人生は常に完璧で、満たされている。
僕は以前、コンサルティングの仕事をしていたことがあった。
基本的には、クライアントが抱える課題を明確にした上で、理想的な状態になるために何が必要かを考えて提案する、というのが通常の流れだ。
つまり、「何かが不足している現状」と「理想的な未来」を比較して、足りないものを埋めていくというアプローチをとることが多い。
「理想」-「現状」=「不足」
でも、これは何もコンサルティングに限った話ではなくて、僕らの日常生活だって同じだよね。
みんな自分の人生の「理想像」があるわけだけれど、何かが不足しているから現状では理想に届いていない、という構造。
受験や就職、仕事の成果なんかは言うに及ばず、人生設計も健康も、恋愛も人間関係も、趣味もゲームもファッションも、大抵そういう構造になっている。
だから、ついつい僕らは「不足しているもの」にフォーカスしてしまう。
能力が足りない、お金が足りない、時間が足りない、肩書が足りない、肉体的な何かが足りない、健康が足りない、魅力が足りない、愛情が足りない、あれが足りないこれも足りない…。
そして、不足を埋めようとして頑張った結果、「不足していた何か」を手に入れることができたとしても、すぐにまた「次の不足」を意識し始める。
その結果、僕らは「足りないもの」にフォーカスし続ける人生を送ることになる。
でもこれって、とっても残念な状態だ。
もちろん、不足感があるからこそ何かを手に入れたいというエネルギーが湧いてくるわけだけど、不足感ばかり感じ続ける人生って残念だな、と僕は思う。
じゃあ、どうすればいいの?っていうことになるんだけど、こんなふうに考えてみたらどうだろうか。
僕らの人生を一つの映画やドラマ、あるいはロールプレイングゲームとかのストーリー(物語)として捉えてみる。
そういうコンテンツって大抵の場合、不遇な環境に置かれた主人公が、目の前の障害を一つ一つクリアして成長し、最後に何か大きなものを手に入れる、という構造になってるよね。
これが、もし、主人公が最初からあらゆるものを持っていて何の悩みもないという状態だと、話にならない。
例えばドラゴンクエストで、主人公である勇者が最初から「ロトのつるぎ」「ロトのよろい」「みかがみのたて」を持っていて、すべての呪文が使える無敵の状態だったとしたら、ゲームとして成立しないわけだ。
そういう意味では、勇者は最初の時点で「何の装備も持っていない状態」であることが必須なんだよね。
成長過程では、何かが不足していることがゲームとして「完璧な状態」であり、満たされていたら逆に「完璧」ではなくなる。
つまり、「不足している」ことこそが「完璧な状態」と言える。
グラスに注がれたワインは、グラスの中ほどまでしか入っていないことが完璧な状態であって、表面張力するほどギリギリまで注がれてしまったら、それはグラスワインとして「完璧」な状態ではなくなる。
僕らの人生を一つのストーリーとして考えると、今何かが不足しているというのは、実は、「人生として完璧」な状態なんだよね。
一見矛盾しているようだけど、「不足こそが完璧」ってわけだ。
そういう考え方ができるようになると、現時点で足りないものがたくさんあったとしても、そればかりを意識するんじゃなくて、「足りないけど完璧」「足りないからこそ完璧」って思えるようになってきて、「完璧」という点にフォーカスが移っていく。
そして、「完璧」っていうことは、つまり「満たされている」っていうことだ。
僕らは自分の人生を瞬間的に切り取って不足感ばかり感じてしまいがちだけど、人生全体を上から眺めてみると、実は常に完璧で “満たされた状態” なんだよね。
昨日も完璧だったし、今この瞬間も完璧だし、明日もまた完璧。
つまり、
昨日も満たされていたし、今も満たされているし、明日も満たされている。
あとは、自分の人生というこの物語が、悲劇のストーリーなのか、それともハッピーエンドで終わるものなのか、それをどう設定するかは自分次第だ。
ちなみに僕の場合は、自分の人生はハッピーエンドのストーリーだと信じている。
ハッピーエンドのストーリーで、不足している現状こそが完璧で、常に満たされている。
そう考えて毎日を過ごせるようになったら、もう無敵だよね。(笑)
瞬間的にはそう思えないことも多いけど、僕らの人生は常に、最善のタイミングで最善のことが起きている。
そう信じて生きていくのも悪くないと思うよ。
それでは今日はこの辺で!
shivai !!
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