「システムの奴隷」から抜け出せるか?
僕は、いつか自分で会社をつくれたらいいなぁと思っていて、時々ひとりで妄想を楽しんでたりする。
そんな僕が組織について考えるときにいつも思い出すのが、サッカー日本代表の元監督イビチャ・オシムさんの言葉だ。
無数にあるシステムそれ自体を語ることに、いったいどんな意味があるというのか。
大切なことは、まずどういう選手がいるかを把握すること。
個性を活かすシステムでなければ意味がない。
システムが人間の上に君臨することは許されないのだ。
(イビチャ・オシム)
ここでオシムさんが言う「システム」とは、いわゆるフォーメーションのこと。
サッカーではゴールキーパー以外の10人の選手を、ディフェンダー、ミッドフィールダー、フォワードの3つに分けてフォーメーションを語るのが一般的だ。
例えば、4-4-2というシステムは、ディフェンダー4人、ミッドフィールダー4人、フォワード2人というフォーメーションのこと。
こういう感じで、4-3-3とか、3-4-3とか、5-4-1とか、いろんなシステムがある。
で、多くのチームには、そのチームの伝統的な「型」としてのシステムがあるんだけど、最近の日本代表チームは4-3-2-1というフォーメーションを組むことが多いかな。
オシムさんは、こんなふうに「うちのチームのシステムはこれ」というフォーメーションが独り歩きしてしまうことで、人間よりもシステムが優先されることの弊害を語っている。
「システムありき」だと、そのシステムに合う人を探してきて当てはめようとしてしまうよね。
まるで、欠けた歯車を補充するかのように。
例えば、4-4-2というシステムが固定化されてしまうと、フォワードは必ず2人ということになっちゃう。
仮に、チームの中にフォワードとして素晴らしい素質を持った選手が3人いても、システムありきだと、そのうちの1人は能力を発揮できないまま埋もれてしまうことになる。
逆に、ミッドフィールダーに向いている選手が3人しかいないときに、十分なレベルに満たない選手を外部から1人採用してくるなんてこともあり得なくはない。
つまり、システムが人の上に君臨してしまうと、人を活かすことができず、組織としての力も十分に発揮できなくなる可能性があるっていうことだ。
これは別にサッカーに限ったことではなくて、会社組織であっても同じだと思う。
例えば、立ち上げたばかりのベンチャー企業では組織がしっかりと整備されていないから、少数のメンバーがその時々に応じていろんな仕事を兼務しながら会社を回してるはずだ。
代表者も含めたメンバー全員が、営業も開発も経理も人事もカスタマーサポートも、あれもこれも兼務してやってることは珍しくない。
そして組織が成長していくにつれて、メンバーそれぞれの得意分野や個性に応じて業務の比重が変わっていく。
次第に担当業務が明確になってきて、組織は細分化され、部門の壁ができて、仕事内容はますます専門化していく。
そうなると、各部門に割り当てられる人数というのも決まってきて、いずれは、上で書いたサッカーの例と同じような問題が出てくることになる。
その結果、自分のスキルや能力を活かせない人が出てきたり、スキルや能力が十分でない人が採用されるようになったりして、組織全体としてのパワーがどんどん削がれていく。
そして、力を失った組織は衰退していくことに…。
もしかしたら、組織というのはそういうループをずっと繰り返すものなのかもしれない。
でも僕は、オシムさんが言うような「システムが人間の上に君臨しない組織」というのもあり得るんじゃないか?って思ってる。
その時々のメンバーのスキルや能力、適性、個性に応じてシステムを修正し、場合によっては事業内容さえも臨機応変に変えていく組織。
そんな組織が地球上に1つくらいあってもいいんじゃないか?って思うんだ。
もちろん、そういう組織をつくるのは現実的にはかなり難しいとは思う。
だけど、もし、そんな会社があったら面白いだろうなぁなんて思いながら、僕は今日も妄想を続けてる。(笑)
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