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 さあ、面白くなってきました。

考え方一つで、人生はどんどん楽しくなるね

本当に大切なことを、大切にできていますか?

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さっき、古い手帳をパラパラめくっていたら、こんな落書きを見つけた。

2017年4月6日の日付だから、4年くらい前に書いたメモみたい。

 

健康、時間的ゆとり、経済的ゆとり、家族や大切な人との良好な人間関係。

人生、これだけあれば十分。

 

それ以外のことの優先順位を上げるから、ややこしくなってくる。

 

確かに。おっしゃるとおり。

って、自分で書いたメモなんだけど。(笑)

 

でも、ほんとにそうなんだよなぁ。

 

 

僕は5~6年前に、出世や世間体を捨てて、自分にとって大切なことを最優先にして生きると決めた。

今も一応正社員として働いてはいるけど、9時-17時の時短勤務で、出勤は週に4.5日。

いい歳してるのに、職場での役職や肩書は何もない。

収入はもともと多くないのに、かつての半分程度。(笑)

 

だけど、立派な肩書を持って朝から晩まで働いていたころに比べると、幸福度は何倍も上がってるんだよね。

 

だから僕は、自分の選択を後悔したことは一度もない。

むしろ、自分にとって大切なことを最優先すると決めた当時の自分に、すごく感謝してる。

 

 

 

自分が本当に大切にしたいことは何なのかっていうのは、人それぞれ違っていて当然だと思う。

 

地位や名誉が大事だと思う人もいれば、世間のしがらみから自由であることを大切にする人もいる。

お金さえあれば何も要らないと考えてる人もいれば、家族と楽しく暮らせることが一番だという人もいる。

幅広い人脈を築くことを大事にする人もいれば、狭く深い人間関係を求めている人もいる。

 

何を大切にしたいのか、どんな価値観を大事にしたいのかは人それぞれだから、当然、生き方も十人十色。

 

だから、地位や名誉が大事な人は、そのために力を注ぐのがいい。

お金が何より大事な人は、ガンガン稼ぐのがいい。

幅広い人脈が欲しい人は、たくさんの人とコミュニケーションをとるのがいい。

 

 

ただ、一つ気をつけなきゃいけないことがあるとすれば、それは、自分が求めていることと自分の行動とが嚙み合っていない場合。

 

自由を求めているのに、地位や名誉・世間体に囚われて、身動きが取れなくなっているとか。

家族と過ごす時間が大事だと思っているのに、仕事が忙しくて家族との時間が持てていないとか。

本当は深い人間関係を望んでいるのに、八方美人になってしまっているとか。

 

そんなふうに、求めていることと実際の行動や現実にギャップがあると、なかなか苦しい。

 

そうならないためには、自分が大切にしたいことや大事にしたい価値観を列挙して、それに優先順位をつけることから始めてみるといいかもしれない。

 

そして、優先順位が高いはずなのにそれを実現できていないのはなぜか、理想と現実とのギャップを解消するために必要なことは何なのか、ちょっと立ち止まって考えてみたほうがいいかもしれないね。

 

もしかすると、それは、優先順位が低いものまでたくさん抱え込んでることが原因かもしれない。

両手にモノを抱えたままで、さらに何かを得ようとするのは難しいからね。

 

そうなると、ちょっと辛いけど、優先順位の低い何かを捨てることから始めなきゃいけない場合もあるかもしれない。

 

「そんなこと言っても優先順位をつけるのは難しいよ…。」っていう人は、自分自身にこんな問いを投げてみるといいかも。

 

Q.もし、私が大きな災害や事故に遭遇して、有無を言わさずに全てのものを奪われたとして、これだけは返してほしいと願うものを3つ挙げるとしたら、それは何だろう?

 

 

かなり究極の質問だけど、こんなふうに考えると、自分にとって本当に大切なものが見つかるかもしれないね。

 

 

僕の場合は、お金や仕事よりも優先したいものがあったから今のような暮らし方をしてて、そこそこ満足してる。

ただ、まだまだ、今以上に自由に楽しく生きていきたいと思ってるから、より良い暮らし方・働き方を模索し続けてるよ。

 

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

shivai !! 

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新型コロナ騒動ついに終了。~イベルメクチンありがとう~

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僕は、先日こんな記事を書いた。

 

 

 

新型コロナやワクチンに関する世相に怒りを感じたり、望まないことにフォーカスしたりするのはやめようという内容だった。

なので、もうコロナ関連の記事を書く必要もないんだけど、誰かの参考になるかもしれないので、今日はポジティブな点にフォーカスして記事を書くことにするね。

 

ただ、その前に、前提として新型コロナに関する僕自身のスタンスを書いておくと。


新型コロナの感染リスク
・高齢者にとっては怖い病気だけど、子どもや若者にとっては風邪と同程度。

新型コロナワクチンの接種リスク
・mRNAワクチンは治験中のワクチンで、長期的な安全性は確認できていない。
・若年層では、短期的にも副反応(重篤化・死亡)リスクが高い。
・高齢者や基礎疾患者に比べると、若者・子どもはワクチン接種リスクが圧倒的に高い。


この辺のことについては以前に書いたので、気になる方はご覧ください。 

 

新型コロナを冷静に考える ~①死者数と死亡率~

新型コロナを冷静に考える ~②PCR検査と感染者数~

新型コロナを冷静に考える ~③海外比較~

新型コロナを冷静に考える ~④子どものリスク~

新型コロナを冷静に考える ~⑤ワクチン~

若者はワクチン、ダメ。ゼッタイ。

 

 

で、ここからが今日の本題なんだけど、結論から言ってしまえば、僕は新型コロナの問題はイベルメクチンでほぼ解決するんじゃないかと思うんだよね。

 

イベルメクチンというのは抗寄生虫病薬で、ノーベル賞を受賞した大村智博士の発見によって開発された薬。

市販されてから40年以上経っていて、長年にわたって世界中で使用されてきたものなので、重篤な副作用リスクがないことは実証されている。


でも、この寄生虫の薬が新型コロナに効くということは1年前から現場で確認されているのに、特に日本では大々的には認められていない状態なんだよね。

(厚労省は新型コロナの治療薬として保険適用の対象薬に指定しているけど、使用を積極的に推進していない。)


これについては、ワクチンを製造している様々な製薬会社とか、イベルメクチンを製造しているメルク社の思惑とか、大人の事情がいろいろと絡んでいるようだけど、そこにフォーカスしちゃうとまたネガティブな記事になっちゃうので書かないよ。(笑)


