旅と人生とスピリチュアル ②
今回の記事は、前回の「旅と人生とスピリチュアル① 」からの続きです。
学生時代に初めて行ったトルコへの旅で、さんざん騙されて嫌になり、トルコから逃げ出してエジプトに行くことにした、というのが前回までの話。
で、僕はギリシャ経由でカイロに入ったものの、エジプトで何をするのかは全く決めてなかった。
とにかく、トルコから逃げることだけが目的だったから。(笑)
カイロに着いてまず驚いたのが、「なにこれ!数字が読めなーい!」っていうことだった。
エジプトは今でも古代アラビア数字(?)を使っているので、僕らが普段使ってる数字とは表記の仕方が全然違うんだよね。
かろうじて「1」と「9」がわかるくらい。
それ以外はまったく違う表記だから、時刻表も読めないし、モノを買うにも食事をするにも値段がわからない。
とにかくそれが一番困った。
そしてもう一つ衝撃だったのは、エジプトにはピラミッドがあるということ!
「いやいや何を言ってるんだよ。エジプトといえばピラミッドでしょ!」っていう声が聞こえてきそうだけど。(笑)
でも、そのときの僕は、トルコから逃げ出したい一心でエジプトに行ったので、エジプトにピラミッドがあるということをすっかり忘れてたんだよね。
なので、初日に泊まったホテルのロビーで椅子に座ってボーっとしてたら、2人連れの日本人旅行者が近づいてきて、「ピラミッドにはもう行かれました? もしよかったらタクシーをシェアして一緒に行きませんか?」って声をかけられて初めて、「そうか!ここはピラミッドの国だ!」って気づいたの。(笑)
結局その日は彼らと一緒にカイロ近郊にあるクフ王のピラミッドに行ったんだけど、まさか今回のトルコ旅行でピラミッドを観れるなんて想像もしていなかったから、本当に嬉しかったし楽しかった。
とはいえ、僕はトルコの旅で精神的に相当参っていたので、残りの時間は静かな場所でのんびりしたいとも思ってた。
それで、その日本人旅行者に尋ねたら、「それならオアシスに行ったらいいんじゃないですか?」って勧められた。
なるほど。エジプトにはオアシスもあるのか。
オアシスと言われても、砂漠の中にポツンと浮かぶ湖の周りに椰子の木が生えてるようなイメージしかなかったけど、そんな場所もいいかもなと思った。
ただ、僕はもともと古代遺跡が好きだったので、それから数日は、ひとりで王家の谷に行ったり、カイロ近郊の遺跡を回ったり、カイロ博物館を見学したりした。
(ちなみに、王家の谷で日本人観光客が銃撃されたルクソール事件は、僕が帰国して半年ちょっと経ってからのこと)
でも、結局その後、カイロから600キロ近く離れた、リビア国境近くのシーワというオアシスにバスで移動して、そこに1週間近く滞在した。
シーワでは本当にのんびり過ごせて、まさにオアシスっていう感じだったなぁ。
とにかく、カイロに行くと決めてからはシンクロニシティの連続で、毎日がとても楽しかった。
トルコだけだったら最悪な旅で終わっていたと思うけど、エジプトに行けたことですごくいい思い出になった。
リビア国境近くの砂漠で(タイマー撮影)
・・・あれ?
ところで僕は何を書くつもりだったんだっけ?
・・・そうだ! 僕は旅行記が書きたいわけではなかった。(笑)
昨日、部屋の片づけをしているときにこの旅の写真を見つけて、旅って人生と同じかもなぁって思ったんだよね。
それがどういうことかというと、こういうこと。
僕は、ホームグラウンドである日本を飛び出して、トルコという非日常の世界に行ったわけだけど、旅を続けているうちに、非日常であるはずの旅が日常になってしまった。
そして、その旅の中でいろいろと嫌な目に遭って、「もうこんな毎日は嫌だ」とまで思うようになった。
で、本当はまだ帰国の時期ではないのに、「日本に帰りたい!」と思い始めて、帰国寸前まで行ったんだよね。
ただ僕の場合は、そのとき運良くカイロ行きの格安航空券を見つけて、最後まで旅を楽しむことができた。
思いがけずエジプトに行ってピラミッドを見ることができて、今となってはもう入ることができないピラミッド内部にも入って、「王の間」も見学することができた。
おしゃれなアテネの街を散策することもできたし、何より、砂漠の真ん中のオアシスにのんびり滞在して旅の疲れを癒すこともできた。
これって、僕がいつも書いているスピリチュアル的に言うと、本来「魂」の存在である僕らが、地球上に遊びに来ているという構図と全く同じだと思ったんだよね。
僕が旅行していたときの日本の位置付けが「魂の世界」で、トルコやギリシャ、エジプトを「地球上での暮らし」に置き換えると、そのまんま。
僕らはもともと自分のホームグラウンドである「魂の世界」の住人なんだけど、物理次元での非日常体験を楽しむために地球にやってきて、人間としてこの身体の中に入り込み、日々の生活を送っている。
そのことは以前にも書いた。
でも、地球上での生活が長くなるにつれて、“非日常” だったはずの地球での暮らしはいつの間にか “日常” になってしまい、苦しいことや辛いこともたくさん出てきて、時には「もう死にたい」と思ったりすることもある。
で、この「もう死にたい」っていうのは、トルコにいた僕が「日本に帰りたい」と思ったのと同じことなんだよね。
旅がしたくて海外に飛び出したのに、いつの間にか旅を旅として楽しめなくなってしまって、もうこんな旅はやめて帰りたい…というのは、「死」を選んで魂の状態に戻りたい…と思うのと同じこと。
でも、そのとき自分は地球に遊びに来てるんだっていうことを思い出すことができれば、僕がエジプトに行って旅の続きを楽しむことができたように、残りの人生を楽しむことができると思うんだよね。
成田行きの片道切符を買う(=自ら死を選ぶ)というのも手段としてはあり得るし、トルコ国内でひとり悶々としながら時間を潰して帰国日を待つ(=毎日を無為に過ごす)という選択肢もある。
だけど、そこでちょっと視点を変えて、もう少し違う選択肢もあるんじゃないか?と思えたら、「カイロ行きの切符」に気づくことができるかもしれない。
そしてさらに、思い切って「カイロ」に行くと決意できれば、あとはシンクロニシティに従って進むだけで、思いもよらない楽しい出来事がたくさん待ってるかもしれない。
だから、もし、あなたが辛い思いを抱えながら毎日を過ごしているのであれば、今のこの人生は地球に遊びに来てるだけなんだということを思い出すところから初めてみてはどうだろうか。
