承認欲求を満たすには?
ネット上の情報、特にSNSの投稿を見ていると、満たされることのない承認欲求が溢れてるなぁって感じる。
「もっと私を見て」
「どう?凄いでしょ?」
「もっと褒めて~」
投稿された言葉の裏には、そんな心の声が渦巻いている。
もちろん、僕が書くこのブログの記事も含めての話だけど。(笑)
でも、仮にたくさんの高評価をもらって、その瞬間は満たされたような気分になったとしても、そんな満足感は一瞬で消える。
SNS上でどれだけ多くの「いいね」や賞賛のコメントをもらっても、それだけで承認欲求が満たされることはない。
いや、SNSに限らず、職場でも家庭でもそれ以外でも、他者からどんなに高く評価されても、承認欲求が満たされることはない。
それはなぜか?
わかりやすくするために極端な例を考えてみよう。
例えば僕が、みんなから「凄い」と言われたくて、ウソで塗り固められた記事を書いて投稿をしたとするね。
その結果、記事を読んだ人たちは軒並み高評価をしてくれて、たくさんシェア・リツイートされて、賞賛のコメントも読みきれないほどに書き込まれた。
それを見た僕は満たされた気持ちになるだろうか?
なるわけないよね。(笑)
だって、書いた内容は全部ウソなんだもん。
人からどんなに「凄い」と思われたとしても、自分自身がそう思っていなれば承認欲求が満たされることはない。
つまり、自分が自分のことを【50】だと思っているときに、他の人から「キミは【100】だよ! 素晴らしい!」と言われたとしても、自分の認識が【50】である限り、決して【100】の満足感は得られない。
でも、その構造がわかっていない場合が多いんだろうと思う。
だから、誰かから「キミは【100】だよ!」と言われてるのに、どうして満足できないのか理由がわからなくて、渇望感は続く。
そして、「【200】と言ってもらえたら満足できるんじゃないか?」「いや、【1000】と言ってもらえたら…」というふうに、際限なく他者からの承認・称賛を求めることになる。
だけど、仮に【200】とか【1000】とか言ってもらえたとしても、自分の認識が【50】である限り、満たされることは決してない。
自分で自分を認めてあげていないことが渇望感の原因なのに、それを人に埋めてもらおうとするから、承認欲求の無限ループにはまり込む。
もっと評価して!
足りない!
もっと褒めて!
足りない!
もっと凄いと言って!
足りない!
足りない!
足りない!
承認欲求という名のグラスに水を注げるのは自分自身しかいない。
この不毛なループから抜け出すためには、自分で自分を認めてあげるしかない。
そのために大切なのは、どんな自分にも「オーケー」を出してあげることだと思う。
ダメな自分、失敗した自分、ズルい自分、情けない自分、下手な自分、ネガティブな自分、アホな自分、カッコ悪い自分、醜い自分、、、どんな自分にも。
「いいよ、それでいいんだよ」
「大丈夫だよ、なんとかなるよ」
「しょうがないよ、それは」
「そんなの、そう感じて当然だよ」
「怒っちゃうよね、それは」
「誰だってそうだよ」
「気にするようなことじゃないよ」
「へえ、すごいじゃん」
「いいね! いいね! いい感じ!」
恋人や大好きな人に言葉をかけるときのように、自分自身にも優しく温かい言葉をかけてあげる。
そうやっていれば、きっと、少しずつ承認欲求のコップは満たされていく。
そしてそのうちにコップの水はいっぱいになって、他者からの承認なんて必要なくなるんじゃないかな。
僕はそんなふうに思う。
それでは今日はこの辺で!
shivai !!
(誰もあなたの進む道を邪魔することはできない)
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