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 さあ、面白くなってきました。

考え方一つで、人生はどんどん楽しくなるね

オススメ。好きな映画10選!

はてなブログ10周年特別お題「好きな◯◯10選

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はてなブログ10周年イベントの一環でお題が出てるので、今回は僕の好きな映画について書いてみようと思う。


それほど映画に詳しいわけじゃないけど、子どもの頃からよく観てたほうだと思うので、パッと思いついた映画トップ10、行きまーす!

 


第10位 リメンバー・ミー

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ディズニーとかピクサーのこの手のアニメって敬遠しがちなんだけど、数年前にたまたまAmazonプライムで観て心を揺さぶられた。

良くも悪くも完璧すぎるストーリー展開と、映像の美しさが印象に残ってる。

 

現実世界と死者の国とが交錯するスピリチュアルな内容で、僕が考えてる死生観や宇宙観に似たところもあって共感できるところが多かった。

 

子どもに見せたい、子どもと一緒に観たい映画だね。

 

 

第9位 天空の城ラピュタ

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アニメが続いちゃったけど、子どもと一緒に観たい映画ということで思い出したのが、やっぱりこれ。

小学生の頃に初めて観て感動して、しばらくはCD(じゃなくてレコード 笑)とかグッズとかいろいろ買い集めるほどハマってた。

それまで、宮崎駿の作品は『未来少年コナン』しか観たことがなかったんだけど、ラピュタにハマってからは、漫画版の『風の谷のナウシカ』とか『シュナの旅』とかマイナーな作品も読み漁るようになった。

 

宮崎駿の映画はほかにも好きなのがあるけど、晩年の作品はメッセージ性の強いものが多いので、純粋に楽しめる冒険活劇という意味ではラピュタが一番かな。

 

 

第8位 ライオン  ~25年目のただいま~

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これも数年前にAmazonプライムで観て、とても良かった。

インドが舞台。幼いころに迷子になって家族と生き別れた主人公が、大人になってから家族を探すという、実話。

 

主人公・サルーの幼年期がとっても可愛らしくて、それだけに切なさが募る…。

噓のようなホントの話というのがいいよね。

 


第7位 ユージュアル・サスペクツ

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これは、大学生の頃に見て、完全にヤラレたサスペンス映画。

1回観たら、ほぼ間違いなくもう一度観たくなるヤバいやつです。(笑)

 

ストーリーというか、事件自体はそんなに変わったものではないと思うんだけど、作り込み方がすごくうまいし、全体的な雰囲気も独特で、印象に残る。

ケヴィン・スペイシーの演技が秀逸なんだよね。

 

観たことない人は、事前に何の情報も入れずに観ると、楽しめると思うよ。

 

 

第6位 ダンス・ウィズ・ウルブズ

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高校生のときに映画館で観て、僕がネイティブアメリカンに強い関心を持つきっかけになった作品。

南北戦争時代のアメリカを舞台に、軍人とネイティブアメリカンとの交流を描く人間ドラマで、映画全体に漂う空気感がとてもいい。

 

この映画を観てからケビン・コスナーが大好きになって、『パーフェクト・ワールド』とか『アンタッチャブル』とか『さよならゲーム』とか『フィールド・オブ・ドリームズ』とかも、何度も観たなぁ。

 


第5位 レオン

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今でもときどき見たくなる映画『レオン』。

冷酷な殺し屋だけど普段は間抜けな中年男という主人公をジャン・レノが見事に演じていて、これに、孤独な少女・マチルダを演じるナタリー・ポートマンのキュートさがたまらなくマッチしている。

この二人の演技が、悲惨な物語を悲惨なまま終わらせず、映画全体に厚みを持たせてるんだよね。

 

あと、悪役のゲイリー・オールドマンのクレイジーな演技もお見事と言うしかない。

しかも、スティングが歌う主題歌「シェイプ・オブ・マイ・ハート」がまたいいんだわ、コレ。

 

映画として完璧だと思う。

 

 

第4位 グラン・ブルー

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ジャン・レノで思い出したので、第4位は『グラン・ブルー』。

地中海を舞台に、実在した伝説のダイバーを描いた物語で、この映画でもジャン・レノがめちゃくちゃいい味を出してる。

映画全体を通して流れる、穏やかで寂し気な雰囲気がとてもいい。

 

僕の場合は、観ると必ず海に行きたくなって、そしてパスタを食べたくなる映画です。(笑)

 


第3位 紅の豚

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ここに来てまさかの『紅の豚』は、完全に僕の趣味です。(笑)

 

僕の人生のテーマであり、一番大事にしている価値観は「自由であること」。

それを象徴するのが、この映画の主人公、ポルコ・ロッソなんだよね。

どうでもいいことだけど、僕のはてなブログのID(rossoporco)はここから来ています。

 

この映画は、子ども向けのアニメをつくり続けた宮崎駿が、唯一 “中年男性” のためにつくった映画なんだけど、その意図のとおり、うちの子どもたちからの評判は芳しくないです。(笑)

 


第2位 セント・オブ・ウーマン

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高校生のときに映画館で観て、アル・パチーノの演技力に驚愕した映画。

ジャンルとしては、青春ドラマかな? 人生ドラマかな?

