ騒動が完全に終息した後になって、「コロナが大騒ぎするようなものじゃないということは、実はわかってました」とか、「本当は、ワクチンは打たないほうがいいと思っていました」なんて言う人が続出するに違いないのだ。


そして、かつての自分の行動を棚に上げて、大々的な責任追及が始まる。


こうやって歴史は繰り返されるんだろうなぁ。

 


ちなみに、巷ではワクチンワクチン言ってるけど、あれは「ワクチン」というラベルが貼られた遺伝子治療薬だよ。しかも治験中の。


僕の直感が「気持ち悪い」というサインを出したのも当然だよなぁと思う。

 

 

 

それでは今日はこの辺で!

 

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「情報」の裏側

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僕は基本的に、マスコミをはじめとして世の中に出回っている「情報」そのものを信用しない。

それは、僕自身がマスコミで働いていたことがある(発信者側の内部事情を知っている)からということが大きいかもしれないけれど、それだけじゃない。


じゃあ、どうしてかというと、情報は常にゆがんでいるから。

 

僕のこのブログも含めての話だけど、発信している人には必ず発信する意図(理由)がある。

発信者側がそれを意識してやっているのか否か、あるいは善意でやっているか悪意でやっているかにかかわらず、発信される情報には意図があり、それによって情報はゆがむ。

もちろん、ゆがみの度合いは様々だけど、必ずと言っていいほど情報はゆがむ。


例えばマスコミなら、社会貢献という社是みたいなものもあるかもしれないけれど、一方で、自社のメンツ、スポンサーのイメージ向上、権力者の介入、世論誘導など、さまざまな意図が入り込む。

さらには、会社の上層部、情報源や取材者、番組制作者、コメンテーターの個人的なエゴなんかも絡み合う。


マスコミから発信される情報にはとても多くの人がかかわっているので、必然的に多くの人々の意図が複雑に入り組んだ構造になっている。

だから、ゆがみのない、まっさらな情報にはなかなかお目にかかれないんじゃないかと思う。


でも、これはマスコミだけの話ではなくて、ブログやSNS上で発信される情報も、個人の口コミも、発信者の意図によってゆがめられている。

 

個人の発信者にどんな意図があるかというと、例えばそれは自身の承認欲求を満たすためだったり、誰かを貶めるためだったり、アフィリエイトなどの広告収入を得るためだったり、単なる不満解消のためだったりもする。

ほかにも、いろんな意図が隠れているに違いない。

だから、話を大げさに盛ったり、逆に卑下したり、デタラメなことや心にもないことを書いたりすることもあるかもしれない。

 

インスタグラムに載せるたった1枚の写真であっても、よりよく見える角度を選び、光の具合を考えて、いい感じの構図で撮影しようとする。

そして、撮影した後に加工してから投稿される。

もし、何も意識せずに撮影された写真だったとしても、それを撮影してSNSにアップするのには何らかの理由(意図)がある。


つまり、程度の差こそあれ「情報」というのは必ずと言っていいほどゆがんでいる。


ゆがんだ「情報」に踊らされないようにするためには、まずは発信者の意図を考えるようにしよう。

 

その上で、発信者が何を言っているのかを観察してみよう。

どんな物事にも両面があるので、メリットばかりのことやプラス面ばかりのことなんてないし、逆もまたしかりだ。

それと同じ意味で、「100%確実」とか「絶対に大丈夫」なんていうこともあり得ない。

 

極端に楽観的な話や、必要以上に悲観的な話もそのまま受け取らないほうがいい。

以前書いたことがあるけれど、恐怖を煽って人を操るのは旧来型のマーケティングのセオリーだし、古来から為政者たちが使ってきた常套手段だ。

 

 

恐怖で煽るにしても、最近はロジックが破綻している「情報」が少なくないので、冷静に見れば、「何か変だな…」って誰でも気がつくと思う。

 

そして、冷静になれないときには「情報」から離れた暮らしをしてみるのもいいかもしれない。

今の時代は身近に「情報」が溢れていて、気づかないうちに「情報」の洪水に飲み込まれてしまう環境にあるからね。

 


ちなみに、僕が書いた今回の記事にも当然ながら意図がある。

それがどんな意図なのかということについては書かないけど、もしよかったら考えてみてください。(笑)

 

 

 

それでは今日はこの辺で!

