目的地なき暴走 ~ワクチンファシズム~
以前も書いたことがあるけれど、僕は、仕事であれ何であれ、「なぜ?」「何のために?」ということを考えるのが好きだ。
だから、たとえば職場で上司から仕事を頼まれたときには、何のためにそれが必要なのかを自分が納得できるまで尋ねるし、逆に誰かに仕事をお願いするときには、何のためにやるのかを伝える。
クライアントから問い合わせや相談を受けたときも、どうしてそれが必要なのか、なぜそれをしようとしているのかを深堀りする。
だから、多分いろんな人から「こいつ、面倒くせえ奴だなー」って思われてると思う。(笑)
だけど、僕からしてみると、世の中には「何のためにやるのか」を考えずにいろいろなことに手を付けている人が多すぎると感じるんだよね…。
「何のために?」という目的を考えずに進むから、次第に何をやってるのかわからなくなって、最終的にはとんでもないところに着地したりするケースはいくらでもある。
だから僕は、相手が上司であれクライアントであれ、目的が明確になるまで問い続ける。
何のためにやるんですか? って。
でもね、そうすると面白いことに、「あれ?考えてみたらこんなこと必要ないわ」とか、「そっか、じゃあ別の方法でやったほうがいいねー」というようなことに落ち着くケースも少なくないんだよね。
つまり、上司が僕にやらせようとしていた仕事はまったく必要のないものだった、とか、クライアントがやりたいと思っていたことは方向性が完全にズレていた、ということが明確になるの。
で、今の世の中を見てみるに、「目的」を忘れた状態で新型コロナワクチン接種に突き進んでしまっている気がしてならない。
特にこういうニュースを見ると、僕はもう、世の中が狂ってるとしか思えない。
いったい何のために小学生や中高生にワクチンを打たせるんだろうか。
20歳以下の若者はコロナに感染しても重篤化することはないし、ましてや死者はこの1年半で一人もいない。
もし、高齢者への感染を防ぐことが目的だというのなら、高齢者自身がワクチンを打てば済む話だ。
わずか数カ月で開発された人類史上初のmRNAワクチン。長期的なリスクが全く不明の粗製ワクチンを、コロナ感染リスクのない子どもたちに打たせる理由は何なのだろう?
なぜ? 何のために?
社会が混乱して、いわばワクチンファシズムに走っている今だからこそ、冷静に問うべきじゃないかな。
そして、冷静に考えるためには資料も必要だよね。
新型コロナウイルス感染症の国内発生動向(速報値)2021年6月2日18時
https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000787852.pdf
【重傷者割合*1】
10歳未満 0.0%
10代 0.0%
20代 0.0%
30代 0.0%
40代 0.3%
50代 0.8%
60代 1.6%
70代 2.3%
80代以上 1.5%
【死亡率*2】
10歳未満 0.0%
10代 0.0%
20代 0.0%
30代 0.0%
40代 0.1%
50代 0.3%
60代 1.3%
70代 4.7%
80代以上 13.1%
さらに、新型コロナワクチン接種後に重篤な副作用や死亡例がどれだけあるのかも、こういうサイトを見ればわかる。
https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000784435.pdf
https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000784439.pdf
こういうデータを見れば、ワクチン接種後の重篤な副作用は若年層のほうが圧倒的に多いこともわかる。
https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000784436.pdf
いったい何のために、健康な子どもや若者が人体実験のようなワクチンを接種しなければいけないんだろうか。
なぜ? 何のために?
ワクチンを打たされている子どもや若者の姿は、片道燃料で零戦に乗せられて南の海に散っていった76年前の若者の姿と重なる。
それでは今日はこの辺で。
shivai !!
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「好き」と言う勇気
えーと。あらかじめ断っておきますが、恋愛の話ではないです。(笑)
もう10年近く前になるかな?
前の会社に勤めていたとき、経営ビジョンを作るために、ホテルに籠って合宿をやったことがあった。
まあ、そのこと自体はどうでもいいんだけど。
その合宿をやったホテルのお風呂は温泉でね、夜、大浴場で身体を洗っていたら、隣に座っていた役員のHさんが、おもむろに「ノリズムさんは温泉好きですか?」と聞いてきた。
僕は、学生時代はほぼ毎週のように車で温泉巡りをしていたくらいの温泉好きなんだよね。
近頃は行く機会も減ったけど、別府や嬉野あたりには年に何度か行くし、スーパー銭湯には毎週通ってる。(笑)
そのくらいの風呂好き、温泉好きなんだよね。
でも、その合宿のときにHさんから「温泉、好きですか?」と聞かれた僕は、「ああ、好きですよー」って普通に答えたんだよね。
そうしたら彼はこう言ったの。
「そうですか。僕はですね、本っ当に、温泉がだーいっっっ好きなんです!!!」って。
その言葉を聞いて僕はショックを受けた。
僕も温泉は「だーいっっっ好き!!!」なのに、どうしてそう言わなかったんだろう…って。
そして、自分が好きなことを、「だーいっっっ好き!!!」って、ためらいなく言えるって素敵だなぁ…って。
彼の言葉を聞いて、なんだか負けた気がしたんだよね。
何に負けたのかはわからないけど。(笑)
好きなものを「好き」って、ためらいなく言うことは意外と難しいことなんだなぁと思う。
自分の価値観を表明する勇気や、仮にその価値観を否定されても気に留めない覚悟なんかがあって初めて、大きな声で自分の「好き」を公言できるんだろうな。
あの「お風呂事件」以来、僕は、自分が好きなことは「大好きです!」って、躊躇なく言うようになった。
変な人だと思われようと、「バシャールが大好き!」って言うし。(笑)
そういえば、槇原敬之さんの曲『どんなときも』にはこんな歌詞があった。
どんなときも どんなときも
僕が僕らしくあるために
「好きなものは好き!」と
言える気持ち 抱きしめてたい。
(槇原敬之『どんなときも』)
自分は何が好きで、何が嫌なのか。
それを伝えることに遠慮する必要はないよね。
逆に、全てはそこから始まる気がする。
自分の人生も、人間関係も、何もかも。
だから、「好きなものは好き」と言える気持ちを大事にしよう。
ところで、あなたは何が好きですか?