 

それまでは、アル・パチーノを見ても “アメリカの高田純次” ぐらいにしか思ってなかったんだけど、この映画を観てからは尊敬の眼差しで見るようになった。(笑)

あ。でも、僕は高田純次も尊敬してるんだけどね。(笑)


それはさておき、この『セント・オブ・ウーマン』は、高校の時からずっと僕の人生の指針になってくれた映画なんだよね。

どう生きるか? 何を選択するか? 20代までの僕の生き方に大きな影響を与えた映画です。

 

物語終盤の、講堂での演説シーンは本当にしびれるよ。

あと、盲目のアル・パチーノが美女とタンゴを踊る場面も素晴らしくて、そのシーンで流れる「ポル・ウナ・カベーサ」は僕の大好きな曲になった。

 

ちなみに、アル・パチーノが下品すぎるので、子どもと一緒に観る映画じゃないです。(笑)

 

 

第1位 ショーシャンクの空に

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これはもう、泣く子も黙る名作中の名作だよね。

無実の罪で刑務所に入れられた主人公と囚人仲間たちとの心の交流を描いた物語で、大学時代に初めて観たときは、驚きの結末に心が躍った。

 

伏線をすべて回収して、しかも主人公たちの未来まで想像させてくれる重厚なストーリー展開がたまらなく気持ちいい。

モーガン・フリーマンの演技も渋くて最高だし、結末がわかってるのに何度も観たくなる映画です。

 

 

てことで、僕の大好きな映画10選、第1位は『ショーシャンクの空に』でした!

 


今回ピックアップしたのは有名な映画ばかりなので知ってる人も多いと思うけど、もしまだ観たことのない作品があったら、ぜひ一度観てみてね。

 

 

 

それでは今日はこの辺で!

 

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幸せの生産者

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何かいいことが起きると、楽しくなる、嬉しくなる、心地良くなる、ご機嫌になる、幸せになる。


それはもちろんそうだろうと思う。

 

 

面白いコメディーを見て楽しくなる。

欲しいものを手に入れて嬉しくなる。

マッサージを受けて心地良くなる。

人から褒められてご機嫌になる。

美味しいものを食べて幸せを感じる。


でも、逆に言うと、

面白いコメディーを見ないと楽しくない。

欲しいものが手に入らなければ嬉しくない。

マッサージをしないと心地良くない。

人から褒められないとご機嫌になれない。

美味しいものを食べないと幸せじゃない。

 

 

自分の「外側」で起きることによって、自分自身の楽しさ、嬉しさ、心地よさ、機嫌、幸せ、が左右されるということは、「外側」で起きる出来事に依存し、それに振り回されるということだ。


それは、いわば「幸せの消費者」とでも言うべき状態かもしれない。

自分ではない誰かがつくったものや、誰かが与えてくれたものを消費することで瞬間的な「幸せ」を感じるという意味では。

 

だけど、もしそれを作ってくれる人がいなくなったら、それを与えてくれる人がいなくなったら、幸せを感じることができなくなってしまうんじゃないだろうか?

 

 

これはおそらく食糧の自給率と同じようなことだと思う。


どんな社会情勢であっても、どんな生活環境、どんな家庭環境であっても、安定的に幸せでいるためには、「幸せの自給率」を高めることが必要なんだろうと思う。

 

自分の「外側」で何かいいことが起きなくても、楽しくなれる、嬉しくなれる、心地よくなれる、ご機嫌になれる、幸せになれること。


つまり、自分自身の「内側」で幸せな状態を作り出すことが大事なんだと思う。


何もなくても楽しい、何もなくても嬉しい、何もなくても心地よい、何もなくてもご機嫌。そんな状態。

 

 

そんなの意味がわからない!って思う人もいるかもしれないけれど、一度できるようになればそんなに難しいことじゃないんだよね。


まずは、「自分のご機嫌は自分でとる」ことから始めてみよう。


外側でいいことが起きるから自分が幸せになる、というふうに考えていた人も、自分の「内側」が幸せになると「外側」で幸せなことが起きるという、今までとは全く逆のループが生まれることに気付くと思うよ。

 

 

本当の「幸せ」を手に入れたいのであれば、「幸せの消費者」ではなく、「幸せの生産者」になる必要があると思うんだ僕は。

 

 

 

それでは今日はこの辺で!

 

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未来にボールを投げる。(時間って何?)

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あまりに身近すぎるので、深く考えずにスルーしてしまっていることは多い。

たとえば水とか空気とか、電気とか、時間とか。

 


ちなみに、水や空気や電気については科学的に存在を証明することができるし、その構成要素なんかもわかっている。

だけど時間については、よくわかっていないんだよね。

 

時間のことはいまだに科学的に解明されていなくて、そもそも物理学者の中には「時間なんて存在しない」と言っている人もいる。

僕の大好きな宇宙人・バシャールも、「時間は存在しない」と言っているしね。(笑)

 

でもまあ、そうは言っても、僕たちは毎日「時間」の中で過ごしている。

明日の予定を立てたり、お店を予約をしたり、将来を夢見たりするのは、「時間」があることを前提にしているからだ。

仮に何もしなかったとしても、時計の針は淡々と進み、そのうち人は老いて死んでいく。

だから「時間」は存在するんだろうと、人間は感覚的に感じている。

でも、21世紀の今でも科学的には全く解明されていない。

 

不思議だよね。

 

 

ちなみに僕らは、時間というのは過去から未来へと一方向に進んでいると考えがちだけど、物理学的には(計算上は)逆方向への流れもあるらしい。

というか、時間というのはそもそも得体の知れないものなので、どちらからどちらへという流れが決まっているわけではなくて、ただ多くの人が、なんとなく「時間は過去から未来へ向かって流れているっぽい」と感じているだけなんだよね。

 


あなたはどんなふうに考えるだろうか。

時間は過去から未来へ向かって流れていると思う? それとも、未来から過去へ向かって流れていると思う?