気になる人は、こういう記事を読んでみるとわかりやすいと思う。

 


 


実際に、イベルメクチンは新型コロナに大きな効果を示していて、感染者や重傷者を劇的に減らしている国もあるので、日本国内での正式な承認を待ち望んでいる医療関係者は少なくないんだよね。

 

実はこのお薬は、27カ国で世界的に治験が行われており、コロナのお薬としてもかなり良い報告があります。

約35の論文をまとめて解析すると、予防として使えば91%効き、全体の評価としても7割程効果があるのではないかという結果が出ています。

イギリスなどでも、いま学者たちが集まり、イベルメクチンを推奨しますという報告書を出しています。

アメリカやイギリスがかなり動き始めていますので、今後はイベルメクチンが使えるような方向に行くのではないかと思っています。

日本もただ待っているのではなく、一時的に治験を進めながら緊急使用という形で認めていただいて、我々医師の裁量権のもとで使えるような形にしていただけないかと思っているところです。

 

東京都医師会・会長 尾﨑治夫氏

  

当院ではイベルメクチンを、院内倫理委員会での承認後、今年4月から入院患者に投与しはじめ、自宅療養患者の治療や、濃厚接触者の感染予防のための外来処方もしています。

高熱、肺炎で入院した患者十数例に単剤投与を行い、高齢患者を含めて半数はよくなっています。単剤で十分な効果が得られなければ、炎症を抑えるステロイドとアクテムラを併用投与しています。

抗ウイルス薬は早期投与が原則ですが、イベルメクチンは感染から少し日が経ってからでも、一定の効果が期待できます。抗ウイルス作用と抗サイトカイン作用という、二つの作用があるためで、肺の炎症が進んでいても、これらの作用で抑えられる可能性がある。

海外の多くの研究で効果が示されており、緊急使用を検討してもよいのでは、と考えます。

 
福岡記念病院・感染制御部長 向野賢治氏

   

40年前から世界各国で年間3億人に服用され、副作用がほとんどなく安全性が確立されている。

感染初期に自宅待機する人も安心して飲めます。

投与してみて、経過がよくなったこと以上に、自宅で医師に相談できず薬は解熱剤程度というなかで、患者さんの不安を取り除く効果も感じました。

 
医師・衆議院議員 中島克仁氏

  

 
そして、東京オリンピックを開催するに当たって、新型コロナ治療の最前線にいるアメリカの医師団体FLCCCアライアンスと、その会長のピエール・コリー博士が、日本オリンピック委員会にこんな内容の文書を送ってる。

 

イベルメクチンを中心としたプロトコル(手順)にビタミンを加えたものによって、この病気のすべての段階を予防、治療できることが、何十もの査読ずみの研究成果として明らかになっています。

この非常に安全、効果的、かつ安価で広く入手可能な薬剤は、ノーベル賞を受賞した優秀な日本人研究者によって、約50年前に世界に与えられたもので、今回のパンデミックにおいて、何十万人もの新型コロナ患者とその家族に救命効果をもたらしたことは、世界的に評価されるべきです。

イベルメクチンが広く配られると、プログラム開始後、10日以内に感染者数と死亡者数が劇的に減少します。

これはメキシコ、インド、ペルー、ブラジルなどの国々で実際に起きた成果です。
(中略)
世界の目が東京に向けられているいま、日本のリーダーたるあなた方にとっては、パンデミックから抜け出し、当初意図されたように開催することで五輪の栄光を世界に示すチャンスです。


「イベルメクチンで感染者数・死亡者数を劇的に減らせる」米国の医師団体が提言 未だに流通しない裏事情とは より

 

 

ちなみに、イベルメクチンの緊急使用を認める議員立法も国会に提出されているけど、今は国会閉会中なので、ちょっと時間がかかりそうだね。

  

でも、僕はイベルメクチンが新型コロナ問題の救世主になると思う。

日本では、保険適用されているのにイベルメクチンの存在自体を知らない医師も多いようだし、そもそも在庫が少ないので、使いたくても使えないという面もありそうだけど。

 


僕自身について言えば、子どもたちが感染することは全く心配していないし、僕も妻も40代半ばで基礎疾患もないので、コロナに感染してもリスクは低い。

でも、万が一という可能性はゼロではないし、今後、変異種が広がった場合にどうなるかわからないということもあるので、2週間ほど前に個人輸入でイベルメクチン(のジェネリック・ストロメクトール)を注文したよ。

 

もちろん個人輸入なので完全に自己責任の領域だけど、ピンときた人はお守り代わりに買っておいてもいいかもね。(保険が効かないからちょっと高いけど… )

 

 

ちなみに僕は、こんな感じでコロナ問題はほぼ解決すると思う。

  • 高齢者・基礎疾患者 →ワクチンで予防&イベルメクチン等で治療
  • 30~50歳代 →イベルメクチンで予防
  • 20歳代以下 →放置


よし、これでついにコロナ騒動は終了だ! (笑)

 

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

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コンフォートゾーンをかき回せ!

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今日は6月30日。

今年も半年が過ぎたね。

 

コロナ禍のゴタゴタのせいなのか、はたまた年齢的なものなのか、今年も猛スピードで時間が過ぎていく感じがする。

そして、なんだか同じような毎日が続いているような気もする。


でも、同じような日々が続くというのはあまり良いことじゃない、と僕は思ってる。

 


僕らは人間には(というか動物はみんなそうだと思うけど)コンフォートゾーンというものがあると言われてる。

コンフォートゾーンっていうのは、快適な空間、安心していられる居心地のいい状態のことだね。

人間の場合は、多くの人にとって自宅や自分の部屋はコンフォートゾーンだと思うし、日常のルーティーンなどもコンフォートゾーンの延長だと思う。


で、僕らは通常、そのコンフォートゾーンの中で暮らすことを望んでる。

コンフォートゾーンの中にいる限り、比較的安心して、ストレスも少ない状態でいられるから。

多くの人は、コンフォートゾーンの外に飛び出すような急激な変化を回避して、日々同じような状態が続くことを無意識レベルで望んでいるんだと思う。


ただ、ここで一つ問題があるんだよね。

毎日が安全・快適で、ストレスなく暮らせるのは喜ばしいことなんだけど、一方で、コンフォートゾーンの内側にいると変化が起きにくいというデメリットがある。

 

