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 さあ、面白くなってきました。

考え方一つで、人生はどんどん楽しくなるね

全肯定 シンクロの呼吸・壱ノ型 無我!!

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釣りっぽいタイトルになっちゃってごめんなさい。
鬼滅の刃とはまったく関係ない話です。(笑)


今日は、「シンクロに任せる」ということについて書こうと思う。

シンクロニシティという言葉は結構一般的になってきてると思うけど、調べてみるとこんな感じで説明されている。

シンクロニシティー【synchronicity】

虫の知らせのような、意味のある偶然の一致。心理学者ユングが提唱した概念。共時性。同時性。同時発生。


(「デジタル大辞泉」より)

 
つまり、論理的には説明できないけれど偶然起きた意味ある出来事のこと。

例えば、ある人のことを思い浮かべていたら突然その人から電話がかかってきたり、何か欲しいもののことを考えていたら、たまたまそれに関する有益な情報が飛び込んできたりといったようなことで、経験したことのある人は多いと思う。

 

ただ、このシンクロニシティという言葉は、同じようなシーンで使われるセレンディピティとはちょっと違っている。

セレンディピティも似たような意味なんだけど、セレンディピティの場合は偶然に起きることが「幸運」とか「ポジティブ」なことに限定されるのに対して、シンクロにシティのほうには「ネガティブ」なことも含まれる。

例えば、普段は気にならないのにふと思い浮かべた知人の家族から突然連絡があって、その知人が亡くなったことを知らされるとか、なぜだかわからないけど嫌な予感がするな…と思っていたら事故に遭ったり、といったことはシンクロニシティだけど、これをセレンディピティとは言わない。

 

と、前置きはこのくらいにして。


何かに取り組んでいるとき、あるいは何かに取り組もうとしているときに、思いがけないトラブルなんかが発生してスムーズに進まないことってあるよね。

どうしてこうなっちゃうの?とか、なんでこんなことになっちゃったんだろうとか、うまくいかないこと。

 

例えば僕は先日このブログで、僕が考える「神」についての考察を2時間以上かけて書いて、下書きに保存したの。

それなのに、その1時間後ぐらいに下書きを開いたら、なぜかすべて消えてしまってて、大ショックを受けたんだよね。

 「いや、それ、保存し忘れただけじゃない?」って言いたいのはわかりますよ、うん。
でも、僕は確実に保存した! 誰が何と言おうと保存しました!(笑)
まあ、そこはグッと堪えて、保存したのに消えちゃった、ということにしといてください。(笑)


で、そうなると、当然ながらショックを受けることになる。
えーっ!2時間以上かけて書いた大作だったのに…消えちゃったよ…。何で?!って。

ただ、大事なのは、それをどう受けとめて、そこからどうするかっていうことだと思うんだよね。

で、おそらく進む道はそこで大きく2つに分かれる。

 

①もう一度書き直す
「さっき書いたのは消えてしまったけど、気合を入れて書き直して、さっきのよりもっと良い記事を書こう」と考えて、現実に立ち向かう。

②受け入れてあきらめる
「消えてしまったということは、今はあの記事をアップする時ではないという天の声かもしれない」と考えて、その現実を受け入れる。


行く手を阻むものが現れたときにどんなふうに行動するかというのは、人によって違うし、時と場合によっても異なるんだろうけど、僕は最近、とりあえず流れに乗ってみることにしてる。

つまり、起きた出来事をいったんすべて肯定する

一見ネガティブに感じることであっても、これは自分にとって必要なこと、良いことが起きてるんだ、これでいいんだ、って受け入れてみるの。
そして、じゃあ、違うやり方でやってみようかな?とか、まったく別のことをやろうかな?とか、すぐに気持ちを切り替える。

 

というのも、僕たち人間には自我があるから、「これをやりたい!」とか「絶対これが欲しい!」といった思いは当然あるんだけど、それが自分にとって本当に良いことなのかどうか、実際のところはわからないんだよね。

それはほら、「人間万事塞翁が馬」という言葉もあるくらいだし。

塞翁(さいおう)が馬(うま)


人生の禍福は転々として予測できないことのたとえ。「人間万事塞翁が馬」

[補説] 昔、中国の北辺の塞 (とりで) のそばに住んでいた老人の馬が胡 (こ) の地に逃げたが、数か月後、胡の駿馬 (しゅんめ) を連れて帰ってきた。その老人の子がその馬に乗り落馬して足を折ったが、おかげで兵役を免れて命が助かったという故事から。

 

(「デジタル大辞泉」より)

 

 だったら、起きたことはすべて肯定して受け入れて、あとは流れに乗って天に任せるというのも、一つの在り方として間違ってはいないと思うんだよね。


そういえばタレントのタモリさんが、彼の師匠である赤塚不二夫氏の葬儀で、白紙の弔辞を読むというギャグをかましてくれたことがあった。
で、その中でこんなことを言っている。

あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。
それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、そのときその場が異様に明るく感じられます。
この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。

すなわち、『これでいいのだ』と。

 

youtu.be


この弔辞は大好きで、今でもたまに見るんだけど、すべてをあるがままに肯定的に受け入れるという赤塚不二夫氏の生き方(つまりバカボンのパパの生き方)には、とっても共感する。


壁にぶつかったら立ち向かって打ち破るというやり方もカッコいいと思うけど、偶然起きたトラブルをシンクロと捉えて肯定的に受けとめ、自我を捨てて流れに乗ってみるというやり方も悪くないと思う。

もちろん、それが正しいんだと主張するつもりはないよ。
ただ、僕は最近そんなふうにやっていて、これがなかなかうまくいってるんだよね。

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