ネガティブ情報との接し方
前回の記事の中で、ネガティブな情報は受け取らなくてもいいし、自分で勝手にポジティブに変換して受け取ることだってできるということを書いた。
前回は、僕に向けられた誹謗中傷コメントについて書いたけど、僕が目にするネガティブ情報は、必ずしも僕宛てのものとは限らない。
僕は新聞やテレビをほとんど見ない生活をしているから、どちらかというとネガティブ情報に触れる機会は少ないほうだと思う。
それでも、インターネットを利用していれば、ネガティブな感情を持ってしまうニュースは目につく。
例えば、小さな子どもが犠牲になるような事件とか、戦争とか。
まあ、ニュースの多くはネガティブな話だけどね。
そんなときは、当然ながら僕もネガティブな気持ちになってしまうんだけど、そういうニュースにいつまでもフォーカスしないようにしてる。
犠牲になった子どものことを考え続けるのではなくて、そんなことがない世界をイメージすることでフォーカスする対象をズラして、意図的にネガティブ感情に飲み込まれないようにしたりとかね。
そうすれば、ネガティブなニュースを引きずって、嫌な気分で一日を過ごすということはなくなるからね。
もちろん、その問題を解決したい!なんとかしてそういうことがない世の中にしたい!という気持ちが強ければ、そういうことを考え続けることもあるかもしれないけど、今の僕は、とにかく “自分自身が心地よい状態であること” を最優先にしてる。
とはいえ、中には、フォーカスするのをやめたくてもやめられないときもあるよね。
そういうとき僕は、自分はなぜそのネガティブ情報へのフォーカスをやめられないのか?っていうことを考える。
自分の中のどういう「観念」が、その情報へのこだわりを生んでいるんだろう?って考えるの。
例えば、前回の記事で書いた、ネット上で突然暴言を浴びせられたということを例にしてみるね。
僕は「〇ね クソ〇〇」というコメントを見て、ずっと嫌な気分になってるとする。
(実際には、そうならなかったけど。笑)
そこで僕は考える。
なぜ僕はそのことにフォーカスし続けてるんだろう?
僕の中にあるどんな「観念」がそうさせているんだろう?って。
ただ、その前に、まずは今何を感じているのかを洗い出してみる。
そうすると、いろいろな感情が湧き上がってくる。
- 自分はそんな暴言を浴びせられるほどの悪いことをしたんだろうか?
- 何も悪いことをしてないのにこんな目に遭うのは理不尽だ!
- そもそも見ず知らずの人に暴言を吐くなんて許せない。
- 人にそいういうことを言うって、いったいどんな神経をしてるんだ?
- 何なんだこいつは!ほんと腹が立つ!
などなど。(笑)
そして、じゃあ、そういう感情が湧いてくるということは、僕はいったいどんな「観念」を持っているのだろうか?って考える。
すると、
- 人には敬意を持って接しなければいけない
- 人を傷つけるようなことを言ってはいけない
- 理由もなく嫌な目に遭うのはおかしい
といったような、僕が持っている “~ねばならない” とか “~べきだ” といった「観念」が出てくる。
もっと深堀りできると思うけど、とりあえずはここまで来れば十分だ。
フォーカスする対象が、「僕を誹謗した人」から「僕自身が持っている観念」に変わったから。
そうすると、「なるほどー。僕はこういう観念を持ってるんだな。だからその人にこういう感情を持ったんだな」というふうに考えることができる。
そして、わけもなく怒りが湧いていたときと比べると、ずいぶん気持ちが変化してることにも気づけると思う。
あとは、自分が持ってる「観念」について深堀りするのもいいし、こんな「観念」を持ってることに気づけて良かった~♪ と思うのもいいし、もっと別の「観念」もあり得るのかな?とか、思い切って「観念」を書き換えてみよう!とか、いろいろやってみるのもいいかもしれない。
なにはともあれ、状況を俯瞰して、ネガティブな情報に飲み込まれるのを回避することが大切だ。
ネガティブな ”情報” は、ネガティブな “状況” とイコールじゃない。
ネガティブな “状況” を生み出すのは、自分自身の「観念」だ。
そのことをいつも頭の片隅に置いて、ネガティブ情報にフォーカスしないということを心がけていると、自分自身の心地よい状態をキープしやすくなると思うよ。
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