「情報」の裏側
僕は基本的に、マスコミをはじめとして世の中に出回っている「情報」そのものを信用しない。
それは、僕自身がマスコミで働いていたことがある(発信者側の内部事情を知っている)からということが大きいかもしれないけれど、それだけじゃない。
じゃあ、どうしてかというと、情報は常にゆがんでいるから。
僕のこのブログも含めての話だけど、発信している人には必ず発信する意図(理由)がある。
発信者側がそれを意識してやっているのか否か、あるいは善意でやっているか悪意でやっているかにかかわらず、発信される情報には意図があり、それによって情報はゆがむ。
もちろん、ゆがみの度合いは様々だけど、必ずと言っていいほど情報はゆがむ。
例えばマスコミなら、社会貢献という社是みたいなものもあるかもしれないけれど、一方で、自社のメンツ、スポンサーのイメージ向上、権力者の介入、世論誘導など、さまざまな意図が入り込む。
さらには、会社の上層部、情報源や取材者、番組制作者、コメンテーターの個人的なエゴなんかも絡み合う。
マスコミから発信される情報にはとても多くの人がかかわっているので、必然的に多くの人々の意図が複雑に入り組んだ構造になっている。
だから、ゆがみのない、まっさらな情報にはなかなかお目にかかれないんじゃないかと思う。
でも、これはマスコミだけの話ではなくて、ブログやSNS上で発信される情報も、個人の口コミも、発信者の意図によってゆがめられている。
個人の発信者にどんな意図があるかというと、例えばそれは自身の承認欲求を満たすためだったり、誰かを貶めるためだったり、アフィリエイトなどの広告収入を得るためだったり、単なる不満解消のためだったりもする。
ほかにも、いろんな意図が隠れているに違いない。
だから、話を大げさに盛ったり、逆に卑下したり、デタラメなことや心にもないことを書いたりすることもあるかもしれない。
インスタグラムに載せるたった1枚の写真であっても、よりよく見える角度を選び、光の具合を考えて、いい感じの構図で撮影しようとする。
そして、撮影した後に加工してから投稿される。
もし、何も意識せずに撮影された写真だったとしても、それを撮影してSNSにアップするのには何らかの理由(意図)がある。
つまり、程度の差こそあれ「情報」というのは必ずと言っていいほどゆがんでいる。
ゆがんだ「情報」に踊らされないようにするためには、まずは発信者の意図を考えるようにしよう。
その上で、発信者が何を言っているのかを観察してみよう。
どんな物事にも両面があるので、メリットばかりのことやプラス面ばかりのことなんてないし、逆もまたしかりだ。
それと同じ意味で、「100%確実」とか「絶対に大丈夫」なんていうこともあり得ない。
極端に楽観的な話や、必要以上に悲観的な話もそのまま受け取らないほうがいい。
以前書いたことがあるけれど、恐怖を煽って人を操るのは旧来型のマーケティングのセオリーだし、古来から為政者たちが使ってきた常套手段だ。
恐怖で煽るにしても、最近はロジックが破綻している「情報」が少なくないので、冷静に見れば、「何か変だな…」って誰でも気がつくと思う。
そして、冷静になれないときには「情報」から離れた暮らしをしてみるのもいいかもしれない。
今の時代は身近に「情報」が溢れていて、気づかないうちに「情報」の洪水に飲み込まれてしまう環境にあるからね。
ちなみに、僕が書いた今回の記事にも当然ながら意図がある。
それがどんな意図なのかということについては書かないけど、もしよかったら考えてみてください。(笑)
それでは今日はこの辺で!
shivai !!
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【2021年】やめて良かったこと5選。
「決断」という言葉は面白い。
多くの人は、決断というと「何をするのかをはっきり決めること」だと考えてるんじゃないだろうか。
でも、この「決断」という文字を分解して考えると、「断つことを決める」ということを表してるよね。
つまり、「何をするか」じゃなくて「何をしないか」を決めることが決断という文字の意味するところだ。
ちなみに僕は今年、「しないこと」を幾つか決めた。
それは決断というほどの大きなことでもないんだけど、しないことを決めたわけだから、結果的に「決断」したことになるのかもしれない。
・・・と。まあ、そんな理屈はどうでもいいや。(笑)
てことで今回は、僕が今年決めた「しないこと」、つまり「やめたこと」について書いてみまーす。
【第5位】午後のコーヒー
40歳を過ぎてからだと思うけど、夜中に何度も目が覚めるようになって、睡眠の質が低下してきた。
そのことで何か大きな支障があるわけでもないんだけど、ずっと気になってたんだよね。
で、何かの記事で、14時以降にカフェインを摂るのは控えたほうがいいというのを読んで、確かにそうかもなぁと思った。
そこで、昔は時間帯に関係なく1日に何杯も(多いときは10杯とか)飲んでいたコーヒーを、今年から、飲むのは1日2杯までで、午後はコーヒーを飲まないことにした。