そして、変化がないと人は成長できない

 


大人に比べて子どもの成長スピードが速いのは、コンフォートゾーンから強制的に追い出されやすい(= 変化しやすい)環境に置かれていることがあると思う。


子どものころは、どんなに居心地が良いクラスでも1年に1回クラス替えがあったり、小学校から中学校、中学校から高校へと、自分の意思とは関係なく生活環境を変えられちゃったりするよね。

それ以外にも、有無を言わさず学校の年中行事に参加させられたり、強制的にテストを受けさせられたり、習い事や塾での競争があったりもする。

そして何より、人生で初めて見聞きするような情報への接触頻度も高い。

 

その良し悪しは別として、子どもは、そういう外部からの強制的な変化によって成長を促進されているんだと思う。

 


でも、大人になると、自らコンフォートゾーンを抜け出すことを意識しなければ、なかなか変化が起きづらい。

もちろん、今回のコロナ騒動のような出来事によって強制的にコンフォートゾーンから追い出されることもあるし、大きな企業に勤めていれば、転勤とか部署異動で強制的に生活環境を変えられることもあるけれど、それは日常的なことじゃないよね。


だから、僕ら大人が自分を成長させたかったら、自ら変化を起こすしかない。

とはいえ、変化を起こすということはコンフォートゾーンを乱すことになるから、ちょっと勇気が要る。


でも僕は、同じような毎日に安住して、気づいてみれば死が目前だった、なんてのはイヤだな。

 


変化するといっても、コンフォートゾーンから大きく飛び出すような急激な変化でなくてもいい。

 

急に引越しをするとか、突然仕事を辞めるとか、離婚するとか、無理矢理そんなことをする必要はない。

コンフォートゾーンを軽くかき回したり、コンフォートゾーンの縁をツンツンする程度の小さな変化でもいい。

 

通勤経路をちょっとだけ変えてみるとか、スーパーやコンビニでいつもは立ち寄らないコーナーに行ってみるとか、めったに話をしない職場の同僚に話しかけてみるとか、全く関心のないスマホアプリをインストールしてみるとか、今まで読んだことのなかった雑誌を立ち読みしてみるとか、用もないのにお花屋さんに入ってみるとか、あまり興味のないテーマでブログを書いてみるとか(笑)、どんなことでもいい。


いつもとちょっとだけ違うことをやって、生活の中に小さな変化を起こしてみよう。

自分の意思で変化を起こそう。


その小さな変化が、もしかしたら1年後の大きな変化につながっているかもしれない。

そして、その1年後の大きな変化は、自分自身の大きな成長へとつながってるかもしれない。

 

 

そういえば、昔、とあるロック歌手が「ジジイになる前に死んでやる」って言ってたけど、自ら変化し続けられるなら死ぬ必要はないよね。(笑)

 

というか、幾つになっても自ら変化し続けている人を「ジジイ」とは呼ばない。

 

  

それでは今日はこの辺で。

 

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あなたの夢は「配送中」

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僕には、実現したい夢や願望がたくさんあって、既に実現したものもあれば、そうでないものもある。


きっとあなたもそうなんじゃないかな?

 

 

願望実現については世界中で様々な書籍が出版されているし、YouTube上にも関連動画が数え切れないくらいたくさんある。

そりゃもう、どれから手をつければいいかわからないくらい、本当にたくさんの「願望実現」情報があふれてる。

 

ちなみに、願望実現に関して僕が最初に読んだ書籍は、おそらく『ザ・シークレット』だったと思う。

 

 

でも、巷にあふれている無数の情報も、そのベースとなる考え方はかなり似通ってるんだよね。

結論から言ってしまえば、「自分が信じていることが現実になる」というところに行き着くと思う。


「信じていることが現実になる」ということについては、このブログで何度も書いてきたけど、この考え方は「現実というのは自分自身が創り出した幻である」というスピリチュアル的な世界観に通じている。

もし仮に、現実を創り出しているのが自分自身だとするなら、自分が信じていることが現実としてあらわれるのは当然のことだもんね。

 


まあ、それはさておき。

 

「自分が信じていることが現実になるなんて、ほんとかよ~」と思う人は少なくないと思う。

「その程度のことで願望が実現するなら、誰も苦労しないよ~ (笑)」って。


だけどね、自分の夢や願望が実現することを本気で信じるのって、実は結構難しいことなんだよね。

 

それは、たとえばこんなふうに考えるとわかりやすいかもしれない。

 

 

僕はAmazonでよく買い物をするんだけど、みんなはどうかな?

ネット通販で注文を出したら、その後あなたはどうする?


僕は、Amazonでポチッとしたら、あとは届くのを楽しみに待ってる。


オーダーはちゃんと通っただろうか?とか、

もしかしたら詐欺かもしれないとか、

途中で何かあって届かないんじゃないか…とか、

そんなことを心配したり、不安を感じることはない。


それはなぜかというと、Amazonの通販システムを信用しているからだと思う。

だから、オーダーしたものが届かないかも?なんて考えもしないんだよね。

そのうち届くから大丈夫って、完全に信じきっているわけだね。

 

 

一方で、僕が何か大きな願望を持っていたとするね。

たとえば、年収10億円になりたいとか。


で、僕が自分の人生に対して、「年収10億円になりたい!」という願いを放ったとする。

そのときの僕の心境はどうだろう?


おそらく、「年収10億円って…。いや、そりゃ実現すれば嬉しいけど、そんなの無理でしょ…」という気持ちが真っ先に湧き上がってくると思う。

それはつまり、自分の願望が実現することを信じていない状態だよね。

 

 

Amazonからの荷物が届くことはまったく疑っていないのに、自分の願望が実現することは信じられない。

だから結果的に、Amazonの荷物は届くけど自分の願望は実現しない、という現実があらわれるってわけ。(笑)

 

こんなふうに、自分の望みが現実化するということを心の底から(潜在意識レベルで)信じるというのは、実はなかなか難しいことなんだよね。


だから、願望実現のテクニックとして、まずは自分自身が信じられるレベルの願望をオーダーするとか、何度も何度も繰り返し言葉に出して潜在意識を書き換えるなんていう手法もあったりする。

 

まあ、そういうテクニックはいろいろあるんだけど、最初に書いたように、結局のところ「信じていることが現実になる」というベースの部分は変わらない。

 そういう意味では、Amazonでポチるのと同じくらいの感覚で、夢や願望を放てるようになったら、僕らの人生は相当変わるんだろうなぁと思う。


「年収10億でよろしく」ポチッ →「商品は発送されました」、みたいな展開を疑いなく信じられたらいいよね。(笑)

 

Amazonの商品だって、注文した次の瞬間に手元に届いてるなんてことはあり得ない。

それと同じように、夢や願望だって、望んですぐに現実化するわけじゃない。

 

でも、オーダーした願望は確実に発送されていて、今は配送中。だからあとは受け取るだけなんだって、ワクワクしながら待っていればいいんだと思う。

まあ、口で言うほど簡単じゃないんだけどね。

 

でもさ、Amazonは信じられるのに自分の人生を信じられないって、なんだかちょっと寂しいよね…。(笑)

 

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

shivai !! 

