依存度は選択肢の数で決まる。
前回の記事では、「自分軸」ではなく「他人軸」で生きると、人生がスムーズに進まないかもしれない、ということをボールの重心に例えて書いた。
だけど、そもそも、どうして僕らは「自分軸」ではなく、「他人軸」で生きてしまいがちなんだろうか?
それは、おそらく、何かに依存(執着)しなければ生きていけないからだと思う。
もともと僕らが生まれたばかりの赤ちゃんのときは、完全に自分軸で生きていたはずだ。
だからこそ、時や場所を考えずに泣きわめくことができたし、周りの人たちもそれを許してくれていた。
でも、少しずつ成長して身体を自由に動かせるようになってくると、「あれをしちゃダメ」「これをしなさい」と親から言われるようになる。
さらに大きくなると、先生と呼ばれる人や友達、そしてマスメディアや周囲の大人たちが有言・無言の圧力をかけ始める。
でも、まだ一人で生きていくことができない子どもたちは、そういった周囲の声に従って生きていかざるを得ない。
だから、本当は自分がしたくないこともやるようになるし、やりたいこともできなくなる。
そんなことを延々と続けているうちに、他人軸で生きることが当然のようになってしまう。
そして成人して、ようやく自由の身になったかと思えば、今度は生活のために働かなきゃいけなくて、結局はようやく手放せたかと思った他人軸が、「企業」になったり、「上司」や「同僚」、あるいは「地域住民」「世間の空気」なんかに変わるだけのことだ。
つまり僕らは、何かに強く依存し続ける限り、他人軸を手放すことは難しいんだろうと思う。
逆に言えば、他人軸を手放すためには、自分が依存している対象への依存度を薄めていく必要がある。
じゃあ、どうすれば依存度を薄めることができるのかといえば、それは選択肢を多く持つということじゃないかな。
例えば、医療で言えばセカンドオピニオンみたいなもの。
何か大きな病気をしているときに、ただ一人の医者に依存していると、すべてその医者の言いなりになってしまって、自分の健康(もしかしたら命まで)をその一人の医者に預けることになってしまう。
でも、もしほかの複数の医者の話を聞くことができれば、僕らは自分で主体的に治療法を選ぶことができる。
つまり、自分の人生の主導権を取り戻すことができるようになる。
収入源を複数持つというのも同じことだ。
毎月の収入が、自分が勤めている会社からしか入ってこない状態だと、これまた自分の生活(人生)をその会社に預けているのと同じことだ。
会社から「こうしろ」と言われたらこうしなきゃいけないし、「これはやめろ」と言われたらそうせざるを得ない。
つまり他人軸で生きざるを得ない。
だけど、収入源を複数持っていれば、会社の言いなりにならずに済む。
納得できないことがあれば、毅然とした態度で臨むこともできる。
つまり、自分の人生の主導権を取り戻すことができるようになる。
これは医療や収入に限らず、恋愛にしろ、友人関係にしろ、住む場所にしろ、何でもそうだろうと思う。
そういう意味で、自分の人生において大切なモノやコトを1つのところに依存しない、つまり選択肢を幾つも持っておくということがとっても大事だと僕は思う。
選択肢を複数持つということは、いつでも手放せる(逃げ出せる、離れられる)っていうことだ。
いつでも手放せるものと “依存” は馴染まないもんね。
選択肢が複数あれば依存度が下がる。
依存度が下がれば、他人軸を手放し、自分軸を大切にして生きられるようになる。
だから、僕はいつでも、できるだけ多くの選択肢を持っておきたい。
自分軸で自由に生きるために。
ブログ村ランキングに参加しました。
ポチッと応援、いつもありがとうございます!^^
↓
「自分軸」はボールの重心
自分の軸を持つことの大切さについては、このブログの中で何度も触れた。
昨日観た「映画 えんとつ町のプペル」でも、自分軸って大事だよなぁと、再認識させられたしね。
ということで今回は、昨日、映画を観ながらふと思い浮かんだ自分軸に関するイメージについて書こうと思う。
あ。その前に自分軸ということについて簡単に説明しておくね。
ちなみに、「自分軸」の反対は「他人軸」で、他人軸っていうのは、自分以外の人の価値観、考え方、ルール、社会の常識や既成概念、世間の空気みたいなもの。