効果のほどはというと、それほど明確な違いは実感できていないけど、確かに以前に比べて睡眠の質が上がった気がします。
っていうことで、今年やめたことの第5位は「午後のコーヒー」。
【第4位】 風呂スマホ
スマホさえ持ってれば、調べ物もできるし、映画やドラマも観れるし、音楽も聴けるし、本や漫画も読めるし、ゲームもできるし、ブログも書ける。
つまり、スマホ1つあれば一人の時間を自由に楽しむことができるので、ついつい手放せなくなってしまって、いつの間にかお風呂にまで持ち込むようになってた。
だけど、これは結構問題で、何も考えずにボーっとくつろげるはずのバスタイムが、いつの間にかリラックスタイムではなくなってしまってたんだよね。
で、これはいかんなぁと思って、今年はなるべくお風呂にスマホを持ち込まないようにしたというわけ。
スマホを持ち込まずに入浴すると心底リラックスできる、ということを実感する。
ただ、スマホの魔力はやはり強くて、どうしても時々持ち込んでしまうので、今回は第4位ということになってます。(笑)
【第3位】 ネガティブ感情を持ち続けること
精神的な面で今年一番成長したのは、ネガティブな感情や思考を引きずらないようになったことだと思う。
自分の外側で何か嫌なことや不安なことがあっても、長時間そこにフォーカスしなくなった。
これは、以前も記事に書いたとおりで、自分の外側で起きていることに意識を向けるのではなくて、自分の内側にフォーカスして、「自分は今どんな感情を感じてるんだろう?」「どうしてそう感じるんだろう?」という具合に、内観していくことで可能になったと思う。
こうすることで、僕は心地よい状態(波動・周波数の高い状態)をキープすることができるようになったよ。
てことで、今年やめて良かったことの第3位は、「ネガティブ感情を持ち続けること」。
【第2位】 美容院
これも先日記事を書いたけど、美容院に行くのをやめて本当に良かったと思ってる。
1回行くと6,000円近くかかる美容院に1.5~2か月に1回通っていたのを、1回1,200円の理髪店に変えたことで、2週間に1回散髪するようになったというお話。
大した髪型でもないのに見栄を張って美容院に通うのはまったくのナンセンスで、本当に無意味だということを実感した。
今は、頻繁に髪を切ることで、幸福度がかなり上がってます。(笑)
【第1位】 お酒
これも以前に記事を書いてた。
社会人になってからはほぼ毎日のように飲んでたお酒を、週に2回までにしたというお話。
飲む回数を減らしたことで「飲めない体質」になってしまったので、飲む量は1年前に比べて5分の1以下になってると思う。
もしかすると、飲み会にしょっちゅう行っていた2年前(コロナ前)に比べたら、10分の1くらいに減ってるかもしれない。
お酒をやめるメリットはとても多くて、詳しくは以前書いた記事を読んでもらいたいんだけど、「自由に使える時間が増えたこと」と「健康体になれたこと」が特に良かった。
ということで、今年やめて良かったことの第1位は「お酒」でした!
こうして見てみると、「何をするか」だけでなく、「何をしないか」を決めることも意外と大事なんだなぁって、改めて思う。
さあ、来年は何をやめようかな?(笑)
それでは今日はこの辺で!
shivai !!
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今週のお題「最近あったちょっといいこと」
新庄剛志の野球が楽しみすぎる。
ここ1~2か月、プロ野球界隈で注目を浴び続けてる新庄カントク(またはビッグボス)。
僕は彼の生き方というか、人生に対するスタンスが好きだ。
ちなみに、新庄さんは僕が通ってた中学校の隣の中学の出身で、年も近いし同じ野球部だったので親近感はあったんだけど、現役時代はあのチャラチャラした雰囲気が嫌で、好きな選手じゃなかった。
でも、数年前に新庄さんのYouTubeチャンネルで彼の野球に対する姿勢や考え方を知って、「そういう人だったのか!」と目から鱗が落ちると同時に、自分自身を恥じた。
僕は完全に、人を見た目だけで判断してたわけだ。
ちなみに、さっきちょっと調べてみたら、当時僕が見てた動画はすべて削除されてしまってた。
身体の使い方や呼吸の仕方、速く走るコツなど、野球だけでなくスポーツをする子どもたち全般にとってめちゃくちゃ良い内容も含まれてたので、すごく残念…。
それはさておき、新庄さんが監督に就任してから発信し続けているメッセージはいろいろと勉強になる。
本人が意図的にやっているとも思えないけれど、とても理にかなっていて、組織開発やチーム作りの参考になることも多い。
ちなみに、彼が監督になって最初に発信したメッセージがこれだ。
たった今北海道日本ハムファイターズの監督に就任する事が決まりました。
— 新庄剛志 (@shinjo_freedom) 2021年10月29日
プロ野球の存在意義は
そこの街に住む人達の暮らしが少しだけ彩られたり、
単調な生活を少しだけ豊かにする事に他なりません
その裏側に誰を笑顔にするのかを常に心に秘めて
新庄剛志らしく突き進んで生きます!