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スティーブ・ジョブズ 最期の言葉

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前回の記事で、立花隆さんの「死」の話を書いた後に思い出したことがあるので、今日はそれについて書くね。

 

僕はスティーブ・ジョブズのスタンフォード大学でのスピーチが好きなんだけど、それとは別に、ジョブズが死の間際に残した『最期の言葉』というのをインターネット上で見たことがある。


それはこんな内容。

 

スティーブジョブス最後の言葉
STEVE JOBS Last Words 

 

I reached the pinnacle of
success in the business world.
私は、ビジネスの世界で、成功の頂点に君臨した。

In others’ eyes, my life is an epitome of success.
他の人の目には、私の人生は、
成功の典型的な縮図に見えるだろう。

However, aside from work, I have little joy.
In the end, wealth is only a fact of life that
I am accustomed to.

しかし、仕事をのぞくと、喜びが少ない人生だった。
人生の終わりには、富など、私が積み上げてきた
人生の単なる事実でしかない。

At this moment, lying on the sick bed and
recalling my whole life,
I realize that all the recognition and wealth that
I took so much pride in, have paled and become
meaningless in the face of impending death.

病気でベッドに寝ていると、
人生が走馬灯のように思い出される。

私がずっとプライドを持っていたこと、
認証(認められること)や富は、
迫る死を目の前にして
色あせていき、何も意味をなさなくなっている。

In the darkness, I look at the green lights from
the life supporting machines and hear the
humming mechanical sounds,

この暗闇の中で、生命維持装置の
グリーンのライトが点滅するのを見つめ、
機械的な音が耳に聞こえてくる。

I can feel the breath of God and of death drawing closer…

神の息を感じる。死がだんだんと近づいている…。

Now I know, when we have accumulated
sufficient wealth to last our lifetime, we should pursue
other matters that are unrelated to wealth…

今やっと理解したことがある。

人生において十分にやっていけるだけの
富を積み上げた後は、富とは関係のない
他のことを追い求めた方が良い。

Should be something that is more important:
もっと大切な何か他のこと。

Perhaps relationships, perhaps art,
perhaps a dream from younger days …

それは、人間関係や、芸術や、
または若い頃からの夢かもしれない。

Non-stop pursuing of wealth will only turn
a person into a twisted being, just like me.

終わりを知らない富の追求は、
人を歪ませてしまう。私のようにね。

God gave us the senses to let us feel
the love in everyone’s heart, not the illusions
brought about by wealth.

神は、誰もの心の中に、
富によってもたらされた幻想ではなく、

愛を感じさせるための「感覚」
というものを与えてくださった。

The wealth I have won in my life I cannot bring with me.
私が勝ち得た富は、(私が死ぬ時に)
一緒に持っていけるものではない。

What I can bring is only the
memories precipitated by love.

私が持っていける物は、愛情にあふれた思い出だけだ。

That’s the true riches which will follow you,
accompany you, giving you strength and light to go on.

これこそが本当の豊かさであり、あなたとずっと
一緒にいてくれるもの、あなたに力をあたえてくれるもの
あなたの道を照らしてくれるものだ。

Love can travel a thousand miles.
Life has no limit. Go where you want to go.

Reach the height you want to reach.
It is all in your heart and in your hands.

愛は、何千マイルも超えて旅をする。
人生には限界はない。

行きたいところに行きなさい。

望むところまで高峰を登りなさい。

全てはあなたの心の中にある、

全てはあなたの手の中にあるのだから

What is the most expensive bed in the world? –
“Sick bed” …

世の中で、一番犠牲を払うことになる
「ベッド」は、何か知っているかい?
シックベッド(病床)だよ。

You can employ someone to drive the car for you,
make money for you but you cannot have someone
to bear the sickness for you.

あなたのために、ドライバーを誰か雇うこともできる。
お金を作ってもらうことも出来る。
だけれど、あなたの代わりに病気になってくれる人は
見つけることは出来ない。

Material things lost can be found.
But there is one thing that can never be
found when it is lost – “Life”.

物質的な物はなくなっても、また見つけられる。

しかし、一つだけ、なくなってしまっては、
再度見つけられない物がある。

人生だよ。命だよ。

When a person goes into the operating room,
he will realize that there is one book that he has
yet to finish reading – “Book of Healthy Life”.

手術室に入る時、その病人は、まだ読み終えてない
本が1冊あったことに気付くんだ。

「健康な生活を送る本」

Whichever stage in life we are at right now,
with time, we will face the day when the
curtain comes down.

あなたの人生がどのようなステージにあったとしても、
誰もが、いつか、人生の幕を閉じる日がやってくる。

Treasure Love for your family,
love for your spouse, love for your friends…

あなたの家族のために愛情を大切にしてください。
あなたのパートーナーのために、
あなたの友人のために。

Treat yourself well. Cherish others.

