オリンピックに「スポーツ」の本質はない。
東京オリンピックが始まって、連日いろいろな競技が行われてるね。
僕もテレビで観戦してるんだけど、観ていてふと思った。
「この人たち、やってて楽しいのかな?」
僕が見てる限り、どの競技のどの選手も、スポーツを楽しんでいるようには見えない。
スケボーの選手たちでさえ、楽しそうじゃない。(笑)
大体どんなスポーツも、始めたばかりのころはプレイすること自体が楽しくて、勝敗なんて二の次だと思う。
そもそも、子どものころはスポーツと遊びの境目なんてなかった。
友達と遊ぶ(プレイする)ことにワクワクして、朝、布団から飛び起きてた。
それなのに、続けているうちに勝敗の重要性が上がってきて、姑息な駆け引きとか、チーム内でのレギュラー争いとか、関係者の期待とか、周囲の圧力とか、本来関係のなかった要素がどんどん付随してくる。
そして挙げ句の果てには、なぜか「国家を背負って」までプレイしなきゃいけなくなる。
いや、この段階になったらもう、プレイなんていうものじゃない。
大きな圧力の下で、自分でも気づかないうちに半ば強制的に試合をさせられている状態だと思う。
子どものころに、ろくな道具も持たずに空き地でやっていたようなスポーツの楽しさが、テレビ画面の中には感じられない。
勝った、負けた、メダルをとった、メダルを逃した。
ただそれだけだ。
楽しいはずのスポーツの行き着く先がその程度なのだとしたら、実に残念だと思う。
体力を温存して予選落ちとか、判定勝ちで金メダルなんて、観ていて何の面白さも感じない。
オリンピックはスポーツの祭典らしいけど、たぶんそこにスポーツの本質はないと思う。
スポーツの本質は昔も今も変わらず、目をキラキラ輝かせながら、空き地やその辺の体育館で遊ぶ子どもたちの中にある。
おじさんたちの草野球や、ママさんバレー、温泉卓球や、昼休みのドッヂボール、スケボー少年の中にある。
オリンピックに出ている選手たちも、頑張らなくていいから、思い切り楽しんでほしいな。
国家を背負う必要は全くないし、メダルをとらなきゃいけないわけでもない。
勝利に歓喜したりメダルをとって涙する姿よりも、心から楽しそうにプレイする姿を見せてほしい。
いつかオリンピックが、国家の垣根を超え、勝敗の罠から抜け出して、スポーツの本質を楽しむ場になったらいいなぁと、テレビ画面の中の選手たちを見ながら思ったのでした。
それでは今日はこの辺で。
shivai !!
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