僕ら個人はもちろんだけど、多くの組織や集団はその目的を見失いがちだ。
だから、ピンチになったり不調になったりすると、途端に右往左往して混乱し、ドツボにハマることが多い。
そうならないために大事なのが、事前に「目的」を明確にしておくこと。
「自分は何のためにそれをやるのか?」ということを明確にし、いつもそれを念頭に置いておくことだ。
その意味で、新庄さんはまず、自分がプロ野球に関わることの最大の目的を「地域住民の暮らしを彩り、豊かにすること」と掲げた。
これは彼の決意であり、公約であり、日ハムに所属する現役選手たちに示した「目的地」だ。
そしてその後の彼は、それに沿って考え、動いていると感じる。
たとえばそれは、こんなシーンにも表れている。
12/5に、日ハムの新入団選手たちの記者会見が行われたんだけど、ある選手がその場で「ファンから愛される選手になりたい」という抱負を語った。
その選手に対して、同席した新庄さんはこんなふうに返している。
「ファンに愛される選手になりたい」じゃなくて、そのためには自分がファンを愛すことが一番大事なんで、その辺は頭に入れてお願いします。
当初の「目的」からブレていないからこそ出てくる言葉だと思う。
そして、この発言の背景が、彼のツイートに垣間見える。
夢を掴む為にはまず周りに発信すること
— 新庄剛志 (@shinjo_freedom) 2021年12月3日
人を笑顔にしたいなら自分が笑顔でいること
感謝されるには自分から感謝すること
その場を楽しませるには、まず自分が楽しむこと
失敗しないしない為には
失敗しない準備をしておく
何かをやってもらう方法は
まず自分からやること
見た目はチャラチャラしてテキトーな感じに見えるけれど、しっかりとした芯があってブレてないんだよね。
あと、僕が新庄さんに共感する理由はもう一つある。
それは、これまで何度も「頑張らないことのススメ」を書いてきた僕の考えと近いこと。(笑)
- 頑張らない。頑張る必要なんてない。
- どうして頑張らないほうがいいの?
- 「わかってる人」は頑張れ!なんて言わない。
- 「したいことしかしない」の効用。
- 「頑張ること」が好きな人の観念。
- 楽しみたければ頑張るな。
- 逃げるが勝ち。
- 大谷翔平は、なぜ大谷翔平になれたのか?
僕はこれまで、新庄さんが「頑張る!」とか「頑張って!」とか言ってるのを聞いたことがない。
それで、ちょっと調べてみたら、彼自身こんな発言をしてた。
頑張るって言葉をこの世からなくして欲しい。
人生、頑張ったらダメです。
毎日、頑張るのではなく、楽しんでください!
好きなことに対して挑戦してるんだから頑張ってない。楽しんでる。
好きな事じゃなかったらしなきゃいい。
こんな型破りなカントクが、日本のプロ野球をどんなふうに変えてくれるのか、来年の開幕が本当に楽しみ。
それでは今日はこの辺で!
たのしんじょい!!
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「常識」と「自分軸」。
僕はもう何年も「ほぼ1日1食」の生活を続けてる。
こう言うと驚く人が多いんだけど、慣れてしまえばどうってことなくて、栄養失調になることもなく普通に生きてる。
いや、むしろ1日3食とっていたときよりも健康体で、体調もいい。
体型も随分スリムになった。
で、ときどき思うんだよね。
1日3食とらなきゃいけないって言われてたのは、どういうことだったんだろう? って。
そりゃ、10代・20代の育ち盛りの若者とか、肉体的にハードな仕事をしている人は1日3食でも足りないかもしれないけれど、40歳を超えた事務職の人間がそんなに食べる必要あるんだろうか?って。
強い空腹感を感じるわけでもないのに、朝・昼・晩と、決まった時間に食事をとる。
まるで、工場で飼育されてるブロイラーみたいに。
そして、食べる食事は身体に良いものばかりじゃなくて、特にコンビニ弁当なんかにはかなりの量の食品添加物が入ってるわけだし、使われてる食材には農薬や防腐剤なんかも残留してると思う。
そういう意味では、食事と一緒に「毒(身体に不要なもの)」も摂取してることになる。
1日3食とらなきゃいけないなんて、いったい誰が決めたんだろう?
年齢も性別も違う、身長も体重も違う、消費カロリーも健康状態も違うすべての人間が、一律に3食食べなきゃいけないなんて、ちょっと考えればおかしいということがわかる。
今本当に食べたいの?
どれくらい食べたいの?
何を食べたいの?
どこで食べたいの?
誰と食べたいの?
一つ一つ丁寧に、自分に問いかけて確認してみるのは大事なことなんじゃないかな。
自分の感覚や「自分軸」を取り戻す切り口は、そんなところにも転がってるんだろうと思う。
世間が決めた「当たり前」や、知らぬ間に誰かに押し付けられた「常識」に流されるのではなくて、丁寧に自分と対話しながら生きていきたいなぁって、自戒を込めて改めて思うのでした。
それでは今日はこの辺で!
shivai !!
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「戦争」の責任
普段はほとんどテレビを見ない僕だけど、昨日の夜、NHKスペシャル 新・ドキュメント太平洋戦争「1941 第1回 開戦(前編)」を見た。
この番組は、「もし80年前、太平洋戦争の時代にSNSがあったなら、人々は何をつぶやいたのだろうか?」というナレーションからスタートする。
内容は、当時の日本人が記した膨大な量の言葉(主に日記)をAIで分析し、人々の意識の変化を捉えようとする試みだ。
もちろん、ベースとなるのが日記を記した人たちの言葉なので、当時のすべての日本人の意識がこうだったとは言えないと思う。
ただ、教科書レベルの当たり障りのない知識ではなく、当時の一般的な日本人が何を考え、どんな行動をしていたのか、その輪郭が朧げながらも見えてくる。
日中戦争の泥沼化
▼
日独伊三国軍事同盟
▼
英米との対立深刻化
▼
経済制裁による物資不足
▼
南部仏印進駐
▼
対日石油全面禁輸
▼
日米開戦
この一連の流れの中で、泥沼の日中戦争に端を発した「国への不満」が、次第に「米英に対する敵意」へとすり替わっていく。
そして、「お国のために」という意識が高まる中で行われた真珠湾攻撃の戦果に、多くの国民が歓喜する。
あの戦争に関しては、確かに軍部や政治家、マスコミの責任も大きいけれど、彼らだけではなく、国民もまた彼らと一体となって戦争に突き進んでいったことがよくわかる内容だった。
しかし、これは必ずしも「昔の日本人のお話」で片付けられることではないかもしれない。
今の時代もこれと同じようなことが行われていないだろうか?