そして自分を丁寧に扱ってあげてください。
他の人を大切にしてください。

  

 

確かにそうだよなぁと思う。

ビジネスで大きな成功を収めたジョブズの言葉と考えると、さらに納得感がある。

 

 

でもね、実はこの文書のソースは見つけられなくて、実際のところ、本当にジョブズが書いたものなのかどうか、真偽不明みたいなんだよね。

 

ジョブズの言葉かもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 

 

でも、じゃあ、実際のジョブズの「最期の言葉」って何だったんだろう?と思って調べてみると、公式な記録はジョブズの伝記に残されてた。

 

 

本人もよく語っていたように、ジョブズは家庭的とは言いがたい男だったかもしれない。

だが、本当のところは、最終的な結果も含めて判断すべきだろう。

会社のトップとしての彼は、要求が厳しく気難しいリーダーだったかもしれないが、熱狂的と言えるほど忠誠心の強いチームを作ったし、社員に心から愛されてもいた。

同じように、家庭においては、無愛想で家族をあまり顧みない人間だったかもしれないが、しっかりした子どもを4人ももうけ、彼らの愛に包まれて最期を迎えることができた。

 

その火曜日の昼下がり、ジョブズは、子どもたちの目ばかりを見つめていた。

そしてあるとき、パティに目をとめ、子どもたちをじっと見つめ、そしてローリーンに視線を移したあと、どこか遠くを見る目になった。

 

「うわぁ」

 

つぶやきが漏れる。

 

「うわぁ、うわぁ」

 

最後の言葉だった。

意識がなくなる。

午後2時ごろのことだ。


『スティーブ・ジョブズ II』講談社

 

 

ジョブズの本当の最期の言葉は、「うわぁ。うわぁ。うわぁ」だったみたい。

これは英語の原文では、「OH WOW. OH WOW. OH WOW.」となっている。


「オー・ワオ、オー・ワオ、オー・ワオ」ってことだね。

 


スピリチュアル的なことへの関心・造詣も深かったジョブズは、死の直前に何を見たのだろう。


僕自身は、これまでに何度も書いてきたように、人は肉体的に死んだとしても魂はずっと生き続けると信じてる。

だから、ジョブズはきっと最期に、死後の世界を垣間見たんだろうと思う。


ワオ!こりゃ凄いぜ! ってね。

 

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

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僕は、立花隆になりたかった。

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今朝、目覚めてすぐに飛び込んできた立花隆さんの訃報には驚いた。

 

高齢であることは知っていたけれど、なぜか立花さんが亡くなるというイメージが僕の中にはなかったからだ。

淡々と、飄々と、でも舌鋒鋭く、物事の核心に切り込んでいく彼の姿は、僕から見るとどこか浮世離れしていて、だから「死」とは結び付かなかったのかもしれない。

 

いや。

でも、考えてみると、最近は立花さんをテレビや雑誌で見る機会は少なかったし、著書もずいぶん長い間読んでいない。

だから、死のイメージがなかったというよりも、単に僕が彼のことを忘れていただけのような気もする。

 


今朝、そんな彼の訃報を知って軽いショックを受けた後で、はたと気づいた。


「そういえば僕は、立花隆になりたかったんだ」って。


10代後半から20代にかけて、彼の著作に触れたり、テレビの映像で彼の声を聴いたりするうちに、僕は立花さんのような仕事に強い憧れを持つようになった。

科学、政治、哲学、文化、そしてスピリチュアルまで、あらゆる分野の垣根を超えて自らの知的好奇心の赴くままに取材をして文章を書く。

 

僕はそういう仕事がしたかった。

いや。仕事がしたかったというより、そういう生き方がしたかったんだろうと思う。


だから就職活動のときは、立花さんの原点の一つとも言える文藝春秋社を受けた。

まあ、当然ながら書類審査で落ちたんだけどね。(笑)


その後は、新聞社に落ち、テレビ局に落ち、、、結局マスコミ業界の最下層で働きはしたものの、身も心もボロボロになって仕事を辞めてからは、「立花さんみたいになりたい」という夢はすっかり忘れてしまっていた。


そして今日、約20年ぶりに思い出したというわけ。

僕は立花隆になりたかったんだ、って。


それがどうした?と言われたらそれまでなんだけど、ちょうど時代の転換期に当たる今、そして僕自身も人生の転換期にある今、かつての夢の一つを思い出すことができて良かった。

僕の知的好奇心を大いに刺激して、夢と希望を持たせてくれた立花隆さんに心から感謝したい。

 


ちなみに、立花さんの代表作の一つに『臨死体験』という著書があるんだけれど、立花さんは人生の最期にどんな景色を見たんだろう。


死の間際の風景と、それに対する独特の深い考察を聞いてみたかった。

 

死を恐れていなかった彼に、冥福を祈るような野暮なことはしない。

ただ、最後に聞きたかった。

 

立花さん、「死」はどんなでしたか?

 

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

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大谷翔平は、なぜ大谷翔平になれたのか?

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今シーズンは毎日のように、大谷翔平選手の活躍が目に耳に飛び込んでくる。

 

日本人選手がメジャーリーグでレギュラーになるというだけでも凄いことなのに、彼はそんなレベルを遥かに超えて、投手と打者の両方で超一流のプレーを見せてくれている。

 

今日現在、両リーグトップ(タイ)の23本のホームランを打っているし、投手としても3勝を挙げている。

3勝というとちょっと見劣りするかもしれないけれど、内容は決して悪くないんだよね。

 

ちなみに、僕は大谷選手のことを詳しく知ってるわけじゃないよ。

もちろん、彼が高校時代や日ハム時代に日本で活躍していたことは知っているし、高校1年生のころに書いたというマンダラートも見たことがある。

f:id:rossoporco:20210622134031j:plain

出典:スポニチ(大谷 花巻東流“夢実現シート”

 

 

だけど、彼のプレーをちゃんと見るようになったのは、彼がメジャーに移籍してからのことだ。

だから、僕は大谷選手がどんな練習をしてきて、どんな考え方で野球に取り組んできたのか等々については全く知らない。

 

その点、今回の記事は僕の完全なる推測、というかほとんど妄想なので、どうぞご了承ください。(笑)

 

 

ところで、こういう話を耳にしたことがある人は少なくないと思う。

誰もが認めるような大きな成果を残した有名人が、もし別の道に進んでいたらどうだっただろうか? と。

 

もし大谷選手がバドミントンの選手だったら、どうだっただろう?

もし大谷選手がプロゴルファーだったら、どうだっただろう?

もし大谷選手が起業家だったら、どうだっただろう?