 

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【2021年】やめて良かったこと5選。

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「決断」という言葉は面白い。

 

多くの人は、決断というと「何をするのかをはっきり決めること」だと考えてるんじゃないだろうか。


でも、この「決断」という文字を分解して考えると、「断つことを決める」ということを表してるよね。

つまり、「何をするか」じゃなくて「何をしないか」を決めることが決断という文字の意味するところだ。

 

ちなみに僕は今年、「しないこと」を幾つか決めた。

それは決断というほどの大きなことでもないんだけど、しないことを決めたわけだから、結果的に「決断」したことになるのかもしれない。


・・・と。まあ、そんな理屈はどうでもいいや。(笑)

 

 

てことで今回は、僕が今年決めた「しないこと」、つまり「やめたこと」について書いてみまーす。

 

 

【第5位午後のコーヒー

40歳を過ぎてからだと思うけど、夜中に何度も目が覚めるようになって、睡眠の質が低下してきた。

そのことで何か大きな支障があるわけでもないんだけど、ずっと気になってたんだよね。

 

で、何かの記事で、14時以降にカフェインを摂るのは控えたほうがいいというのを読んで、確かにそうかもなぁと思った。

そこで、昔は時間帯に関係なく1日に何杯も(多いときは10杯とか)飲んでいたコーヒーを、今年から、飲むのは1日2杯までで、午後はコーヒーを飲まないことにした。

 

効果のほどはというと、それほど明確な違いは実感できていないけど、確かに以前に比べて睡眠の質が上がった気がします。

っていうことで、今年やめたことの第5位は「午後のコーヒー」。

 

 

【第4位風呂スマホ

スマホさえ持ってれば、調べ物もできるし、映画やドラマも観れるし、音楽も聴けるし、本や漫画も読めるし、ゲームもできるし、ブログも書ける。

つまり、スマホ1つあれば一人の時間を自由に楽しむことができるので、ついつい手放せなくなってしまって、いつの間にかお風呂にまで持ち込むようになってた。

 

だけど、これは結構問題で、何も考えずにボーっとくつろげるはずのバスタイムが、いつの間にかリラックスタイムではなくなってしまってたんだよね。

で、これはいかんなぁと思って、今年はなるべくお風呂にスマホを持ち込まないようにしたというわけ。

 

スマホを持ち込まずに入浴すると心底リラックスできる、ということを実感する。

ただ、スマホの魔力はやはり強くて、どうしても時々持ち込んでしまうので、今回は第4位ということになってます。(笑)

 

 

【第3位ネガティブ感情を持ち続けること

精神的な面で今年一番成長したのは、ネガティブな感情や思考を引きずらないようになったことだと思う。

自分の外側で何か嫌なことや不安なことがあっても、長時間そこにフォーカスしなくなった。


これは、以前も記事に書いたとおりで、自分の外側で起きていることに意識を向けるのではなくて、自分の内側にフォーカスして、「自分は今どんな感情を感じてるんだろう?」「どうしてそう感じるんだろう?」という具合に、内観していくことで可能になったと思う。

 

 

こうすることで、僕は心地よい状態(波動・周波数の高い状態)をキープすることができるようになったよ。

 

てことで、今年やめて良かったことの第3位は、「ネガティブ感情を持ち続けること」。

 

 

【第2位美容院

これも先日記事を書いたけど、美容院に行くのをやめて本当に良かったと思ってる。

 

 

1回行くと6,000円近くかかる美容院に1.5~2か月に1回通っていたのを、1回1,200円の理髪店に変えたことで、2週間に1回散髪するようになったというお話。

大した髪型でもないのに見栄を張って美容院に通うのはまったくのナンセンスで、本当に無意味だということを実感した。

 

今は、頻繁に髪を切ることで、幸福度がかなり上がってます。(笑)

 

 

第1位】 お酒

これも以前に記事を書いてた。

 

 

社会人になってからはほぼ毎日のように飲んでたお酒を、週に2回までにしたというお話。

 

飲む回数を減らしたことで「飲めない体質」になってしまったので、飲む量は1年前に比べて5分の1以下になってると思う。

もしかすると、飲み会にしょっちゅう行っていた2年前(コロナ前)に比べたら、10分の1くらいに減ってるかもしれない。

 

お酒をやめるメリットはとても多くて、詳しくは以前書いた記事を読んでもらいたいんだけど、「自由に使える時間が増えたこと」と「健康体になれたこと」が特に良かった。


ということで、今年やめて良かったことの第1位は「お酒」でした!