新型コロナの蔓延以降、いまだに続く政治やマスコミ、そして国民の狂騒に、僕は同じような構造を感じる。
しかしワクチンについてはもう言うまい。(笑)
ちなみに、番組の後編は今晩、12/5(日)21:00から。
NHKプラスなら放送終了後も無料で1週間見れるよ。
それでは今日はこの辺で!
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骨と肉の営み。
うちの長女はもう中学生なので随分前に「卒業」したけど、二番目と三番目の子は、ほぼ毎晩、一緒に寝ようとせがんでくる。
特に二番目の女の子には、毎晩のように寝ながらマッサージをさせられたり、痒いところをさすらされたりと、いろいろ手がかかる。(笑)
まあ、それが楽しいんだけど。(笑)
この子が時々、目をマッサージしてくれというので、眼球とか目の周りの骨(眼窩っていうのかな?)を軽く圧迫してあげている。
で、それをしばらく続けていると、なんだか不思議な気分になってくるんだよね。
どういうことかというと、目の周りの骨をずっと触っていると、ヒトを形作っている骨や骨格が強く意識されてきて、人間っていうのは結局のところ、骨に肉の塊が張り付いているだけの構造なんだなぁって実感するんだよね。
骨なんて、サイズこそ違えど誰でも同じようなもので、そこに肉(筋肉とか脂肪とか)がつくことで多様性が生まれて、あの人が可愛いとか格好いいとか、太り過ぎだとか痩せ過ぎだとか、運動神経がいいとか悪いとか、力が強いとか弱いとか、いろいろ評価のポイントが生まれる。
さらには、頭蓋骨の中に入ってる肉(脳みそ)の働きによって考え方や性格、行動が変わることでさらに多様になって、その結果が評価される。
で、他者から評価されることによって、経済的に豊かになったりならなかったり、人間関係が充実したりしなかったりする。
そして、僕ら人間が抱える問題の多くは、お金と人間関係に関することだ。
結局、この骨に張り付いた肉(筋肉・脂肪・脳みそなどなど)が、良くも悪くも人間のあらゆる営みのベースになってるんだなぁ。
なーんていう当然のことを、布団の中で娘のマッサージをしながら考えてる。(笑)
ただ、そう考えれば考えるほど、人間の本質はやっぱり魂(スピリッツ)であって、その魂が「肉と骨」に宿ってるだけなんだよなぁ。ってことも感じる。
そして結局、ガンダム理論に行き着くというわけなんだよね。(笑)
てことで、今日もまたとりとめもない話になってしまったけど。
人間がもし骨だけの生物だったらどうなんだろう?
逆に、骨がなくて肉だけの、タコのような生き物だったらどうだろう?
土曜の朝にコーヒーを飲みながら、そんなことをぼんやり考えるのでした。
それでは今日はこの辺で!
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地球と宇宙と、生と死と。
今日は朝から、山梨と和歌山で立て続けに大きな地震があったね。
もしかして?と思って確認してみたら、案の定、明日(12/4)が新月だった。
満月や新月の前後は月の潮汐力が強くなるから、大きな地震が起きやすいということは以前から言われてるんだけど、特に新月の時期は月の引力に太陽の引力も加わるので、その力がさらに強くなる。
ちなみに、明日の新月は、12月4日の午後4時44分。
やたらと4が並ぶ新月だね。
まあ、それはそうと、僕らは普段何気なく日々の生活を送っていて、地球規模、宇宙規模で何かを考える機会はあまり多くないと思う。
だけど、どれだけ目の前の暮らしに追われていたとしても、地球は今この瞬間もものすごいスピードで回転しながら、気の遠くなるほど広大な宇宙空間を漂っているわけだ。
しかも、地球の内部がどうなっているのかすら確実にはわかっていない。
マントルだ何だというのも一つの仮説にすぎないわけで。
そして、この宇宙が生まれる前はどうなっていたのか、いつ、なぜ生まれたのか、そしてどれくらいの広さを持ち、その外側はどうなっているのか?となると、誰にもわからない。
物理的・空間的な意味だけでなく、時間的な意味でも、あるいは次元という意味でも、ここがどこで、そしてこれからどこへ向かっていくのか、根本的な部分は全くわからないわけだ。
そもそも、映画『マトリクス』のように、この世界はすべて幻(バーチャル)だという考え方もあるくらいで。
ある意味、僕らは、前回の記事で書いた『進撃の巨人』の中に出てくる、巨大な壁の内側で暮らす人々と同じ状況だ。
実際のところ、この世界のことは何もわからない。
そんな不思議な世界、不思議な宇宙の中で、僕らは肉体と生命を持って今生きている。
ただ、わからないことばかりの不思議な世界にあって、一つだけ確実なことがある。
それは「死」だ。
どんな人も必ず死ぬ。
僕自身、今日死ぬかもしれない。
死ぬ確率がゼロの日なんて1日もなくて、常に「死」と隣り合わせで生きていてる。
仮に長生きできたとしても、何十年か後には必ず死を迎える。
果てしなく広大な宇宙空間と、想像できないくらい長大な時間軸の中で、ほんの、ほんの、ほんの一瞬だけ僕らに与えられた「生」。
今この瞬間をどう生きるか。
そしてどんな死を迎えたいのか。
偶然にも4(し)が並ぶ新月の日に、死と生について考えてみるのもいいかもしれない。
それでは今日はこの辺で!