 

時間が過去から未来へ流れているというイメージは、川の上流から下流に向かって小舟に乗って流されているような感じかもしれない。

 

上流(過去)→→ 小舟に乗った自分(現在)→→ 下流(未来)

 

このとき自分の視線は下流の方を向いていて、水の流れとともに自分自身が川下へ流されていくので、周囲の景色は次々に移り変わるけど、どこにたどり着くのか、どんな景色を見るかというのを自分でコントロールするのは難しい。

極端に言えば、川の流れに任せて生きている状態だ。

 


一方、「時間」が未来から過去に向かって流れているとすると、川の真ん中に立って上流のほうを向いている状態で、上流からどんどん川の水が流れてくるイメージだと思う。

 

上流(未来)→→ 川の中に立つ自分(現在)→→ 下流(過去)

 

この場合、視線は上流を向いていて、自分の立っている場所はずっと同じだけど、流れてくる川の水とか漂流物が次々にやってきては後方(川下)に流れ去っていく感じだね。

 

 

ちなみに僕自身は、時間の流れは後者だと思ってる。

つまり、上流(未来)から流れてきた時間は、上流を向いて立っている僕のそば(現在)を通過して、下流(過去)へ流れていくと考えてる。


ただ、このイメージだと、川の真ん中に立っている自分のポジションは変わらないから、ずっと同じ景色で、一見面白くないように思われるかもしれない。

でも、実はそうじゃない。

 


この辺のことについては、ブロガーのテンジロウさんが詳しく書いてくださってるので、ぜひ読んでみてほしい。

 

 

「未来」というのは文字どおり「ていない時間」なわけで、逆に言えばこれからやってくるものだということ。

だから、上流である未来に向かって何かを投げれば、それは川の流れに乗っていずれ自分のところに返ってくる。

 

テンジロウさんはこのことを、「未来に向かってボールを投げる」とおっしゃっている。

いや、これは実に言い得て妙。

本当にそうだなぁと思う。

 

 

そして、この考え方でいくと腑に落ちることがある。

 

例えば、僕らは何かを手に入れようとするとき、今この瞬間の現実を変えようとするよね。

でも、今ここの現実を変えることで自分が望むものを手に入れるのは簡単じゃない。

それがなぜかというと、時間というのが実際は未来から過去に向かって流れているからじゃないかと思うんだ。

 

「今」は次の瞬間には「過去」になり、あっという間に後方に流れ去る。

 

つまり、時間が上流(未来)から下流(過去)に向かって流れているとすると、今ここ(現在)を変えたとしても、それはすぐに下流(過去)に流れ去ってしまうんだよね。

だから、仮に今ここの現実(現在)を変えることができたとしても、変えたものを自分で受け取ることができないってわけ。

 

だとしたら、現実を変えたい(欲しいものを手に入れたい)のであれば、まずは未来に向かってその種となる「ボール」を投げればいい。

そうすれば、そのボールはそのうち川の水(時間)に乗って僕の手元に流れてくる。

 

たとえば、「1年後にこんなふうになっていたい!」とイメージした(種を入れた)ボールを、上流に向かってポーンと投げるとするね。

で、その種入りのボールは1年先の未来にチャポーンと着水する。

そうすると、どんぶらこ~どんぶらこ~っていう感じで、そのボールは1年かけて僕の手元に向かって流れてくる。

その間に、種は芽を出し、葉を茂らせ、花を咲かせ、実をつける。

そして1年後に、僕は流れてきたそのボールを拾い上げて、花を愛でたり実を食べたりすることができるというわけ。


もしかしたら、そのボールに入れた種は途中で魚に食べられてしまうかもしれないし、害虫に葉や花を食べられるかもしれないし、鳥たちが実を持ち去ってしまうかもしれない。

でも逆に、想像以上に大輪の花を咲かせたり、たくさんの果実を実らせた状態で流れてくるかもしれない。

 

いずれにしても、僕が未来に向かって投げた「種入りのボール」は、何らかの形で僕の手元に返ってくる。

これは、時間が未来から過去に向かって流れていると考えるからこそできる技だ。

 

 

こんなふうに、「時間」が流れる方向についてのイメージを変えるだけで僕らの生き方はかなり変わってくると思う。

どうせ「時間」なんてよくわからないものなんだから、それだったら自分の都合のいいように解釈してしまえばいいんじゃないかな。


時間は未来から過去へ向かって流れていると考えちゃおう。

 

そして、未来に向かってどんどん「種入りのボール」を投げよう。

投げる量も、どこに投げるかも、どんな種を入れるかも自由。

上流に向かって、好きなだけ投げればいい。

そして、あとは楽しみに待っていればいい。


未来に向かって投げた「種入りのボール」は、そのうち形を変えて手元に流れてくるから、あとはそれを拾い上げるだけだ。

 

いやぁ、考えただけでワクワクするよね~。

 

 

ってことで、しつこいようだけど(笑)テンジロウさんのブログ、ぜひ読んでみてね!

 


 

 

 

それでは今日はこの辺で!

 

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「波動使い」になろう!

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僕がスピリチュアルについて本格的に学び始めたのは10年以上前だけど、その知恵を実生活の中で活かすようになったのはここ2〜3年のことだ。

 

そして、その中でも最も意識しているのは、自分の波動(周波数)を整えること。

 

 

スピリチュアルに詳しい方なら誰でもご存知だと思うけど、パラレルワールドを移行するのも、欲しいものを引き寄せる(受け取る)のも、すべては波動次第。


つまり、自分の人生をより良いものにするための一番の土台となるのが、波動だ。

 

 

で、波動を整えるためにまず必要なのが、その瞬間瞬間の心の状態(感情、気分、感覚、フィーリング)を内観すること。

内観してみて、もし乱れていたら、自分自身と対話することでその原因を特定して対処し、波動をもとに戻す(軽い状態、心地よい状態に戻す)ことに注力する。

 

これができるようになると、自分の外側で何か嫌なことが起きても、動じることが少なくなるんだよね。

 

もちろん、僕自身、完全にマスターするには至っていないので、瞬間的にイラッとしたり恐怖を感じたりして、心を動かされてしまうことも少なくない。

ただ、波動のコントロールを最優先するようになってからは、怒りの感情や恐怖感が長く続くことはなくなった。

 


