「感覚」こそ生きる証。
(この記事は前回からの続きです)
人生で本当に大切なことは、すべておしっこが教えてくれた。
5.「感覚」こそ生きる証
私たち人間には、「五感」と呼ばれる機能があります。
具体的には視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚という5つの感覚のことで、人間が自分の外側の世界を知覚するために備わっています。
もちろん、身体に障害がある方の中には、一部の感覚がない方もいらっしゃるでしょう。
病気の後遺症で、一時的に感覚を失った方もいらっしゃるかもしれません。
でも、この文章を読んでくださっている方は、少なくとも視覚か聴覚をお持ちの方だと思いますし、どちらかといえば、五感すべてが機能している方のほうが多いと思います。
しかし、日々忙しく暮らしている私たち現代人は、身体に備わった「感覚」をあまり意識することなく生きているのではないでしょうか。
たとえば、ある人がオフィスでパソコンに向かって仕事をしているとします。
そのとき、指先がキーボードやマウスなどに触れる感触を味わいながら入力したり、下着や靴下が肌に触れる感覚を感じながらデスクに座っていることがどれくらいあるでしょうか。
窓の外で聞こえる自動車や飛行機のエンジン音、廊下を歩く人の足音、書類のこすれる音、パソコンに内蔵されたモーターの回転音や遠くで聞こえるコピー機の音、誰かのため息や内緒話など、かすかな音までを敏感にキャッチしようとしていたら、仕事どころではなくなります。
同僚が飲むコーヒーの香りや、近くの人の香水あるいは体臭くらいであれば意識するかもしれませんが、書類にしみ込んだインクの臭いや、電子機器が放つ独特の臭い、ネジやクリップの金属臭までかぎ分けようとする人はいないでしょう。
昼休みに、舌先の感覚にじっと集中しながらコンビニ弁当を食べている人なんて、見たことがありません。
そしてトイレに行ったときに、おしっこが尿道を通る感覚に意識を集中している人も、どちらかといえば少数派だと思います。(笑)
私たちは常に何らかの感覚を得ながら生きているはずなのに、それを意識せずにいる時間のほうが圧倒的に長いのです。
これは実にもったいないことだと私は思います。
なぜかというと、感覚というのが自分の外側の世界を知覚するために備わった機能だとすると、それを意識せずに暮らすということは、この地球上で生きることの意味(の一部)を放棄しているのと同じことだからです。
想像してみてください。
もし、なんらかの理由であなたが五感をすべて失ったとしたら、どうでしょうか?
そのような状態であったとしたら、あなたはどのようにして「生きている」ということを認識できるでしょうか?
おそらく真っ暗闇の中で、自他の区別もつかずに、ぼんやりと意識だけが漂っているような状態だと思います。
いえ、もしかしたら意識すらも持たないかもしれません。
五感があるからこそ、私たちは生きていることを実感できるのです。
ですから、感覚を疎かにするということは、生きることを疎かにしているとも言えるのです。
美しいものを眺め、美味しい料理を味わい、心地よい音を聴いて、良い香りを嗅ぎ、何かに触れる感触を楽しむ。
私にとってこれらは、「生きる意味」の大部分を占めています。
この世に生まれ、地球上で暮らす私たちに与えられた素晴らしい機能である「五感」。
細やかな「感覚」を日ごろから意識して味わうことによってこそ、私たちはより主体的に、そしてより良く、この人生を送ることができるのだと思います。
おしっこはおしえてくれました。
“尿道だけじゃなく、もっといろんな「感覚」に意識を向けたほうがいいよ”
“「感覚」こそが生きている証であり、そこに生きる喜びがあるんだよ”
と。
(次回へ続く)
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