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今さらだけど、進撃の巨人。
できるだけ食わず嫌いはしないようにしてるつもりなんだけど、雰囲気やパッケージの印象だけで拒否・拒絶してるものって、結構あるかもしれない。
『進撃の巨人』が一時期世間を騒がせていたのは知っていたんだけど、あの例の、皮膚が剥がれて骨や筋肉がむき出しになった巨人のビジュアルが気持ち悪くて、漫画やアニメを見る気にならなかったんだよね。
それが先日、職場の同僚に勧められてアニメ版を見始めたら止まらなくなってしまって、4日間でシーズン4まで一気に見てしまうくらいハマった。(笑)
家に閉じこもって一人でずーっと観てたから、家族からは大顰蹙を買ったけどね。(笑)
ちなみに、進撃の巨人をご存じない方のためにあらすじを書くと、こんな感じです。
100年前に突如現れた巨人によって人類は滅亡の淵に立たされた。
わずかに生き残った人類は、巨大な三重の城壁を築いて巨人の侵入を防ぎ、壁の内側で暮らすことで、辛うじて生き延びていた。
ところが、ある日、体長50mを超える「超大型巨人」が現れて、人類を守ってきた壁の一つが破壊されてしまう。
壁が壊されたことで大量の巨人が壁の内側に侵入して人々を襲い、人類の生活圏はさらに縮小される。
巨人によって家族を奪われた主人公は、巨人をこの世から駆逐することを誓って兵士となる…
このくらいのあらすじは僕も知っていたんだけど、この物語の魅力はこれだけでは伝わらないかもしれない。
実は、大きな視点で見ると、この「壁」や「巨人」、そして残された人類を統治する「システム」というのはある種の比喩として考えることもできて、現代社会を風刺しているとも言える。
アニメを見ながら、「僕が今生きているこの世界も、巨人はいないのに壁の中で生きてるのと同じだよなー」とか、「自ら作り出した“巨人”に対するスタンスによって世界は分断されたりしてるよなー」とか考えてしまって、ホントに身につまされることが多かった。
ネタバレしないように書いてるから、ちょっと何言ってるかわからないかもしれないけど、まだ観たことない(読んだことない)方には、ぜひ一度観てほしいなぁ。
ちょうど、来年1月からアニメ版の最終章の放送が始まるようだし。
てことで、なんだかよくわからない記事になっちゃったけど、最後に、登場人物のセリフで特に印象に残ってるものを2つメモしておきます。
誰の発言か書くとネタバレになるので、発言者は伏せておきます。
何も捨てることができない人には、何も変えることはできないだろう。
(第27話より)
俺はここに来て毎日思う。
何でこんなことになったんだろう、って。心も身体も蝕まれ、徹底的に自由を奪われ、自分自身も失う。
こんなことになるなんて知っていれば、誰も戦場なんかへ行かないだろう。でも、みんな何かに背中を押されて地獄に足を突っ込むんだ。
大抵その何かは自分の意思じゃない。
他人や環境に強制されて、仕方なくだ。ただし、自分で自分の背中を押したやつの見る地獄は別だ。
その地獄の先にある何かを見ている。
それは希望かもしれないし、更なる地獄かもしれない。それは進み続けた者にしか、わからない。
(第62話より)
俺が見てきた奴ら、みんなそうだった。
酒だったり、女だったり、神様だったりもする。
一族、王様、夢、子供、力。みんな何かに酔っ払ってねぇとやってらんなかったんだな。
みんな何かの奴隷だった。あいつでさえも。
(第69話より)
それでは今日はこの辺で!
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オススメ。好きな映画10選!
はてなブログ10周年特別お題「好きな◯◯10選」
はてなブログ10周年イベントの一環でお題が出てるので、今回は僕の好きな映画について書いてみようと思う。
それほど映画に詳しいわけじゃないけど、子どもの頃からよく観てたほうだと思うので、パッと思いついた映画トップ10、行きまーす!