 

といった類の話だ。

 

 

僕はこういう話をするとき、いつもこんなふうに思う。

大谷選手は野球を選んだからこそ大成功したに違いない、って。

 

彼がもし別のスポーツを選んだり、スポーツとは全く別の道に進んでいたりしたら、今のような大活躍には至らなかったんじゃないかと思う。

 

もちろん、彼ほどの体格と身体能力があれば、どんなスポーツであっても一流の成果を残すことができると思う。(あ。競馬の騎手とかは無理ね。笑)

ビジネスの道を選んだとしても、それなりの成果を上げることができるだろうと思う。

 

でも、それでも、今のような大成功を収めることはできなかったに違いない。

なぜそう思うかというと、大谷選手は “野球が” 好きだから

 

やはり、何だかんだいっても、人間は自分の好きなことをやっているときが一番輝いていると思う。

どれだけ上手にできることであっても、自分がそれを好きになれなかったら、どこかで壁にぶつかったり、行き詰まったりするだろうと思う。

(一見成功してるように見えても心を病んでしまう可能性すらあるし)

 

でも、好きなことであれば、そういう壁やハードルを軽々と越えていくことができる。

そして、夢中になって楽しんでいるうちに、結果は後からついてくる。

 

 

そういえば、ブラジル代表のサッカー選手・ネイマールはこんなふうに言っていた。

 

楽しむことを忘れなければ、結果は自然についてくる。

 

(ネイマール)

 

自分が心の底から楽しめることをやっていれば、結果は勝手に出るということだ。

大谷選手の場合は、それが野球だったということだろう。

 

 

だけど大谷選手は、体格にしろ運動神経にしろ、僕ら一般人とは全然違う。

彼はそういう生まれ持った幸運のおかげで成功したんじゃないか?と言う人もいるかもしれない。

 

でも、そういった先天的な特徴や、実家の経済力みたいなことだけが成功を左右するとは思えない。

だって、どれだけ体格や身体能力に優れていても大成しない人はいるし、家庭が裕福でも不幸になる人はたくさんいるもんね。

 

じゃあ、いったい何が人生の成功を決めるんだろうか?

僕のような一般人(といっても、僕はいろいろ平均以下だけど。笑)が成功を収めるためには、何が必要なんだろうか?

 

 

僕は、それこそ、まさに「頑張らない」ということなんじゃないかと思う。

 

なぜかというと、どんな道に進むのがベストであるのかをあらかじめ知っている人はいないから。

大谷選手だって、プロ野球の道に進むのがベストかどうか、幼いころにはわからなかったはずだ。

 

 

仮に、大谷選手が、両親や友人の影響、あるいは住んでいる地域の事情なんかによって、子どものころに空手を習っていたとするね。

だけど、彼にとって空手は、そこまで好きなスポーツじゃなかったとする。

 

そういうときに、周りの人が「頑張れ!頑張れ!」と励まし、本人も「頑張らなきゃ!」と思って、それほど好きでもない空手を頑張り続けていたとしたら、どうなってただろう?

 

彼のことだから、今ごろ空手の日本チャンピオンくらいにはなっているだろうし、もしかしたらオリンピックで金メダルをとってたかもしれない。

でも、それは彼にとって「成功」と言えるんだろうか?

 

それほど好きでもないスポーツを頑張って頂点に立てたからといって、それが「成功」とは言えないと僕は思う。

 

じゃあ、どうすれば「成功」を手にすることができるのか。

そこで大事なのが、「頑張らないこと」なんじゃないかと思う。

 

空手をやってみて、何か違う…と感じたら、そこで無理に頑張らないで、別の道を探してみる。

次にバレーボールをやってみたけど違和感を感じるなら、また別のことをやってみる。

 

そういうことを繰り返していくうちに、いつか大谷選手にとっての「野球」にたどり着けるんじゃないかな。

 

 

あ。今更だけど、僕がここで言う「頑張る」っていうのはこういう意味だよ。

 

頑張る

自分にとって嫌なこと、辛いこと、苦しいことに対して、自己を犠牲にして時間を使うこと。

 

(ノリズム大辞典)

 

ちなみに、「頑張らないシリーズ」の記事についてはこれまでに何本 も書いてきたので、ご参考まで。

 

 

 

頑張り続けるというのは、自分の本当の気持ちを押し殺してその場に留まり続けることを意味する。

自分の気持ちを殺したところに「成功」や「幸福」なんてあるはずがない。

 

だから僕らは「頑張っちゃいけない」んだ。

 

「頑張らないこと」を続けていけば、きっといつか「頑張らなくてもうまくできること」や「時間を忘れちゃうくらい夢中になってしまうこと」が見つかる。

 

そんな宝物を見つけることができたら、そこで初めて全精力を注ぎ込む。

それが「成功」の秘密なんじゃないかな?

 

そして、それが大谷翔平が大谷翔平になれた理由なんじゃないかな?

彼のアメリカでの大活躍を見ながら、そんなことを考えたのでした。

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

shivai !! 

(誰もあなたの進む道を邪魔することはできない)

  

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「意識」と「エネルギー」

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今日は、前回書いた記事の続きみたいな内容になると思う。

あの記事を書いた後も、意識を向ける対象には気をつけなきゃいけないなぁって改めて感じた。

 

 


で、いろいろ考える中で、これって「エネルギー保存の法則」的に考えることもできるんじゃないか?って思ったんだよね。

 

「エネルギー保存の法則」って覚えてる?

たしか中学生のころに理科の授業で習ったやつ。

 

エネルギーが、ある形態から他の形態へ変換する前後で、エネルギーの総量は常に一定不変であるという法則。

高所にある物体は落下によって位置エネルギーが減少するが、運動エネルギーを得て、その和は常に一定であり、これを力学的エネルギー保存の法則とよぶ。

 

デジタル大辞泉

 

つまり、エネルギーというのは使ったからといってなくなってしまうわけじゃないということなんだよね。

一見なくなったように見えても、ただ単に形を変えただけだから、もともとのエネルギーの総和は常に等しいということだね。

 


で、これが「意識を向ける先」と何の関係があるのか?ということだけど。


僕らは日常生活のほとんどの時間、常に何かに意識を向けて暮らしてる。

「あー。明日もまた仕事かぁ」と考えてるときは、仕事のネガティブな側面に意識を向けているだろうし、「あの子可愛いなぁ」と考えてるときは、好きな女性のポジティブな面にフォーカスしてる状態だと思う。

そのフォーカスする対象が、人なのか物なのか、あるいは何らかの概念なのか、はたまたイメージなのかはわからないけれど、僕らは常に何かに意識を向けている。


で、意識を向けるということは、その対象に向けてエネルギーを使ってるということになると思う。

じゃあ、そのときに使ったエネルギーがどこに行くかというと、もちろん脳内の活動で消費されてるんだろうけど、それだけじゃなくて、そのフォーカスした対象にエネルギーを与えてる面があるんじゃないか?って思ったんだよね。


仕事の嫌な側面にフォーカスすると「嫌な仕事」にエネルギーを充填してることになるだろうし、素敵な女性にフォーカスすれば、その女性にエネルギーを送っていることになるんじゃないかな?って。

