依存度は選択肢の数で決まる。
前回の記事では、「自分軸」ではなく「他人軸」で生きると、人生がスムーズに進まないかもしれない、ということをボールの重心に例えて書いた。
だけど、そもそも、どうして僕らは「自分軸」ではなく、「他人軸」で生きてしまいがちなんだろうか?
それは、おそらく、何かに依存(執着)しなければ生きていけないからだと思う。
もともと僕らが生まれたばかりの赤ちゃんのときは、完全に自分軸で生きていたはずだ。
だからこそ、時や場所を考えずに泣きわめくことができたし、周りの人たちもそれを許してくれていた。
でも、少しずつ成長して身体を自由に動かせるようになってくると、「あれをしちゃダメ」「これをしなさい」と親から言われるようになる。
さらに大きくなると、先生と呼ばれる人や友達、そしてマスメディアや周囲の大人たちが有言・無言の圧力をかけ始める。
でも、まだ一人で生きていくことができない子どもたちは、そういった周囲の声に従って生きていかざるを得ない。
だから、本当は自分がしたくないこともやるようになるし、やりたいこともできなくなる。
そんなことを延々と続けているうちに、他人軸で生きることが当然のようになってしまう。
そして成人して、ようやく自由の身になったかと思えば、今度は生活のために働かなきゃいけなくて、結局はようやく手放せたかと思った他人軸が、「企業」になったり、「上司」や「同僚」、あるいは「地域住民」「世間の空気」なんかに変わるだけのことだ。
つまり僕らは、何かに強く依存し続ける限り、他人軸を手放すことは難しいんだろうと思う。
逆に言えば、他人軸を手放すためには、自分が依存している対象への依存度を薄めていく必要がある。
じゃあ、どうすれば依存度を薄めることができるのかといえば、それは選択肢を多く持つということじゃないかな。
例えば、医療で言えばセカンドオピニオンみたいなもの。
何か大きな病気をしているときに、ただ一人の医者に依存していると、すべてその医者の言いなりになってしまって、自分の健康(もしかしたら命まで)をその一人の医者に預けることになってしまう。
でも、もしほかの複数の医者の話を聞くことができれば、僕らは自分で主体的に治療法を選ぶことができる。
つまり、自分の人生の主導権を取り戻すことができるようになる。
収入源を複数持つというのも同じことだ。
毎月の収入が、自分が勤めている会社からしか入ってこない状態だと、これまた自分の生活(人生)をその会社に預けているのと同じことだ。
会社から「こうしろ」と言われたらこうしなきゃいけないし、「これはやめろ」と言われたらそうせざるを得ない。
つまり他人軸で生きざるを得ない。
だけど、収入源を複数持っていれば、会社の言いなりにならずに済む。
納得できないことがあれば、毅然とした態度で臨むこともできる。
つまり、自分の人生の主導権を取り戻すことができるようになる。
これは医療や収入に限らず、恋愛にしろ、友人関係にしろ、住む場所にしろ、何でもそうだろうと思う。
そういう意味で、自分の人生において大切なモノやコトを1つのところに依存しない、つまり選択肢を幾つも持っておくということがとっても大事だと僕は思う。
選択肢を複数持つということは、いつでも手放せる(逃げ出せる、離れられる)っていうことだ。
いつでも手放せるものと “依存” は馴染まないもんね。
選択肢が複数あれば依存度が下がる。
依存度が下がれば、他人軸を手放し、自分軸を大切にして生きられるようになる。
だから、僕はいつでも、できるだけ多くの選択肢を持っておきたい。
自分軸で自由に生きるために。
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