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 さあ、面白くなってきました。

考え方一つで、人生はどんどん楽しくなるね

ガンダム理論 ~究極のスピリチュアル~

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Mrsiraphol - jp.freepik.com によって作成された technology 写真

  

前回の記事では、僕たち人間の本質は「魂」なんだけど、今はその一部が一時的に地球にやってきて、地球上での体験を楽しんでいるんだということを書いた。

でも、かなり抽象的でイメージしづらい話だと思うので、今回は僕が考えた “ガンダム理論” で別の角度から説明するよ。

 

今回もかなりぶっ飛んだ内容だからね~。(笑)

 


さて。


僕らは通常、自分の身体は自分のものだと思ってるよね。

手、足、胴体、目、鼻、口、耳、爪、脳みそ、内蔵、骨、髪の毛・・・全部自分のものだと思ってる。

(当たりまえだろっ!っていう声が聞こえてきそうで怖い…。笑)


でも、僕の “ガンダム理論” では、これを全部 借り物だと考えるの。

この身体は自分のものではなくて、一時的にお借りしているものと考える。


機動戦士ガンダムに例えると、僕のこの身体が「ガンダム」で、僕の本質である魂が「アムロ」という状態。


あ。ガンダムのことを知らない人のために簡単に説明すると、「ガンダム」というのはモビルスーツという巨大なロボットで、「アムロ」という少年がそのロボットのコックピットに入って操縦し、敵と戦う話だよ。

 

アムロという操縦者がいなければガンダムはその力を発揮できないし、ガンダムがなければアムロはほぼ無力だ。

もちろんアムロはガンダム以外のモビルスーツに乗ってもいいんだけど、自分でガンダムを選択して、それにに乗り込み、そして操縦しているわけだ。


で、これは魂レベルから見た僕ら人間と全く同じ構造なんだよね。

僕は、今回の地球上での人生において、この身体(=ボディ)を自ら選択して、そこに「魂」として入ってきたというわけ。


僕の場合は、わざわざ、身長は低めで足が短く、髪の毛は薄くて、ルックスは普通、肌は黄色、おなかが弱くて疲れやすい、筋肉質だけど運動神経はそこそこという、ちょっと残念な感じのボディを選んじゃったわけだけど。(笑)

 

ガンダムで言えば「ザク」を選んでしまったことになるかもしれないね。

でも、「ザク」で強敵を倒せたら気持ちいいよね。

本当はもっと背が高くてイケメンなボディを選んでも良かったんだけど、それだと人生楽勝すぎてつまらないし。(笑)


まあ、それはさておき、ここで重要なのは、その乗り込むためのボディを選んだのは、あくまでも魂の時点での僕自身ということだよ。

僕が自分の意思でこのボディを選び、魂として入り込んで操縦席に座った

そして操縦者である僕は、この取り扱いが難しいボディを試行錯誤しながら操縦してる、というのがこの人生なんだよね。


ちなみに、誤解を恐れずに言えば、“五体不満足” の乙武さんなんかは、乗りこなすのがめちゃくちゃハードなボディを選んじゃったということになる。

 

つまり、この “ガンダム理論” で僕が言いたいのは、「魂」としての本来の自分と、物理的な身体を切り離して考えると面白いよっていうことだ。


この2つを別々のものとして考えると、もしボディが壊れて使えなくなってしまったとしても、そのとき「アムロ」である僕はいったんボディから抜け出すだけのことだ。

そこからまた別のボディを探すのもいいし、しばらくは「魂」の状態を楽しむのもいいし、どちらにしてもそれまで借りていたボディに拘束されない状態になる。

いわばボディから解き放たれた「自由な状態」になるわけで、つまりそれが「死」と呼ばれる現象だ。

 

だけど、僕らは通常、“ガンダム理論” で人生を考えてはいない。

身体は自分のものだと思い込んでしまってる。

 

でも、それは「アムロ」が、乗り物であるはずの「ガンダム」を自分自身だと勘違いしちゃってるのと同じことだ。

ガンダムと自分を同一視してしまうと、ガンダムが壊れて動けなくなったときに、自分も壊れて動けなくなってしまったかのように苦しむことになる。

本当は自分は無傷なのに。

 


僕らの本質は「魂」だ

身体は単なる借り物だ

 

でも、そんなふうに考えちゃうと、この身体を粗末に扱うことになっちゃうんじゃないか?って思う人もいるかもしれないね。

だけど、自分のものではないからこそ大切に扱おうという気になるものなんじゃないかな?

 

少なくとも僕は、自分のものは乱雑に扱っちゃうことがあるけど、借りたものは丁寧に扱う

もしかしたら、これは日本人的な感覚なのかもしれないけどね。

 

だから、“ガンダム理論” で考えたときに、僕はこの身体を「ちゃんとメンテナンスしてあげなきゃ」とか、「あまり無理させると壊れちゃうから、酷使するのもほどほどにしておこう」とか、「ゆっくり休ませてあげよう」とか、「燃料は足りてるかな?」とか、いろいろ気遣う気持ちになってくる。

 

“ガンダム理論” で肉体を客観視できるようになると、「自分の身体」だと思っているものとの向き合い方が変わってくる。

向き合い方が変われば、扱い方が変わる。

扱い方が変われば、当然人生が変わる。

 

こういうことをアニメで表現するなんてちょっとふざけてるし、なかなか納得できない考え方かもしれないけど、この “ガンダム理論” はスピリチュアルの本質なんじゃないかなぁって、僕は密かに思ってるんだよね。

 

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宇宙人が教えてくれたこと ③地球で生きる意味

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前回の記事では、「永遠の魂」としての自分の存在について書いた。

 

 

前回は、今この地球上で暮らしている自分の魂というのは、もともとは宇宙と一体なんだけど、そこから何回か枝分かれしたハイヤーセルフがさらに分岐して地球にやってきてる状態らしいよ、っていう内容だった。


で、今回は、どうして高次元の魂であるハイヤーセルフは、わざわざ一部を分離して地球上で “人間をやっている” のか? という話だ。


地球上で生きていれば、楽しいことや嬉しいこともあるけど、辛いことや悲しいこと、苦しいこともたくさんある。

中には、生きる意味を感じられずに自ら命を絶つ人さえいる。

にもかかわらず、なぜわざわざ僕らは地球にやってきたのか?