それでは今日はこの辺で。
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料理系YouTubeチャンネル5選
以前こんな記事を書いたけど、僕は料理が好きなので毎日料理をしてて、休みの日には半日以上台所に立っているときもある。
でも、自分でレシピを考えたり、目分量でテキトーにパパッとつくれるほどの腕前はないので、いつもクックパッドとかYouTubeの料理動画を参考にして作ってるんだよね。
で、最近一番のお気に入りが「くまの限界食堂」さん。
どのレシピもハズレがなくて、ちょっとしたお店レベルの料理が簡単にできちゃう。
基本的には「独り暮らしの男の料理」という感じで、ガッツリ系や酒の肴になるようなものが多めだけど、うちの子どもたちにはいつも大好評だよ。
ちなみに、最近一番のお気に入りレシピはこれ!
僕は去年からスパイスカレーにハマってて、週に一度はスパイスカレーを作ってるんだけど、家族からはこのくまさんのカレーのほうが評判が良くて、我が家でのスパイスカレーの地位が揺らいでるんだよね…。(笑)
あと、この「やばいニラ」も最近よく作ってる。
卵かけご飯にかけて食べるのがお気に入りだけど、タレとしていろんな料理に使えるので、最近は我が家の常備菜になってるなぁ。
ちなみに、くまの限界食堂さんは音声がないので、料理初心者の方にはちょっとわかりづらいかもしれない。
てことで、ほかにもよく見る料理系YouTubeチャンネルを4つ紹介するね。
①飲食店独立学校/こうせい校長
本格的な料理から手軽なものまで、理論も含めて基本的なことを丁寧に教えてくれる。
勉強にもなるし、お店レベルの料理がつくれるので、料理初心者にもオススメだよ。
②食事処さくら
こちらも料理の仕方を丁寧に解説してくれるので、初心者にもわかりやすいと思う。
独特の語り口に癒される。(笑)
③けんますクッキング
ラーメン屋さんのマスターが、ガッツリ系B級グルメの作り方を教えてくれるチャンネル。
ちょっと暑苦しい居酒屋の大将という感じなので、苦手な人は苦手かも。(笑)
④料理研究家リュウジのバズレシピ
酔っ払いイケメン兄さんの料理教室という感じかな?(笑)
ちょこちょこ笑いを挟みながらも、本格的な料理をわかりやすく教えてくれる。
どれも動画を見てるだけで楽しいけど、見てるうちに作ってみたくなると思うよ。(笑)
ふだん料理しない人も、ぜひチャレンジしてみてね。
あ。それと、ほかにオススメのチャンネルがあったらぜひ教えてください!
それでは今日はこの辺で。
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そのルール誰が決めたの?
今日は、前回の記事を書きながら思ったことを書いてみたい。
あの記事では、「ブログを書く」という誰から強制されているわけでもないことにすら、自分で勝手に責任感や義務感(ねばならない)を感じて疲弊していく、ということを書いた。
「自分軸」で始めたことがいつの間にか「他人軸」になって、そして疲弊していくという構造は、人間らしいといえばそうなんだけど、なんだか残念な流れだなぁと思う。
ここで言う「他人軸」っていうのは、自分の外側を基準にしたルールのことなんだけど、前回の記事に書いたブログやSNSの例でいうと、
- 読者からの評価を上げなきゃいけない
- 人の役に立つ記事を書かなきゃいけない
- 読者が好感を持てる記事にしなきゃいけない
- 読みやすくレイアウトしなきゃいけない
- アクセス数を増やさなきゃいけない
- 収益化を最大にしなきゃいけない
などがそれに当たる。
これは自分自身が、読者という外側の存在を意識して、自分で勝手に作り上げたルールだ。
ブログ一つとっても、こんなルールを自分に課してしまってる。
いわんや日常生活においてをや、ってことだ。
多分、僕らを縛ってるルールは、大きく分けて4種類あると思う。
①守らないと法によって裁かれるもの
②法律ではないけど守らないと実害が生じるもの
③社会や組織・集団内の空気感や同調圧力
④自分で勝手につくった決め事・こだわり
①は、言うまでもなく国の法律で明文化されているルールだね。
これを破ると、罰金を課せられたり、身体的自由を拘束されたり、場合によっては命を奪われたりする。
②は、組織や集団のルールで、明文化されてることもそうでないこともある。
いわばローカルルールかな。
これを破ると、その集団の中で居心地が悪くなるだけでなくて、排斥・排除されることもある。
職場でいえば、減給されたりクビになったりするようなことだね。
暴走族や反社会的組織では、暴力行為を受けるかもしれない。
家庭内のルールを破ると、怒られて小遣いを減らされたり、ゲームを取り上げられたりする。(笑)
③は、ルールほど明確じゃないけど、「これをしなきゃいけないよね」「これをしちゃいけないよね」という暗黙のルールや雰囲気、同調圧力。
たとえば、今の時代に、有名人が「不倫は文化だ」なんて言おうものなら大炎上するよね。(笑)
新型コロナに対する考え方やワクチンの是非に関して話題にしづらい雰囲気なんかもそうだ。
④は、自分が自分自身に課しているノルマとか、周囲の状況を勝手に推し量って作り上げたルールや決め事だね。
ブログをやっていて感じるモヤモヤは、この④が大きいと思う。
で、僕らはこういう大小様々なルールの中で日々暮らしているわけだ。
「顔を洗って歯を磨かなきゃ」
「子どもに食事を作らなきゃ」
「遅刻しないように職場に行かなきゃ」
「靴は右足から履くといいことが起きる」
「外出時にはマスクをしなきゃ」
「信号無視をしちゃダメだ」
「電車に乗るときは、降りる人が先」
「会議の席順には気をつけないと」
「食事するときは、まず野菜から食べる」
「異性に馴れ馴れしく触れるのはNG」
「ストレートな物言いは良くない」
「小腹が空いたけど我慢しよう」
「道に落ちてる500円玉をネコババしちゃダメ」
「腹が立っても人を殴ったらアウト」
「カサを振りながら歩くと危ない」
「長文のブログを書くのはやめたほうがいい」
「コロナワクチンの話題には触れないのが無難」
思いつくままにテキトーに書いてみたけど、もっと小さなことから大きなことまで、僕らは本当に多くのルールの中で生きている。
大事なルールからどうでもいいルールまで。
自分を優先するルールだけでなく他者との関係性を大事にするルールも。
そして当然ながら、どれだけたくさんのルールを持っているか、そしてそのルールをどれだけ重要視しているかは、人それぞれだ。
ただ、生きづらさや閉塞感を強く感じている人とか、心の病気を患っている人というのは、こういったルールの量が多くて、しかもそれを守らなきゃいけないという義務感や責任感の強い人なんじゃないかな?と僕は思う。
もしそれで苦しんでいるのであれば、少しずつ「ルール」を減らしていったほうがいいんじゃないかな。
もちろん、①のルールは守っておかないとオオゴトになるから、これは仕方ない。
②も、気をつけておかないといろいろと大変になることは多いよね。
