未来にボールを投げる。(時間って何?)
あまりに身近すぎるので、深く考えずにスルーしてしまっていることは多い。
たとえば水とか空気とか、電気とか、時間とか。
ちなみに、水や空気や電気については科学的に存在を証明することができるし、その構成要素なんかもわかっている。
だけど時間については、よくわかっていないんだよね。
時間のことはいまだに科学的に解明されていなくて、そもそも物理学者の中には「時間なんて存在しない」と言っている人もいる。
僕の大好きな宇宙人・バシャールも、「時間は存在しない」と言っているしね。(笑)
でもまあ、そうは言っても、僕たちは毎日「時間」の中で過ごしている。
明日の予定を立てたり、お店を予約をしたり、将来を夢見たりするのは、「時間」があることを前提にしているからだ。
仮に何もしなかったとしても、時計の針は淡々と進み、そのうち人は老いて死んでいく。
だから「時間」は存在するんだろうと、人間は感覚的に感じている。
でも、21世紀の今でも科学的には全く解明されていない。
不思議だよね。
ちなみに僕らは、時間というのは過去から未来へと一方向に進んでいると考えがちだけど、物理学的には(計算上は)逆方向への流れもあるらしい。
というか、時間というのはそもそも得体の知れないものなので、どちらからどちらへという流れが決まっているわけではなくて、ただ多くの人が、なんとなく「時間は過去から未来へ向かって流れているっぽい」と感じているだけなんだよね。
あなたはどんなふうに考えるだろうか。
時間は過去から未来へ向かって流れていると思う? それとも、未来から過去へ向かって流れていると思う?
時間が過去から未来へ流れているというイメージは、川の上流から下流に向かって小舟に乗って流されているような感じかもしれない。
上流(過去)→→ 小舟に乗った自分(現在)→→ 下流(未来)
このとき自分の視線は下流の方を向いていて、水の流れとともに自分自身が川下へ流されていくので、周囲の景色は次々に移り変わるけど、どこにたどり着くのか、どんな景色を見るかというのを自分でコントロールするのは難しい。
極端に言えば、川の流れに任せて生きている状態だ。
一方、「時間」が未来から過去に向かって流れているとすると、川の真ん中に立って上流のほうを向いている状態で、上流からどんどん川の水が流れてくるイメージだと思う。
上流(未来)→→ 川の中に立つ自分(現在)→→ 下流(過去)
この場合、視線は上流を向いていて、自分の立っている場所はずっと同じだけど、流れてくる川の水とか漂流物が次々にやってきては後方(川下)に流れ去っていく感じだね。
ちなみに僕自身は、時間の流れは後者だと思ってる。
つまり、上流(未来)から流れてきた時間は、上流を向いて立っている僕のそば(現在)を通過して、下流(過去)へ流れていくと考えてる。
ただ、このイメージだと、川の真ん中に立っている自分のポジションは変わらないから、ずっと同じ景色で、一見面白くないように思われるかもしれない。
でも、実はそうじゃない。
この辺のことについては、ブロガーのテンジロウさんが詳しく書いてくださってるので、ぜひ読んでみてほしい。
「未来」というのは文字どおり「未だ来ていない時間」なわけで、逆に言えばこれからやってくるものだということ。
だから、上流である未来に向かって何かを投げれば、それは川の流れに乗っていずれ自分のところに返ってくる。
テンジロウさんはこのことを、「未来に向かってボールを投げる」とおっしゃっている。
いや、これは実に言い得て妙。
本当にそうだなぁと思う。
そして、この考え方でいくと腑に落ちることがある。
例えば、僕らは何かを手に入れようとするとき、今この瞬間の現実を変えようとするよね。
でも、今ここの現実を変えることで自分が望むものを手に入れるのは簡単じゃない。
それがなぜかというと、時間というのが実際は未来から過去に向かって流れているからじゃないかと思うんだ。
「今」は次の瞬間には「過去」になり、あっという間に後方に流れ去る。
つまり、時間が上流(未来)から下流(過去)に向かって流れているとすると、今ここ(現在)を変えたとしても、それはすぐに下流(過去)に流れ去ってしまうんだよね。
だから、仮に今ここの現実(現在)を変えることができたとしても、変えたものを自分で受け取ることができないってわけ。
だとしたら、現実を変えたい(欲しいものを手に入れたい)のであれば、まずは未来に向かってその種となる「ボール」を投げればいい。
そうすれば、そのボールはそのうち川の水(時間)に乗って僕の手元に流れてくる。
たとえば、「1年後にこんなふうになっていたい!」とイメージした(種を入れた)ボールを、上流に向かってポーンと投げるとするね。
で、その種入りのボールは1年先の未来にチャポーンと着水する。
そうすると、どんぶらこ~どんぶらこ~っていう感じで、そのボールは1年かけて僕の手元に向かって流れてくる。
その間に、種は芽を出し、葉を茂らせ、花を咲かせ、実をつける。
そして1年後に、僕は流れてきたそのボールを拾い上げて、花を愛でたり実を食べたりすることができるというわけ。
もしかしたら、そのボールに入れた種は途中で魚に食べられてしまうかもしれないし、害虫に葉や花を食べられるかもしれないし、鳥たちが実を持ち去ってしまうかもしれない。
でも逆に、想像以上に大輪の花を咲かせたり、たくさんの果実を実らせた状態で流れてくるかもしれない。
いずれにしても、僕が未来に向かって投げた「種入りのボール」は、何らかの形で僕の手元に返ってくる。
これは、時間が未来から過去に向かって流れていると考えるからこそできる技だ。
こんなふうに、「時間」が流れる方向についてのイメージを変えるだけで僕らの生き方はかなり変わってくると思う。
どうせ「時間」なんてよくわからないものなんだから、それだったら自分の都合のいいように解釈してしまえばいいんじゃないかな。
時間は未来から過去へ向かって流れていると考えちゃおう。
そして、未来に向かってどんどん「種入りのボール」を投げよう。
投げる量も、どこに投げるかも、どんな種を入れるかも自由。
上流に向かって、好きなだけ投げればいい。
そして、あとは楽しみに待っていればいい。
未来に向かって投げた「種入りのボール」は、そのうち形を変えて手元に流れてくるから、あとはそれを拾い上げるだけだ。
いやぁ、考えただけでワクワクするよね~。
ってことで、しつこいようだけど(笑)テンジロウさんのブログ、ぜひ読んでみてね!
それでは今日はこの辺で!
shivai !!
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