結論から言うと、それは、非物質次元の魂のままではできない体験をするためだ。

物理的な肉体を持っていないと経験できないことをするために、わざわざ魂の一部を分離して地球にやってきてるということだ。 

 

  • 人肌の温もりや柔らかい感触
  • そよ風が頬に当たる心地よさ
  • 雄大で美しい自然の風景
  • 小鳥のさえずり
  • 小川のせせらぎ
  • 焼きたてのパンの香り
  • 新鮮な食材の味
  • 冷えたビールののど越し


数え上げるとキリがないけど、そういうことは肉体をもっていないと味わえない。

一方で、

  • 人から殴られて痛みを感じる
  • 突然の大雨でずぶ濡れになって震える
  • あまりの寒さに指先の感覚がなくなる
  • 出産時の痛みと苦しみ
  • 肩凝りに悩まされる
  • 働きすぎて疲れが取れないダルさ
  • 電車の中で急に便意を催して苦しむ
  • タンスの角に足の指をぶつけて悶絶する


一見ネガティブに思えることだって、肉体がなければ経験できないよね。

 

つまり僕たちは、ポジティブなこともネガティブなこともすべてひっくるめて、肉体を持っていないと味わえないことを体験するためにこの地球にやってきてる、ということらしい。


ちなみにこれは、僕らがテーマパークに遊びに行くことに例えられたりもする。

 
僕らの普段の暮らしは、「日常生活」って言われるよね。

朝起きて学校に行くとか、会社に行くとか、家事をするとか、大体同じような行動をして日常生活を送ってる。


でも、それだけでは味気ないから、休日はどこかに遊びに行って「非日常」の体験を楽しむ。

テーマパークに遊びに行って、日常生活では味わえない特別な体験を楽しんだりもする。


だけど、テーマパークのアトラクションっていうのは、心地よいことばかりではないよね。

わざわざスリルを味わうために絶叫系マシーンに乗ったり、ハラハラするような冒険アトラクションに挑戦したり、お化け屋敷に入って恐怖を感じたり、映画を見て涙を流したりもする。

 

そういう、感情が振り回されるいろんな体験も含めて、「夢の国」の世界観全体を楽しむわけだ。


で、バシャールをはじめとする宇宙人たちが言うには、地球上での僕らの暮らしもまさにそれと同じなんだよ、ってこと。

悲しいことも辛いことも苦しいことも全部含めて、いわば地球という壮大なテーマパークでの暮らしを僕らは味わっているということだ。


そして、一人の人間として地球上での暮らしを味わい楽しみ終えたら、「死」というゲートをくぐり、また非物質次元に帰っていく。

 

僕らの本来の姿は、高次元意識としての永遠の魂(これが魂としての日常)なんだけど、それだけではつまらないので、魂の一部を分離して地球にやってきて、非物質次元では経験できないこと(つまり魂としての非日常)を味わってるということなんだろうね。


だから、楽しいことや嬉しいことだけじゃなくて、辛いこと、苦しいこと、悲しいことも全部味わっちゃえ!っていう意識になれると、この地球での暮らしがより良いものになるかもしれないよ?

かなり難しいことだとは思うけどね。(笑)

 

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【2020年】マイヒット商品ランキング

お題「#買って良かった2020

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さあ、今年もやってまいりました!

毎年恒例の、「マイヒット商品ランキング」のコーナーです!

 

・・・ごめんなさい、ウソです。

このブログは今年の9月から始めました。(笑)

 

実は、ほかのブロガーさんたちが、今年自分で買ったもののランキングなどを発表されていて面白かったので、僕もやってみることにしました~。

 

ちなみに、ランキングの一部の商品にリンクを貼っていますが、これはアフィリエイトリンクです。

このリンクから商品を購入していただけると、皆さんは無傷で、でも僕の懐にはがっぽがっぽ小銭が入ってくるので、ぜひよろしくお願いします。(笑)

 

というのは半分冗談ですが、半分本気です。(笑)

 

 

では、早速いってみましょう!

今年のマイヒット商品ランキング・トップ10!

 

まずは第10位です!

 

 

【第10位】コーヒーの生豆

 第10位は、家の近所にできたコーヒー豆屋さんの生豆ですっ!(笑)

 

僕はドリップコーヒーが苦手なので、家でコーヒーを飲むときは豆から挽いてフレンチプレスで淹れて飲んでるんだけど、 近所のコーヒー豆屋さんは、生豆で販売してるんですよ。

店頭で豆を選ぶと、その場で焙煎してくれるんです。

ということで最近は、煎りたての新鮮な豆でコーヒーを淹れて飲むのにハマってます。

 

ちなみに、焙煎直後のコーヒー豆って、そのままボリボリ食べれるって知ってました?

そんなに美味しいわけではないけど、豆の風味をダイレクトに感じられて面白いですよ。

 

ということで、まず第10位はコーヒーの生豆でした!

 

 

【第9位】スマートウォッチ

そして、マイヒット商品、第9位はスマートウォッチ!

僕が買ったのは、シャオミという中国メーカーの商品で、「Xiaomi Mi Smart Band 4」というやつです。

 

以前から、スマートウォッチには関心があったんですけど、Appleウォッチのデザインがどうにも気に入らなくて、これまでご縁がなかったんですよね。

 

ただ、今年はコロナの影響でジム通いをやめてから体重が増え始めたこともあって、万歩計がわりに買いました。

3,000円台なので、飲み代1回分程度で買えるならいいかな?というくらいの軽い気持ちで、あまり期待はしてなかったんだけど、半年以上経った今もバリバリ活躍してくれてます。

 

時計以外で主に使ってるのは、活動量計(万歩計とか睡眠状態の計測など)の機能だけですが、バッテリーは月に1~2回の充電で十分だし、何よりデザインがシンプルで気に入ってます。

コスパはかなりいいですし、中国製品に対するイメージが変わりました。

 

ただ、ほかの機能を全然使いこなせてないので、今回は第9位になってま~す。

 

 

【第8位】iPhone11

そして、マイヒット商品第8位は、iPhone11です!

 

えっ? iPhone12じゃなくて? っていう声が聞こえてきそうですが…。(笑)

 

実は最近まで使ってたiPhone8の画面が割れてしまったので先月買い替えたんですが、どうせ5Gは使いこなせないだろうし、カメラ機能もそこまで必要ないし…って考えたら、とりあえずはiPhone11でいいかなーと。(;^_^A

 

iPhone8から11に変えるとサイズが明らかに大きくなっちゃうので、持ち運びづらそうで嫌だな…と思ってたんだけど、慣れてしまえば逆に便利になって、今はもうすっかり馴染んじゃってます。

最近のスマホは値段が高くてちょっと萎えちゃいますが、でも小さいパソコンだと思えば、仕方ない価格ですよね。

iPhone12発売後だったので、結構安く買えたし、まあ満足してます。

 

 

【第7位】メルカリ

続いて第7位はメルカリですっ!

 

お恥ずかしいことに、メルカリはこれまでほとんど使ってなかったんですけど、今年になってから使い始めて、今ではすっかり手放せなくなってます。

 

最近は、新品じゃなくてもいいかな?っていうものはほとんどメルカリで買ってますね。

 

あと、農産物とかは、農家の人から直接購入できるのがいいですね~。

つい最近も、ミカンやリンゴをかなり格安で買いましたよ。

楽天とかヤフーみたいな通販サイトで買うよりも安いし、評価や口コミもちゃんと見れるので、おすすめです。

 

 

【第6位】ワイヤレスイヤホン

そして第6位はワイヤレスイヤホン!