ただ、これはあくまでもローカルルールだから、嫌なら別の組織・集団に移れば解消される。
問題は③と④だね。
これは、まず自分がどんなルールに縛られてるのかを見つけることが必要だと思う。
そして、本当にそんなルールに縛られる必要あるの??って考えてみると、案外どうでもいいことに縛られてる可能性は高いと思う。
不要なルールを捨てることができたら、もっと楽に生きられるようになるんじゃないかな。
どんなルールであれ、ルールは出来るだけ少ないほうがいい。
僕らは、本来もっともっと自由な存在なんだから。
それでは今日はこの辺で。
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自分で自分に手錠をかける。
去年の9月に再開したこのブログ。
毎日更新してるわけではないけど、自分の中では結構続いてるほうだなーと思ってる。
僕はもともと、かなり飽きっぽいタイプだから。(笑)
とはいえ、まだ1年も続いてないから偉そうなことは言えないんだけど、それでもブログを書き続けてると、いろいろと気持ちが揺れ動くことが多い。
まあ、これはブログに限ったことではなくて、何かを続けてると大体そうなるものだと思うんだけど。
ちなみに、僕と同じくらいの時期にブログを始めたRoseさんが、一昨日の記事でそんな悩み、というかモヤモヤを書いておられた。
この気持ち、よくわかるなぁと思った。
ブログやSNSを始めた当初は、自分の中に何らかの「想い」があって、それを表現しようとするところからスタートすることが多いと思う。
あくまでも軸は自分自身にあって、そこから発する「想い」によって行動に至るという形。
だけど、記事を書いてアップするということを続けていると、当初のスタート地点からどんどんズレていく。
アクセス数の増減や、高評価(はてなブログの場合はスター)の数に一喜一憂したり、読者からのコメントに喜んだり傷ついたり、もしかしたら収益化できるんじゃないか?という欲が湧いてきたり、こんなことは書かないほうがいいかな…と思い悩んだり、毎日更新しなきゃ!という変な義務感が出てきたり。(笑)
こうなってくると、当初自分の内側にあったはずの軸は完全に自分の外側に行ってしまう。
「読者から高く評価してもらえるような記事を書かなきゃ!」「もっと人の役に立つようなことを書かなきゃ」「アフィリエイトリンクを踏んでもらえるような構成にしなきゃ!」「こんなこと書いたら嫌われそう…」「今日は書きたい気分じゃないけど何か書かなきゃ…」っていう具合にね。
そして、最初は自由に始めたはずのブログやSNSが、気づかないうちに「~ねばならない」だらけになってしまって、だんだん書く(発信する)ことが億劫になっちゃうんだよね。
誰から強制されてるわけでもないのに、「ねばならない」に囲まれて疲弊するという。
これってすごいよね。
誰からも強制されてないのに自分で自分に手錠をかけちゃうって、すごい構造だと思う。
だけど、考えてみたら僕ら人間ってそういうものなのかもしれない。
だってさ、進学、結婚、就職、人間関係などなど・・・大抵のことは、そもそも自分の意思で始めたことなんだよね。
でも、続けてるうちにそこに責任感や義務感が出てきて、自分で自分を縛り付けて抜け出せなくなっちゃうことが多い。
本当はもっともっと自由なはずなのに。
好きで始めたことなんだから、嫌だと思えばやめちゃってもいいはずなのに、歯を食い縛って最後までやり抜こうとしてしまう。
もちろんその理由はいろいろあると思うけれど。
なんだか最近モヤモヤするなぁとか、よくわからないけど息苦しいな…って感じることがあったら、ちょっと立ち止まって、リラックスして考えてみるといいかもしれない。
- そもそも自分はなぜこれをやってたんだっけ?
- ほんとうに大事なことって何だっけ?
- 自分が一番大切にしたいことってなんだったっけ?
って。
きっと、答えはかなりシンプルなんだろうな。
ちなみに、僕の大好きな宇宙人・バシャールの住むエササニ星では、挨拶を交わすときに「shivai(シバイ)」って言うんだって。
意味はね、「誰もあなたの進む道を邪魔することはできない」ということらしい。
常に軸を自分自身に置いて、淡々と飄々と、自由に生きていられたらいいよなぁって思う。
それでは今日はこの辺で。
shivai !!
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陰謀論を相手にしないほうがいい理由。
最近、というか、特に去年あたりからかなぁ、「陰謀論」という言葉を耳にすることが多くなった気がする。
コロナウイルスの起源とか、Qアノンとか、ディープステートとか、あと新型コロナワクチンについても。
例えば、「新型コロナワクチンは、世界規模での人口削減計画の一環だ」というようなやつだね。
僕は、この手の陰謀論が全くのデタラメなのか、それとも本当のことも少しは含まれてるのか、全然わからないし、正直どっちでもいい。(笑)
なぜかというと、そもそもそういう情報は自分には関係がないことだから。
僕は、「恐怖感を煽る情報」は無視することにしてる。
そういう情報を信じてしまうと、僕自身が恐怖に基づいて行動することになっちゃうからね。
以前、このブログでも書いたことがあるけど、僕らの人生は選択の連続だ。
そして、どういう基準で、何に基づいて選択するかということが、僕らの人生を左右することになる。
そのとき、一番良くないのは、”恐怖” に基づいて選択・行動することだと僕は思うんだよね。
先日の記事にも書いたけど、マスコミやSNS上の情報は恐怖や不安を煽るものが多い。
僕の場合、恐怖や不安に基づいて選択・行動した結果がうまくいったという経験がないんだよね。
恐怖を感じると、どうしても「恐怖から逃げる」「恐怖を避ける」「恐怖と戦う」という選択をしてしまいがち。
そうなると、「楽しそうだからやる」「やりたいからやる」「ワクワクするからやってみる」という方向には行けないもんね。
で、話を元に戻して。
陰謀論っていうのは基本的に、「裏で何か恐ろしい企みが行われている」という話だよね。
だから、そういう話を信じると、当然、恐怖を感じることになる。
恐怖感というのはネガティブな感情だ。
感情がネガティブになれば、ネガティブな現実があらわれてくる。
だから僕は「陰謀論」を相手にしない。
もちろん、陰謀論を単なるエンタメとして楽しめる人はいいと思うよ。
でも、陰謀論を本気で信じてオロオロしちゃうタイプの人は、できるだけ触れないようにしたほうがいいと思う。
陰謀論を信じるってことは、自分にはどうすることもできない大きなパワーが働いている、というのを信じることを意味する。
つまり裏を返せば、「自分には力がない」ということを信じることになる。
「自分には力がない」と信じていれば、自分の無力感を味わわされるような現実を生み出すことになる。
僕はそんな現実を望まないし、そもそも無力な存在ではない。
だから陰謀論には与しない。
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「ゼロカロリー理論」は正しい?!
