地球と宇宙と、生と死と。
今日は朝から、山梨と和歌山で立て続けに大きな地震があったね。
もしかして?と思って確認してみたら、案の定、明日(12/4)が新月だった。
満月や新月の前後は月の潮汐力が強くなるから、大きな地震が起きやすいということは以前から言われてるんだけど、特に新月の時期は月の引力に太陽の引力も加わるので、その力がさらに強くなる。
ちなみに、明日の新月は、12月4日の午後4時44分。
やたらと4が並ぶ新月だね。
まあ、それはそうと、僕らは普段何気なく日々の生活を送っていて、地球規模、宇宙規模で何かを考える機会はあまり多くないと思う。
だけど、どれだけ目の前の暮らしに追われていたとしても、地球は今この瞬間もものすごいスピードで回転しながら、気の遠くなるほど広大な宇宙空間を漂っているわけだ。
しかも、地球の内部がどうなっているのかすら確実にはわかっていない。
マントルだ何だというのも一つの仮説にすぎないわけで。
そして、この宇宙が生まれる前はどうなっていたのか、いつ、なぜ生まれたのか、そしてどれくらいの広さを持ち、その外側はどうなっているのか?となると、誰にもわからない。
物理的・空間的な意味だけでなく、時間的な意味でも、あるいは次元という意味でも、ここがどこで、そしてこれからどこへ向かっていくのか、根本的な部分は全くわからないわけだ。
そもそも、映画『マトリクス』のように、この世界はすべて幻(バーチャル)だという考え方もあるくらいで。
ある意味、僕らは、前回の記事で書いた『進撃の巨人』の中に出てくる、巨大な壁の内側で暮らす人々と同じ状況だ。
実際のところ、この世界のことは何もわからない。
そんな不思議な世界、不思議な宇宙の中で、僕らは肉体と生命を持って今生きている。
ただ、わからないことばかりの不思議な世界にあって、一つだけ確実なことがある。
それは「死」だ。
どんな人も必ず死ぬ。
僕自身、今日死ぬかもしれない。
死ぬ確率がゼロの日なんて1日もなくて、常に「死」と隣り合わせで生きていてる。
仮に長生きできたとしても、何十年か後には必ず死を迎える。
果てしなく広大な宇宙空間と、想像できないくらい長大な時間軸の中で、ほんの、ほんの、ほんの一瞬だけ僕らに与えられた「生」。
今この瞬間をどう生きるか。
そしてどんな死を迎えたいのか。
偶然にも4(し)が並ぶ新月の日に、死と生について考えてみるのもいいかもしれない。
それでは今日はこの辺で!
shivai !!
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