 

ワイヤレスイヤホンは、欲しいなーとは思いつつも、普通の有線イヤホンでも音はちゃんと聞こえるし、そこにお金をかけなくてもいいかなーとか思ってたんですが…。

ちょうど1年くらい前に買ってみて、何でもっと早く買わなかったんだろう…って後悔しました。(笑)

 

あの有線のわずらわしさは、ワイヤレスを使ってみて初めてわかることですね。

一度ワイヤレスに変えたら、もう有線には戻れない。。。

あなた無しでは生きていけないわ状態になってから、早いものでもう1年経ちました。

これからもよろしくね、ワイヤレスくん。

 

ちなみに、1年前に買ったやつはどこかに置き忘れてしまって、この夏に2つ目を買い直しました。

これもスマートウォッチと同じく中国メーカーの製品で、「SOUNDPEATS Truefree 2」というやつだけど、コスパはかなりいいと思うし、なにより僕の耳にぴったりフィットしてくれるのが最高です。

 

ただ、イヤホン単体では4時間くらい充電がもつはずなんだけど、3時間くらいでバッテリーが切れることがあるのでそこはちょっとアレだなー。

音量によっても違うのかもしれないですけど。

 

ちなみに、僕が買ったときはセールで3000円くらいでしたよ。

 

 

 

さて、いよいよここからはトップ5に入りまーす!

 

2020年のマイヒット商品、第5位は~?

 

 

【第5位】のんある気分 DRY レモン&ライム

 第5位は、のんある気分!

 

これも、コロナ太り解消のためにお酒を控えるようになってから、アマゾンの定期便で買ってます。(笑)

アルコールの代わりに飲める上に、脂肪や糖質の吸収を抑える成分が入った機能性食品なので、一石二鳥な感じです。

 

何より、甘さ控えめでスッキリしてて、ビール代わりにグビグビ飲めるのがいいですねー。

夕食のときにこれをグーッと飲めば、ビールを飲まずに済みますよ。たぶん。(笑)

 

しかも、Amazonの定期便にすれば1本当たり106円だから、ビールの代わりと考えたら結構節約にもなると思います。

 

ちなみに、「のんある気分」の、ほかのやつじゃダメです。

ほかのもいろいろ飲んでみたけど、「のんある気分DRY レモン&ライム」が僕にとってはベストでした。

 

 

 

【第4位】スパイスカレー

そして第4位は、私が最近ハマってるスパイスカレーです!

これは、ふらはなさんという方がブログで書かれていたのを見て挑戦してみたんですが、いきなりハマってしまいました。

 

 

でも、スパイスカレーってつくるのが難しそうですよね。

僕も、スパイスカレーはお店で食べるものであって自分で作るものではない、、、って勝手に思い込んでいたんだけど、実は簡単につくれて、しかも奥深くて、めちゃくちゃ面白いですよ。

 

玉ねぎ、トマト、にんにく、しょうが、鶏肉、塩、スパイスだけで、こんなに美味しい料理ができるのかっ!って衝撃を受けました。

 

もちろん、玉ねぎとトマトを炒めるのに1時間以上かかるけど、でも、その炒めてる時間も癒されるというか、まあ、とにかくハマってるわけです。(笑)

ぜひ皆さんにも一度作ってみてほしいなぁ。

 

ちなみに、もし本を買うなら、ふらはなさんも紹介されていたこの本が超おススメです!

 

 

スパイスカレーを作るために必要なメソッドとテクニックが懇切丁寧に書かれているので、これを読めば初心者でも簡単に挑戦できると思います。

書籍としてはちょっと高額ですが、家族で本格的なカレー屋さんに行ったらこんな値段じゃ済まないですからね。

それに、この本さえあればどんなスパイスカレーでもつくれるような気がしてきますよ。(笑)

 

ちなみに、このスパイスカレーが今回のランキングの1位でもおかしくないんだけど、まだつくり初めて1カ月くらいしか経っていないので、今回はちょっと控えめに4位ということにしときました。

果たして、来年2021年のランキングではトップになっているのでしょうか??(笑)

 

 

さあ、ということで、いよいよここからはトップ3の発表です!

 

マイヒット商品、第3位は、微発泡ワインですっ!!

 

 

【第3位】微発泡ワイン

商品名は、「レ・ヴァカンツェ・シャルドネ・フリッツァンテ・デル・ヴェネト」って書いてあるんですけど、どこまでが名前なのか、ほんとにこんな長い名前なのか、よくわかりません。。。(笑)

 

そもそも、微発泡ワインって何? スパークリングワインじゃないの?って思いますよね。

それについても、難しいことは僕にはわかりません。(笑)

たぶん、スパークリングワインだと思いますが。(笑)

 

ただ、普通のスパークリングワインに比べると泡が軽くて、しかも辛口なので、グイグイ飲めちゃって怖いくらいです。

一人でも余裕で1本開けちゃいます。(笑)

 

僕はワインに詳しいわけではないんだけど、この微発泡ワインはすごくバランスがよくて、コスパは最高だと思いますよ。

ちなみに、商品説明欄にはこんなふうに書いてありました。

 

イタリアの造り手が、夏のバカンスにゆったりと満喫しながら、 食前に、そしてアンティ・パストそして魚料理とともにこの夏を贅沢に過ごすために造られた絶妙のスパークリングです。

杯が進むと、戻る温度とともに泡もゆったりと落ち着いた泡にかわり、合わせてシャルドネの美味しい旨味が現れてきます。

乾杯では喉を潤おすかのようなクリーミーで絶妙の刺激を放つ泡が楽しめ、食事が進んでいくと、特にアンティ・パストや魚料理との抜群の相性が期待できるシャルドネの美味しい果実味が満喫できる素晴らしいパフォーマンスを持っています。

 

【あまりの爆発的人気に特別独占輸入が決定】

この価格にして極上シャルドネ100%!業界騒然!

『あれは凄かったよ!とてつもなく安いよね!』

シャルドネ旨味たっぷりに絶妙なる弱発泡が堪らなく口中を愛撫!

モノ凄い人気!今までに通算48000本以上が完売!

 

なんだか凄そうですよね。(笑)

 

いや、でもこれはあながち大げさでもなくて、我が家はこれを箱買い(12本)してるんですが、週に1本ペースでなくなっていきます。(;^_^A

今年の夏に初めて買ったんですが、もう既に2回(24本)注文しました。

 

みなさんにも、ぜひ一度試してみていただきたいコスパ抜群のスパークリングワインです。

・・・って、結局スパークリングワインなんかーい!

 

 

 

さあ、いよいよ佳境に入ってまいりましたマイヒット商品ランキング!

堂々の第2位は!!!

 

 

【第2位】ぬか床

な、なんと、第2位はぬか床でした~。(笑)

 

実は春先に、今は空き家となっている祖父母の家に行ったとき、祖母が漬けていたぬか床がまだ生きているのを発見したんです。

で、その種を持って帰ってぬか床を育ててみたら大成功!