ゼロカロリー理論って、知ってるかな?
お笑い芸人のサンドイッチマン・伊達さんが提唱してる理論(?)なんだけど。(笑)
たとえばこんな感じ。
ドーナツはカロリーゼロ。
カロリーは食べ物の真ん中に集まるから、真ん中に穴が開いてるドーナツはカロリーゼロ。
しかも形が数字のゼロだから確実にカロリーゼロ。
牛カルビはカロリーゼロ。
牛はカロリーのない草を食べて育つから、牛肉もカロリーゼロ。
トンカツはカロリーゼロ。
カロリーは熱に弱いので、110℃以上の油で揚げたものはカロリーゼロ。
白飯はカロリーゼロ。
カロリーには色がついてるので、白いものはカロリーゼロ。
まあ、こんな具合に延々と続いていくわけだけども。(笑)
ところで、プラシーボ(プラセボ)効果という言葉をご存知の方は多いと思う。
プラシーボ効果(プラセボ効果)とは、本来は薬としての効果を持たない物質によって、得られる効果のことです。
デンプンなどを使い、薬のように見せた物を偽薬、またはプラシーボと言います。
プラシーボ効果は無視できないもので、プラシーボ効果のみを目的とした偽薬を販売している会社もあるくらいです。
プラシーボ効果は特に痛み、不眠、下痢に影響を及ぼし、ある実験では偽薬を飲ませた人の30%に鎮痛効果があったとの報告があります。
(全医連ウェブサイトより)
つまり、ただのデンプン粉や砂糖であっても、「病気に効く薬だ」と信じて飲めば実際に効果が出る人が一定数いるということで、これは科学的に証明されてることなんだよね。
で、このプラシーボ効果は、自己暗示(思い込み)が強ければ、それが現実になってしまうということを説明する例えとして使われたりもする。
僕がこのブログの中でよく言ってる、「信じていることが現実になる」「感じていることが現実になる」というやつだね。
ちょっと前置きが長くなっちゃったけど、ホントは身体に良くないんだよなぁと思いつつも、ついついやっちゃうことってない?
たとえば僕の場合はお酒が好きなので、健康に良くないと知りつつもついつい晩酌してしまうとか、無性にジャンクフードが食べたくなってポテチを一袋、一気食いしちゃうとか。(笑)
そういうときって、心の中では、罪悪感を感じていることが多いんだよね。
「ホントは食べないほうがいいとわかってるのに、我慢できずに食べちゃった…。ああ、また太っちゃうわ…。ダメだな俺…」って。
だけど、プラシーボ効果で考えると、罪悪感を感じながら食べるのはやめたほうがいいよなぁって思った。
だって、「お酒は肝臓に悪いんだよな…」と思いながら飲んだら、本当に肝臓が悪くなる確率が上がっちゃうし、「ポテチをこんなに食べたら太るな…」と思いながら食べたら、脂肪が余計についちゃうかもしれない。
わざわざマイナスの方向にプラシーボ効果を発動させる必要はないもんね。
そう考えると、伊達さんの「ゼロカロリー理論」も、あながち的外れではないんだよね。
大量のポテチも、「これ食べたら太るよな…」と思いながら食べるより、「これはゼロカロリーだから大丈夫!」と思って食べるほうが身体に良いはずだから。(笑)
てことで、どうせ健康に良くないものを食べるのであれば、罪悪感を感じながら口に入れるんじゃなくて、「食べたいものが食べられて幸せだなぁ。これ、めちゃくちゃ美味しいやん!」って、幸福感を感じながら食べたほうが、いろんな意味で絶対にイイと思う。
まあ、もちろん一番いいのは、不健康なものを口に入れないことなんだけどさ。(笑)
でも、食べたくなるとき、飲みたくなるときもあるじゃん。人間だもの。
そんなときは、罪悪感を感じるんじゃなくて、食べ物に感謝しながら、幸福感を感じながら食べよう!
感じてること・信じてることが現実になるんだから。
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フレンチプレスのススメ。
今回の記事はサブアカウントのほうに書くような内容なんだけど、分けて書くのも面倒なので、こっちに書くことにしました。
最近は、このブログの趣旨とは違うコロナ関連の記事もお構いなくアップしてるしね。(笑)
何でもアリのブログになっちゃうけど、どうかお許しを…。
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僕はコーヒーが好きだ。
朝、窓際の椅子に深く腰掛けて、ひんやりした空気を感じながら飲む温かいコーヒーは格別に美味しい。
今日も、自分で淹れたコーヒーを飲みながら、そして大好物の桜餅を食べながら、この記事を書いてる。(笑)
でも、昔からコーヒーが好きだったわけじゃないんだよね。
以前は、コーヒーを飲むくらいなら緑茶のほうがいいと思ってたので、記憶にある限り、缶コーヒーやペットボトルのコーヒーを自分で買ったことは一度もない。(笑)
なぜかというと、僕はドリップコーヒーが苦手で、以前は 【コーヒー = ドリップコーヒー】だと思っていたから。
ドリップコーヒー特有の、あの、舌や鼻腔を「ツン」と刺すようなトゲトゲしさが僕にはダメだった。
そんな僕がコーヒー好きになったのは、たしか10年くらい前。
フレンチプレスで淹れたコーヒーを知ってからのことだ。
初めてフレンチプレスコーヒーを飲んだときは本当に衝撃的で、「コーヒーって、淹れ方がちょっと違うだけでこんなに味が違うんだ!」って感動したよ。
それからは、自宅で飲むコーヒーはすべてフレンチプレスコーヒーになった。
その数年後につくったブックカフェでは、フレンチプレスコーヒーしか出さなかった。
お客さんの中にも、「コーヒーは苦手だけど、このお店のコーヒーは飲めるんです!」と言ってくださる方が何人もいて嬉しかったなぁ。
あ。