第10位 リメンバー・ミー
ディズニーとかピクサーのこの手のアニメって敬遠しがちなんだけど、数年前にたまたまAmazonプライムで観て心を揺さぶられた。
良くも悪くも完璧すぎるストーリー展開と、映像の美しさが印象に残ってる。
現実世界と死者の国とが交錯するスピリチュアルな内容で、僕が考えてる死生観や宇宙観に似たところもあって共感できるところが多かった。
子どもに見せたい、子どもと一緒に観たい映画だね。
第9位 天空の城ラピュタ
アニメが続いちゃったけど、子どもと一緒に観たい映画ということで思い出したのが、やっぱりこれ。
小学生の頃に初めて観て感動して、しばらくはCD(じゃなくてレコード 笑)とかグッズとかいろいろ買い集めるほどハマってた。
それまで、宮崎駿の作品は『未来少年コナン』しか観たことがなかったんだけど、ラピュタにハマってからは、漫画版の『風の谷のナウシカ』とか『シュナの旅』とかマイナーな作品も読み漁るようになった。
宮崎駿の映画はほかにも好きなのがあるけど、晩年の作品はメッセージ性の強いものが多いので、純粋に楽しめる冒険活劇という意味ではラピュタが一番かな。
第8位 ライオン ~25年目のただいま~
これも数年前にAmazonプライムで観て、とても良かった。
インドが舞台。幼いころに迷子になって家族と生き別れた主人公が、大人になってから家族を探すという、実話。
主人公・サルーの幼年期がとっても可愛らしくて、それだけに切なさが募る…。
噓のようなホントの話というのがいいよね。
第7位 ユージュアル・サスペクツ
これは、大学生の頃に見て、完全にヤラレたサスペンス映画。
1回観たら、ほぼ間違いなくもう一度観たくなるヤバいやつです。(笑)
ストーリーというか、事件自体はそんなに変わったものではないと思うんだけど、作り込み方がすごくうまいし、全体的な雰囲気も独特で、印象に残る。
ケヴィン・スペイシーの演技が秀逸なんだよね。
観たことない人は、事前に何の情報も入れずに観ると、楽しめると思うよ。
第6位 ダンス・ウィズ・ウルブズ
高校生のときに映画館で観て、僕がネイティブアメリカンに強い関心を持つきっかけになった作品。
南北戦争時代のアメリカを舞台に、軍人とネイティブアメリカンとの交流を描く人間ドラマで、映画全体に漂う空気感がとてもいい。
この映画を観てからケビン・コスナーが大好きになって、『パーフェクト・ワールド』とか『アンタッチャブル』とか『さよならゲーム』とか『フィールド・オブ・ドリームズ』とかも、何度も観たなぁ。
第5位 レオン
今でもときどき見たくなる映画『レオン』。
冷酷な殺し屋だけど普段は間抜けな中年男という主人公をジャン・レノが見事に演じていて、これに、孤独な少女・マチルダを演じるナタリー・ポートマンのキュートさがたまらなくマッチしている。
この二人の演技が、悲惨な物語を悲惨なまま終わらせず、映画全体に厚みを持たせてるんだよね。
あと、悪役のゲイリー・オールドマンのクレイジーな演技もお見事と言うしかない。
しかも、スティングが歌う主題歌「シェイプ・オブ・マイ・ハート」がまたいいんだわ、コレ。
映画として完璧だと思う。
第4位 グラン・ブルー
ジャン・レノで思い出したので、第4位は『グラン・ブルー』。
地中海を舞台に、実在した伝説のダイバーを描いた物語で、この映画でもジャン・レノがめちゃくちゃいい味を出してる。
映画全体を通して流れる、穏やかで寂し気な雰囲気がとてもいい。
僕の場合は、観ると必ず海に行きたくなって、そしてパスタを食べたくなる映画です。(笑)
第3位 紅の豚
ここに来てまさかの『紅の豚』は、完全に僕の趣味です。(笑)
僕の人生のテーマであり、一番大事にしている価値観は「自由であること」。
それを象徴するのが、この映画の主人公、ポルコ・ロッソなんだよね。
どうでもいいことだけど、僕のはてなブログのID(rossoporco)はここから来ています。
この映画は、子ども向けのアニメをつくり続けた宮崎駿が、唯一 “中年男性” のためにつくった映画なんだけど、その意図のとおり、うちの子どもたちからの評判は芳しくないです。(笑)
第2位 セント・オブ・ウーマン
高校生のときに映画館で観て、アル・パチーノの演技力に驚愕した映画。
ジャンルとしては、青春ドラマかな? 人生ドラマかな?
それまでは、アル・パチーノを見ても “アメリカの高田純次” ぐらいにしか思ってなかったんだけど、この映画を観てからは尊敬の眼差しで見るようになった。(笑)
あ。でも、僕は高田純次も尊敬してるんだけどね。(笑)
それはさておき、この『セント・オブ・ウーマン』は、高校の時からずっと僕の人生の指針になってくれた映画なんだよね。
どう生きるか? 何を選択するか? 20代までの僕の生き方に大きな影響を与えた映画です。
物語終盤の、講堂での演説シーンは本当にしびれるよ。
あと、盲目のアル・パチーノが美女とタンゴを踊る場面も素晴らしくて、そのシーンで流れる「ポル・ウナ・カベーサ」は僕の大好きな曲になった。
ちなみに、アル・パチーノが下品すぎるので、子どもと一緒に観る映画じゃないです。(笑)
第1位 ショーシャンクの空に
これはもう、泣く子も黙る名作中の名作だよね。
無実の罪で刑務所に入れられた主人公と囚人仲間たちとの心の交流を描いた物語で、大学時代に初めて観たときは、驚きの結末に心が躍った。
伏線をすべて回収して、しかも主人公たちの未来まで想像させてくれる重厚なストーリー展開がたまらなく気持ちいい。
モーガン・フリーマンの演技も渋くて最高だし、結末がわかってるのに何度も観たくなる映画です。
てことで、僕の大好きな映画10選、第1位は『ショーシャンクの空に』でした!