懐かしい祖母のぬか漬けの味を再現することができました。

 

ぬか床は、特に気温が高い夏は管理が少し大変ですが、毎日しっかりかき混ぜてあげれば、野菜を突っ込んでおくだけで美味しい漬物をつくってくれるスグレモノです。

 

しかも、ぬか漬けの乳酸菌は植物性乳酸菌で、ヨーグルトよりも優秀らしくて、毎日ぬか漬けを食べるようになってから体調もいい感じです。

 

ちなみに、ぬか床をつくるには、お米屋さんで米ぬかを分けてもらって、塩と水と唐辛子などを混ぜて熟成させるのが一番です。

ただ、そんな手間はかけたくないという方は、すでに熟成されたぬか床が簡単に手に入るので、こういうのを買ってもいいかもしれませんね。

 

 

ということで第2位は、意外な伏兵、ぬか床でした~!(笑)

 

 

さあ、2020年のマイヒット商品ランキングも、ついにここまでやってきました!

栄えある第1位に輝いたのは、いったい何だったのでしょうか~??

 

 

【第1位】YouTubeプレミアム

第1位は、意外にもYouTubeプレミアムでした!

 

ソフトバンクでYouTubeプレミアムが3カ月間無料になるキャンペーンをやっていたので、とりあえず3カ月間だけやってみようと思ったところが、、、どっこい!

広告なしで動画が見られるのと、バックグラウンド再生(アプリを閉じたりスマホの画面をオフにしても音声が聞こえる機能)の威力にすっかりハマってしまいました。

 

今では、通勤時や料理をしているときなど、常にYouTubeをバックグラウンド再生して聞いています。

 

ちなみにこのYouTubeプレミアム、iPhoneだと月額1,550円、それ以外は1,180円です。

僕はiPhoneなので毎月1,550円も払ってるんですが、もうこの機能なしでは生きていけません。(笑)

 

完全にGoogleさんの掌の上で転がされている私です。(;^_^A

 

 

ということで、長い長い記事になってしまいましたが、最後までお付き合いいただき、どうもありがとうございました!

 

また来年、ここでお会いしましょう!

どうぞよいお年をお迎えくださいませ。(笑)

 

 

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宇宙人が教えてくれたこと ②永遠の魂

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僕は以前、死生観について書いたことがあったけど、そのときは詳しく書かなかったので、今回は宇宙人が教えてくれたシリーズの2回目として、「永遠の魂の存在である自分」ということについて書くね。

 

ちなみに、宇宙人が教えてくれたシリーズ第1回目の記事はこちら。

 

ところで、あなたは、「人は死んだらどうなるの?」「生まれる前はどこにいたの?」って聞かれたら、どう答えるかな?
 

多くの日本人は、死生観について明確な答えを持っていないかもしれない。

いや、もしかしたら、死んだらおしまい、消滅してすべてが終わる、と思っている人が多いのかもしれない。

もちろん、「死」や「死後の世界」については科学的に証明できるわけではないし、宗教によってもいろいろ考え方が違うと思う。


ただ僕は、母が亡くなった後にいろいろと不思議なことを経験してから、人は死んで身体がなくなっても魂はずっと生き続けると思うようになった。


そして、バシャールをはじめとする宇宙人たちも、僕らは「永遠の魂の存在」だということを教えてくれている。

この地球上に生まれる前から僕らは魂として存在していて、死後もまた魂の状態に戻って存在し続けると言っている。


つまり、僕らはもともと永遠に生き続ける魂としての存在であって、それが今、一時的に地球にやってきて “人間をやっている” だけ、というわけだ。


そして、ここでポイントになるのが、僕らの魂の本体は宇宙の別の次元にあって、その本体の一部が分離して今地球上で暮らしているということだ。

スピリチュアル的には、本体である別次元の魂は、自分自身の高次元の意識という意味で「ハイヤーセルフ」とか「ハイヤーマインド」と呼ばれてる。

一方で、今この地球上での僕らの意識、物理次元の意識のことは「フィジカルマインド」って呼んだりする。
 

ハイヤーセルフについて書くと、それだけでかなりの量になっちゃうので、今回は踏み込まないでおこうと思う。

ここで言いたいのは、僕らはもともとハイヤーセルフと一体の存在なんだけど、今はこの物理次元の地球で生きるために、その一部を分離してやってきてる魂だということ


それと、第1回目の記事でも書いたけど、宇宙はもともと1つの存在で、「宇宙 = 神 = 自分」であるという大前提がある。

宇宙のすべての存在はもともと一つなんだけど、そこから何回か分岐して、今この物理次元の僕の魂が存在してるというわけだ。

「宇宙 = 神(森羅万象・大いなる源・ソース)」から分岐したオーバーソウルという魂の塊があって、そこから分岐したのがハイヤーセルフ、そしてそこからさらに分かれて地球にやってきてるのがフィジカルマインド(今の僕たち)、ということらしい。


例えばここに、水を満々とたたえる大きな湖がある。

これが、宇宙全体であり、神であり、ソースと言われるものだとする。

で、その湖から大きなバケツで水を汲んできたとして、このバケツの中に入っている水がオーバーソウル

そして、そのバケツから、手桶で汲んだ水がハイヤーセルフ

そして、手桶の水の一部をグラスに入れたものが、今の物理次元の私であるフィジカルマインド

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もともとは大きな湖の水なんだけど、今はグラスの中の水が「私」として知覚されているわけだ。


水を例に出してしまったから、いずれ蒸発して消えたりしそうだけど、魂は消えない。

この地球上で肉体が滅んでも、宇宙の一部である「魂としての自分」は永遠に存在し続ける

物理的に死んだ(= グラスが割れた)後は、手桶やバケツの中にまた戻るだけだ。

 


これが、バシャールをはじめとする宇宙人が教えてくれた宇宙と魂の構造を、僕なりに解釈したものだよ。

 

ふむふむ、なるほど。

もともと「永遠の魂」である僕らが、一時的に “人間をやっている” のが今の状態ということはわかった。(←ということにしてね。笑)

宇宙という大きな永遠の魂の一部の、そのまた一部のハイヤーセルフの、さらにまた一部分が自分だっていうこともわかった。

だけど、じゃあハイヤーセルフである僕らはなぜ、わざわざその魂の一部を分離して地球にやってきたんだろうか?っていう疑問が出てくるかもしれないね。

でも、長くなっちゃったので、それについてはまた次回書くことにするね。

 

今回も最後まで読んでくれて、どうもありがとう!