前置きが長くなっちゃったけど、フレンチプレスコーヒーっていったい何なの?というと、簡単に言えば、紙ではなくて金属製のフィルターで濾過したコーヒーのこと。
粗く挽いたコーヒー豆を直接お湯に浸して、少し時間を置いてから金属フィルターで濾すの。
えっ?それだけ?って思うかもしれないけど、ぜひぜひ一度試してみてほしい。
ぜんっっっぜん味が違うから。
なぜ金属フィルターなのかというと、ドリップコーヒーのように紙のフィルターで濾すと、コーヒーオイルと呼ばれる(めちゃ美味しい)成分がほとんど取り除かれちゃうの。
オイルが残ったままのコーヒーは深いコクとうまみがあって、しかもまろやかなので、ドリップコーヒーとは別の飲み物のように感じると思うよ。
ただ、唯一の難点は、淹れ方が面倒なことだね。
美味しく飲むためには、豆のまま買ってきて、飲む直前にミルで挽いたほうがいいし、フレンチプレス(抽出機)が必要になる。
僕が持ってるのは手動の安いミル(ハリオ)と普通のフレンチプレス(ボダム)だけど、それでも合わせて5000円以上になっちゃうね。
だけど、大事にすればずっと使えるものだし、毎日絶品のコーヒーが飲めると思えば、高い買い物じゃないと思うな。
挽きたての豆の香りを毎日嗅ぐことができるのも幸せだよ。
てことで、スタバに行くのを10回我慢しましょう。(笑)
ちなみに僕は、あまり濃いコーヒーは好きじゃなくて、スッキリしつつも適度にコクがあって味わい深いコーヒーを求めてるんだけど、今はこんな ↓ ふうに淹れてるよ。
あくまでも僕の好みだから参考にはならないと思うけど、一応書いておくね。
①酸味と苦味が少なめで、フルーティーな豆を買ってくる。(最近はエチオピアやニカラグア、グアテマラが好き)
②飲むコーヒー1杯につき10~11gの豆を、淹れる直前にザラメ程度の粗さに挽いておく。
③沸騰させたお湯をまずカップに入れ、少し冷めたところ(95℃くらいかな?)でフレンチプレスに移す。
④タイマーを4分にセットして、お湯の入ったフレンチプレスに、挽いた豆をふわっと入れて蓋をする。(僕はこの時点ではかき混ぜずに、お湯の上に豆が乗っただけの状態)
⑤1分半くらいたったところでフレンチプレスの蓋を開けて、スプーンでかき混ぜる。
⑥4分タイマーが鳴ったらすぐに、でも丁寧に濾して、カップに注ぐ。
こんな感じだよ。
ただ、これはかなり僕好みにアレンジした淹れ方なので、正式にはこういうサイトを参考にしてみてね。
人それぞれ好みがあるから一概には言えないと思うけど、普通のコーヒーがちょっと苦手な人は、ぜひ一度お試しあれ~。
コーヒーってこんな飲み物だったんだ!って、きっと驚くと思うよ。
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若者はワクチン、ダメ。ゼッタイ。
先日、新型コロナワクチン(mRNAワクチン)の懸念点についてこのブログに書いた。
この記事の中では、
①人類が初めて使うタイプの薬なのに開発期間が極端に短くて臨床試験が十分に行われてないこと
②だから長期的なリスクが全くわからないこと
③コロナ感染リスクの低い若者にとってはワクチンを打つリスクのほうが高いこと
という、主に3つのことについて書いた。
今回は、ワクチン接種が本格的に始まってデータが出てきたので、それを見ながら、特に③の若者のワクチン接種リスクについて考えたい。
今週水曜日(5/26)に厚労省の審議会の、ワクチン接種後の副作用(副反応)について最新の資料が公開された。
これによると、日本国内で611万2,406回接種されたうち副反応の疑いが7,297件で、そのうち重篤な副反応が846件、死亡が51件とされている。
副反応の7,297件というのは、軽度なものに関しては報告されていない(カウントされていない)ケースが多いと思うので、ここでは重篤な副反応について見てみる。
重篤な副反応846件の内訳を男女比で見るとこんな感じだ。
見てわかるように、女性の割合が圧倒的に高い。
ちなみに、新型コロナ自体の感染者や重傷者は男性の割合のほうが明らかに高いことがわかっている。
つまり、女性は新型コロナの感染リスクが低いのに、ワクチンの接種リスクは顕著に高いということになる。
次に、重篤な副反応を年代別に見てみよう。
何ということだろう。
重篤な副反応は若い世代のほうが明らかに多い。(10代以下の重篤者が少ないのは、そもそも接種数が少ないためと思われる)
しかも、まだワクチン接種が始まったばかりで、高齢者のほうが接種率が高いにもかかわらずこの状況。
そもそも50歳未満の若い世代は新型コロナで亡くなる可能性は極めて低いのに、ワクチン接種による副作用のリスクはむしろ高いということだ。
そして、今は接種の中心は高齢者だけど、今後若い世代のワクチン接種が進んでいくと、重篤化する若者の数はさらに増えることが予想できる。
僕は、前回の記事で、長期的なリスクが不明だから若者はワクチンを打たないほうがいいと書いたけれど、これを見るともう、短期的なリスクだけを考えても若者はワクチンを打つべきではないと思う。
ちなみに、副作用の詳細な内容は、この資料の8ページ以降に記載されているから、気になる人は見てみてね。
どれが軽度なもので、どれが重篤なものか区別がしづらいけど。
あと、これとは別の資料で、新型コロナワクチン接種後の死亡者についてまとめられたデータもある。
ここには、接種後の死亡者の死因などが記されているんだけど、多くは評価不能(ワクチンとの因果関係が不明)として処理されてしまっている。
もちろん、中には明らかに因果関係はないだろうと思われるものもあるけれど、多くが評価不能で、だから因果関係が不明というのは、ちょっとどうなんだろう?