そこに気づいて、「よし、残りの人生はとにかく楽しむぞ!」って決意したら、きっと、あとはシンクロニシティが自分を導いてくれる。
人生なんて単なる「地球旅行」にすぎないんだから、もっと自由に楽しめばいいと僕は思う。
イスタンブールの街角で(通行人に撮ってもらった)
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旅と人生とスピリチュアル ①
昨日、部屋の片づけをしていたら、学生時代の写真が出てきた。
もう20年以上前のことになるけど、当時、僕はアルバイトでお金を貯めてはバックパックを背負って海外に行くということをしていた。
初めて行ったのはトルコ。
高校生のときに沢木耕太郎氏の『深夜特急』を読んで海外に魅せられ、特にトルコのエキゾチックな雰囲気を肌で感じてみたいと思っていたので、真っ先にトルコを選んだんだよね。
で、トルコまでの往復航空券を買った。
格安航空券だったから、帰りの便は1カ月後のフィックスで、予定変更不可。
1カ月かけてのんびりトルコ各地を回ろうと考えていたので、細かいスケジュールは何も決めず、当然ホテルの予約もせずに。
トランジットでいろんな都市を経由して、トルコに着くまで20時間くらいかかった。
イスタンブールに入ったときの持ち物は、現金、キャッシュカード、着替えの服、カメラ、日記用のノートとボールペン、あとはガイドブック『地球の歩き方(トルコ編)』くらいだったと思う。
沢木さんの『深夜特急』の旅に憧れていたので、行ってみれば何とかなるだろう、くらいの軽い気持ちだった。
だけど、当然ながら本で読むのと実際に行ってみるのでは大違いだったんだよね。(笑)
トルコは日露戦争以来の親日国だから、日本人には優しくて旅行しやすい国だと聞いていたんだけど、実際は全然違ってて。
近づいてくるのは、若い日本人観光客から金を巻き上げようと考えてる人たちばかりで、何度も何度も騙されて、1週間経ったころには僕はもう精神的にヘトヘトになっていた。
せっかくバイトで貯めたお金も、かなり減ってしまっていた。
ホテルの鏡で見た自分の顔がめちゃくちゃ険しくて、急激に老けたように感じたのを覚えている。(笑)
それでも、せっかくトルコに来たんだから、あと3週間、できるだけ楽しもうとは思うんだけど、湧き上がってくるのは「早く日本に帰りたい…」という気持ちばかり。
でも、航空券はフィックスなので、帰国日は変更できない。
フィックスの航空券なんてもう二度と買わんぞ!って、あのとき心に誓った。(笑)
とはいえ、もうこれ以上トルコにいても気持ちが荒んでいくだけなので、もったいないけど成田までの片道航空券を買って日本に帰ろう…と思っていた。
それが、おそらく現地で2週間くらい過ごした頃だったと思う。
で、地方都市を回っていたのを切り上げて、イスタンブールに戻ってきた。
そしてイスタンブールの街をぶらぶら歩いていたら、ふと1軒の小さな旅行会社が目に入った。
あ。ここで成田行きの航空券が買えるかも?と思って近づいてみると、店頭に世界各都市行きの航空券の価格がベタベタと張り出されてた。
でも、最初に僕の目に留まったのは成田行きの便ではなくて、「イスタンブール ⇔ カイロ 300ドル」という文字だった。
えっ? カイロまで300ドルで往復できるの?
カイロって、あのエジプトのカイロだよね?
ホントに??
それまで東京に帰ることしか考えていなかった僕に、新しい選択肢が出現した。
そして、「東京行きのチケットを買って日本に帰るくらいなら、エジプトに行こう!」って、瞬間的に思った。
「僕は日本に帰りたいわけじゃなくて、トルコから逃げ出したいだけだ」っていうことに気づいたんだよね。
それで、慌てて店内に駆け込むと、ほとんど何も考えずに300ドルでカイロ行きのチケットを買った。
ちなみにそのチケットは直行便ではなくて、イスタンブールからアテネ経由でカイロに行くというルートだったんだけど、それがまた僕にとっては嬉しかった。
トランジットで1~2日、アテネ市内を散策する時間があったので。
ギリシャはトルコに比べると先進国に近くて、観光客をあからさまに狙ってくる人たちもいなかったので、僕はトルコにいたときとは全く違って、リラックスした気分でアテネの街を歩くことができた。
ただ、そのときはたまたまストライキか何かでパルテノン神殿が閉鎖されていたのが残念だったけど。
長くなったので次回に続きます。
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月星座って何?
何カ月か前に、「月星座」っていう言葉を聞いて、何のことなんだろうなぁと思いつつ放置してたんだけど、今日、ふと思い立って調べてみた。
というか、普段の会話の中で「私は〇〇座生まれです」とか何も考えずに会話してるけど、自分の星座っていうのがそもそも何を意味するのか実はよくわかってなかったことに気づいた。
40歳を過ぎてるのに、今さらだけど。(笑)
ちなみに僕は7月生まれで蟹座なんだけど、これは、僕が生まれた日時の天体の配置によって決まるものなんだね。
こういうサイトで自分の生年月日と出生時間、あと出生場所を入力すると、自分が生まれた瞬間の星の配置(ホロスコープ)がわかる。
で、僕らが通常「◯◯座生まれでーす」とか言ってるのは、生まれた瞬間にその出生場所から見て太陽がどの位置(どの星座の方向)にあるかによって決まるらしい。
つまり、生まれた瞬間の太陽の位置によって表されるのが太陽星座と言われるもので、僕の場合はこれが蟹座。
一方で、生まれた瞬間の月の位置によって決まるのが月星座というものらしい。
で、僕の場合、これは牡牛座っていうことだった。
太陽の動きはゆっくりだから、誕生日が近い人同士は同じ太陽星座になるけど、月の動きは早いから、出生時間が数時間違うだけで月星座が異なることは十分にあり得る。
正直、最近まで西洋占星術とか星座占いとかにはあまり関心がなかったんだけど、一応子供のころから自分が蟹座生まれだということは知ってて、ずっと「僕は蟹座だー」と思って40年以上生きてきた。
だから、今日になって突然「月星座は牡牛座です」なんて言われると、なんだか不思議な気分になっちゃう。
全然なじみがない星座だし。(笑)
ところで、そもそも太陽星座と月星座って何が違うんだろう?