 

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ネガティブ情報との接し方

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前回の記事の中で、ネガティブな情報は受け取らなくてもいいし、自分で勝手にポジティブに変換して受け取ることだってできるということを書いた。

 

 

前回は、僕に向けられた誹謗中傷コメントについて書いたけど、僕が目にするネガティブ情報は、必ずしも僕宛てのものとは限らない。

 

僕は新聞やテレビをほとんど見ない生活をしているから、どちらかというとネガティブ情報に触れる機会は少ないほうだと思う。

それでも、インターネットを利用していれば、ネガティブな感情を持ってしまうニュースは目につく。

例えば、小さな子どもが犠牲になるような事件とか、戦争とか。

まあ、ニュースの多くはネガティブな話だけどね。


そんなときは、当然ながら僕もネガティブな気持ちになってしまうんだけど、そういうニュースにいつまでもフォーカスしないようにしてる。

犠牲になった子どものことを考え続けるのではなくて、そんなことがない世界をイメージすることでフォーカスする対象をズラして、意図的にネガティブ感情に飲み込まれないようにしたりとかね。


そうすれば、ネガティブなニュースを引きずって、嫌な気分で一日を過ごすということはなくなるからね。

もちろん、その問題を解決したい!なんとかしてそういうことがない世の中にしたい!という気持ちが強ければ、そういうことを考え続けることもあるかもしれないけど、今の僕は、とにかく “自分自身が心地よい状態であること” を最優先にしてる。


とはいえ、中には、フォーカスするのをやめたくてもやめられないときもあるよね。

そういうとき僕は、自分はなぜそのネガティブ情報へのフォーカスをやめられないのか?っていうことを考える。

自分の中のどういう「観念」が、その情報へのこだわりを生んでいるんだろう?って考えるの。

 

例えば、前回の記事で書いた、ネット上で突然暴言を浴びせられたということを例にしてみるね。

僕は「〇ね クソ〇〇」というコメントを見て、ずっと嫌な気分になってるとする。
(実際には、そうならなかったけど。笑)


そこで僕は考える。

なぜ僕はそのことにフォーカスし続けてるんだろう?

僕の中にあるどんな「観念」がそうさせているんだろう?って。

 

ただ、その前に、まずは今何を感じているのかを洗い出してみる。

そうすると、いろいろな感情が湧き上がってくる。

 

  • 自分はそんな暴言を浴びせられるほどの悪いことをしたんだろうか?
  • 何も悪いことをしてないのにこんな目に遭うのは理不尽だ!
  • そもそも見ず知らずの人に暴言を吐くなんて許せない。
  • 人にそいういうことを言うって、いったいどんな神経をしてるんだ?
  • 何なんだこいつは!ほんと腹が立つ!

などなど。(笑)

 

そして、じゃあ、そういう感情が湧いてくるということは、僕はいったいどんな「観念」を持っているのだろうか?って考える。

 

すると、

  • 人には敬意を持って接しなければいけない
  • 人を傷つけるようなことを言ってはいけない
  • 理由もなく嫌な目に遭うのはおかしい

といったような、僕が持っている “~ねばならない” とか “~べきだ” といった「観念」が出てくる。


もっと深堀りできると思うけど、とりあえずはここまで来れば十分だ。

フォーカスする対象が、「僕を誹謗した人」から「僕自身が持っている観念」に変わったから。


そうすると、「なるほどー。僕はこういう観念を持ってるんだな。だからその人にこういう感情を持ったんだな」というふうに考えることができる。

そして、わけもなく怒りが湧いていたときと比べると、ずいぶん気持ちが変化してることにも気づけると思う。


あとは、自分が持ってる「観念」について深堀りするのもいいし、こんな「観念」を持ってることに気づけて良かった~♪ と思うのもいいし、もっと別の「観念」もあり得るのかな?とか、思い切って「観念」を書き換えてみよう!とか、いろいろやってみるのもいいかもしれない。

なにはともあれ、状況を俯瞰して、ネガティブな情報に飲み込まれるのを回避することが大切だ。

 

ネガティブな ”情報” は、ネガティブな “状況” とイコールじゃない。

ネガティブな “状況” を生み出すのは、自分自身の「観念」だ。

 

そのことをいつも頭の片隅に置いて、ネガティブ情報にフォーカスしないということを心がけていると、自分自身の心地よい状態をキープしやすくなると思うよ。

 

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要らないものは受け取らない。

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インターネットは瞬時にして世界と繋がれるツールだから、ネット上で情報発信してると、まったく想像もしないようなことに出くわすことがある。

ポジティブなことだけじゃなくて、もちろんネガティブなことも。

 

先日、突然こんなコメントが来た。

 

「◯ね クソ◯◯」

 

見ず知らずの人からこんなことを言われるのもネット社会ならではのことだよね。(笑)

 

僕はスピリチュアルなことをたくさん発信してるから、多分そういうのが嫌いな人なんだろうなと思う。

ただ、本人が何を意図してそういうコメントをしたのか、実際のところはわからない。

 

もしかしたら僕を傷つけることが目的なのかもしれないけど、僕はネット上で批判されても何のダメージも受けないんだよね。

それについては以前こんな記事も書いた。

 

 

誰も僕を批判することはできない。

それは、相手が、僕という人間のことを知ってるわけではないから。

家族でさえ僕のことをすべて知ってるわけじゃない。

いや、もっと言うなら、僕自身でさえ自分のことがわかっていない。

 

知らないのに批判しても、的には当たらない。

的外れな批判ではダメージを与えることはできない。

 

それに、もし偶然に的に当たったとしても、その批判や誹謗中傷を受け取るかどうかは僕が決めることだ。

僕が受け取らなければ、それは空中分解して消滅するだけのことだ。

 

あ。いや、違う。

消滅するわけではないかもしれない。

というのも、こんな話がある。

 

悟りを開いたブッダは人々の尊敬を集めていたが、それを快く思わない男が、群衆の前でブッダに向かってさんざん悪口を言った。

しかしブッダは何も言わずに、ただずっと黙ってそれを聞いていた。

 

そして男が悪口を言い終わった後で、男に対してこう言った。

「あなたのところに客が来たとする。あなたはその客に食事を出したけれど、その客が食事を受け取らなかったとしたら、その食事は誰のものになるだろうか?」

 

そこで男はこう返事をした。

「それは言うまでもない。客人が食事を受け取らないのだから、その食事は出した主人のものになるだろう」

 

それに対してブッダはこう言った。

「あなたが差し出した悪口を私は受け取らない。その悪口は差し出したあなたのものだから、そのまま持って帰るがよい。」

 

言われた男はハッとして、何も言えなくなってしまった。

 

批判や悪口というのは、僕が受け取らなければ、僕のものじゃない。

僕に誹謗中傷のコメントをくれたその人も、残念ながら僕にダメージを与えることはできない。

 

だって、コメントを見たときは一瞬意味が分からなくて「えっ?」と思ったけど、次の瞬間、僕は「おっ。これはいいブログネタができたぞ!」って思っただけだから。(笑)

 

どれだけネガティブな情報であっても、それを受け取るかどうかはその人次第だし、ネガティブ情報をこちらで勝手にポジティブに変換して受け取ることだってできる

僕はブッダではないから、いつもそんなことができるわけじゃないけど、もしできるようになれば、人から傷つけられることなんてないんだろうな。

 