僕は専門家じゃないからあまり軽はずみなことは言えないけど、これはおかしいんじゃないかなぁ。
なぜかというと、亡くなった方それぞれの死因とその評価については、看取った医師の判断で報告を上げているんだよね。
だから、それぞれの医師が個別事象だけを見て「評価不能」としてしまうのは仕方ないとしても、症例がたくさん出て共通点が見えてくれば、因果関係を示唆しているはず。
そこにこそ統計の意味があるはずなんだよね。
たとえば、死亡者の死因には、くも膜下出血や脳出血・脳梗塞、それから心不全や心筋梗塞などが多い。
これは、ワクチンの副作用として疑ってみるべきなんじゃないかと思う。
それと、ここがとっても大事なポイントだと僕は思うんだけど、接種後の死亡事例85件のうち70件(実に82%の方)が第1回目のワクチン接種後に亡くなっているんだよね。
もしワクチンとの因果関係がないのであれば、ワクチン接種回数がこんなに偏ることはないはず。
ワクチンが無関係なら、1回目で亡くなる人と2回目で亡くなる人がバランスよく分かれるはずなのに、1回目の後に集中してるということは何らかの因果関係があるということだと僕は思う。
そこはもっと突っ込んで考えてほしいな。
あと、若者のリスクということでいくと、新型コロナワクチン接種後に亡くなっている人には20代もいるということだ。
基礎疾患のない20代の人が新型コロナウイルスに感染したことで亡くなるケースはほとんどない。
にもかかわらず、ワクチン接種後に亡くなっている。
つまり、ここまで見てきただけでも、若い世代はワクチンの副作用リスクがかなり高い。
新型コロナで死ぬ可能性は限りなく低いのに、ワクチンを接種したばかりに亡くなってしまう可能性がある。
これはものすごく大きなリスクだと僕は思う。
もちろん、高齢者は感染リスクが高くてワクチンの短期副作用リスクが低いんだから、ワクチンを打ってもいいかもしれない。
でも、現状を見る限り、若者はワクチンを打つべきじゃない。
基礎疾患のある人は別だけれど、そうでない若者にとっては、ワクチンによるメリットが、接種リスクと全く見合わないからだ。
この点については、ぜひ冷静に考えていただきたいと思う。
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不安を煽る人。煽られる人。
マーケティングに詳しい人なら誰でも知ってるマーケッターで、神田昌典さんという人がいる。
彼は長年にわたって、たくさんのマーケティング概念やツールを日本に紹介してくれているんだけど、その中の一つに「PASONAの法則」というものがある。
これは、消費者に自社の商品やサービスを購入させるために、どんな順番でメッセージを届ければいいかというステップを示したもの。
セールスプロモーションの現場において、かなり威力を発揮する手法だよ。
ちなみに、具体的にはこんなステップで行われる。
①Problem(問題)
悩みや不安、不満を提示して問題提起を行う
②Agitation(煽り)
今のままでは大変なことになる!と不安感を煽る
③Solution(解決策)
問題を解決できる商品やサービスを紹介する
④Narrowing Down(絞り込み)
購入可能な期間を限定して、すぐに購入すべき理由を示す
⑤Action(行動)
購入するための後押しをして行動を促す
Problem→Agitation→Solution→Narrowing Down→Action
このそれぞれの頭文字をとって「PASONAの法則」と呼ばれているわけだけど、たとえば新型コロナに関してやってみると、こんな感じになるかなぁ。(笑)
Problem(問題)
今、世界中が新型コロナウイルスの脅威にさらされています。
日本でも新型コロナの感染拡大に歯止めがかからず、連日多くの重傷者・死者が出ています。
日本ではワクチンの接種も遅れていますが、オリンピックは予定どおり開催されるようなので、このままではさらに急激な感染拡大のおそれがあります。
もちろん、あなた自身やあなたの大切な人たちもいつ感染するかわかりません。
Agitation(煽り)
もし今あなたが感染したら、長期間仕事を休まなければならず、さらに治療費もかかり、重症化した場合には入院代や先端治療代などで高額な医療費が請求されます。
家族も感染すれば、その金額は何倍にも膨れ上がります。
そして万一、あなたが亡くなるようなことになれば、残された家族はどうなるでしょうか。
Solution(解決策)
そんな、身近に迫る大きなリスクに備えるために、新しい保険が登場しました!
万一のための生命保険、そして医療保険、収入保障に加えて、家族感染特約もついているので、新型コロナに関わるすべてのリスクにオールインワンで備えることができます。
Narrowing Down(絞込)
なお、今週中にお申し込みの方に限り、保険料が通常の30%オフで加入できます!
Action(行動)
下記のURLからオンラインでお申し込みいただくと、本日からすぐに保障が始まります。
今すぐアクセスしてください。
どうかな? 加入したくなった?(笑)
この「保険」を「ワクチン」に変えても面白いかもね?(笑)
ちなみに、このPASONAの法則が提唱されたのはかなり昔なんだけど、今でもいろんな場面で使われてるよ。
特に、ネット通販のランディングページや、通販番組、CMなどは、いまだにこの法則をそのままなぞって作られているから、とてもわかりやすいと思う。
もし今度通販番組とかを見る機会があったら、「PASONA」を意識してみてね。
あまりに当てはまり過ぎてて感動するかも。(笑)
それはさておき、僕が何を言いたいかというと、情報を発信する側には必ず何らかの意図があるってこと。
そして、その意図を達成するためには恐怖心や不安感を煽ることがとても有効で、発信者側は密かにそれを利用しているんだ。
だから、もしあなたが何らかの情報に接したときに不安感や恐怖感を感じたら、情報発信者の意図を裏読みしてみたほうがいい。
きっと、彼らは必要以上に不安や恐怖を煽ることで、あなたに何かをさせよう(もしくは何かをさせまい)としてるはずだから。
ちなみに、マスコミが連日のように恐怖心を煽っているのも、視聴率を稼ぐためだよ。
人間は「恐怖」を感じる情報に引き付けられやすいからね。
なぜ、人間が「恐怖」に引き付けられやすいのかは、心理学的に説明できるんだけど、知りたい人はいるかな?
この続きが知りたい人は、今すぐコメント欄に記入してください。
本日中にコメントが50件を超えたら、誰も知らない「恐怖の秘密」を大公開します!
↑ もちろんウソです。(笑)
ではまた!