自分の外側でどんなことが起きたとしても、その出来事にはもともと何の意味もない。

外側の出来事に意味を与えてるのは自分自身だ。


だとしたら、もし何らかの出来事によって感情がネガティブに偏っている(波動が乱れている)場合、その原因は自分自身にある。


だから、内観して心を整えれば、外側の出来事の意味合いは変わる。

つまり、「現実」が変わる。


そして、「現実」が変われば、当然、望まないほうに感情を持っていかれることはなくなる。

 


とにもかくにも、自分自身の心地よさをキープし続けることだ。


言葉で伝えるのはなかなか難しいけれど、より良い人生、幸せな人生を送りたいのであれば、それが一番大事なことだと僕は思う。

 

魔法使いになるのは難しそうだけど、「波動使い」なら誰でもなれるしね。

 

いや。波動をコントロールすれば魔法のようなことが起きるから、結局「波動使い」は魔法使いってことかもしれない。

まあ、どっちでもいいけど。(笑)

 

てことで、みんな「波動使い」になろう!

 

 

 

それでは今日はこの辺で!

 

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人生に敗者はいない。

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明石家さんまさんのお父さんの言葉で、こんな名言がある。

 

人間、生まれてきたときは裸。

死ぬときにパンツ1枚履いてたら勝ちやないか。

 


僕は、高校生のときにこの言葉を知って、笑うと同時に衝撃を受けた記憶がある。


確かに、もともとがゼロなんだから、もし死ぬときに真っ裸だったとしてもプラスマイナスゼロだし、何か一つでも身につけていればプラス、というのはホントにそのとおりだなぁと思う。

 

 

当時まだ10代だった僕は、このさんまさん(のお父さん)の言葉を文字どおりに受け止めていたけど、この歳になってようやく「パンツ」は比喩だということがわかるようになった。

 

 

以前にも書いたことがあるけれど、スピリチュアル的に言うと、僕らの本質は魂(ソウル)であって、今のこの人生は、その魂が地球に遊びに来ている状態だ。


例えるなら、僕らが日常生活から離れてディズニーランドに遊びに行くように、本来は魂である僕らが物質次元の肉体に宿って、地球という大きなテーマパークでいろんな体験を楽しんでる状態。

 

 

その意味でいうと、地球上で「オギャー」と生まれることは、ディズニーランドの入場ゲートをくぐったのと同じことだよね。


もし、その場で引き返して帰宅したとしても、「俺はディズニーランドに行ってきたぜ~」って自慢できる。(笑)

 


でも、当然ながら多くの人はその時点で引き返すことなく、地球上での様々な体験を重ねていくことになるよね。


そして、仮にその人生で大きな不幸が続いたとしても、その一つ一つが「パンツ」なわけだ。

 


つまり、人生でどんな経験をしたとしても、いつ死んだとしても、数えきれないくらいたくさんの【地球上での経験】という名の「パンツ」を履いた状態であることは間違いない。(笑)


いや、パンツだけじゃなくて、いろんな服を着て、靴下や靴を履いて、帽子をかぶって、時計やアクセサリーをジャラジャラつけてる状態だ。

 

人間、生まれてきたときは裸。
死ぬときにパンツ1枚履いてたら勝ちやないか。

 

という意味で言えば、この人生において僕らは、敗者になりたくてもなることができないんだ。


何をどうやったって勝ってしまう、対戦相手に申し訳ないくらいの圧倒的な勝ちゲーム。


人生ってのはそういうもんなんだな。

 

 

神様よぅ。悪いけど、この人生ゲーム楽勝すぎるぜ。(笑)

 

 

 

それでは今日はこの辺で!

 

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今日の仕事は楽しみですか? ~情報検閲と思考停止~

 

先日、品川駅のコンコースに表示された広告が“炎上”したというニュースをご存知だろうか?

 

炎上のきっかけとなったのは、広告を出稿した会社の社長がTwitterに投稿した1枚の画像だった。

 

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このツイート画像を見た人たちから批判を浴びたらしい。

 

「見た人を傷つける」

「楽しみでなくても、しなくてはならない仕事があるのに」

「仕事は楽しみじゃなきゃいけないのか」

「つらくてもなんとか仕事を頑張っている人を傷つける言葉だ」

 

こういった批判を受けて、この企業は1日で出稿を取りやめたそうだ。

 

 

批判する人たちの気持ちはわからないでもないけど、一企業の広告に、そこまでムキになって反応するようなことかなぁと、僕は思う。

しかも、Twitter上でこれを批判した人たちは、実際に品川駅でこの広告を見たわけでもない。

 

 

ここ最近、こういったネット上の「声」が企業や行政を動かすケースをよく見かけるようになった。

オリンピック開会式の演出をめぐるゴタゴタも記憶に新しい。


もちろん、「ユーザーの声」や「国民の声」が企業や行政に届いて何らかの影響を与えることは素晴らしいことだけれど、最近よく目につくのはそのネガティブな側面だ。

「いじめ」と同じような構造になっていることも少なくない。

 

一部の過激な主張、しかも匿名で言いたい放題の主張が必要以上に取り上げられることで、逆に息苦しさが増している気がする。

 


それに加えて、YouTubeやTwitterをはじめとする大手SNSがコンテンツの検閲を始めたことも、すごく気持ち悪い。

「表現の自由」がジワジワと侵食されているように感じるからだ。

 

情報の検閲を行い、あらかじめ誰かが取捨選択したものしか受け取れないというのは、実に恐ろしいことだと僕は思う。


そして、情報の検閲をしようとする人たちには、「キミたち一般人は自分で善し悪しを判断できないだろうから、こっちで選んでおいてやるよ」という傲慢さも見え隠れする。

 

情報の検閲によって、人は「考える機会」「判断する機会」「行動する機会」を奪われることになる。

 

 

「今日の仕事は、楽しみですか?」


素晴らしい問いかけじゃないだろうか。

楽しく働いている人にとっても、楽しくない仕事をイヤイヤ続けている人にとっても、そんなこと考えたこともなかったよ、という人にとっても。


問いを受けて、内観し、振り返り、未来を考える。

その機会を奪わないでもらいたい。


取捨選択はこっちでしますので。

 

そこんとこ、ヨロシク!