 

 

こうして見てみると、「何をするか」だけでなく、「何をしないか」を決めることも意外と大事なんだなぁって、改めて思う。

 

さあ、来年は何をやめようかな?(笑)

 

 

 

それでは今日はこの辺で!

 

shivai !! 

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今週のお題「最近あったちょっといいこと」

新庄剛志の野球が楽しみすぎる。

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ここ1~2か月、プロ野球界隈で注目を浴び続けてる新庄カントク(またはビッグボス)。

僕は彼の生き方というか、人生に対するスタンスが好きだ。


ちなみに、新庄さんは僕が通ってた中学校の隣の中学の出身で、年も近いし同じ野球部だったので親近感はあったんだけど、現役時代はあのチャラチャラした雰囲気が嫌で、好きな選手じゃなかった。

 

でも、数年前に新庄さんのYouTubeチャンネルで彼の野球に対する姿勢や考え方を知って、「そういう人だったのか!」と目から鱗が落ちると同時に、自分自身を恥じた。

僕は完全に、人を見た目だけで判断してたわけだ。


ちなみに、さっきちょっと調べてみたら、当時僕が見てた動画はすべて削除されてしまってた。

身体の使い方や呼吸の仕方、速く走るコツなど、野球だけでなくスポーツをする子どもたち全般にとってめちゃくちゃ良い内容も含まれてたので、すごく残念…。

 


それはさておき、新庄さんが監督に就任してから発信し続けているメッセージはいろいろと勉強になる。

本人が意図的にやっているとも思えないけれど、とても理にかなっていて、組織開発やチーム作りの参考になることも多い。


ちなみに、彼が監督になって最初に発信したメッセージがこれだ。

 

 


僕ら個人はもちろんだけど、多くの組織や集団はその目的を見失いがちだ。

だから、ピンチになったり不調になったりすると、途端に右往左往して混乱し、ドツボにハマることが多い。

 

そうならないために大事なのが、事前に「目的」を明確にしておくこと。

「自分は何のためにそれをやるのか?」ということを明確にし、いつもそれを念頭に置いておくことだ。

 

その意味で、新庄さんはまず、自分がプロ野球に関わることの最大の目的を「地域住民の暮らしを彩り、豊かにすること」と掲げた。

これは彼の決意であり、公約であり、日ハムに所属する現役選手たちに示した「目的地」だ。

そしてその後の彼は、それに沿って考え、動いていると感じる。

 


たとえばそれは、こんなシーンにも表れている。

12/5に、日ハムの新入団選手たちの記者会見が行われたんだけど、ある選手がその場で「ファンから愛される選手になりたい」という抱負を語った。

その選手に対して、同席した新庄さんはこんなふうに返している。

 

「ファンに愛される選手になりたい」じゃなくて、そのためには自分がファンを愛すことが一番大事なんで、その辺は頭に入れてお願いします。

 

当初の「目的」からブレていないからこそ出てくる言葉だと思う。

 

そして、この発言の背景が、彼のツイートに垣間見える。

 

 

 


見た目はチャラチャラしてテキトーな感じに見えるけれど、しっかりとした芯があってブレてないんだよね。

 

 

あと、僕が新庄さんに共感する理由はもう一つある。

それは、これまで何度も「頑張らないことのススメ」を書いてきた僕の考えと近いこと。(笑)

 

 

僕はこれまで、新庄さんが「頑張る!」とか「頑張って!」とか言ってるのを聞いたことがない。

それで、ちょっと調べてみたら、彼自身こんな発言をしてた。

 

頑張るって言葉をこの世からなくして欲しい。

 

人生、頑張ったらダメです。
毎日、頑張るのではなく、楽しんでください!

 

好きなことに対して挑戦してるんだから頑張ってない。楽しんでる。
好きな事じゃなかったらしなきゃいい。

 

こんな型破りなカントクが、日本のプロ野球をどんなふうに変えてくれるのか、来年の開幕が本当に楽しみ。

 

 

それでは今日はこの辺で!

 

たのしんじょい!! 

