コンフォートゾーンをかき回せ!
今日は6月30日。
今年も半年が過ぎたね。
コロナ禍のゴタゴタのせいなのか、はたまた年齢的なものなのか、今年も猛スピードで時間が過ぎていく感じがする。
そして、なんだか同じような毎日が続いているような気もする。
でも、同じような日々が続くというのはあまり良いことじゃない、と僕は思ってる。
僕らは人間には(というか動物はみんなそうだと思うけど)コンフォートゾーンというものがあると言われてる。
コンフォートゾーンっていうのは、快適な空間、安心していられる居心地のいい状態のことだね。
人間の場合は、多くの人にとって自宅や自分の部屋はコンフォートゾーンだと思うし、日常のルーティーンなどもコンフォートゾーンの延長だと思う。
で、僕らは通常、そのコンフォートゾーンの中で暮らすことを望んでる。
コンフォートゾーンの中にいる限り、比較的安心して、ストレスも少ない状態でいられるから。
多くの人は、コンフォートゾーンの外に飛び出すような急激な変化を回避して、日々同じような状態が続くことを無意識レベルで望んでいるんだと思う。
ただ、ここで一つ問題があるんだよね。
毎日が安全・快適で、ストレスなく暮らせるのは喜ばしいことなんだけど、一方で、コンフォートゾーンの内側にいると変化が起きにくいというデメリットがある。
そして、変化がないと人は成長できない。
大人に比べて子どもの成長スピードが速いのは、コンフォートゾーンから強制的に追い出されやすい(= 変化しやすい)環境に置かれていることがあると思う。
子どものころは、どんなに居心地が良いクラスでも1年に1回クラス替えがあったり、小学校から中学校、中学校から高校へと、自分の意思とは関係なく生活環境を変えられちゃったりするよね。
それ以外にも、有無を言わさず学校の年中行事に参加させられたり、強制的にテストを受けさせられたり、習い事や塾での競争があったりもする。
そして何より、人生で初めて見聞きするような情報への接触頻度も高い。
その良し悪しは別として、子どもは、そういう外部からの強制的な変化によって成長を促進されているんだと思う。
でも、大人になると、自らコンフォートゾーンを抜け出すことを意識しなければ、なかなか変化が起きづらい。
もちろん、今回のコロナ騒動のような出来事によって強制的にコンフォートゾーンから追い出されることもあるし、大きな企業に勤めていれば、転勤とか部署異動で強制的に生活環境を変えられることもあるけれど、それは日常的なことじゃないよね。
だから、僕ら大人が自分を成長させたかったら、自ら変化を起こすしかない。
とはいえ、変化を起こすということはコンフォートゾーンを乱すことになるから、ちょっと勇気が要る。
でも僕は、同じような毎日に安住して、気づいてみれば死が目前だった、なんてのはイヤだな。
変化するといっても、コンフォートゾーンから大きく飛び出すような急激な変化でなくてもいい。
急に引越しをするとか、突然仕事を辞めるとか、離婚するとか、無理矢理そんなことをする必要はない。
コンフォートゾーンを軽くかき回したり、コンフォートゾーンの縁をツンツンする程度の小さな変化でもいい。
通勤経路をちょっとだけ変えてみるとか、スーパーやコンビニでいつもは立ち寄らないコーナーに行ってみるとか、めったに話をしない職場の同僚に話しかけてみるとか、全く関心のないスマホアプリをインストールしてみるとか、今まで読んだことのなかった雑誌を立ち読みしてみるとか、用もないのにお花屋さんに入ってみるとか、あまり興味のないテーマでブログを書いてみるとか(笑)、どんなことでもいい。
いつもとちょっとだけ違うことをやって、生活の中に小さな変化を起こしてみよう。
自分の意思で変化を起こそう。
その小さな変化が、もしかしたら1年後の大きな変化につながっているかもしれない。
そして、その1年後の大きな変化は、自分自身の大きな成長へとつながってるかもしれない。
そういえば、昔、とあるロック歌手が「ジジイになる前に死んでやる」って言ってたけど、自ら変化し続けられるなら死ぬ必要はないよね。(笑)
というか、幾つになっても自ら変化し続けている人を「ジジイ」とは呼ばない。
それでは今日はこの辺で。
shivai !!
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