 

 

 

それでは今日はこの辺で!

 

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習慣を変えたら幸福感が4倍になった?

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ふだん自分では意識していないけど、実は習慣になってたり、惰性でやってたりすることって意外と多いかもしれない。

歯磨きや食事みたいなことから、学校や会社に行くときのルートとか、お店で選ぶ商品、習い事、趣味・嗜好なんかも。

 

 

ところで、僕はこの10年くらいずっと同じ髪型で暮らしてる。

もともとおでこが広いのに、この歳になってますます髪が薄くなってきてるので、サイドはバリカンで短く刈り上げて、トップはソフトモヒカンっぽい感じの髪型。

 

こんな髪型なのに美容室で髪を切ってるので、家族や友人からは「美容室に行く意味ある?」って、いつも笑われてるんだけど、意地になってずーっと美容室に通い続けてた。(笑)


この10年くらい行ってる美容室は、もともとカットが4,000円だったのに、担当者がコンテストで賞を取ったり、独立したり、消費税がアップしたりとかいろいろあって、そのたびごとにジワジワ値段が上がって、最近は税込みで6,000円くらいにまでなってたんだよね。

 

あと、僕は美容室にしろ飲食店にしろ「予約」するのが大嫌いで、予約しなきゃと思うと気が滅入るんだよね…。

で、その美容室が人気になるにつれて予約が取りづらくなっちゃって、タイミングが合わないことも増えてた。

 

そんなこんなで、もともと1カ月に1回くらいカットしてたのが、最近は1カ月半~2カ月に1回くらいの頻度になってた。

それでも、別の美容室を探すのは面倒だし、オーナーとは仲良くなってるので、惰性で通い続けてたんだよね。

 


だけど少し前に、予約のタイミングが合わないことが続いて、どこか別のところで切ってみようかな~?という気分になってたときに、たまたま友人から床屋を紹介してもらった。


最初は、「え~?床屋?」って思ったんだけど、試しに行ってみたら、これが最高に良かった。(笑)

 

床屋なので予約はナシで、美容室よりも丁寧にカットしてくれて仕上がりは申し分ないのに、料金は1,200円。

なんで今まで美容室に通ってたんだろう・・・と自分を恨みたくなるほどの展開だった。

 

それ以来、僕は2週間に1回のペースで床屋に行ってるんだけど、それでも美容室に行くより安上がりで、予約しなくていいからめちゃくちゃ気楽。

頻繁に髪を切ってるから、常に爽快感もある。


そういえば、昔、こんな話を聞いたことがあった。

 

1日幸せでいたいなら、床屋に行け。

1週間幸せでいたいなら、車を買え。

1カ月幸せでいたいなら、結婚しろ。

1年幸せでいたいなら、家を買え。

一生幸せでいたいなら、正直でいろ。

 


「結婚の幸せは1カ月」というのは、まあさておき。(笑)

今まで2カ月に1回散髪してたのが2週間に1回になったわけだから、少なくとも幸福感が4倍になったわけだね。(笑)

 

これまでの美容室に対する不満をすべて払拭して、幸福感は激増。

 

当たり前にやってることや、当たり前になってることを見直して、暮らしの中で意識的に変化を起こすのは大事だなぁと、改めて感じた次第です。

 

 

 

それでは今日はこの辺で!

 

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世界の二面性と、僕らのスタンス。

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前回の記事で、「プラス面だけ見ればいい」と書いてしまったので、そこだけ読むと誤解されてしまう可能性があるなぁと思った。

 

あの記事で書いたのは、単に、自分に直接関係のないことはプラス面だけ見てればいいんじゃないか?ということで、どんなことでもプラス面だけ見てればいいというお気楽なことが言いたかったわけじゃない。

 

ポジティブ思考万歳!!なんてことが言いたかったわけではありません。(笑)

 


世の中のすべてのことにはプラスとマイナス、陰と陽、ポジティブとネガティブ、善と悪、裏と表、というように二面性がある。

いや、本当はそんなものはないんだけど、僕ら人間が物事に意味づけをするから、二面性が生じてしまうわけだ。


何らかの出来事があって、そこにポジティブな意味を与えると、それと同時にネガティブな面も生まれてしまうってこと。逆もまたしかりでね。

 


例えば、勤めている会社の業績が良くて、臨時ボーナスとして一人当たり10万円の寸志が配られたとする。

で、それをもらった人は、突然のことなので喜ぶ。

喜ぶということは、突然10万円をもらったことにポジティブな意味を与えているわけだ。


だけど、どんなポジティブなことにも反対の側面がつきまとう。

表面だけのコインや、裏面だけのコインがないのと同じことだ。

 

つまり、10万円をもらったことにポジティブな意味づけをすると、同時にネガティブな側面が現れる。


たとえば。

  • もらった10万円を紛失したり、盗まれたりするかもしれない。
  • 10万円もらったことで、会社からの要求や縛りがキツくなるかもしれない。
  • 次の臨時ボーナスが5万円だったら喜べないかもしれない。
  • 今後、会社の売上が急落したら次の賞与は減額されるかもしれない。


そんなふうに、10万円を突然もらうということのポジティブな側面は、ネガティブな側面と表裏一体なわけだ。

 

 

