はてなブログレスポンシブ対応

 さあ、面白くなってきました。

考え方一つで、人生はどんどん楽しくなるね

承認欲求を満たすには?

f:id:rossoporco:20211006163834p:plain

 


ネット上の情報、特にSNSの投稿を見ていると、満たされることのない承認欲求が溢れてるなぁって感じる。


「もっと私を見て」

「どう?凄いでしょ?」

「もっと褒めて~」


投稿された言葉の裏には、そんな心の声が渦巻いている。

もちろん、僕が書くこのブログの記事も含めての話だけど。(笑)

 

でも、仮にたくさんの高評価をもらって、その瞬間は満たされたような気分になったとしても、そんな満足感は一瞬で消える。

 


SNS上でどれだけ多くの「いいね」や賞賛のコメントをもらっても、それだけで承認欲求が満たされることはない。

いや、SNSに限らず、職場でも家庭でもそれ以外でも、他者からどんなに高く評価されても、承認欲求が満たされることはない

 

それはなぜか?

 


わかりやすくするために極端な例を考えてみよう。

 

例えば僕が、みんなから「凄い」と言われたくて、ウソで塗り固められた記事を書いて投稿をしたとするね。

その結果、記事を読んだ人たちは軒並み高評価をしてくれて、たくさんシェア・リツイートされて、賞賛のコメントも読みきれないほどに書き込まれた。


それを見た僕は満たされた気持ちになるだろうか?

なるわけないよね。(笑)

だって、書いた内容は全部ウソなんだもん。

 

人からどんなに「凄い」と思われたとしても、自分自身がそう思っていなれば承認欲求が満たされることはない。


つまり、自分が自分のことを【50】だと思っているときに、他の人から「キミは【100】だよ! 素晴らしい!」と言われたとしても、自分の認識が【50】である限り、決して【100】の満足感は得られない。

 


でも、その構造がわかっていない場合が多いんだろうと思う。

だから、誰かから「キミは【100】だよ!」と言われてるのに、どうして満足できないのか理由がわからなくて、渇望感は続く。


そして、「【200】と言ってもらえたら満足できるんじゃないか?」「いや、【1000】と言ってもらえたら…」というふうに、際限なく他者からの承認・称賛を求めることになる。

だけど、仮に【200】とか【1000】とか言ってもらえたとしても、自分の認識が【50】である限り、満たされることは決してない。

 

自分で自分を認めてあげていないことが渇望感の原因なのに、それを人に埋めてもらおうとするから、承認欲求の無限ループにはまり込む。


もっと評価して!

足りない!

もっと褒めて!

足りない!

もっと凄いと言って!

足りない!

足りない!

足りない!

 


承認欲求という名のグラスに水を注げるのは自分自身しかいない。

この不毛なループから抜け出すためには、自分で自分を認めてあげるしかない。


そのために大切なのは、どんな自分にも「オーケー」を出してあげることだと思う。

ダメな自分、失敗した自分、ズルい自分、情けない自分、下手な自分、ネガティブな自分、アホな自分、カッコ悪い自分、醜い自分、、、どんな自分にも。


「いいよ、それでいいんだよ」

「大丈夫だよ、なんとかなるよ」

「しょうがないよ、それは」

「そんなの、そう感じて当然だよ」

「怒っちゃうよね、それは」

「誰だってそうだよ」

「気にするようなことじゃないよ」

「へえ、すごいじゃん」

「いいね! いいね! いい感じ!」

 

恋人や大好きな人に言葉をかけるときのように、自分自身にも優しく温かい言葉をかけてあげる。


そうやっていれば、きっと、少しずつ承認欲求のコップは満たされていく。

そしてそのうちにコップの水はいっぱいになって、他者からの承認なんて必要なくなるんじゃないかな。


僕はそんなふうに思う。

 

 

 

それでは今日はこの辺で!

 

shivai !! 

(誰もあなたの進む道を邪魔することはできない)

 

 

ブログ村ランキングに参加しました。

ポチッと応援、いつもありがとうございます!^^

    

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

さあ、面白くなってきました。 - にほんブログ村

PVアクセスランキング にほんブログ村 さあ、面白くなってきました。 - にほんブログ村