それは、太陽星座が他者との接し方とか社会とのかかわり方といった自分自身の表面的な傾向を表すのに対して、月星座は自分自身の内面や心の奥底にあるものを表しているらしいのね。占星術的には。
ちなみに、僕はさっきこのサイトで月星座を調べて自分が牡牛座だということを知ったんだけど、驚いたのが、このサイトに書かれてた内容なんだよね。
牡牛座のテーマは「五感で世界を味わう」こと。
この牡牛座を月星座に持つ人は、自分の身体で実際に感じることができるものを求める気持ちを秘めています。
スマホを見ながら、「うおーっ!」って思わず声が出ちゃったよ。(笑)
実は、僕は以前にこのブログで、自分の人生の目的について書いた。
母の死をきっかけにしてスピリチュアルに関心を持ち、そこから宇宙人バシャールに出会って、自分の人生が大きく変わったということを書いた。
で、5年くらい前に、僕の人生の目的を「この地球に生まれた喜びを五感で味わい尽くす」ということに決めたんだよね。
そして、今日初めて知った月星座で、牡牛座のテーマが「五感で世界を味わうこと」だなんて…。
いやいやいやいや、鳥肌が立っちゃったよ。(笑)
最近はシンクロニシティを重視してるってことも以前書いたけど、今回のこのシンクロにも驚いたなぁ。
占星術云々は別にして、「今自分が歩んでる道は間違ってないよ~」っていうハイヤーセルフからのメッセージなんだろうなぁ。
このブログを読んでくださる方はスピリチュアルに関心のある方も多いと思うから、「月星座なんて当然知ってます!」という方もいらっしゃると思うけど、もし知らない方がいたら、調べてみると面白いかも。
「月星座」は一般的な星占いでおなじみの「星座」、つまり「太陽星座」とは別のものです。
月星座が表すのは、その人が「内側」に本来持って生まれたもの。例えば、社会の中で自分を積極的に表現しようとする時には姿を隠しているけれど、本当はあなの心の奥底にある欲求。
努力して身につけなくても、本来あなたの中に備わっている能力や魅力。
そしてあなた自身も気付いていないかもしれない、秘めた可能性…。月星座はこういったものを教えてくれます。
自分の性格や才能、さらに短所や欠点だと思っているものも、 牡牛座という月星座の性質に影響されているかもしれません。その性質、力がどんなものなのかを客観的に理解すれば、 あなたの魅力をもっと豊かに花開かせ、陥りがちなトラブルにうまく対処できるようになるはず。
もしかしたら、人生のヒントになるようなメッセージがもらえるかもしれないよ。
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ガンダム理論 ~究極のスピリチュアル~
Mrsiraphol - jp.freepik.com によって作成された technology 写真
前回の記事では、僕たち人間の本質は「魂」なんだけど、今はその一部が一時的に地球にやってきて、地球上での体験を楽しんでいるんだということを書いた。
でも、かなり抽象的でイメージしづらい話だと思うので、今回は僕が考えた “ガンダム理論” で別の角度から説明するよ。
今回もかなりぶっ飛んだ内容だからね~。(笑)
さて。
僕らは通常、自分の身体は自分のものだと思ってるよね。
手、足、胴体、目、鼻、口、耳、爪、脳みそ、内蔵、骨、髪の毛・・・全部自分のものだと思ってる。
(当たりまえだろっ!っていう声が聞こえてきそうで怖い…。笑)
でも、僕の “ガンダム理論” では、これを全部 借り物だと考えるの。
この身体は自分のものではなくて、一時的にお借りしているものと考える。
機動戦士ガンダムに例えると、僕のこの身体が「ガンダム」で、僕の本質である魂が「アムロ」という状態。
あ。ガンダムのことを知らない人のために簡単に説明すると、「ガンダム」というのはモビルスーツという巨大なロボットで、「アムロ」という少年がそのロボットのコックピットに入って操縦し、敵と戦う話だよ。
アムロという操縦者がいなければガンダムはその力を発揮できないし、ガンダムがなければアムロはほぼ無力だ。
もちろんアムロはガンダム以外のモビルスーツに乗ってもいいんだけど、自分でガンダムを選択して、それにに乗り込み、そして操縦しているわけだ。
で、これは魂レベルから見た僕ら人間と全く同じ構造なんだよね。
僕は、今回の地球上での人生において、この身体(=ボディ)を自ら選択して、そこに「魂」として入ってきたというわけ。
僕の場合は、わざわざ、身長は低めで足が短く、髪の毛は薄くて、ルックスは普通、肌は黄色、おなかが弱くて疲れやすい、筋肉質だけど運動神経はそこそこという、ちょっと残念な感じのボディを選んじゃったわけだけど。(笑)
ガンダムで言えば「ザク」を選んでしまったことになるかもしれないね。
でも、「ザク」で強敵を倒せたら気持ちいいよね。
本当はもっと背が高くてイケメンなボディを選んでも良かったんだけど、それだと人生楽勝すぎてつまらないし。(笑)
まあ、それはさておき、ここで重要なのは、その乗り込むためのボディを選んだのは、あくまでも魂の時点での僕自身ということだよ。
僕が自分の意思でこのボディを選び、魂として入り込んで操縦席に座った。
そして操縦者である僕は、この取り扱いが難しいボディを試行錯誤しながら操縦してる、というのがこの人生なんだよね。
ちなみに、誤解を恐れずに言えば、“五体不満足” の乙武さんなんかは、乗りこなすのがめちゃくちゃハードなボディを選んじゃったということになる。
つまり、この “ガンダム理論” で僕が言いたいのは、「魂」としての本来の自分と、物理的な身体を切り離して考えると面白いよっていうことだ。
この2つを別々のものとして考えると、もしボディが壊れて使えなくなってしまったとしても、そのとき「アムロ」である僕はいったんボディから抜け出すだけのことだ。
そこからまた別のボディを探すのもいいし、しばらくは「魂」の状態を楽しむのもいいし、どちらにしてもそれまで借りていたボディに拘束されない状態になる。
いわばボディから解き放たれた「自由な状態」になるわけで、つまりそれが「死」と呼ばれる現象だ。
だけど、僕らは通常、“ガンダム理論” で人生を考えてはいない。
身体は自分のものだと思い込んでしまってる。
でも、それは「アムロ」が、乗り物であるはずの「ガンダム」を自分自身だと勘違いしちゃってるのと同じことだ。
ガンダムと自分を同一視してしまうと、ガンダムが壊れて動けなくなったときに、自分も壊れて動けなくなってしまったかのように苦しむことになる。
本当は自分は無傷なのに。
僕らの本質は「魂」だ。
身体は単なる借り物だ。
でも、そんなふうに考えちゃうと、この身体を粗末に扱うことになっちゃうんじゃないか?って思う人もいるかもしれないね。
だけど、自分のものではないからこそ大切に扱おうという気になるものなんじゃないかな?
少なくとも僕は、自分のものは乱雑に扱っちゃうことがあるけど、借りたものは丁寧に扱う。
もしかしたら、これは日本人的な感覚なのかもしれないけどね。
だから、“ガンダム理論” で考えたときに、僕はこの身体を「ちゃんとメンテナンスしてあげなきゃ」とか、「あまり無理させると壊れちゃうから、酷使するのもほどほどにしておこう」とか、「ゆっくり休ませてあげよう」とか、「燃料は足りてるかな?」とか、いろいろ気遣う気持ちになってくる。
“ガンダム理論” で肉体を客観視できるようになると、「自分の身体」だと思っているものとの向き合い方が変わってくる。
向き合い方が変われば、扱い方が変わる。
扱い方が変われば、当然人生が変わる。
こういうことをアニメで表現するなんてちょっとふざけてるし、なかなか納得できない考え方かもしれないけど、この “ガンダム理論” はスピリチュアルの本質なんじゃないかなぁって、僕は密かに思ってるんだよね。
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宇宙人が教えてくれたこと ③地球で生きる意味
前回の記事では、「永遠の魂」としての自分の存在について書いた。
前回は、今この地球上で暮らしている自分の魂というのは、もともとは宇宙と一体なんだけど、そこから何回か枝分かれしたハイヤーセルフがさらに分岐して地球にやってきてる状態らしいよ、っていう内容だった。
で、今回は、どうして高次元の魂であるハイヤーセルフは、わざわざ一部を分離して地球上で “人間をやっている” のか? という話だ。
地球上で生きていれば、楽しいことや嬉しいこともあるけど、辛いことや悲しいこと、苦しいこともたくさんある。
中には、生きる意味を感じられずに自ら命を絶つ人さえいる。
にもかかわらず、なぜわざわざ僕らは地球にやってきたのか?