ところで、今、財布の中に5,000円札が1枚だけ入っているとする。

そのとき人は、【財布の中に5,000円入っているという事実】以上の意味を与えてしまいがちだ。

「5,000円しかない」と考える人もいれば、「5,000円もある」と考える人もいる。


一般的に、「5,000円もある」と考える人はポジティブな人だと言われ、「5,000円しかない」と考える人はネガティブな人だと言われる。

だけど、ポジティブな人が物事をポジティブに見れば見るほど、その裏でネガティブな側面も大きくなるし、ネガティブな人がネガティブな意味を与えれば与えるほど、実はポジティブな側面も増えていく。

そして、ポジティブな面しか見ない人はネガティブな面があることを忘れがちで、ネガティブな考え方に偏っている人はポジティブな面を見落としてしまう。


何が言いたいかというと、ポジティブばかりの人も、ネガティブばかりの人も、バランスが良くないんじゃないか?ってことだ。


この世界の大前提として、あらゆる物事はそもそも中立で無色透明だということを知っておいたほうがいい。

そして、自分が何かにポジティブな意味を与えるとその出来事は一見ポジティブになり、ネガティブな意味を与えると一見ネガティブな出来事になる。

 

だけど、本来はニュートラルなものに意味づけをしているわけだから、プラスの意味を与えた瞬間にマイナスの意味が生まれて本来のバランスをとろうとするし、マイナスの意味を与えると同時にプラスの意味が生まれてバランスをとろうとする。


この原理を知っておくことが大切だと僕は思う。

 

その原理がわかっていれば、プラスマイナスゼロに近い場所にとどまることができる。

そして、「ああ、今自分はポジティブな意味を与えているな」とか、「ちょっとネガティブなほうに寄ってるな」ということを客観的に、俯瞰して眺められるようになる。

そうすれば、どんな出来事が起きても動揺しづらくなる。


その上で、じゃあ自分はどちらに進んでいきたいのか、ポジティブとネガティブのどちらを選択したいのか。それを考えて行動する。

おそらく、多くの人はポジティブなほうを選ぼうとするだろうけれど、これは何も考えずにポジティブな側面だけを見るのとは全く違う行為だと思う。

 


つまり、全体を客観的に俯瞰して現在地を把握し、自分の望む方向を主体的に選んでいくということは、「この世界をつくっているのは自分自身である」ということを認識していることを意味する。

それができるようになれば、自分の外側で起きていることに振り回されることが少なくなって、自分軸で生きられるようになるんじゃないかな。


僕自身もまだ会得できているわけではないから、わかりやすく説明できない部分があるけれど、とりあえず僕は今、そんなふうに考えてる。

 

 

 

それでは今日はこの辺で!

 

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「どうでもいいこと」はプラス面だけを見る。

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僕はテレビをほとんど見ないし、ワイドショー的なネタには昔から興味がないので、世の中の話題についていけないことも多い。

 

特に最近よくわからないのが、秋篠宮家の眞子さんの結婚をめぐる世間の反応だなぁ。

 


どうやら、お相手の男性の家庭で過去に金銭トラブルがあったらしく、それが理由で結婚相手にふさわしくないということで叩かれているみたいだね。

もしかしたら、それだけが理由じゃないのかもしれないけど。

 

でも僕は、どうしてそんなことが大騒ぎになってるのか、よくわからない。

そんなこと、どうでもよくないかな?

親族でもないのに、他人の結婚に口出しする理由がよくわからない。(笑)

 

一人の女性と一人の男性が結婚したくて結婚する。

どうして外野が、いや、外野どころか球場の外の遥か遠くにいるような人たちがそれに異議を唱えるんだろう?

 


他人の結婚なんてどうでもいいじゃないかと思うよ、僕は。

いや、むしろ祝福してあげたらいいと思うよ。おめでたいことなんだし。


そう言うと、税金ガー! とか、皇室の品位ガー! とか言う人がいるのかもしれないけど、結婚に絡む費用なんて大した金額でもないと思う。

それ以上にとてつもなく巨額の税金が無駄に使われていることには何も言わないのに、その程度のことで目くじらを立てるのは不思議だ。


あと、皇室の品位が落ちるとか言う人もいるのかもしれないけど、皇室に品位を求めるのもおかしな話だと思う。

歴史を見ればわかるけど、皇族と呼ばれる人たちは太古の昔から宮廷で激しい愛憎劇や血みどろの権力闘争なんかを繰り広げてきた家系なわけで。

「品位」なんて、しょせん後付けの包装紙にすぎない。

 

 

眞子さんだけじゃないと思うけど、今の時代の皇室に生まれるというのは大変なことだろうと思う。

生まれてこの方、大きな制約の中で窮屈な思いをしながら生きてきたんだろうから、結婚ぐらい自由に、好きなようにさせてあげたらいいのに。


祝福して、温かく見守ってあげたいと思うな。僕は。

 


それに、攻撃するより祝福したほうが、自分自身が心地良くいられると思うんだよね。

もしこれが自分の家族のことだったら、悩んだり怒ったり苦しんだりするのも仕方ないかもしれない。

 

だけど、眞子さんの結婚なんて、僕自身には全く関係のないことだからね。

結婚に反対したからといって眞子さんが僕と結婚してくれるわけでもないし。(笑)


だったら、自分にとって心地良いほう(祝福)を選択したほうが断然いい。


自分とは全く関係のないどうでもいいことに関しては、楽しい側面・嬉しい側面だけ見てればいいんじゃないかと思うよ。

 

 

あ。そうそう、話は変わるけど。

ずいぶん昔に、イエスだったかノーだったか忘れたけど、そんな感じの名前の人がこんなことを言ってたのを思い出した。(笑)

あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。

 

 

 

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承認欲求を満たすには?