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「したいことしかしない」の効用。

 

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前回の記事で、僕は自分の好きなことしかやってないから、日々の生活自体がご褒美だっていうことを書いた。

 


自分で読み返してみても、これだけ読むと、好き勝手やってて結構ひどい人に見えるなぁって思った。(笑)


ただ、自分のやりたいことしかやらない、自分がやりたくないことは極力やらない(頑張らない)という生き方をすると、自分自身にはもちろんのこと、自分の周囲にも良い影響があると思うんだよね。


まず、自分自身にとって良いことは、当然ながら無駄なストレスがなくなるということ。

やりたくないことを我慢してやり続けてるとストレスがどんどん溜まっていくけど、今の僕にはそれがない。

だから、心地よい状態をキープし続けることができるんだよね。

 

心地よい状態を保つことは人生において何より大事なことだと思うし、それに過度なストレスは病気の元だからね。


そして、自分自身が心地よい状態を保つことができれば、いつも心にゆとりがあるので、周りの人にも優しくできる


それと、自分の周囲の人に恩着せがましくならないというのもある。

つまり、「~してあげたのに」っていう気持ちが全く湧いてこない。

これは考えてみれば当然なんだけど、すべて自分が好きでやってることで、やりたくないことはやらないというスタンスだと、「~してあげたのに」なんて思うわけがないんだよね。


恩着せがましくないと、自分も相手も心が健やかな状態でいられる。

これは社会貢献にもつながる話かもしれないね。

 


日常生活の中でやりたくないことを嫌々やってる人は、できることから少しずつ手放してみるといいかもしれないよ。


ちなみに僕は毎晩夕食をつくってるけど、年に何回かは作りたくない日もあって、そういう時はカップラーメンで済ませたりしてる。

だけど、カップラーメンのときのほうが子どもたちが喜んだりするんだよね、これが。(笑)


こうじゃなきゃいけない!これをしなきゃいけない!と思ってるのは、自分自身。

ほかにも選択肢はたくさんあるし、何も選ばないという選択肢だって本当はあるはずなんだよね。

 

だから僕はこれからも、できるだけ「ねばならない」を排除して、 “頑張らない道” を歩んでいきたい。

 

そういえば、Appleの創業者スティーブ・ジョブズ氏がこんなことを言っていたので、最後に紹介するね。 

 

If you are working on something exciting that you really care about, you don’t have to be pushed. The vision pulls you.

あなたにとって本当に大切でワクワクすることをやっているなら、頑張る必要はない。ビジョンがあなたを導いてくれる。

 

Steve Jobs/スティーブ・ジョブズ

 

それにしても、「push」と「pull」の使い方がうまいなぁ。 

 

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ご褒美はもらえない。

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今週のお題「自分にご褒美」について書こうと思う・・・

 

 

 

・・・んだけど、全然思い浮かばないんだよね。(笑)

 

で、気づいたんだけど、やっぱり僕は、自分にご褒美をあげるほどのことをしてないんだと思う。

そもそも、このお題の「自分にご褒美」という言葉は一部が省略されていて、省略せずに書くと、「頑張った自分にご褒美」ってことになるんじゃないかな。

 

つまり、ご褒美っていうのは、何かを頑張って、それをやり遂げたり成果を上げたりした人がもらえるものだと思うけど、それでいくと僕はまったくもって頑張っていないんだよね…。(笑)

 

頑張らない生き方については、こんな記事でも書いたけど、

 僕はできるだけ自分がやりたいことしかやらないようにしてる

 

このブログも毎日のように書いてるけど、それは書きたいから書いてるだけだし、毎日家族にご飯をつくってるのも、自分がつくりたいからつくってるんだし、掃除も食器洗いも好きでやってる。

洗濯はキライだからやらない。ははは。w

 

子どもが「一緒にお風呂に入ろう」とか「一緒に遊ぼう」と誘ってきても、他にやりたいことがあるときは自分のやりたいことを優先する。

大好きな温泉に行きたいと思えば家族を置いてでも一人で行くし、飲みに行きたくなれば夜中に一人でバーに行くこともある。

 

そういえば、去年の今頃、突如思い立って一人で韓国旅行に行ったときは、さすがに家族全員にドン引きされたね。(笑)

 

でもね、そうやって生きてると、だんだん周りも「この人はこういう人なんだ」っていう空気になってきて、何をやっても諦めてもらえるようになるから不思議だよね。

最近は子どもたちも、「お父さんは宇宙人だから仕方ない」と思ってるしね。(笑)

 

 

そう考えると、やりたいと思ってないのにやってるのは仕事くらいだけど、そこまで強烈にやりたくないわけでもないし、それに、ご褒美をもらうほど仕事を頑張ってるわけじゃないからなぁ。

 

つまり、生活のほとんどが自分がやりたくてやってること、自分の意思で選択してやってることばかりなので、普段の生活そのものが全部ご褒美ということになるのかもしれない。

 

逆に言えば、こんな僕を放置してくれて、こんな生活を続けさせてくれている家族や周囲の人たちにご褒美をあげなきゃいけないくらいだよね。(笑)

 

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有名と無名のループ

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僕はそれほど社交的な性格ではないし、目立ちたがり屋というわけでもないから、「有名人」になりたいとは思わない。

でも、30代前半くらいまでは漠然と、自分の進む道でそれなりに功成り名を遂げたいと思ってた。

 

考えてみれば、中学生のときの愛読書が司馬遼太郎の『竜馬が行く』だったから、まあ、大きな志を持って世の中にインパクトを与えるようなことをして、それが社会に認められるということに憧れていたんだろうと思う。


だけど、新卒で入った会社で心身を病んで、その後パチスロで生活していたこともあったくらいだから、現実は全く違ってた。(笑)


それで、当時はとにかく、何も成していない自分、「無名」である自分が嫌で、許せなかった。

何かもっと “大きなこと” をして、社会から認められたいと思っていた。

パチスロを打ちながら。(笑)

 

でも、40歳を過ぎてこの歳になってみると、そういう気持ちは全くない。

むしろ、できるだけ有名にはなりたくないとさえ思ってる。

有名になっちゃうと、おちおち浮気や不倫もできない時代だからね。(笑)


まあ、それは置いておくとして。


僕の周囲を見回すと、(それが顕在化しているかどうかは別にして)有名になりたいという願望を持ってる人は少なくない。

たまにFacebookとかのタイムラインを眺めてると、「有名になりたい!」「もっと認められたい!」っていう思いがひしひしと伝わってくる人もいる。

 

でも逆に、誰もが知ってるような「有名人」の多くは、おそらく有名であることのマイナス面も嫌というほど味わってると思うんだよね。

だからこそ、外出するときに帽子を深くかぶってサングラスとマスクで変装したりするわけで。


そして、どこに行っても誰と会っても、“素の自分”を見てもらうことが難しい。

ひどいときは、ドラマや映画で演じた役のイメージが一生ついて回る人だっている。

親が「有名人」というだけで、「○○の子ども」というレッテルに苦しみ続ける人もいる。


だから、おそらくそういう「有名人」は、もっと本当の自分、“素の自分”を見てほしいという気持ちが常にあるんじゃないかな?