結論から言うと、それは、非物質次元の魂のままではできない体験をするためだ。
物理的な肉体を持っていないと経験できないことをするために、わざわざ魂の一部を分離して地球にやってきてるということだ。
- 人肌の温もりや柔らかい感触
- そよ風が頬に当たる心地よさ
- 雄大で美しい自然の風景
- 小鳥のさえずり
- 小川のせせらぎ
- 焼きたてのパンの香り
- 新鮮な食材の味
- 冷えたビールののど越し
数え上げるとキリがないけど、そういうことは肉体をもっていないと味わえない。
一方で、
- 人から殴られて痛みを感じる
- 突然の大雨でずぶ濡れになって震える
- あまりの寒さに指先の感覚がなくなる
- 出産時の痛みと苦しみ
- 肩凝りに悩まされる
- 働きすぎて疲れが取れないダルさ
- 電車の中で急に便意を催して苦しむ
- タンスの角に足の指をぶつけて悶絶する
一見ネガティブに思えることだって、肉体がなければ経験できないよね。
つまり僕たちは、ポジティブなこともネガティブなこともすべてひっくるめて、肉体を持っていないと味わえないことを体験するためにこの地球にやってきてる、ということらしい。
ちなみにこれは、僕らがテーマパークに遊びに行くことに例えられたりもする。
僕らの普段の暮らしは、「日常生活」って言われるよね。
朝起きて学校に行くとか、会社に行くとか、家事をするとか、大体同じような行動をして日常生活を送ってる。
でも、それだけでは味気ないから、休日はどこかに遊びに行って「非日常」の体験を楽しむ。
テーマパークに遊びに行って、日常生活では味わえない特別な体験を楽しんだりもする。
だけど、テーマパークのアトラクションっていうのは、心地よいことばかりではないよね。
わざわざスリルを味わうために絶叫系マシーンに乗ったり、ハラハラするような冒険アトラクションに挑戦したり、お化け屋敷に入って恐怖を感じたり、映画を見て涙を流したりもする。
そういう、感情が振り回されるいろんな体験も含めて、「夢の国」の世界観全体を楽しむわけだ。
で、バシャールをはじめとする宇宙人たちが言うには、地球上での僕らの暮らしもまさにそれと同じなんだよ、ってこと。
悲しいことも辛いことも苦しいことも全部含めて、いわば地球という壮大なテーマパークでの暮らしを僕らは味わっているということだ。
そして、一人の人間として地球上での暮らしを味わい楽しみ終えたら、「死」というゲートをくぐり、また非物質次元に帰っていく。
僕らの本来の姿は、高次元意識としての永遠の魂(これが魂としての日常)なんだけど、それだけではつまらないので、魂の一部を分離して地球にやってきて、非物質次元では経験できないこと(つまり魂としての非日常)を味わってるということなんだろうね。
だから、楽しいことや嬉しいことだけじゃなくて、辛いこと、苦しいこと、悲しいことも全部味わっちゃえ!っていう意識になれると、この地球での暮らしがより良いものになるかもしれないよ?
かなり難しいことだとは思うけどね。(笑)
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【2020年】マイヒット商品ランキング
お題「#買って良かった2020 」
さあ、今年もやってまいりました!
毎年恒例の、「マイヒット商品ランキング」のコーナーです!
・・・ごめんなさい、ウソです。
このブログは今年の9月から始めました。(笑)
実は、ほかのブロガーさんたちが、今年自分で買ったもののランキングなどを発表されていて面白かったので、僕もやってみることにしました~。
ちなみに、ランキングの一部の商品にリンクを貼っていますが、これはアフィリエイトリンクです。
このリンクから商品を購入していただけると、皆さんは無傷で、でも僕の懐にはがっぽがっぽ小銭が入ってくるので、ぜひよろしくお願いします。(笑)
というのは半分冗談ですが、半分本気です。(笑)
では、早速いってみましょう!
今年のマイヒット商品ランキング・トップ10!
まずは第10位です!
【第10位】コーヒーの生豆
第10位は、家の近所にできたコーヒー豆屋さんの生豆ですっ!(笑)
僕はドリップコーヒーが苦手なので、家でコーヒーを飲むときは豆から挽いてフレンチプレスで淹れて飲んでるんだけど、 近所のコーヒー豆屋さんは、生豆で販売してるんですよ。
店頭で豆を選ぶと、その場で焙煎してくれるんです。
ということで最近は、煎りたての新鮮な豆でコーヒーを淹れて飲むのにハマってます。
ちなみに、焙煎直後のコーヒー豆って、そのままボリボリ食べれるって知ってました?
そんなに美味しいわけではないけど、豆の風味をダイレクトに感じられて面白いですよ。
ということで、まず第10位はコーヒーの生豆でした!
【第9位】スマートウォッチ
そして、マイヒット商品、第9位はスマートウォッチ!
僕が買ったのは、シャオミという中国メーカーの商品で、「Xiaomi Mi Smart Band 4」というやつです。
以前から、スマートウォッチには関心があったんですけど、Appleウォッチのデザインがどうにも気に入らなくて、これまでご縁がなかったんですよね。
ただ、今年はコロナの影響でジム通いをやめてから体重が増え始めたこともあって、万歩計がわりに買いました。
3,000円台なので、飲み代1回分程度で買えるならいいかな?というくらいの軽い気持ちで、あまり期待はしてなかったんだけど、半年以上経った今もバリバリ活躍してくれてます。
時計以外で主に使ってるのは、活動量計(万歩計とか睡眠状態の計測など)の機能だけですが、バッテリーは月に1~2回の充電で十分だし、何よりデザインがシンプルで気に入ってます。
コスパはかなりいいですし、中国製品に対するイメージが変わりました。
ただ、ほかの機能を全然使いこなせてないので、今回は第9位になってま~す。
【第8位】iPhone11
そして、マイヒット商品第8位は、iPhone11です!
えっ? iPhone12じゃなくて? っていう声が聞こえてきそうですが…。(笑)
実は最近まで使ってたiPhone8の画面が割れてしまったので先月買い替えたんですが、どうせ5Gは使いこなせないだろうし、カメラ機能もそこまで必要ないし…って考えたら、とりあえずはiPhone11でいいかなーと。(;^_^A
iPhone8から11に変えるとサイズが明らかに大きくなっちゃうので、持ち運びづらそうで嫌だな…と思ってたんだけど、慣れてしまえば逆に便利になって、今はもうすっかり馴染んじゃってます。
最近のスマホは値段が高くてちょっと萎えちゃいますが、でも小さいパソコンだと思えば、仕方ない価格ですよね。
iPhone12発売後だったので、結構安く買えたし、まあ満足してます。
【第7位】メルカリ
続いて第7位はメルカリですっ!
お恥ずかしいことに、メルカリはこれまでほとんど使ってなかったんですけど、今年になってから使い始めて、今ではすっかり手放せなくなってます。
最近は、新品じゃなくてもいいかな?っていうものはほとんどメルカリで買ってますね。
あと、農産物とかは、農家の人から直接購入できるのがいいですね~。
つい最近も、ミカンやリンゴをかなり格安で買いましたよ。
楽天とかヤフーみたいな通販サイトで買うよりも安いし、評価や口コミもちゃんと見れるので、おすすめです。
【第6位】ワイヤレスイヤホン
そして第6位はワイヤレスイヤホン!