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ネット上の情報、特にSNSの投稿を見ていると、満たされることのない承認欲求が溢れてるなぁって感じる。


「もっと私を見て」

「どう?凄いでしょ?」

「もっと褒めて~」


投稿された言葉の裏には、そんな心の声が渦巻いている。

もちろん、僕が書くこのブログの記事も含めての話だけど。(笑)

 

でも、仮にたくさんの高評価をもらって、その瞬間は満たされたような気分になったとしても、そんな満足感は一瞬で消える。

 


SNS上でどれだけ多くの「いいね」や賞賛のコメントをもらっても、それだけで承認欲求が満たされることはない。

いや、SNSに限らず、職場でも家庭でもそれ以外でも、他者からどんなに高く評価されても、承認欲求が満たされることはない

 

それはなぜか?

 


わかりやすくするために極端な例を考えてみよう。

 

例えば僕が、みんなから「凄い」と言われたくて、ウソで塗り固められた記事を書いて投稿をしたとするね。

その結果、記事を読んだ人たちは軒並み高評価をしてくれて、たくさんシェア・リツイートされて、賞賛のコメントも読みきれないほどに書き込まれた。


それを見た僕は満たされた気持ちになるだろうか?

なるわけないよね。(笑)

だって、書いた内容は全部ウソなんだもん。

 

人からどんなに「凄い」と思われたとしても、自分自身がそう思っていなれば承認欲求が満たされることはない。


つまり、自分が自分のことを【50】だと思っているときに、他の人から「キミは【100】だよ! 素晴らしい!」と言われたとしても、自分の認識が【50】である限り、決して【100】の満足感は得られない。

 


でも、その構造がわかっていない場合が多いんだろうと思う。

だから、誰かから「キミは【100】だよ!」と言われてるのに、どうして満足できないのか理由がわからなくて、渇望感は続く。


そして、「【200】と言ってもらえたら満足できるんじゃないか?」「いや、【1000】と言ってもらえたら…」というふうに、際限なく他者からの承認・称賛を求めることになる。

だけど、仮に【200】とか【1000】とか言ってもらえたとしても、自分の認識が【50】である限り、満たされることは決してない。

 

自分で自分を認めてあげていないことが渇望感の原因なのに、それを人に埋めてもらおうとするから、承認欲求の無限ループにはまり込む。


もっと評価して!

足りない!

もっと褒めて!

足りない!

もっと凄いと言って!

足りない!

足りない!

足りない!

 


承認欲求という名のグラスに水を注げるのは自分自身しかいない。

この不毛なループから抜け出すためには、自分で自分を認めてあげるしかない。


そのために大切なのは、どんな自分にも「オーケー」を出してあげることだと思う。

ダメな自分、失敗した自分、ズルい自分、情けない自分、下手な自分、ネガティブな自分、アホな自分、カッコ悪い自分、醜い自分、、、どんな自分にも。


「いいよ、それでいいんだよ」

「大丈夫だよ、なんとかなるよ」

「しょうがないよ、それは」

「そんなの、そう感じて当然だよ」

「怒っちゃうよね、それは」

「誰だってそうだよ」

「気にするようなことじゃないよ」

「へえ、すごいじゃん」

「いいね! いいね! いい感じ!」

 

恋人や大好きな人に言葉をかけるときのように、自分自身にも優しく温かい言葉をかけてあげる。


そうやっていれば、きっと、少しずつ承認欲求のコップは満たされていく。

そしてそのうちにコップの水はいっぱいになって、他者からの承認なんて必要なくなるんじゃないかな。


僕はそんなふうに思う。

 

 

 

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すべては変わる。変えられる。

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自己啓発書なんかを読んでいると、よくこんなフレーズを目にする。

「他人と過去は変えられないけれど、自分と未来は変えられる」

 

これはもともと、エリック・バーンというカナダ生まれの精神科医の言葉らしい。

 

You cannot change others or the past.
You can change yourself and the future.

(Eric Berne)

 

 

僕が最初にこの言葉を知ったのは、たしか20代後半のころ。

人材育成系の本を読んでいたときにこのフレーズを目にして、えらく感激したことを覚えている。

確かにそうだ!他人と過去は変えられないけれど自分と未来は変えられるんだから、変えられることに意識を向けよう!ってね。

 


だけど、あれから20年近く経った今、これはちょっと違うなぁって思う。

 

他人は変えられない? 本当にそうだろうか?

過去は変えられない? 本当にそうだろうか?

 


ちなみに僕は今、他人も自分も、過去も未来も、すべて変えられると思ってる。

 


他人にしろ過去にしろ、何でもそうだけど、ある対象についてどう感じるかは、自分次第だ。

だから、自分の考え方や観念が変われば、他人も過去も一瞬で変わってしまう。

 

 

以前にも引用したことがあるけれど、まさにこれが良い例だよね。

 

私は地下鉄の車両に乗り込んだ。
乗客は静かに座っていた。
ある人は新聞を読み、ある人は目を閉じ休んでいた。

そこに、ひとりの男性が子供たちを連れて車両に乗り込んできた。
すぐに子供たちがうるさく騒ぎ出し、それまでの静かな雰囲気は一瞬にして壊されてしまった。

子供たちは大声を出したり、物を投げたり、なんとも騒々しく、気に障るものだった。

しかし、その男性は私の隣で目を閉じて座ったまま。
私はいらだちを覚えずにはいられなかった。
子どもたちを注意もせず、ただ座っているだけの彼の態度が信じられなかった。

周りの人たちもいらいらしているように見えた。
私は耐えられなくなり、彼に向かって控えめに、「あなたのお子さんたちが皆さんの迷惑になっているようですよ。もう少しおとなしくさせることはできないのですか?」と言ってみた。

彼は目を開けると、まるで初めてその様子に気がついた表情になり、柔らかいもの静かな声で、こう返事した。

「ああ、本当にそうですね、どうにかしないと……。たった今、病院から出てきたところなんです。一時間ほど前に妻が…あの子たちの母親が亡くなったものですから……。いったいどうすればいいのか……。子供たちも混乱しているみたいで……」