今回ピックアップしたのは有名な映画ばかりなので知ってる人も多いと思うけど、もしまだ観たことのない作品があったら、ぜひ一度観てみてね。
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幸せの生産者
何かいいことが起きると、楽しくなる、嬉しくなる、心地良くなる、ご機嫌になる、幸せになる。
それはもちろんそうだろうと思う。
面白いコメディーを見て楽しくなる。
欲しいものを手に入れて嬉しくなる。
マッサージを受けて心地良くなる。
人から褒められてご機嫌になる。
美味しいものを食べて幸せを感じる。
でも、逆に言うと、
面白いコメディーを見ないと楽しくない。
欲しいものが手に入らなければ嬉しくない。
マッサージをしないと心地良くない。
人から褒められないとご機嫌になれない。
美味しいものを食べないと幸せじゃない。
自分の「外側」で起きることによって、自分自身の楽しさ、嬉しさ、心地よさ、機嫌、幸せ、が左右されるということは、「外側」で起きる出来事に依存し、それに振り回されるということだ。
それは、いわば「幸せの消費者」とでも言うべき状態かもしれない。
自分ではない誰かがつくったものや、誰かが与えてくれたものを消費することで瞬間的な「幸せ」を感じるという意味では。
だけど、もしそれを作ってくれる人がいなくなったら、それを与えてくれる人がいなくなったら、幸せを感じることができなくなってしまうんじゃないだろうか?
これはおそらく食糧の自給率と同じようなことだと思う。
どんな社会情勢であっても、どんな生活環境、どんな家庭環境であっても、安定的に幸せでいるためには、「幸せの自給率」を高めることが必要なんだろうと思う。
自分の「外側」で何かいいことが起きなくても、楽しくなれる、嬉しくなれる、心地よくなれる、ご機嫌になれる、幸せになれること。
つまり、自分自身の「内側」で幸せな状態を作り出すことが大事なんだと思う。
何もなくても楽しい、何もなくても嬉しい、何もなくても心地よい、何もなくてもご機嫌。そんな状態。
そんなの意味がわからない!って思う人もいるかもしれないけれど、一度できるようになればそんなに難しいことじゃないんだよね。
まずは、「自分のご機嫌は自分でとる」ことから始めてみよう。
外側でいいことが起きるから自分が幸せになる、というふうに考えていた人も、自分の「内側」が幸せになると「外側」で幸せなことが起きるという、今までとは全く逆のループが生まれることに気付くと思うよ。
本当の「幸せ」を手に入れたいのであれば、「幸せの消費者」ではなく、「幸せの生産者」になる必要があると思うんだ僕は。
それでは今日はこの辺で!
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未来にボールを投げる。(時間って何?)
あまりに身近すぎるので、深く考えずにスルーしてしまっていることは多い。
たとえば水とか空気とか、電気とか、時間とか。
ちなみに、水や空気や電気については科学的に存在を証明することができるし、その構成要素なんかもわかっている。
だけど時間については、よくわかっていないんだよね。
時間のことはいまだに科学的に解明されていなくて、そもそも物理学者の中には「時間なんて存在しない」と言っている人もいる。
僕の大好きな宇宙人・バシャールも、「時間は存在しない」と言っているしね。(笑)
でもまあ、そうは言っても、僕たちは毎日「時間」の中で過ごしている。
明日の予定を立てたり、お店を予約をしたり、将来を夢見たりするのは、「時間」があることを前提にしているからだ。
仮に何もしなかったとしても、時計の針は淡々と進み、そのうち人は老いて死んでいく。
だから「時間」は存在するんだろうと、人間は感覚的に感じている。
でも、21世紀の今でも科学的には全く解明されていない。
不思議だよね。
ちなみに僕らは、時間というのは過去から未来へと一方向に進んでいると考えがちだけど、物理学的には(計算上は)逆方向への流れもあるらしい。
というか、時間というのはそもそも得体の知れないものなので、どちらからどちらへという流れが決まっているわけではなくて、ただ多くの人が、なんとなく「時間は過去から未来へ向かって流れているっぽい」と感じているだけなんだよね。
あなたはどんなふうに考えるだろうか。
時間は過去から未来へ向かって流れていると思う? それとも、未来から過去へ向かって流れていると思う?
時間が過去から未来へ流れているというイメージは、川の上流から下流に向かって小舟に乗って流されているような感じかもしれない。
上流(過去)→→ 小舟に乗った自分(現在)→→ 下流(未来)
このとき自分の視線は下流の方を向いていて、水の流れとともに自分自身が川下へ流されていくので、周囲の景色は次々に移り変わるけど、どこにたどり着くのか、どんな景色を見るかというのを自分でコントロールするのは難しい。
極端に言えば、川の流れに任せて生きている状態だ。
一方、「時間」が未来から過去に向かって流れているとすると、川の真ん中に立って上流のほうを向いている状態で、上流からどんどん川の水が流れてくるイメージだと思う。
上流(未来)→→ 川の中に立つ自分(現在)→→ 下流(過去)
この場合、視線は上流を向いていて、自分の立っている場所はずっと同じだけど、流れてくる川の水とか漂流物が次々にやってきては後方(川下)に流れ去っていく感じだね。
ちなみに僕自身は、時間の流れは後者だと思ってる。
つまり、上流(未来)から流れてきた時間は、上流を向いて立っている僕のそば(現在)を通過して、下流(過去)へ流れていくと考えてる。
ただ、このイメージだと、川の真ん中に立っている自分のポジションは変わらないから、ずっと同じ景色で、一見面白くないように思われるかもしれない。
でも、実はそうじゃない。