ワイヤレスイヤホンは、欲しいなーとは思いつつも、普通の有線イヤホンでも音はちゃんと聞こえるし、そこにお金をかけなくてもいいかなーとか思ってたんですが…。
ちょうど1年くらい前に買ってみて、何でもっと早く買わなかったんだろう…って後悔しました。(笑)
あの有線のわずらわしさは、ワイヤレスを使ってみて初めてわかることですね。
一度ワイヤレスに変えたら、もう有線には戻れない。。。
あなた無しでは生きていけないわ状態になってから、早いものでもう1年経ちました。
これからもよろしくね、ワイヤレスくん。
ちなみに、1年前に買ったやつはどこかに置き忘れてしまって、この夏に2つ目を買い直しました。
これもスマートウォッチと同じく中国メーカーの製品で、「SOUNDPEATS Truefree 2」というやつだけど、コスパはかなりいいと思うし、なにより僕の耳にぴったりフィットしてくれるのが最高です。
ただ、イヤホン単体では4時間くらい充電がもつはずなんだけど、3時間くらいでバッテリーが切れることがあるのでそこはちょっとアレだなー。
音量によっても違うのかもしれないですけど。
ちなみに、僕が買ったときはセールで3000円くらいでしたよ。
さて、いよいよここからはトップ5に入りまーす!
2020年のマイヒット商品、第5位は~?
【第5位】のんある気分 DRY レモン&ライム
第5位は、のんある気分!
これも、コロナ太り解消のためにお酒を控えるようになってから、アマゾンの定期便で買ってます。(笑)
アルコールの代わりに飲める上に、脂肪や糖質の吸収を抑える成分が入った機能性食品なので、一石二鳥な感じです。
何より、甘さ控えめでスッキリしてて、ビール代わりにグビグビ飲めるのがいいですねー。
夕食のときにこれをグーッと飲めば、ビールを飲まずに済みますよ。たぶん。(笑)
しかも、Amazonの定期便にすれば1本当たり106円だから、ビールの代わりと考えたら結構節約にもなると思います。
ちなみに、「のんある気分」の、ほかのやつじゃダメです。
ほかのもいろいろ飲んでみたけど、「のんある気分DRY レモン&ライム」が僕にとってはベストでした。
【第4位】スパイスカレー
そして第4位は、私が最近ハマってるスパイスカレーです!
これは、ふらはなさんという方がブログで書かれていたのを見て挑戦してみたんですが、いきなりハマってしまいました。
でも、スパイスカレーってつくるのが難しそうですよね。
僕も、スパイスカレーはお店で食べるものであって自分で作るものではない、、、って勝手に思い込んでいたんだけど、実は簡単につくれて、しかも奥深くて、めちゃくちゃ面白いですよ。
玉ねぎ、トマト、にんにく、しょうが、鶏肉、塩、スパイスだけで、こんなに美味しい料理ができるのかっ!って衝撃を受けました。
もちろん、玉ねぎとトマトを炒めるのに1時間以上かかるけど、でも、その炒めてる時間も癒されるというか、まあ、とにかくハマってるわけです。(笑)
ぜひ皆さんにも一度作ってみてほしいなぁ。
ちなみに、もし本を買うなら、ふらはなさんも紹介されていたこの本が超おススメです!
スパイスカレーを作るために必要なメソッドとテクニックが懇切丁寧に書かれているので、これを読めば初心者でも簡単に挑戦できると思います。
書籍としてはちょっと高額ですが、家族で本格的なカレー屋さんに行ったらこんな値段じゃ済まないですからね。
それに、この本さえあればどんなスパイスカレーでもつくれるような気がしてきますよ。(笑)
ちなみに、このスパイスカレーが今回のランキングの1位でもおかしくないんだけど、まだつくり初めて1カ月くらいしか経っていないので、今回はちょっと控えめに4位ということにしときました。
果たして、来年2021年のランキングではトップになっているのでしょうか??(笑)
さあ、ということで、いよいよここからはトップ3の発表です!
マイヒット商品、第3位は、微発泡ワインですっ!!
【第3位】微発泡ワイン
商品名は、「レ・ヴァカンツェ・シャルドネ・フリッツァンテ・デル・ヴェネト」って書いてあるんですけど、どこまでが名前なのか、ほんとにこんな長い名前なのか、よくわかりません。。。(笑)
そもそも、微発泡ワインって何? スパークリングワインじゃないの?って思いますよね。
それについても、難しいことは僕にはわかりません。(笑)
たぶん、スパークリングワインだと思いますが。(笑)
ただ、普通のスパークリングワインに比べると泡が軽くて、しかも辛口なので、グイグイ飲めちゃって怖いくらいです。
一人でも余裕で1本開けちゃいます。(笑)
僕はワインに詳しいわけではないんだけど、この微発泡ワインはすごくバランスがよくて、コスパは最高だと思いますよ。
ちなみに、商品説明欄にはこんなふうに書いてありました。
イタリアの造り手が、夏のバカンスにゆったりと満喫しながら、 食前に、そしてアンティ・パストそして魚料理とともにこの夏を贅沢に過ごすために造られた絶妙のスパークリングです。
杯が進むと、戻る温度とともに泡もゆったりと落ち着いた泡にかわり、合わせてシャルドネの美味しい旨味が現れてきます。
乾杯では喉を潤おすかのようなクリーミーで絶妙の刺激を放つ泡が楽しめ、食事が進んでいくと、特にアンティ・パストや魚料理との抜群の相性が期待できるシャルドネの美味しい果実味が満喫できる素晴らしいパフォーマンスを持っています。
【あまりの爆発的人気に特別独占輸入が決定】
この価格にして極上シャルドネ100%!業界騒然!
『あれは凄かったよ!とてつもなく安いよね!』
シャルドネ旨味たっぷりに絶妙なる弱発泡が堪らなく口中を愛撫!
モノ凄い人気!今までに通算48000本以上が完売!
なんだか凄そうですよね。(笑)
いや、でもこれはあながち大げさでもなくて、我が家はこれを箱買い(12本)してるんですが、週に1本ペースでなくなっていきます。(;^_^A
今年の夏に初めて買ったんですが、もう既に2回(24本)注文しました。
みなさんにも、ぜひ一度試してみていただきたいコスパ抜群のスパークリングワインです。
・・・って、結局スパークリングワインなんかーい!
さあ、いよいよ佳境に入ってまいりましたマイヒット商品ランキング!
堂々の第2位は!!!
【第2位】ぬか床
な、なんと、第2位はぬか床でした~。(笑)
実は春先に、今は空き家となっている祖父母の家に行ったとき、祖母が漬けていたぬか床がまだ生きているのを発見したんです。
で、その種を持って帰ってぬか床を育ててみたら大成功!