 

まあ、あくまでも自分の頭の中での話だけどね。


でも、もしそうだとすると、「エネルギー保存の法則」によって、僕がネガティブなことにフォーカスすればするほど、自分が持つエネルギーは減少して、その分ネガティブなもののエネルギーが増加することになる。

(同様に、ポジティブなことに意識を向ければポジティブなことがエネルギーを得てパワーアップすることになるね)


だとしたら、ネガティブなものにエネルギー(パワー)を与えたくはないよね。

もし自分にとって嫌な現象が起きたとして、そのことばかり考えてたら僕の中のエネルギーはどんどんそっちに移動してしまって、その嫌な出来事はエネルギーを吸収してどんどんパワーアップすることになっちゃうわけだから。

嫌な現象がパワーアップするのを手助けするなんて、そんなの絶対嫌だよね。(笑)


そんなことをするくらいだったら、僕は、自分が好きな人とか、自分が好きなモノ・コトにエネルギーを与えたいと思う。

 

何かにフォーカスすると自分のエネルギーがそっちに移動する、っていうふうに考えると、意識を向ける対象について今よりも慎重になるかもしれない。

 

そして、ネガティブなことにフォーカスしそうになったら、「自分は今、望まないものにエネルギーを与えてしまってるけど、それでいいの?」って自問することもできるよね。

 

うんうん。エネルギー保存の法則、ちょっと意識してみよう。

 

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

shivai !! 

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もう、やめます。

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ここ最近、ずっとモヤモヤしてたんだよね。

日常生活でも、ブログを書くときにも。ずっと。

どうしてそうなってるのかは薄々わかっていたんだけど、見て見ぬフリをしてた。

 


そのモヤモヤの正体は「対立感情」。

 

 

僕は以前にこんな記事を書いたことがあった。

 


この記事は、「望まないものにフォーカスするのではなく、望むものに意識を向けよう」という記事だったんだけど、僕はここ最近、ずっと「望まないもの」に意識を向け続けていた。


この1カ月の間に書いたブログ記事の大半がまさにそうだった。

 

新型コロナと、ワクチンだ。


新型コロナに関する世間の空気や、ワクチン接種に対する風潮、そういうものに対して僕は怒りを感じてた。

そして、それを発信しなければという義憤に駆られていた。

だから、ずっと「反ワクチン」ということに意識を向けて生活し、このブログやSNSに書き込んでいた。

 


でも、対立の意識で「望まないもの」にフォーカスすればするほど、それが自分の中で膨らんでいくんだよね。

そして、膨らめば膨らむほど、それが自分に対して大きなパワーを持つことになる。

で、大きなパワーを持ったその「望まないこと」は、どんどん自分にのしかかってくる。

だからさらに対立・抵抗しようとする・・・

 


完全に悪循環にハマってしまってた。

 

望まないものにフォーカスするのではなく、望むものに意識を向けよう。

マザー・テレサの言葉を思い出しながら。

 

反戦集会には行かないけど、平和集会には行くわ。


(マザー・テレサ)

 

 

自分がこの1か月間書いてきたことが間違った内容だとは全く思わないけれど、意識を向けるポイントを変えよう。

 

「反ワクチン」を叫ぶことで望まないことにフォーカスするのはもうやめた。

「怒り」をモチベーションにするのはもうやめた。


新型コロナワクチンが不要になる、明るい世界に意識を向けることにしようと思う。

 

  

 

それでは今日はこの辺で。

 

shivai !! 

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目的地なき暴走 ~ワクチンファシズム~

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以前も書いたことがあるけれど、僕は、仕事であれ何であれ、「なぜ?」「何のために?」ということを考えるのが好きだ。

 


だから、たとえば職場で上司から仕事を頼まれたときには、何のためにそれが必要なのかを自分が納得できるまで尋ねるし、逆に誰かに仕事をお願いするときには、何のためにやるのかを伝える。

クライアントから問い合わせや相談を受けたときも、どうしてそれが必要なのか、なぜそれをしようとしているのかを深堀りする。

 

だから、多分いろんな人から「こいつ、面倒くせえ奴だなー」って思われてると思う。(笑)


だけど、僕からしてみると、世の中には「何のためにやるのか」を考えずにいろいろなことに手を付けている人が多すぎると感じるんだよね…。

 

何のために?」という目的を考えずに進むから、次第に何をやってるのかわからなくなって、最終的にはとんでもないところに着地したりするケースはいくらでもある。


だから僕は、相手が上司であれクライアントであれ、目的が明確になるまで問い続ける。

何のためにやるんですか? って。

 


でもね、そうすると面白いことに、「あれ?考えてみたらこんなこと必要ないわ」とか、「そっか、じゃあ別の方法でやったほうがいいねー」というようなことに落ち着くケースも少なくないんだよね。

つまり、上司が僕にやらせようとしていた仕事はまったく必要のないものだった、とか、クライアントがやりたいと思っていたことは方向性が完全にズレていた、ということが明確になるの。

 

 

で、今の世の中を見てみるに、「目的」を忘れた状態で新型コロナワクチン接種に突き進んでしまっている気がしてならない。

特にこういうニュースを見ると、僕はもう、世の中が狂ってるとしか思えない。

 


いったい何のために小学生や中高生にワクチンを打たせるんだろうか。

 

20歳以下の若者はコロナに感染しても重篤化することはないし、ましてや死者はこの1年半で一人もいない。

 

 

もし、高齢者への感染を防ぐことが目的だというのなら、高齢者自身がワクチンを打てば済む話だ。

 

わずか数カ月で開発された人類史上初のmRNAワクチン。長期的なリスクが全く不明の粗製ワクチンを、コロナ感染リスクのない子どもたちに打たせる理由は何なのだろう?


なぜ? 何のために?