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現実世界は、あなたの内側の投影です。
前回まで、5回にわたって新型コロナのことを書いた。
このブログの趣旨から少しズレた内容だったので、いつも読んでくださっている方の中には、「このヒト一体どうしちゃったんだろう?」と感じた方もいるかもしれないね。(笑)
でも、実は、あの一連の記事には裏テーマがあって、それは僕の中でとても大事なことなんだよね。
それが何かというと、「自分が感じていることが現実になる」ってこと。
もっと言うと、「自分が信じていることが現実になる」ということ。
これについては過去に何度も書いたけど、僕らが生きているこの現実というのは、自分自身の内面を外側に投影したものなんだ。
自分は素晴らしい人間だと心の底から思っていれば、自分の素晴らしさを味わう現実があらわれてくる。
楽しくやっていればうまくいくと思っている人は、楽しむことでうまくいく人生になる。
自分の内側が幸福感で満たされていれば、現実も幸せなことばかりになる。
逆に、
自分はダメな人間だと思っていれば、自分がダメな人間であることを実感するような現実があらわれる。
頑張らなければうまくいかないと思っている人は、頑張らなきゃうまくいかない人生になる。
自分の内側が恐怖感でいっぱいなら、現実は恐ろしいものだらけになる。
だから、新型コロナに関してマスコミが煽る不安や恐怖を真に受けてしまえば、当然、自分自身も不安や恐怖を感じることになり、それが自分の外側の現実に投影される。
そして、外側に投影された不安や恐怖は、また自分のほうに戻ってきて、自分の中の不安感と恐怖感が増幅される。
そんなふうにして、不安と恐怖の連鎖が延々とループしていくわけだ。
この1年間、ずっとそうやって生きてきた人も多いんじゃないかな?
この現実世界というのは、すなわち僕らの人生というのは、結局のところ「自分自身がどう感じているか」がすべてなんだ。
マスコミの偏向報道を受け入れてそのまま信じてしまえば、この現実を自ら恐怖の世界に変えてしまうことになる。
もちろん、恐怖の世界を楽しみたい人はそうすればいいけれど、僕は楽しくて自由な世界で生きていきたいから、不必要に恐怖を煽るマスコミや口コミは無視する。
そして、必要があれば自分で調べて、自分で判断する。
その結果、僕は、新型コロナは大した感染症じゃないという結論に至っているので、恐怖を感じることもないし、閉塞感もない。
そりゃ、居酒屋さんは軒並み閉まっていて気軽に飲みに行けないというのはあるけど、おかげで小遣いが貯まって、それを別の自己投資に回せる。
外出の機会は減ったけど、逆に家族と過ごす時間が増えて楽しい。
仕事はリモートワークが多くなったので、自由に使える時間が増えた。
いいことばっかりやん。(笑)
ちなみに、新型コロナについては、どれだけ抜かりなく対策していても感染するときはするんだから、良い意味で諦めたほうがいいと僕は思うよ。
そのほうがストレスが減るから。
ストレスは免疫力を低下させるからね。
過剰に怯えたり必要以上に神経質になるのではなくて、インフルエンザと同じ程度に気を付ける。
そして、暴飲暴食を控えつつも栄養(特にビタミンD)をしっかり摂り、寝不足に気を付けて、ストレスのない生活を送る。
ただ、それだけのことだ。
大事なのは、「感じていることが現実になる」「信じていることが現実になる」ということ。
「コロナはめちゃくちゃ恐ろしい感染症だ」と信じている人と、「コロナはそんなに怖くない」と思っている人とでは、同じ世界にいるのに全く異なる現実を生きることになる。
さて、あなたはどちらの世界で暮らしたいですか?
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新型コロナを冷静に考える ~⑤ワクチン~
このシリーズで書きたかったことはまだ幾つかあるんだけど、ちょっと飽きてきたので(笑)ひとまず今回で最後にしようと思う。
最終回は、みんな大好きワクチンについて。(笑)
新型コロナワクチン①人類史上初の試み
そもそもワクチンには幾つかの種類があるんだけど、これまで使われていたワクチンは大きく分けて次の2種類だった。
●生ワクチン
生きたウイルスの毒性を極力抑えて、人の体内で免疫が作れるぎりぎりまで弱めたもの。
●不活化ワクチン
ウイルスの毒性を完全になくして、人間の体内で免疫をつくるのに必要な成分だけを薬にしたもの。
ざっくり分けると、これまでのワクチンというのは上記の2種類で、これらは言ってみれば、弱毒化(もしくは無毒化)したウイルスを体内に入れて強制的に人に”感染”させ、抗体をつくるという仕組みだった。
だから、仮に副作用があったとしても、もともとのウイルスに感染したときと同じような症状が(弱めに)出る、という程度のものだった。
ところが、日本でも接種が開始されて最近話題になっているファイザーやモデルナのワクチンはmRNAワクチンと呼ばれるもので、これは、これまで人類が接種してきた生ワクチンや不活化ワクチンとは、その仕組みが根本的に異なるものだ。
ここで詳しい解説はしないけれど、mRNAワクチンは人間の遺伝子に直接働きかけるもので、これまで人類が試したことのない、いわばニュータイプの薬。
だから、ある意味では人類史上初の画期的な薬なんだけど、もしかしたら、とんでもない副作用が出てくる可能性もゼロではない。
なにせ1年もかけずに開発された薬なので、長期的な効果や副作用については未知の部分が大きいんだよね。
生ワクチン、不活化ワクチン、mRNAワクチンに加えて、もう一つウイルスベクターワクチンという種類もある。
これは、新型コロナワクチンではアストラゼネカやジョンソン・エンド・ジョンソンが出しているもので、この仕組みはエボラ出血熱などの薬として既に使われた実績がある。
ただ、このウイルスベクターの新型コロナワクチンに関しては血栓ができる副作用があるということで、あちこちで問題になっている。
ちなみに、mRNAワクチンの開発自体は(新型コロナとは関係なく)かなり以前から進められていたんだけれど、安全性をはじめとしてクリアできない問題がいろいろあって普及しなかったという歴史がある。
それが、この新型コロナ騒動のどさくさに紛れて出てきたことに、僕は疑問を感じる。
新型コロナワクチン②開発期間の短さ
僕はもともと文系人間だし、製薬について詳しいわけじゃない。
ただ、株式投資をやっているので、過去には何度もバイオベンチャーに投資したことがある。
そういう会社の株を買うときはそれなりに調べるから、一般の人に比べれば製薬のプロセスについて知っているほうだと思う。
新薬の開発にはとても長い時間がかかる。
一つの薬が開発されてから世の中に出るまでに、長いときは20年近くかかることもある。
通常は、次のような3段階のテスト期間を経て、10年前後かかって世に出回るのが普通だ。
第Ⅰ相試験(臨床薬理試験)