懐かしい祖母のぬか漬けの味を再現することができました。
ぬか床は、特に気温が高い夏は管理が少し大変ですが、毎日しっかりかき混ぜてあげれば、野菜を突っ込んでおくだけで美味しい漬物をつくってくれるスグレモノです。
しかも、ぬか漬けの乳酸菌は植物性乳酸菌で、ヨーグルトよりも優秀らしくて、毎日ぬか漬けを食べるようになってから体調もいい感じです。
ちなみに、ぬか床をつくるには、お米屋さんで米ぬかを分けてもらって、塩と水と唐辛子などを混ぜて熟成させるのが一番です。
ただ、そんな手間はかけたくないという方は、すでに熟成されたぬか床が簡単に手に入るので、こういうのを買ってもいいかもしれませんね。
ということで第2位は、意外な伏兵、ぬか床でした~!(笑)
さあ、2020年のマイヒット商品ランキングも、ついにここまでやってきました!
栄えある第1位に輝いたのは、いったい何だったのでしょうか~??
【第1位】YouTubeプレミアム
第1位は、意外にもYouTubeプレミアムでした!
ソフトバンクでYouTubeプレミアムが3カ月間無料になるキャンペーンをやっていたので、とりあえず3カ月間だけやってみようと思ったところが、、、どっこい!
広告なしで動画が見られるのと、バックグラウンド再生(アプリを閉じたりスマホの画面をオフにしても音声が聞こえる機能)の威力にすっかりハマってしまいました。
今では、通勤時や料理をしているときなど、常にYouTubeをバックグラウンド再生して聞いています。
ちなみにこのYouTubeプレミアム、iPhoneだと月額1,550円、それ以外は1,180円です。
僕はiPhoneなので毎月1,550円も払ってるんですが、もうこの機能なしでは生きていけません。(笑)
完全にGoogleさんの掌の上で転がされている私です。(;^_^A
ということで、長い長い記事になってしまいましたが、最後までお付き合いいただき、どうもありがとうございました!
また来年、ここでお会いしましょう!
どうぞよいお年をお迎えくださいませ。(笑)
- 【第10位】コーヒーの生豆
- 【第9位】スマートウォッチ
- 【第8位】iPhone11
- 【第7位】メルカリ
- 【第6位】ワイヤレスイヤホン
- 【第5位】のんある気分 DRY レモン&ライム
- 【第4位】スパイスカレー
- 【第3位】微発泡ワイン
- 【第2位】ぬか床
- 【第1位】YouTubeプレミアム
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宇宙人が教えてくれたこと ②永遠の魂
僕は以前、死生観について書いたことがあったけど、そのときは詳しく書かなかったので、今回は宇宙人が教えてくれたシリーズの2回目として、「永遠の魂の存在である自分」ということについて書くね。
ちなみに、宇宙人が教えてくれたシリーズ第1回目の記事はこちら。
ところで、あなたは、「人は死んだらどうなるの?」「生まれる前はどこにいたの?」って聞かれたら、どう答えるかな?
多くの日本人は、死生観について明確な答えを持っていないかもしれない。
いや、もしかしたら、死んだらおしまい、消滅してすべてが終わる、と思っている人が多いのかもしれない。
もちろん、「死」や「死後の世界」については科学的に証明できるわけではないし、宗教によってもいろいろ考え方が違うと思う。
ただ僕は、母が亡くなった後にいろいろと不思議なことを経験してから、人は死んで身体がなくなっても魂はずっと生き続けると思うようになった。
そして、バシャールをはじめとする宇宙人たちも、僕らは「永遠の魂の存在」だということを教えてくれている。
この地球上に生まれる前から僕らは魂として存在していて、死後もまた魂の状態に戻って存在し続けると言っている。
つまり、僕らはもともと永遠に生き続ける魂としての存在であって、それが今、一時的に地球にやってきて “人間をやっている” だけ、というわけだ。
そして、ここでポイントになるのが、僕らの魂の本体は宇宙の別の次元にあって、その本体の一部が分離して今地球上で暮らしているということだ。
スピリチュアル的には、本体である別次元の魂は、自分自身の高次元の意識という意味で「ハイヤーセルフ」とか「ハイヤーマインド」と呼ばれてる。
一方で、今この地球上での僕らの意識、物理次元の意識のことは「フィジカルマインド」って呼んだりする。
ハイヤーセルフについて書くと、それだけでかなりの量になっちゃうので、今回は踏み込まないでおこうと思う。
ここで言いたいのは、僕らはもともとハイヤーセルフと一体の存在なんだけど、今はこの物理次元の地球で生きるために、その一部を分離してやってきてる魂だということ。
それと、第1回目の記事でも書いたけど、宇宙はもともと1つの存在で、「宇宙 = 神 = 自分」であるという大前提がある。
宇宙のすべての存在はもともと一つなんだけど、そこから何回か分岐して、今この物理次元の僕の魂が存在してるというわけだ。
「宇宙 = 神(森羅万象・大いなる源・ソース)」から分岐したオーバーソウルという魂の塊があって、そこから分岐したのがハイヤーセルフ、そしてそこからさらに分かれて地球にやってきてるのがフィジカルマインド(今の僕たち)、ということらしい。
例えばここに、水を満々とたたえる大きな湖がある。
これが、宇宙全体であり、神であり、ソースと言われるものだとする。
で、その湖から大きなバケツで水を汲んできたとして、このバケツの中に入っている水がオーバーソウル。
そして、そのバケツから、手桶で汲んだ水がハイヤーセルフ。
そして、手桶の水の一部をグラスに入れたものが、今の物理次元の私であるフィジカルマインド。
もともとは大きな湖の水なんだけど、今はグラスの中の水が「私」として知覚されているわけだ。
水を例に出してしまったから、いずれ蒸発して消えたりしそうだけど、魂は消えない。
この地球上で肉体が滅んでも、宇宙の一部である「魂としての自分」は永遠に存在し続ける。
物理的に死んだ(= グラスが割れた)後は、手桶やバケツの中にまた戻るだけだ。
これが、バシャールをはじめとする宇宙人が教えてくれた宇宙と魂の構造を、僕なりに解釈したものだよ。
ふむふむ、なるほど。
もともと「永遠の魂」である僕らが、一時的に “人間をやっている” のが今の状態ということはわかった。(←ということにしてね。笑)
宇宙という大きな永遠の魂の一部の、そのまた一部のハイヤーセルフの、さらにまた一部分が自分だっていうこともわかった。
だけど、じゃあハイヤーセルフである僕らはなぜ、わざわざその魂の一部を分離して地球にやってきたんだろうか?っていう疑問が出てくるかもしれないね。
でも、長くなっちゃったので、それについてはまた次回書くことにするね。
今回も最後まで読んでくれて、どうもありがとう!
