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 さあ、面白くなってきました。

考え方一つで、人生はどんどん楽しくなるね

幸せは手に入れるものではなく、気づくもの。

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(この記事は前回からの続きです)

 

人生で本当に大切なことは、すべておしっこが教えてくれた。

 

3.幸せは手に入れるものではなく、気づくもの。


「尿道瞑想」を始めるまでは、私はトイレの中でも考えごとをしたり、いろいろと思いを巡らせたりしていました。

つまり、おしっこをしながらも常に頭を回転させて、いつも何かを考えている状態だったわけです。


だから、当然と言えば当然ですが、おしっこをするときに幸福感を得ることなんてほとんどなかったと思います。

 

それが、「尿道瞑想」をするようになってからは、おしっこをしながら満たされた感覚に浸れるようになったのです。

人は誰でも毎日排泄行為をしますが、意識しなければその心地よさ(排泄の快感)を味わうことはできません。

意識を集中することによって初めて、深い快感と幸福感を得ることができるのです。

 


繰り返しますが、意識を向けなければ、それを感じることはできません。

感じることができないというのは、存在しないのと同じことなのです。

 

逆に言えば、感じようと意図しさえすれば、それがあなたの世界に表れます。

つまり、幸せを感じようとすれば、幸せがそこにあることに気づくのです。

 

日々の生活の中にある一見何でもないようなこと、取るに足らないこと、ほんの些細なことに幸せを見出すことができれば、人生の幸福度は格段にアップします。

なぜかというと、私たちの人生というのは「私たちに与えられた時間」を意味するからです。

 

私たちが生まれてから死ぬまでのトータルの時間の中で、幸せを感じる時間が増えれば増えるほど、私たちの人生の幸福度は上がるでしょう。

 

前回の記事で、おしっこする時間を合計すると年間で15時間にもなると書きました。

仮に人生が80年だとすると、成人してから死ぬまで60年あります。

そしてこの60年間のおしっこ時間が幸福で満たされるということは、人生の中で幸せな時間が900時間(60年×15時間=900時間)も増えることになるのです。

 


どれだけ恵まれた家庭で生まれ育ったとしても、多くの友人がいたとしても、たくさんお金を持っていたとしても、有名企業に勤めていたとしても、日々幸せを感じることができなければ、その人生は幸せとは言えないでしょう。

一方で、恵まれない家庭環境にあったり、友人が少なかったり、経済的に貧しかったり、健康を害していたとしても、身の回りの小さなこと一つ一つに幸せを感じることができれば、その人生はきっと幸せなものだと思います。

 

つまり、今この瞬間に幸せを見出し、次の瞬間にも幸せを見つけ、また次の瞬間にも幸せを…という具合に、「幸せ発見能力」の高い人こそが幸せな人生を送れるわけです。

 

そして、おしっこという、日常生活の中のほんの些細なことにでも幸せを感じられるようになれば、「幸せ発見能力」は自然に上がっていくのです。

 

息を吸うこと、物が見えること、歩けること、お風呂に入れること、布団で寝られること、水が飲めること、食事を味わえること、空想すること、人と会話をすること、住む家があること、本を読めること、スマホを持っていること・・・などなど、どんなことにでも幸せを見出せるようになります。

おしっこにすら幸せを感じられるのですから、それは当然ですよね。(笑)

 


おしっこは私に教えてくれました。

 

“幸せなんて、そこらじゅうに転がっているんだよ”

“手に入れようとして追い求める必要なんてない。そこにある幸せに気づくか気づかないか、本当にそれだけのことなんだ”

 

と。


次回へ続く)

 

 

 

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