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有名と無名のループ

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僕はそれほど社交的な性格ではないし、目立ちたがり屋というわけでもないから、「有名人」になりたいとは思わない。

でも、30代前半くらいまでは漠然と、自分の進む道でそれなりに功成り名を遂げたいと思ってた。

 

考えてみれば、中学生のときの愛読書が司馬遼太郎の『竜馬が行く』だったから、まあ、大きな志を持って世の中にインパクトを与えるようなことをして、それが社会に認められるということに憧れていたんだろうと思う。


だけど、新卒で入った会社で心身を病んで、その後パチスロで生活していたこともあったくらいだから、現実は全く違ってた。(笑)


それで、当時はとにかく、何も成していない自分、「無名」である自分が嫌で、許せなかった。

何かもっと “大きなこと” をして、社会から認められたいと思っていた。

パチスロを打ちながら。(笑)

 

でも、40歳を過ぎてこの歳になってみると、そういう気持ちは全くない。

むしろ、できるだけ有名にはなりたくないとさえ思ってる。

有名になっちゃうと、おちおち浮気や不倫もできない時代だからね。(笑)


まあ、それは置いておくとして。


僕の周囲を見回すと、(それが顕在化しているかどうかは別にして)有名になりたいという願望を持ってる人は少なくない。

たまにFacebookとかのタイムラインを眺めてると、「有名になりたい!」「もっと認められたい!」っていう思いがひしひしと伝わってくる人もいる。

 

でも逆に、誰もが知ってるような「有名人」の多くは、おそらく有名であることのマイナス面も嫌というほど味わってると思うんだよね。

だからこそ、外出するときに帽子を深くかぶってサングラスとマスクで変装したりするわけで。


そして、どこに行っても誰と会っても、“素の自分”を見てもらうことが難しい。

ひどいときは、ドラマや映画で演じた役のイメージが一生ついて回る人だっている。

親が「有名人」というだけで、「○○の子ども」というレッテルに苦しみ続ける人もいる。


だから、おそらくそういう「有名人」は、もっと本当の自分、“素の自分”を見てほしいという気持ちが常にあるんじゃないかな?


一方で「無名人」は、“素の自分”以上の何かとして見られたい、認められたい、という気持ちが強いのかもしれない。

だけどそういう人も、もし「有名人」になってしまったら、おそらく「もっと“素の自分”を見てよー」っていう気持ちが強くなってくるんだろうね。

 

「有名人」は無名を求め、「無名人」は有名に憧れる。

なんだろう、この「有名」と「無名」のループは。(笑)

 

人はどうしても自分に「ない」ものを求めがちだけど、その「求めているもの」の多くは、本当は必要じゃないものかも?って思うことがある。

そして、本当に必要なものは既に持ってたりするんだろうなぁ。


いやぁ、人間として生きるのはなかなか難しいね。(笑)

 

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