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ネガティブ情報との接し方
前回の記事の中で、ネガティブな情報は受け取らなくてもいいし、自分で勝手にポジティブに変換して受け取ることだってできるということを書いた。
前回は、僕に向けられた誹謗中傷コメントについて書いたけど、僕が目にするネガティブ情報は、必ずしも僕宛てのものとは限らない。
僕は新聞やテレビをほとんど見ない生活をしているから、どちらかというとネガティブ情報に触れる機会は少ないほうだと思う。
それでも、インターネットを利用していれば、ネガティブな感情を持ってしまうニュースは目につく。
例えば、小さな子どもが犠牲になるような事件とか、戦争とか。
まあ、ニュースの多くはネガティブな話だけどね。
そんなときは、当然ながら僕もネガティブな気持ちになってしまうんだけど、そういうニュースにいつまでもフォーカスしないようにしてる。
犠牲になった子どものことを考え続けるのではなくて、そんなことがない世界をイメージすることでフォーカスする対象をズラして、意図的にネガティブ感情に飲み込まれないようにしたりとかね。
そうすれば、ネガティブなニュースを引きずって、嫌な気分で一日を過ごすということはなくなるからね。
もちろん、その問題を解決したい!なんとかしてそういうことがない世の中にしたい!という気持ちが強ければ、そういうことを考え続けることもあるかもしれないけど、今の僕は、とにかく “自分自身が心地よい状態であること” を最優先にしてる。
とはいえ、中には、フォーカスするのをやめたくてもやめられないときもあるよね。
そういうとき僕は、自分はなぜそのネガティブ情報へのフォーカスをやめられないのか?っていうことを考える。
自分の中のどういう「観念」が、その情報へのこだわりを生んでいるんだろう?って考えるの。
例えば、前回の記事で書いた、ネット上で突然暴言を浴びせられたということを例にしてみるね。
僕は「〇ね クソ〇〇」というコメントを見て、ずっと嫌な気分になってるとする。
(実際には、そうならなかったけど。笑)
そこで僕は考える。
なぜ僕はそのことにフォーカスし続けてるんだろう?
僕の中にあるどんな「観念」がそうさせているんだろう?って。
ただ、その前に、まずは今何を感じているのかを洗い出してみる。
そうすると、いろいろな感情が湧き上がってくる。
- 自分はそんな暴言を浴びせられるほどの悪いことをしたんだろうか?
- 何も悪いことをしてないのにこんな目に遭うのは理不尽だ!
- そもそも見ず知らずの人に暴言を吐くなんて許せない。
- 人にそいういうことを言うって、いったいどんな神経をしてるんだ?
- 何なんだこいつは!ほんと腹が立つ!
などなど。(笑)
そして、じゃあ、そういう感情が湧いてくるということは、僕はいったいどんな「観念」を持っているのだろうか?って考える。
すると、
- 人には敬意を持って接しなければいけない
- 人を傷つけるようなことを言ってはいけない
- 理由もなく嫌な目に遭うのはおかしい
といったような、僕が持っている “~ねばならない” とか “~べきだ” といった「観念」が出てくる。
もっと深堀りできると思うけど、とりあえずはここまで来れば十分だ。
フォーカスする対象が、「僕を誹謗した人」から「僕自身が持っている観念」に変わったから。
そうすると、「なるほどー。僕はこういう観念を持ってるんだな。だからその人にこういう感情を持ったんだな」というふうに考えることができる。
そして、わけもなく怒りが湧いていたときと比べると、ずいぶん気持ちが変化してることにも気づけると思う。
あとは、自分が持ってる「観念」について深堀りするのもいいし、こんな「観念」を持ってることに気づけて良かった~♪ と思うのもいいし、もっと別の「観念」もあり得るのかな?とか、思い切って「観念」を書き換えてみよう!とか、いろいろやってみるのもいいかもしれない。
なにはともあれ、状況を俯瞰して、ネガティブな情報に飲み込まれるのを回避することが大切だ。
ネガティブな ”情報” は、ネガティブな “状況” とイコールじゃない。
ネガティブな “状況” を生み出すのは、自分自身の「観念」だ。
そのことをいつも頭の片隅に置いて、ネガティブ情報にフォーカスしないということを心がけていると、自分自身の心地よい状態をキープしやすくなると思うよ。
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要らないものは受け取らない。
インターネットは瞬時にして世界と繋がれるツールだから、ネット上で情報発信してると、まったく想像もしないようなことに出くわすことがある。
ポジティブなことだけじゃなくて、もちろんネガティブなことも。
先日、突然こんなコメントが来た。
「◯ね クソ◯◯」
見ず知らずの人からこんなことを言われるのもネット社会ならではのことだよね。(笑)
僕はスピリチュアルなことをたくさん発信してるから、多分そういうのが嫌いな人なんだろうなと思う。
ただ、本人が何を意図してそういうコメントをしたのか、実際のところはわからない。
もしかしたら僕を傷つけることが目的なのかもしれないけど、僕はネット上で批判されても何のダメージも受けないんだよね。
それについては以前こんな記事も書いた。
誰も僕を批判することはできない。
それは、相手が、僕という人間のことを知ってるわけではないから。
家族でさえ僕のことをすべて知ってるわけじゃない。
いや、もっと言うなら、僕自身でさえ自分のことがわかっていない。
知らないのに批判しても、的には当たらない。
的外れな批判ではダメージを与えることはできない。
それに、もし偶然に的に当たったとしても、その批判や誹謗中傷を受け取るかどうかは僕が決めることだ。
僕が受け取らなければ、それは空中分解して消滅するだけのことだ。
あ。いや、違う。
消滅するわけではないかもしれない。
というのも、こんな話がある。
悟りを開いたブッダは人々の尊敬を集めていたが、それを快く思わない男が、群衆の前でブッダに向かってさんざん悪口を言った。
しかしブッダは何も言わずに、ただずっと黙ってそれを聞いていた。
そして男が悪口を言い終わった後で、男に対してこう言った。
「あなたのところに客が来たとする。あなたはその客に食事を出したけれど、その客が食事を受け取らなかったとしたら、その食事は誰のものになるだろうか?」
そこで男はこう返事をした。
「それは言うまでもない。客人が食事を受け取らないのだから、その食事は出した主人のものになるだろう」
それに対してブッダはこう言った。
「あなたが差し出した悪口を私は受け取らない。その悪口は差し出したあなたのものだから、そのまま持って帰るがよい。」
言われた男はハッとして、何も言えなくなってしまった。
批判や悪口というのは、僕が受け取らなければ、僕のものじゃない。
僕に誹謗中傷のコメントをくれたその人も、残念ながら僕にダメージを与えることはできない。
だって、コメントを見たときは一瞬意味が分からなくて「えっ?」と思ったけど、次の瞬間、僕は「おっ。これはいいブログネタができたぞ!」って思っただけだから。(笑)
どれだけネガティブな情報であっても、それを受け取るかどうかはその人次第だし、ネガティブ情報をこちらで勝手にポジティブに変換して受け取ることだってできる。
僕はブッダではないから、いつもそんなことができるわけじゃないけど、もしできるようになれば、人から傷つけられることなんてないんだろうな。
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「したいことしかしない」の効用。
前回の記事で、僕は自分の好きなことしかやってないから、日々の生活自体がご褒美だっていうことを書いた。
自分で読み返してみても、これだけ読むと、好き勝手やってて結構ひどい人に見えるなぁって思った。(笑)
ただ、自分のやりたいことしかやらない、自分がやりたくないことは極力やらない(頑張らない)という生き方をすると、自分自身にはもちろんのこと、自分の周囲にも良い影響があると思うんだよね。
まず、自分自身にとって良いことは、当然ながら無駄なストレスがなくなるということ。
やりたくないことを我慢してやり続けてるとストレスがどんどん溜まっていくけど、今の僕にはそれがない。
だから、心地よい状態をキープし続けることができるんだよね。
心地よい状態を保つことは人生において何より大事なことだと思うし、それに過度なストレスは病気の元だからね。
そして、自分自身が心地よい状態を保つことができれば、いつも心にゆとりがあるので、周りの人にも優しくできる。
それと、自分の周囲の人に恩着せがましくならないというのもある。
つまり、「~してあげたのに」っていう気持ちが全く湧いてこない。
これは考えてみれば当然なんだけど、すべて自分が好きでやってることで、やりたくないことはやらないというスタンスだと、「~してあげたのに」なんて思うわけがないんだよね。
恩着せがましくないと、自分も相手も心が健やかな状態でいられる。
これは社会貢献にもつながる話かもしれないね。
日常生活の中でやりたくないことを嫌々やってる人は、できることから少しずつ手放してみるといいかもしれないよ。
ちなみに僕は毎晩夕食をつくってるけど、年に何回かは作りたくない日もあって、そういう時はカップラーメンで済ませたりしてる。
だけど、カップラーメンのときのほうが子どもたちが喜んだりするんだよね、これが。(笑)
こうじゃなきゃいけない!これをしなきゃいけない!と思ってるのは、自分自身。
ほかにも選択肢はたくさんあるし、何も選ばないという選択肢だって本当はあるはずなんだよね。
だから僕はこれからも、できるだけ「ねばならない」を排除して、 “頑張らない道” を歩んでいきたい。
そういえば、Appleの創業者スティーブ・ジョブズ氏がこんなことを言っていたので、最後に紹介するね。
If you are working on something exciting that you really care about, you don’t have to be pushed. The vision pulls you.