 

 

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「常識」と「自分軸」。

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僕はもう何年も「ほぼ1日1食」の生活を続けてる。

 

こう言うと驚く人が多いんだけど、慣れてしまえばどうってことなくて、栄養失調になることもなく普通に生きてる。

いや、むしろ1日3食とっていたときよりも健康体で、体調もいい。
体型も随分スリムになった。


で、ときどき思うんだよね。

1日3食とらなきゃいけないって言われてたのは、どういうことだったんだろう? って。

そりゃ、10代・20代の育ち盛りの若者とか、肉体的にハードな仕事をしている人は1日3食でも足りないかもしれないけれど、40歳を超えた事務職の人間がそんなに食べる必要あるんだろうか?って。


強い空腹感を感じるわけでもないのに、朝・昼・晩と、決まった時間に食事をとる。
まるで、工場で飼育されてるブロイラーみたいに。


そして、食べる食事は身体に良いものばかりじゃなくて、特にコンビニ弁当なんかにはかなりの量の食品添加物が入ってるわけだし、使われてる食材には農薬や防腐剤なんかも残留してると思う。

そういう意味では、食事と一緒に「毒(身体に不要なもの)」も摂取してることになる。

 


1日3食とらなきゃいけないなんて、いったい誰が決めたんだろう?

年齢も性別も違う、身長も体重も違う、消費カロリーも健康状態も違うすべての人間が、一律に3食食べなきゃいけないなんて、ちょっと考えればおかしいということがわかる。

 

今本当に食べたいの?

どれくらい食べたいの?

何を食べたいの?

どこで食べたいの?

誰と食べたいの?

 


一つ一つ丁寧に、自分に問いかけて確認してみるのは大事なことなんじゃないかな。

 

自分の感覚や「自分軸」を取り戻す切り口は、そんなところにも転がってるんだろうと思う。

 

世間が決めた「当たり前」や、知らぬ間に誰かに押し付けられた「常識」に流されるのではなくて、丁寧に自分と対話しながら生きていきたいなぁって、自戒を込めて改めて思うのでした。

 

 

 

それでは今日はこの辺で!

 

shivai !! 

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「戦争」の責任

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普段はほとんどテレビを見ない僕だけど、昨日の夜、NHKスペシャル 新・ドキュメント太平洋戦争「1941 第1回 開戦(前編)」を見た。

 

 

この番組は、「もし80年前、太平洋戦争の時代にSNSがあったなら、人々は何をつぶやいたのだろうか?」というナレーションからスタートする。

 

内容は、当時の日本人が記した膨大な量の言葉(主に日記)をAIで分析し、人々の意識の変化を捉えようとする試みだ。

 

もちろん、ベースとなるのが日記を記した人たちの言葉なので、当時のすべての日本人の意識がこうだったとは言えないと思う。

ただ、教科書レベルの当たり障りのない知識ではなく、当時の一般的な日本人が何を考え、どんな行動をしていたのか、その輪郭が朧げながらも見えてくる。

 

 

 日中戦争の泥沼化
   ▼
 日独伊三国軍事同盟
   ▼
 英米との対立深刻化
   ▼
 経済制裁による物資不足
   ▼
 南部仏印進駐
   ▼
 対日石油全面禁輸
   ▼
 日米開戦

 

 

この一連の流れの中で、泥沼の日中戦争に端を発した「国への不満」が、次第に「米英に対する敵意」へとすり替わっていく。

そして、「お国のために」という意識が高まる中で行われた真珠湾攻撃の戦果に、多くの国民が歓喜する。

 

あの戦争に関しては、確かに軍部や政治家、マスコミの責任も大きいけれど、彼らだけではなく、国民もまた彼らと一体となって戦争に突き進んでいったことがよくわかる内容だった。

 

 

しかし、これは必ずしも「昔の日本人のお話」で片付けられることではないかもしれない。

今の時代もこれと同じようなことが行われていないだろうか?

 

新型コロナの蔓延以降、いまだに続く政治やマスコミ、そして国民の狂騒に、僕は同じような構造を感じる。

しかしワクチンについてはもう言うまい。(笑)

 

ちなみに、番組の後編は今晩、12/5(日)21:00から。
NHKプラスなら放送終了後も無料で1週間見れるよ。

 


 

 

それでは今日はこの辺で!