この辺のことについては、ブロガーのテンジロウさんが詳しく書いてくださってるので、ぜひ読んでみてほしい。
「未来」というのは文字どおり「未だ来ていない時間」なわけで、逆に言えばこれからやってくるものだということ。
だから、上流である未来に向かって何かを投げれば、それは川の流れに乗っていずれ自分のところに返ってくる。
テンジロウさんはこのことを、「未来に向かってボールを投げる」とおっしゃっている。
いや、これは実に言い得て妙。
本当にそうだなぁと思う。
そして、この考え方でいくと腑に落ちることがある。
例えば、僕らは何かを手に入れようとするとき、今この瞬間の現実を変えようとするよね。
でも、今ここの現実を変えることで自分が望むものを手に入れるのは簡単じゃない。
それがなぜかというと、時間というのが実際は未来から過去に向かって流れているからじゃないかと思うんだ。
「今」は次の瞬間には「過去」になり、あっという間に後方に流れ去る。
つまり、時間が上流(未来)から下流(過去)に向かって流れているとすると、今ここ(現在)を変えたとしても、それはすぐに下流(過去)に流れ去ってしまうんだよね。
だから、仮に今ここの現実(現在)を変えることができたとしても、変えたものを自分で受け取ることができないってわけ。
だとしたら、現実を変えたい(欲しいものを手に入れたい)のであれば、まずは未来に向かってその種となる「ボール」を投げればいい。
そうすれば、そのボールはそのうち川の水(時間)に乗って僕の手元に流れてくる。
たとえば、「1年後にこんなふうになっていたい!」とイメージした(種を入れた)ボールを、上流に向かってポーンと投げるとするね。
で、その種入りのボールは1年先の未来にチャポーンと着水する。
そうすると、どんぶらこ~どんぶらこ~っていう感じで、そのボールは1年かけて僕の手元に向かって流れてくる。
その間に、種は芽を出し、葉を茂らせ、花を咲かせ、実をつける。
そして1年後に、僕は流れてきたそのボールを拾い上げて、花を愛でたり実を食べたりすることができるというわけ。
もしかしたら、そのボールに入れた種は途中で魚に食べられてしまうかもしれないし、害虫に葉や花を食べられるかもしれないし、鳥たちが実を持ち去ってしまうかもしれない。
でも逆に、想像以上に大輪の花を咲かせたり、たくさんの果実を実らせた状態で流れてくるかもしれない。
いずれにしても、僕が未来に向かって投げた「種入りのボール」は、何らかの形で僕の手元に返ってくる。
これは、時間が未来から過去に向かって流れていると考えるからこそできる技だ。
こんなふうに、「時間」が流れる方向についてのイメージを変えるだけで僕らの生き方はかなり変わってくると思う。
どうせ「時間」なんてよくわからないものなんだから、それだったら自分の都合のいいように解釈してしまえばいいんじゃないかな。
時間は未来から過去へ向かって流れていると考えちゃおう。
そして、未来に向かってどんどん「種入りのボール」を投げよう。
投げる量も、どこに投げるかも、どんな種を入れるかも自由。
上流に向かって、好きなだけ投げればいい。
そして、あとは楽しみに待っていればいい。
未来に向かって投げた「種入りのボール」は、そのうち形を変えて手元に流れてくるから、あとはそれを拾い上げるだけだ。
いやぁ、考えただけでワクワクするよね~。
ってことで、しつこいようだけど(笑)テンジロウさんのブログ、ぜひ読んでみてね!
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「波動使い」になろう!
僕がスピリチュアルについて本格的に学び始めたのは10年以上前だけど、その知恵を実生活の中で活かすようになったのはここ2〜3年のことだ。
そして、その中でも最も意識しているのは、自分の波動(周波数)を整えること。
スピリチュアルに詳しい方なら誰でもご存知だと思うけど、パラレルワールドを移行するのも、欲しいものを引き寄せる(受け取る)のも、すべては波動次第。
つまり、自分の人生をより良いものにするための一番の土台となるのが、波動だ。
で、波動を整えるためにまず必要なのが、その瞬間瞬間の心の状態(感情、気分、感覚、フィーリング)を内観すること。
内観してみて、もし乱れていたら、自分自身と対話することでその原因を特定して対処し、波動をもとに戻す(軽い状態、心地よい状態に戻す)ことに注力する。
これができるようになると、自分の外側で何か嫌なことが起きても、動じることが少なくなるんだよね。
もちろん、僕自身、完全にマスターするには至っていないので、瞬間的にイラッとしたり恐怖を感じたりして、心を動かされてしまうことも少なくない。
ただ、波動のコントロールを最優先するようになってからは、怒りの感情や恐怖感が長く続くことはなくなった。
自分の外側でどんなことが起きたとしても、その出来事にはもともと何の意味もない。
外側の出来事に意味を与えてるのは自分自身だ。
だとしたら、もし何らかの出来事によって感情がネガティブに偏っている(波動が乱れている)場合、その原因は自分自身にある。
だから、内観して心を整えれば、外側の出来事の意味合いは変わる。
つまり、「現実」が変わる。
そして、「現実」が変われば、当然、望まないほうに感情を持っていかれることはなくなる。
とにもかくにも、自分自身の心地よさをキープし続けることだ。
言葉で伝えるのはなかなか難しいけれど、より良い人生、幸せな人生を送りたいのであれば、それが一番大事なことだと僕は思う。
魔法使いになるのは難しそうだけど、「波動使い」なら誰でもなれるしね。
いや。波動をコントロールすれば魔法のようなことが起きるから、結局「波動使い」は魔法使いってことかもしれない。
まあ、どっちでもいいけど。(笑)
てことで、みんな「波動使い」になろう!
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