僕は、立花隆になりたかった。
今朝、目覚めてすぐに飛び込んできた立花隆さんの訃報には驚いた。
高齢であることは知っていたけれど、なぜか立花さんが亡くなるというイメージが僕の中にはなかったからだ。
淡々と、飄々と、でも舌鋒鋭く、物事の核心に切り込んでいく彼の姿は、僕から見るとどこか浮世離れしていて、だから「死」とは結び付かなかったのかもしれない。
いや。
でも、考えてみると、最近は立花さんをテレビや雑誌で見る機会は少なかったし、著書もずいぶん長い間読んでいない。
だから、死のイメージがなかったというよりも、単に僕が彼のことを忘れていただけのような気もする。
今朝、そんな彼の訃報を知って軽いショックを受けた後で、はたと気づいた。
「そういえば僕は、立花隆になりたかったんだ」って。
10代後半から20代にかけて、彼の著作に触れたり、テレビの映像で彼の声を聴いたりするうちに、僕は立花さんのような仕事に強い憧れを持つようになった。
科学、政治、哲学、文化、そしてスピリチュアルまで、あらゆる分野の垣根を超えて自らの知的好奇心の赴くままに取材をして文章を書く。
僕はそういう仕事がしたかった。
いや。仕事がしたかったというより、そういう生き方がしたかったんだろうと思う。
だから就職活動のときは、立花さんの原点の一つとも言える文藝春秋社を受けた。
まあ、当然ながら書類審査で落ちたんだけどね。(笑)
その後は、新聞社に落ち、テレビ局に落ち、、、結局マスコミ業界の最下層で働きはしたものの、身も心もボロボロになって仕事を辞めてからは、「立花さんみたいになりたい」という夢はすっかり忘れてしまっていた。
そして今日、約20年ぶりに思い出したというわけ。
僕は立花隆になりたかったんだ、って。
それがどうした?と言われたらそれまでなんだけど、ちょうど時代の転換期に当たる今、そして僕自身も人生の転換期にある今、かつての夢の一つを思い出すことができて良かった。
僕の知的好奇心を大いに刺激して、夢と希望を持たせてくれた立花隆さんに心から感謝したい。
ちなみに、立花さんの代表作の一つに『臨死体験』という著書があるんだけれど、立花さんは人生の最期にどんな景色を見たんだろう。
死の間際の風景と、それに対する独特の深い考察を聞いてみたかった。
死を恐れていなかった彼に、冥福を祈るような野暮なことはしない。
ただ、最後に聞きたかった。
立花さん、「死」はどんなでしたか?
それでは今日はこの辺で。
shivai !!
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