社会が混乱して、いわばワクチンファシズムに走っている今だからこそ、冷静に問うべきじゃないかな。

 

 

そして、冷静に考えるためには資料も必要だよね。


新型コロナウイルス感染症の国内発生動向(速報値)2021年6月2日18時
https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000787852.pdf


【重傷者割合*1

10歳未満  0.0%
10代    0.0%
20代    0.0%
30代    0.0%
40代    0.3%
50代    0.8%
60代    1.6%
70代    2.3%
80代以上  1.5%

 


【死亡率*2

10歳未満  0.0%
10代    0.0%
20代    0.0%
30代    0.0%
40代    0.1%
50代    0.3%
60代    1.3%
70代    4.7%
80代以上   13.1%

 


さらに、新型コロナワクチン接種後に重篤な副作用や死亡例がどれだけあるのかも、こういうサイトを見ればわかる。

https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000784435.pdf

https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000784439.pdf

 

こういうデータを見れば、ワクチン接種後の重篤な副作用は若年層のほうが圧倒的に多いこともわかる。

https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000784436.pdf

 


いったい何のために、健康な子どもや若者が人体実験のようなワクチンを接種しなければいけないんだろうか。

 

なぜ? 何のために?

 

 

ワクチンを打たされている子どもや若者の姿は、片道燃料で零戦に乗せられて南の海に散っていった76年前の若者の姿と重なる。

 

 

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

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*1:入院治療等を要する者に対する重傷者数の割合

*2:陽性者に対する死亡者の割合

「好き」と言う勇気

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えーと。あらかじめ断っておきますが、恋愛の話ではないです。(笑)

 

 

もう10年近く前になるかな?

前の会社に勤めていたとき、経営ビジョンを作るために、ホテルに籠って合宿をやったことがあった。


まあ、そのこと自体はどうでもいいんだけど。

その合宿をやったホテルのお風呂は温泉でね、夜、大浴場で身体を洗っていたら、隣に座っていた役員のHさんが、おもむろに「ノリズムさんは温泉好きですか?」と聞いてきた。

  

僕は、学生時代はほぼ毎週のように車で温泉巡りをしていたくらいの温泉好きなんだよね。

近頃は行く機会も減ったけど、別府や嬉野あたりには年に何度か行くし、スーパー銭湯には毎週通ってる。(笑)

 
そのくらいの風呂好き、温泉好きなんだよね。

 

  

でも、その合宿のときにHさんから「温泉、好きですか?」と聞かれた僕は、「ああ、好きですよー」って普通に答えたんだよね。

 
そうしたら彼はこう言ったの。

 
「そうですか。僕はですね、本っ当に、温泉がだーいっっっ好きなんです!!!」って。

 

その言葉を聞いて僕はショックを受けた。

僕も温泉は「だーいっっっ好き!!!」なのに、どうしてそう言わなかったんだろう…って。


そして、自分が好きなことを、「だーいっっっ好き!!!」って、ためらいなく言えるって素敵だなぁ…って。

  

彼の言葉を聞いて、なんだか負けた気がしたんだよね。

何に負けたのかはわからないけど。(笑)

 

 

好きなものを「好き」って、ためらいなく言うことは意外と難しいことなんだなぁと思う。

 
自分の価値観を表明する勇気や、仮にその価値観を否定されても気に留めない覚悟なんかがあって初めて、大きな声で自分の「好き」を公言できるんだろうな。

 

 

あの「お風呂事件」以来、僕は、自分が好きなことは「大好きです!」って、躊躇なく言うようになった。

変な人だと思われようと、「バシャールが大好き!」って言うし。(笑)

 

 

そういえば、槇原敬之さんの曲『どんなときも』にはこんな歌詞があった。

 

どんなときも どんなときも

僕が僕らしくあるために

「好きなものは好き!」と

言える気持ち 抱きしめてたい。

 

(槇原敬之『どんなときも』)

 

 

 

自分は何が好きで、何が嫌なのか。

それを伝えることに遠慮する必要はないよね。

逆に、全てはそこから始まる気がする。

自分の人生も、人間関係も、何もかも。

 

だから、「好きなものは好き」と言える気持ちを大事にしよう。

 


ところで、あなたは何が好きですか?

 

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

shivai !! 

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料理系YouTubeチャンネル5選

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以前こんな記事を書いたけど、僕は料理が好きなので毎日料理をしてて、休みの日には半日以上台所に立っているときもある。


でも、自分でレシピを考えたり、目分量でテキトーにパパッとつくれるほどの腕前はないので、いつもクックパッドとかYouTubeの料理動画を参考にして作ってるんだよね。

 

で、最近一番のお気に入りが「くまの限界食堂」さん。

 

 

どのレシピもハズレがなくて、ちょっとしたお店レベルの料理が簡単にできちゃう。

基本的には「独り暮らしの男の料理」という感じで、ガッツリ系や酒の肴になるようなものが多めだけど、うちの子どもたちにはいつも大好評だよ。

 


ちなみに、最近一番のお気に入りレシピはこれ!

 


僕は去年からスパイスカレーにハマってて、週に一度はスパイスカレーを作ってるんだけど、家族からはこのくまさんのカレーのほうが評判が良くて、我が家でのスパイスカレーの地位が揺らいでるんだよね…。(笑)


あと、この「やばいニラ」も最近よく作ってる。

 


卵かけご飯にかけて食べるのがお気に入りだけど、タレとしていろんな料理に使えるので、最近は我が家の常備菜になってるなぁ。

 

 

ちなみに、くまの限界食堂さんは音声がないので、料理初心者の方にはちょっとわかりづらいかもしれない。

てことで、ほかにもよく見る料理系YouTubeチャンネルを4つ紹介するね。

 

 

①飲食店独立学校/こうせい校長

 


本格的な料理から手軽なものまで、理論も含めて基本的なことを丁寧に教えてくれる。

勉強にもなるし、お店レベルの料理がつくれるので、料理初心者にもオススメだよ。

 

 

②食事処さくら

 


こちらも料理の仕方を丁寧に解説してくれるので、初心者にもわかりやすいと思う。

独特の語り口に癒される。(笑)

 

 

③けんますクッキング

 


ラーメン屋さんのマスターが、ガッツリ系B級グルメの作り方を教えてくれるチャンネル。

ちょっと暑苦しい居酒屋の大将という感じなので、苦手な人は苦手かも。(笑)

 

 

④料理研究家リュウジのバズレシピ

 


酔っ払いイケメン兄さんの料理教室という感じかな?(笑)

ちょこちょこ笑いを挟みながらも、本格的な料理をわかりやすく教えてくれる。

 

 

どれも動画を見てるだけで楽しいけど、見てるうちに作ってみたくなると思うよ。(笑)

ふだん料理しない人も、ぜひチャレンジしてみてね。

 

 

あ。それと、ほかにオススメのチャンネルがあったらぜひ教えてください!

 

それでは今日はこの辺で。

 

shivai !! (誰もあなたの進む道を邪魔することはできない)

 

 

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