一方で「無名人」は、“素の自分”以上の何かとして見られたい、認められたい、という気持ちが強いのかもしれない。

だけどそういう人も、もし「有名人」になってしまったら、おそらく「もっと“素の自分”を見てよー」っていう気持ちが強くなってくるんだろうね。

 

「有名人」は無名を求め、「無名人」は有名に憧れる。

なんだろう、この「有名」と「無名」のループは。(笑)

 

人はどうしても自分に「ない」ものを求めがちだけど、その「求めているもの」の多くは、本当は必要じゃないものかも?って思うことがある。

そして、本当に必要なものは既に持ってたりするんだろうなぁ。


いやぁ、人間として生きるのはなかなか難しいね。(笑)

 

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「システムの奴隷」から抜け出せるか?

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僕は、いつか自分で会社をつくれたらいいなぁと思っていて、時々ひとりで妄想を楽しんでたりする。

そんな僕が組織について考えるときにいつも思い出すのが、サッカー日本代表の元監督イビチャ・オシムさんの言葉だ。

 

無数にあるシステムそれ自体を語ることに、いったいどんな意味があるというのか。

大切なことは、まずどういう選手がいるかを把握すること。

個性を活かすシステムでなければ意味がない。

システムが人間の上に君臨することは許されないのだ。

 

(イビチャ・オシム)

 
ここでオシムさんが言う「システム」とは、いわゆるフォーメーションのこと。

 

サッカーではゴールキーパー以外の10人の選手を、ディフェンダー、ミッドフィールダー、フォワードの3つに分けてフォーメーションを語るのが一般的だ。

例えば、4-4-2というシステムは、ディフェンダー4人、ミッドフィールダー4人、フォワード2人というフォーメーションのこと。

こういう感じで、4-3-3とか、3-4-3とか、5-4-1とか、いろんなシステムがある。

 

で、多くのチームには、そのチームの伝統的な「型」としてのシステムがあるんだけど、最近の日本代表チームは4-3-2-1というフォーメーションを組むことが多いかな。

オシムさんは、こんなふうに「うちのチームのシステムはこれ」というフォーメーションが独り歩きしてしまうことで、人間よりもシステムが優先されることの弊害を語っている。

 

「システムありき」だと、そのシステムに合う人を探してきて当てはめようとしてしまうよね。

まるで、欠けた歯車を補充するかのように

 

例えば、4-4-2というシステムが固定化されてしまうと、フォワードは必ず2人ということになっちゃう。

仮に、チームの中にフォワードとして素晴らしい素質を持った選手が3人いても、システムありきだと、そのうちの1人は能力を発揮できないまま埋もれてしまうことになる。

 

逆に、ミッドフィールダーに向いている選手が3人しかいないときに、十分なレベルに満たない選手を外部から1人採用してくるなんてこともあり得なくはない。

つまり、システムが人の上に君臨してしまうと、人を活かすことができず、組織としての力も十分に発揮できなくなる可能性があるっていうことだ。


これは別にサッカーに限ったことではなくて、会社組織であっても同じだと思う。

例えば、立ち上げたばかりのベンチャー企業では組織がしっかりと整備されていないから、少数のメンバーがその時々に応じていろんな仕事を兼務しながら会社を回してるはずだ。

代表者も含めたメンバー全員が、営業も開発も経理も人事もカスタマーサポートも、あれもこれも兼務してやってることは珍しくない。

 

そして組織が成長していくにつれて、メンバーそれぞれの得意分野や個性に応じて業務の比重が変わっていく。

次第に担当業務が明確になってきて、組織は細分化され、部門の壁ができて、仕事内容はますます専門化していく。

そうなると、各部門に割り当てられる人数というのも決まってきて、いずれは、上で書いたサッカーの例と同じような問題が出てくることになる。

 

その結果、自分のスキルや能力を活かせない人が出てきたり、スキルや能力が十分でない人が採用されるようになったりして、組織全体としてのパワーがどんどん削がれていく。

そして、力を失った組織は衰退していくことに…。

 

もしかしたら、組織というのはそういうループをずっと繰り返すものなのかもしれない。


でも僕は、オシムさんが言うような「システムが人間の上に君臨しない組織」というのもあり得るんじゃないか?って思ってる。

その時々のメンバーのスキルや能力、適性、個性に応じてシステムを修正し、場合によっては事業内容さえも臨機応変に変えていく組織

そんな組織が地球上に1つくらいあってもいいんじゃないか?って思うんだ。


もちろん、そういう組織をつくるのは現実的にはかなり難しいとは思う。

だけど、もし、そんな会社があったら面白いだろうなぁなんて思いながら、僕は今日も妄想を続けてる。(笑)

 

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宇宙人が教えてくれたこと ①神って何?

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以前、2時間以上かけて書いた下書きが消えてしまった「神」についてのテーマに再チャレンジするよ。

今回は、これ以上ないというくらいに超スピリチュアルな内容なので、苦手な方はスルーしてね。


ちなみにこの話は、バシャールをはじめとする宇宙人(地球外存在)たちが教えてくれたメッセージを僕なりに解釈したものだから、「科学的に証明できるのか?」なんて言われても、できっこないので悪しからず。(笑)

 

では、早速始めます!

 

「宇宙」と「神」と「人間」の関係性については、僕が知ってる限り、どの宇宙人が言ってることも大体同じだ。

一言で言うと、「宇宙=神=自分」であり、もともと全ては一つということらしい。

スピリチュアル的に言うと、いわゆるワンネスという考え方だ。

 

ちなみに、ここで言う「神」は、一般的な宗教で言われているような神とは違う。

つまり、みんなが想像するような、白いひげを生やしてたり、後光が指してたりする「神様」ではないよ。(笑)

どちらかというと、日本語では「森羅万象」、スピリチュアル的には「ソース」とか、「大いなる源」なんていうふうに言われてるものだ。


で、この「神」っていうのは、宇宙そのものとイコールの関係なんだけど、わかりやすく言うとビッグバンより前の宇宙にはその「神」だけしか存在していなかった。

つまり、「神」のほかには何も存在しない状態。

だから、「宇宙」=「神」。

 

そして、単なるエネルギー体である「神」は、当然ながら形があるわけでもない。

で、自分のほかには何もない状態だから、自分自身を認識することすらできない。


例えば、あなた自身が肉体を離れた意識だけの状態になって、上下左右もない真っ暗闇の中にただ浮かんでいるような感じだろうか。

単なる「意識」だけの存在だから、自分自身とそれ以外の境界はない。

当然ながら時間の感覚もない。

ほかに比較するものが存在しないんだから、自分がいったい何者なのかもわからない。

 