その瞬間の私の気持ちが想像できるだろうか。

突然、その状況を全く違う目で見ることができた。
違って見えたから違って考え、違って感じ、そして、違って行動した。

私の心にその男性の痛みがいっぱいに広がり、同情や哀れみの気持ちが自然にあふれ出してきたのである。

「奥さんが亡くなったのですか、それは本当にお気の毒に。何か私にできることはないでしょうか?」

一瞬にしてすべてが変わった。

 

(出典:『7つの習慣』 スティーブン・R・コヴィ)

 

 

過去も他人も一瞬にして変わる。

自分の考え方ひとつで。

 

もちろん、現実的には、自分が嫌いな人や受け入れがたい過去を変えるのは容易なことじゃないと思う。

 


今日こんな記事を読んだ。

この大東さんという俳優のことはよく知らなかったんだけど、この内容は胸に刺さるものがあった。

 

 

 

この記事で大東さんがおっしゃっていることはスピリチュアル的にも納得感のあることが多いんだけど、これもその一つだ。

 

不思議だけど、亡くなってからのほうがお父さんのことを好きだし、自分の父親だと感じます。

これってつまり「自分がどう思うかで世界は一変する」ということだと思うんですよ。

相手や出来事に対して、自分がどう見て、どう思うかで、相手への認識もその後の行動も変わっていくんだよな、って。

 


他人を変えることは簡単じゃないかもしれない。

過去を変えることも簡単じゃないかもしれない。

 

だけど、それは不可能じゃない。

 

そして、きっかけさえあれば一瞬で変わる。

いや、むしろ、すべては変わる。必ず変わる。

 

そのことは知っておいたほうがいいと思うんだ。

必ず、それを実感できるときが来る。

 

 

 

それでは今日はこの辺で!

 

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まだそんなことやってるのか。

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もう20年以上前、僕は新卒で東京のテレビ番組制作会社に就職した。


もともとは新聞記者に憧れていたんだけど、大手新聞社はもちろんのこと、地方の新聞社の試験もことごとく落ちて、それならばと受けたテレビ局も当然ながら全滅した。


それで、マスコミ業界に限らずいろいろ受けていたところで、ようやく受かったのがその制作会社だった。

 

番組制作会社としては大手として名が通っていたし、当時は就職氷河期のど真ん中だったから、「就職できるだけでも運がいいじゃないか」と自分を納得させて、入社した。

 


ところが、入社後は2~3日の社内研修の後、在京キー局の1つに派遣されて、AD(アシスタントディレクター)として報道番組の制作をすることになった。

制作といっても、局内では最下層の身分なので、仕事の多くは小間使いみたいなものだった。

 

長時間労働なんて当たり前で、パワハラは日常茶飯事、超低賃金(手取りで月に13万円くらいだった)。

まさに漆黒の闇、超絶ブラックな職場だった。

 

 

睡眠時間がほとんどないまま2~3日働き続けることはよくあったけれど、一番キツかったのは台湾で大地震が起きたときだ。

僕は報道局付きのADだったので、台湾大地震の特番制作チームに回された。


テレビ局社員のディレクター2名と、同じく社員のADが1名、地方の系列局からの応援ディレクターが3名、編集スタッフが2名。で、僕ら外部からの派遣ADが2名というチーム構成だったと思う。


地方局からの応援ディレクターは紳士的な人ばかりだったけど、局員ディレクター2名のパワハラは、いつも同様に酷かった。

 

そんな中で僕と同僚のADは、1週間、一睡もせずに働き続けた。

労働時間で言うと、7日間×24時間=168時間。

 

1週間の労働時間で、僕のこの記録を超えられる人はおそらくいない。

というか、絶対にいない。世界中のどこにも。

だって、物理的にこれ以上働くことはできないから。(笑)


4日目以降は意識が朦朧としてて、生きているのか死んでいるのかもわからない状態。雲の上を歩いているようなふわふわした気分だった。

地下鉄に飛び込んだら気持ちいいかもなぁとか、このディレクターの頭を金属バットで殴ったらスッキリするだろうなぁとか、いや、巨大な鎌で首を切り落としてやろうかとか、そんなことを何度も考えてたのを覚えてる。(笑)

 

 

そんな昔の物騒なことを思い出したのは、今朝こんな記事を読んだからだ。

 

*1

 

20年前ならともかく、いまだにそんなことをやってるのか…と、なんとも言えない気持ちになった。

 

しかも、この亡くなった方は岡山放送の局員みたいだから、もし僕らのような下請け企業のスタッフがいたとすると、その人たちはさらに過酷な状態だったに違いない。

 


人間は、いつまでこんなことをやり続けるんだろう。。。

 

 

誰もが、もっと自由に、楽しく、生き生きと暮らせる世の中が早く来ますように。

 

そう切に願う。

 

 

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

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*1:

【独自】テレビ局員の自殺「長時間労働が主な原因」、遺族に報告…パワハラ行為も
2021/09/29 08:02


 フジテレビ系列の岡山放送(岡山市)に勤務していた30歳代の男性社員が7月に自殺し、同社が「長時間労働が自殺の主な原因だった」として、遺族に経緯を報告していたことがわかった。同社は幹部社員らの処分を検討している。

 同社や関係者によると、男性社員は7月、岡山市内で自殺。社内調査の結果、直前の6月14日~7月5日、100時間以上の時間外労働をしていたことがわかった。また、上司による過度な 叱責しっせき など、パワーハラスメントとみられる行為も確認された。

 男性社員は報道部門の記者だったが、2020年春にバラエティー番組などを制作する子会社に出向。長時間労働に加え、不慣れな仕事も重なり、思い悩む様子が増えたという。

 岡山放送の中静敬一郎社長ら幹部が9月20日頃、遺族のもとを訪れ経緯をまとめた報告書を渡した。27日には社員らを前に「若く優秀な社員の命を守ることができず、心からおわび申し上げる」と謝罪した。

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