 

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骨と肉の営み。

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うちの長女はもう中学生なので随分前に「卒業」したけど、二番目と三番目の子は、ほぼ毎晩、一緒に寝ようとせがんでくる。


特に二番目の女の子には、毎晩のように寝ながらマッサージをさせられたり、痒いところをさすらされたりと、いろいろ手がかかる。(笑)

まあ、それが楽しいんだけど。(笑)

 

 

この子が時々、目をマッサージしてくれというので、眼球とか目の周りの骨(眼窩っていうのかな?)を軽く圧迫してあげている。

 

で、それをしばらく続けていると、なんだか不思議な気分になってくるんだよね。

 

どういうことかというと、目の周りの骨をずっと触っていると、ヒトを形作っている骨や骨格が強く意識されてきて、人間っていうのは結局のところ、骨に肉の塊が張り付いているだけの構造なんだなぁって実感するんだよね。

 


骨なんて、サイズこそ違えど誰でも同じようなもので、そこに肉(筋肉とか脂肪とか)がつくことで多様性が生まれて、あの人が可愛いとか格好いいとか、太り過ぎだとか痩せ過ぎだとか、運動神経がいいとか悪いとか、力が強いとか弱いとか、いろいろ評価のポイントが生まれる。


さらには、頭蓋骨の中に入ってる肉(脳みそ)の働きによって考え方や性格、行動が変わることでさらに多様になって、その結果が評価される。


で、他者から評価されることによって、経済的に豊かになったりならなかったり、人間関係が充実したりしなかったりする。


そして、僕ら人間が抱える問題の多くは、お金と人間関係に関することだ。

 

結局、この骨に張り付いた肉(筋肉・脂肪・脳みそなどなど)が、良くも悪くも人間のあらゆる営みのベースになってるんだなぁ。

 


なーんていう当然のことを、布団の中で娘のマッサージをしながら考えてる。(笑)

 

ただ、そう考えれば考えるほど、人間の本質はやっぱり魂(スピリッツ)であって、その魂が「肉と骨」に宿ってるだけなんだよなぁ。ってことも感じる。


そして結局、ガンダム理論に行き着くというわけなんだよね。(笑)

 

 

てことで、今日もまたとりとめもない話になってしまったけど。

人間がもし骨だけの生物だったらどうなんだろう?

逆に、骨がなくて肉だけの、タコのような生き物だったらどうだろう?

 

土曜の朝にコーヒーを飲みながら、そんなことをぼんやり考えるのでした。

 

 

 

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地球と宇宙と、生と死と。

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今日は朝から、山梨と和歌山で立て続けに大きな地震があったね。

もしかして?と思って確認してみたら、案の定、明日(12/4)が新月だった。

 

満月や新月の前後は月の潮汐力が強くなるから、大きな地震が起きやすいということは以前から言われてるんだけど、特に新月の時期は月の引力に太陽の引力も加わるので、その力がさらに強くなる。

 


ちなみに、明日の新月は、12月4日の午後4時44分。
やたらと4が並ぶ新月だね。


まあ、それはそうと、僕らは普段何気なく日々の生活を送っていて、地球規模、宇宙規模で何かを考える機会はあまり多くないと思う。

だけど、どれだけ目の前の暮らしに追われていたとしても、地球は今この瞬間もものすごいスピードで回転しながら、気の遠くなるほど広大な宇宙空間を漂っているわけだ。

 

しかも、地球の内部がどうなっているのかすら確実にはわかっていない。
マントルだ何だというのも一つの仮説にすぎないわけで。

 

そして、この宇宙が生まれる前はどうなっていたのか、いつ、なぜ生まれたのか、そしてどれくらいの広さを持ち、その外側はどうなっているのか?となると、誰にもわからない。

 

物理的・空間的な意味だけでなく、時間的な意味でも、あるいは次元という意味でも、ここがどこで、そしてこれからどこへ向かっていくのか、根本的な部分は全くわからないわけだ。

そもそも、映画『マトリクス』のように、この世界はすべて幻(バーチャル)だという考え方もあるくらいで。

 

ある意味、僕らは、前回の記事で書いた『進撃の巨人』の中に出てくる、巨大な壁の内側で暮らす人々と同じ状況だ。

 

実際のところ、この世界のことは何もわからない。

そんな不思議な世界、不思議な宇宙の中で、僕らは肉体と生命を持って今生きている。

 

 

ただ、わからないことばかりの不思議な世界にあって、一つだけ確実なことがある。


それは「死」だ。

どんな人も必ず死ぬ。

 