おそらく、ただそこに「ある」というだけの状態、ほとんど「無」の状態だろうと思う。

 

でも、

「神」はそんな状態が耐えられなくなった。

「神」は自分が何者なのかを知りたくなった。

 

そこで「神」は、自分を知るために、いわば細胞分裂みたいに自分自身を分裂させて、自分の分身としてのスピリット(魂)を無数につくり始めた。

3次元世界で物質化(結晶化)したスピリットは、鉱物、植物、動物など様々な自然物となっただろうし、また別の次元ではエネルギー体として様々に分裂していったものもあるだろう。

 

こうして分裂して無数の分身が増えたことで、「神」は、無数のスピリット(魂)の数だけの様々な経験をすることができるようになった。

鉱物としての経験もあれば、植物としての経験もあるし、当然、人間としての経験もある。

 

「神」の無数の分身のうちの一つが、僕やあなたのような人間だ。

 

僕たちは地球上で毎日何をやっているのかというと、実は「神」が自分自身を知るための無数の経験のうちの一つを担当してるわけだ。

楽しいことも、嬉しいことも、苦しいことも、悲しいことも、はたまた何の変哲もない日常生活も、「神」にとってはすべてが自分自身を知るための貴重な経験だ。

 

有史以来、何千億人(もいたのかな?笑)という人間が経験してきたことも、どれ一つとして全く同じ経験はない。

人間だけでなく、ほかのさまざまな存在たちの経験も、それはすべてオリジナルでユニークな経験のはずだ。

地球外生命体(宇宙人たち)の経験だって当然そうだ。

 

例えて言うなら、とてつもなく巨大な宝石があって、その宝石の表面は無限の数のカッティングが施されているとする。

宝石としては一つなんだけど、小さくカッティングされた面が無数にある。

で、この巨大な宝石全体が「神」で、一つ一つのカッティングされた面が、僕ら人間やその他の存在と考えたらわかりやすいだろうか。

 

その一つ一つのカッティング面が、それぞれの角度で様々な経験をして、その経験を巨大な宝石の中に吸収・蓄積してるということだ。

それによって、この巨大な宝石である「神」は、あらゆる経験を通して自分自身が何者なのかということを確認し続けている

これが宇宙の仕組みだ。

 

もともとすべては一つの存在なんだけど、あえて分裂させて、その分裂したそれぞれの存在が、各々違った経験を積んでいる状態が、この宇宙というわけだ。

 

だから、「宇宙 = 神 = 私」ということになる。

私も、あなたも、道端の石ころも、電線の上のスズメも、鉛筆も、ミネラルウォーターも、すべてはもともと一つなわけだ。

 

じゃあ、神から分裂した存在である僕と、あなたと、石ころと、スズメと、鉛筆と、ミネラルウォーターの違いは何かというと、それは「波動(周波数)」が違うということなんだよね。

 

ただ、ここで波動の話を始めると話が超絶長くなっちゃうので、今回はこの辺でやめておきます。(笑)

 

 

【今回のまとめ】「宇宙」=「神」=「私」

 

つまり、私もあなたも「神」なのです。(笑)

だからもちろん、「神」というのは崇めたり奉ったり、帰依したりするような対象ではないってことです。

 

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乗ったもん勝ち。

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僕は10年ちょっと前に母をガンで亡くした。

亡くなったとき、母はまだ62歳だったので、心の準備ができていなかった僕はかなり長い期間落ち込んでいた。

ただ、詳しくは書かないけれど、そのときいろいろと不思議なことがあったんだよね。


僕が「死」というものをちゃんと考え始めたのも、「魂」の存在を信じるようになったのも(つまりはスピリチュアルなことに関心を持つようになったのも)それが大きなきっかけだった。

そのことは以前このブログにも書いた。

 

 

 

で、今日はYahoo!ニュースのこんな記事が目に留まった。

 

亡き妻の指輪、タマネギ畑に

12/7(月) 8:24配信 佐賀新聞


佐賀県伊万里市波多津町のタマネギ畑で11月下旬、土の中から指輪が出てきた。
苗床から引き抜いた苗の根に絡まっていた。
持ち主はこの畑に手伝いに来ていた女性で、2年前に63歳で亡くなった。
妻の形見と再会した夫は「タマネギ畑におったね」と声を掛け、涙を浮かべて喜んだ。

 

指輪が見つかったのは松下国増さん(73)の畑で、苗の植え付け作業中だった。
苗床から苗を引き抜く係をしていた親戚の津田幸夫さん(83)が根元の土を払い落としていると、なかなか取れない土の塊があった。
よく見ると指輪だった。

「誰のやろうか」。この日は津田さんら手伝いを含めて7人で作業をしていたが、誰も心当たりがない。
数日後、津田さんが思い出したのが、2年前に亡くなった同じ地区の松下昌子さんだった。
毎年植え付けのころは夫の秀昭さん(67)と加勢に来て、一緒に苗取りの作業をしていた。

指輪を見た秀昭さんは「昌子のもの」とすぐに分かった。
金とプラチナのそれはお気に入りで、20年くらい着けていた。
恐らく、亡くなる半月前の手伝いの時に落としたのだろう。
「休憩で一服して手袋を脱ぐときにでも外れたんやろうねえ」

 

昌子さんは旅行先の大分県で、風呂上がりに急性心不全で亡くなった。享年63。
持病もなく元気だったのに、突然の別れだった。
いつも明るく、家族を支えてくれる存在だった。

指輪が戻ったのは三回忌の直前だった。
なくした大切な物が見つかって喜ぶ笑顔を、秀昭さんは思い浮かべた。

 

(青木宏文)

 

旦那さんは嬉しかっただろうなぁ。

 

この記事によると、当日は7人で作業していたということだから、小さな畑ではないだろうと思う。

それに、指輪が見つかったのが三回忌の直前というのも偶然にしては出来すぎてる気がする。

ちゃんとお別れを言えないまま旅立ってしまった奥さんから旦那さんへのメッセージなんじゃないかな?と僕は思う。

 

僕は、目に見えない世界、科学的に解明できない世界というのは確かにあると思ってる。

でも、もしそういう世界がなかったとしても、それを信じることで人生が豊かになるなら、乗っからない手はない

 

この記事の旦那さんも、「指輪なんてたまたま出てきただけだよ、アホらしい」と思うか、「妻は今もそばにいてくれてるんだろうなぁ」と思うかで、これからの人生は違ったものになると思うけど、この記事を読む限り旦那さんは後者だろう。


僕らだって、ディズニーランドに行ったときに、「こんなのしょせん子供騙しだろ…」と思いながら過ごすのと、夢の国の世界観に乗っかって童心に返って遊ぶのとでは、全く違う時間になるからね。


広大なこの宇宙は、僕らが想像する以上に豊かで楽しくて、そして愛に溢れているはずだ。

と、僕は勝手に思って暮らしてる。(笑)

 

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