まず、少人数の健康成人において、ごく少量から少しずつ「くすりの候補」の投与量を増やしていき、安全性はどうかについて調べます。また、血液や尿などの中に存在する「くすりの候補」の量を測ることにより、どのくらいの速さで体内に吸収され、どのくらいの時間でどのように体外に排泄されるのかも調べます。
第Ⅱ相試験(探索的試験)
次は、「くすりの候補」が効果を示すと予想される比較的少人数の患者さんについて、病気の程度によってどのような効き目を発揮するのか(有効性)、副作用はどの程度か(安全性)、またどのような使い方(投与量・間隔・期間など)をしたらよいか、といったことを調べます。
第Ⅲ相試験(検証的試験)
最後に、多数の患者さんについて、第Ⅱ相試験の結果から得られた「くすりの候補」の有効性、安全性、使い方を最終的に確認します。確認の方法は、現在使われている標準的なくすりがある場合にはそれとの比較、標準的なくすりがないときにはプラセボとの比較が中心になります。
これとは別に、長期間使用したときの安全性や安全性がどうかを調べることもあります。
(引用:製薬協ウェブサイトより)
このような試験が終わったからといって即販売開始となるわけじゃなくて、その後1~2年かけて厚労省が審査し、問題がなければ承認される。
つまり、新薬が1年もかけずに販売されることはあり得ないんだよね。
そしてさらに重要だと思うのが、新薬開発の成功率。
新薬の開発というのは、上の3つのステップを経て厚労省から許可が下りればOKという単純な流れに見えるかもしれないけれど、途中の段階でボツになってしまうもののほうが圧倒的に多いんだよね。
実は、新薬開発の成功率は2万5,000分の1と言われてる。
つまり、新薬の候補が2万5,000個あったとしても、その効果や安全性などを上記の3ステップでテストしていくと、そのほとんどが不採用になり、最後まで残って実用化されるのはたった1個しかないということだ。
新薬というのは、それくらい厳しいプロセスを経てようやく市場に出てくるということ。
でも、今回の新型コロナワクチンに関しては、感染拡大から半年余りで開発・承認され、販売に至っている。
おそらく、通常の製薬であればまだⅡ相程度の段階にあるような薬を既に販売して、多くの人が接種し始めているわけだ。
もし時間をかけて臨床試験を行っていれば、途中で大きなリスクが見つかって実用化されなかったかもしれない薬が使われているということだ。
なにせ2万5,000分の1の確率でしか成功しないはずのプロセスをすっ飛ばしているわけだから。
ところで、「治験バイト」っていうのを知ってるかな?
これは、まだ臨床試験段階にある薬(つまり上記のⅠ相~Ⅲ相段階の薬)を使って効果や安全性を確認するためのテストに参加するバイトで、高額な報酬がもらえることで知られている。
だけど、当然ながらまだテスト段階の薬なので、薬の副作用で死ぬこともある。
いわば人体実験だね。
ほかにも、難病に侵された人が、ワラにもすがる思いで新薬の治験に参加することもある。
でも、その薬が効くかどうかは全然わからないし、安全性も不明だ。
前に述べたように、テストしてみた後で効果や安全性に問題があることがわかって「使えない」と判断されるケースのほうが圧倒的に多い。
こうやって見てみると、僕は、今の新型コロナワクチンの接種は、地球上の何十億人という人が治験(人体実験)に参加してるようなものだと思ってる。
新型コロナワクチン③リスクとメリットのバランス
じゃあ、結局のところ今回の新型コロナワクチンは打たないほうがいいのか?というと、僕は、「人によって必要性が違う」としか言いようがない。
前回までの4回シリーズで僕が一番言いたかったことは、新型コロナによる感染リスクは一人ひとり異なるということだ。
そもそも十把一絡げに新型コロナの怖さを語っても意味がないどころか、むしろ害悪だ。
それはワクチンについても同じことが言える。
- 年齢
- 性別
- 持病
- 健康状態
- 居住地
- 人種
- 喫煙習慣
- 同居家族
などなど、それぞの属性によって一人ひとりリスクが異なるわけだから、ワクチンの必要性も異なるのは当然だ。
例えば、
- 年齢: 85歳
- 性別: 男性
- 持病: 糖尿病
- 健康状態: 不良
- 居住地: リオデジャネイロ
- 人種: 白人
- 喫煙習慣: あり(ヘビースモーカー)
- 同居家族: 同い年の妻と105歳の母親
という人がいたとしたら、感染リスクはかなり高いと思う。
だから、仮に副作用のリスクがあるとしても、重症化を抑える効果が見込めるならワクチンを打ったほうがいいかもしれない。
一方で、
- 年齢:27歳
- 性別:女性
- 持病:なし
- 健康状態:良好
- 居住地:島根県
- 人種:黄色人種
- 喫煙習慣:なし
- 同居家族:なし(一人暮らし)
こういう人が感染した場合のリスクは限りなくゼロに近い。
であれば、実態のよくわからないワクチンを打つことのほうが高リスクだ。
要は、リスクとメリットを両手に並べて、そのバランスを見てみればいいということだ。
前回の記事で書いたように、40歳未満の若者や子どもにとって新型コロナのリスクはほぼゼロなんだから、得体の知れないワクチンを打つリスクのほうが圧倒的に高い。
長期的な副作用についてはまだ全くわかっていないからね。
でも、高齢者にとって数十年スパンの長期的な副作用はあまり大きなリスクとは言えないと思うので、その点は意味合いが全く異なるよね。
だから、要は、リスクとメリットのバランスの問題だね。
新型コロナワクチン④僕はどうするか?
参考にはならないと思うけど、最後に、僕自身がどうするかについても書いておこうと思う。
これはあくまでも僕自身の考えと、それに基づく僕の判断です。
僕は、新型コロナワクチン(mRNAワクチン)には短期的な効果はあると思う。
ただ、長期的な効果はわかっていないし、5年、10年、20年という長いスパンで見た副作用も全く不明であることが最大のリスクだと考えてる。
僕自身は40代半ばの黄色人種で、喫煙習慣もないし基礎疾患もない。
同居家族も妻と子供だけで、コロナの感染リスクはかなり低い部類だ。
つまり、ワクチンを打つことによるリスクのほうが圧倒的に大きい。
もし新型コロナがもっと怖い病気だったら、生ワクチンや不活化ワクチンであれば打ってたかもしれないけど、今の状況では打つ意味がほとんどない。
だから僕は、新型コロナワクチン(mRNAワクチン)を接種しない。
子どもたちにも絶対に打たせない。
妻は仕事柄、優先接種の対象者だけど、結局打たないことにしたみたい。
近所で一人暮らししている親父(75歳)は来週ワクチンを接種するらしい。
大事なのは、ワクチンを打つか否かの前に、自分自身が置かれた状況を冷静に考えること。
そして、マスコミの情報を鵜呑みにしたり、周囲の人の目を気にして流されるのではなく、自分の頭で判断すること。
僕はそう思ってる。
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