僕自身、今日死ぬかもしれない。

死ぬ確率がゼロの日なんて1日もなくて、常に「死」と隣り合わせで生きていてる。

仮に長生きできたとしても、何十年か後には必ず死を迎える。

 

 

果てしなく広大な宇宙空間と、想像できないくらい長大な時間軸の中で、ほんの、ほんの、ほんの一瞬だけ僕らに与えられた「生」。


今この瞬間をどう生きるか。

そしてどんな死を迎えたいのか。


偶然にも4(し)が並ぶ新月の日に、死と生について考えてみるのもいいかもしれない。

 

 

 

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今さらだけど、進撃の巨人。

できるだけ食わず嫌いはしないようにしてるつもりなんだけど、雰囲気やパッケージの印象だけで拒否・拒絶してるものって、結構あるかもしれない。


『進撃の巨人』が一時期世間を騒がせていたのは知っていたんだけど、あの例の、皮膚が剥がれて骨や筋肉がむき出しになった巨人のビジュアルが気持ち悪くて、漫画やアニメを見る気にならなかったんだよね。

 

 

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それが先日、職場の同僚に勧められてアニメ版を見始めたら止まらなくなってしまって、4日間でシーズン4まで一気に見てしまうくらいハマった。(笑)

 

家に閉じこもって一人でずーっと観てたから、家族からは大顰蹙を買ったけどね。(笑)

 

 

ちなみに、進撃の巨人をご存じない方のためにあらすじを書くと、こんな感じです。

 

100年前に突如現れた巨人によって人類は滅亡の淵に立たされた。

わずかに生き残った人類は、巨大な三重の城壁を築いて巨人の侵入を防ぎ、壁の内側で暮らすことで、辛うじて生き延びていた。

 

ところが、ある日、体長50mを超える「超大型巨人」が現れて、人類を守ってきた壁の一つが破壊されてしまう。

壁が壊されたことで大量の巨人が壁の内側に侵入して人々を襲い、人類の生活圏はさらに縮小される。

巨人によって家族を奪われた主人公は、巨人をこの世から駆逐することを誓って兵士となる…

 

このくらいのあらすじは僕も知っていたんだけど、この物語の魅力はこれだけでは伝わらないかもしれない。

 

 

実は、大きな視点で見ると、この「壁」や「巨人」、そして残された人類を統治する「システム」というのはある種の比喩として考えることもできて、現代社会を風刺しているとも言える。

 

アニメを見ながら、「僕が今生きているこの世界も、巨人はいないのに壁の中で生きてるのと同じだよなー」とか、「自ら作り出した“巨人”に対するスタンスによって世界は分断されたりしてるよなー」とか考えてしまって、ホントに身につまされることが多かった。

 

ネタバレしないように書いてるから、ちょっと何言ってるかわからないかもしれないけど、まだ観たことない(読んだことない)方には、ぜひ一度観てほしいなぁ。

ちょうど、来年1月からアニメ版の最終章の放送が始まるようだし。

 

てことで、なんだかよくわからない記事になっちゃったけど、最後に、登場人物のセリフで特に印象に残ってるものを2つメモしておきます。

誰の発言か書くとネタバレになるので、発言者は伏せておきます。

 

 

何も捨てることができない人には、何も変えることはできないだろう。


(第27話より)

 

 

俺はここに来て毎日思う。
何でこんなことになったんだろう、って。

心も身体も蝕まれ、徹底的に自由を奪われ、自分自身も失う。
こんなことになるなんて知っていれば、誰も戦場なんかへ行かないだろう。

でも、みんな何かに背中を押されて地獄に足を突っ込むんだ。

大抵その何かは自分の意思じゃない。
他人や環境に強制されて、仕方なくだ。

ただし、自分で自分の背中を押したやつの見る地獄は別だ。
その地獄の先にある何かを見ている。
それは希望かもしれないし、更なる地獄かもしれない。

それは進み続けた者にしか、わからない。


(第62話より)

 

 

俺が見てきた奴ら、みんなそうだった。

酒だったり、女だったり、神様だったりもする。
一族、王様、夢、子供、力。

みんな何かに酔っ払ってねぇとやってらんなかったんだな。
みんな何かの奴隷だった。

あいつでさえも。

 

(第69話より)

 

 

 

それでは今日はこの辺で!

 

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