あなたにとって本当に大切でワクワクすることをやっているなら、頑張る必要はない。ビジョンがあなたを導いてくれる。
Steve Jobs/スティーブ・ジョブズ
それにしても、「push」と「pull」の使い方がうまいなぁ。
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ご褒美はもらえない。
今週のお題「自分にご褒美」について書こうと思う・・・
・・・んだけど、全然思い浮かばないんだよね。(笑)
で、気づいたんだけど、やっぱり僕は、自分にご褒美をあげるほどのことをしてないんだと思う。
そもそも、このお題の「自分にご褒美」という言葉は一部が省略されていて、省略せずに書くと、「頑張った自分にご褒美」ってことになるんじゃないかな。
つまり、ご褒美っていうのは、何かを頑張って、それをやり遂げたり成果を上げたりした人がもらえるものだと思うけど、それでいくと僕はまったくもって頑張っていないんだよね…。(笑)
頑張らない生き方については、こんな記事でも書いたけど、
僕はできるだけ自分がやりたいことしかやらないようにしてる。
このブログも毎日のように書いてるけど、それは書きたいから書いてるだけだし、毎日家族にご飯をつくってるのも、自分がつくりたいからつくってるんだし、掃除も食器洗いも好きでやってる。
洗濯はキライだからやらない。ははは。w
子どもが「一緒にお風呂に入ろう」とか「一緒に遊ぼう」と誘ってきても、他にやりたいことがあるときは自分のやりたいことを優先する。
大好きな温泉に行きたいと思えば家族を置いてでも一人で行くし、飲みに行きたくなれば夜中に一人でバーに行くこともある。
そういえば、去年の今頃、突如思い立って一人で韓国旅行に行ったときは、さすがに家族全員にドン引きされたね。(笑)
でもね、そうやって生きてると、だんだん周りも「この人はこういう人なんだ」っていう空気になってきて、何をやっても諦めてもらえるようになるから不思議だよね。
最近は子どもたちも、「お父さんは宇宙人だから仕方ない」と思ってるしね。(笑)
そう考えると、やりたいと思ってないのにやってるのは仕事くらいだけど、そこまで強烈にやりたくないわけでもないし、それに、ご褒美をもらうほど仕事を頑張ってるわけじゃないからなぁ。
つまり、生活のほとんどが自分がやりたくてやってること、自分の意思で選択してやってることばかりなので、普段の生活そのものが全部ご褒美ということになるのかもしれない。
逆に言えば、こんな僕を放置してくれて、こんな生活を続けさせてくれている家族や周囲の人たちにご褒美をあげなきゃいけないくらいだよね。(笑)
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有名と無名のループ
僕はそれほど社交的な性格ではないし、目立ちたがり屋というわけでもないから、「有名人」になりたいとは思わない。
でも、30代前半くらいまでは漠然と、自分の進む道でそれなりに功成り名を遂げたいと思ってた。
考えてみれば、中学生のときの愛読書が司馬遼太郎の『竜馬が行く』だったから、まあ、大きな志を持って世の中にインパクトを与えるようなことをして、それが社会に認められるということに憧れていたんだろうと思う。
だけど、新卒で入った会社で心身を病んで、その後パチスロで生活していたこともあったくらいだから、現実は全く違ってた。(笑)
それで、当時はとにかく、何も成していない自分、「無名」である自分が嫌で、許せなかった。
何かもっと “大きなこと” をして、社会から認められたいと思っていた。
パチスロを打ちながら。(笑)
でも、40歳を過ぎてこの歳になってみると、そういう気持ちは全くない。
むしろ、できるだけ有名にはなりたくないとさえ思ってる。
有名になっちゃうと、おちおち浮気や不倫もできない時代だからね。(笑)
まあ、それは置いておくとして。
僕の周囲を見回すと、(それが顕在化しているかどうかは別にして)有名になりたいという願望を持ってる人は少なくない。
たまにFacebookとかのタイムラインを眺めてると、「有名になりたい!」「もっと認められたい!」っていう思いがひしひしと伝わってくる人もいる。
でも逆に、誰もが知ってるような「有名人」の多くは、おそらく有名であることのマイナス面も嫌というほど味わってると思うんだよね。
だからこそ、外出するときに帽子を深くかぶってサングラスとマスクで変装したりするわけで。
そして、どこに行っても誰と会っても、“素の自分”を見てもらうことが難しい。
ひどいときは、ドラマや映画で演じた役のイメージが一生ついて回る人だっている。
親が「有名人」というだけで、「○○の子ども」というレッテルに苦しみ続ける人もいる。
だから、おそらくそういう「有名人」は、もっと本当の自分、“素の自分”を見てほしいという気持ちが常にあるんじゃないかな?
一方で「無名人」は、“素の自分”以上の何かとして見られたい、認められたい、という気持ちが強いのかもしれない。
だけどそういう人も、もし「有名人」になってしまったら、おそらく「もっと“素の自分”を見てよー」っていう気持ちが強くなってくるんだろうね。
「有名人」は無名を求め、「無名人」は有名に憧れる。
なんだろう、この「有名」と「無名」のループは。(笑)
人はどうしても自分に「ない」ものを求めがちだけど、その「求めているもの」の多くは、本当は必要じゃないものかも?って思うことがある。
そして、本当に必要なものは既に持ってたりするんだろうなぁ。
いやぁ、人間として生きるのはなかなか難しいね。(笑)
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