僕らは子どものころからずっと、親や教師、友達、マスメディアなどによって、そういった “本来の自分のものではない価値観” を植え付けられて生きてきた。
「~をしなければいけない」「~をしてはいけない」「~すべきだ」といった思考はすべて他人軸で、中には「自分の思考のほどんどが他人軸」という人もいるかもしれない。
だけど、他人軸ばかりで生きて、いずれ死んでいくとしたら、“自分” が “自分” として生きている意味がないと思うんだよね。
それはまさに、スティーブ・ジョブズの言う「他人の人生を生きる」ということと同じだから。
あなたの時間は限られています。
だから、他の誰かの人生を生きることで
時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけません。
それは他人の考えに従って生きることと同じです。
他人の考えに溺れるあまり、
あなたの内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、
自分の心と直感に従う勇気を持つことです。
あなたの心や直感は、
自分が本当は何をしたいのかを知っています。ほかのことは二の次で構わないのです。
(スティーブ・ジョブズ)
たった一度の自分の人生を充実したものにするためには、やはり自分軸で生きることが大切だと僕は思う。
自分軸は、魂の声だ。
自分が本当は何をしたいのか、自分は何を望んでいるのか、どう生きたいのか。
心の奥底から湧き上がってくる魂の声、それが自分軸だと思う。
ところで、僕自身をボールに例えたとき、「軸」というのはボールの重心に相当する。
重心がボールの真ん中にしっかりと位置していれば、ボールはスムーズに真っすぐ、しかも遠くまで転がり続ける。
だけど、もし重心が真ん中ではなくて外側近くにあったら、ボールは不安定でいびつな転がり方をした挙句、すぐに止まってしまう。
自分軸で生きることと他人軸で生きることの違いは、こんなイメージだと思う。
自分軸で生きると、重心が自分の真ん中にあるから、スムーズに、真っすぐ、そして遠くまで進み続けることができる。
一方、他人軸で生きると、外側近くにある重心に振り回されて、思うように進むことができない。
場合によっては、まるで “おきあがりこぼし” のように、全く前に進めない可能性すらあるよね。
他人から何を言われようと、世間からどんな目で見られようと、自分の魂の声を聴き、自分の感覚を信じて生きていく。
いつ何が起こるかわからないこの世界の中で、自分の人生をより良いものにするために、まずは自分軸に沿って生きると決めること。
そこがスタート地点だと、僕は思う。
ブログ村ランキングに参加しました。
ポチッと応援、いつもありがとうございます!^^
↓
【感想】「映画 えんとつ町のプペル」を観て。
今日が年末年始休暇の最終日。
一番上の子と2人で「映画 えんとつ町のプペル」を観に行った。
絵本は読んだことがあるんだけど、映画は映画で原作とはまた違ったストーリーで、なるほどそういう展開になるのか〜と、新鮮に楽しめた。
映画としての出来栄えや完成度についてはいろいろな意見があるのかもしれないけれど、僕は、西野亮廣さんのこの十数年間の集大成として拝見して、実に感慨深かった。
西野さんがここに至るまでのストーリーを知っているから、なおさらグッと来るものがあって、エンドロールの最後に西野さんの名前が出たところで、ついに耐え切れずに目が潤んでしまった。
映画や小説については「作者と作品を切り離して考えるべき」ということがよく言われる。
だけど、そういった「~すべき」という世の常識に対する異議申し立てこそがこの映画のテーマだと思うし、そうでなかったとしても、僕は、この映画は西野さん自身の物語だと思う。
周囲から叩かれ、笑われ、馬鹿にされ続けながらも信念を貫いて、10年以上かけて自分の夢の一つ(自作絵本の映画化)を実現した西野さんの生き様そのものだ。
そしてこの映画は、夢を追いかける人たちへの応援歌であり、また、夢に向かって挑戦しようとする人を嘲笑う者たちへのアンチテーゼでもある。
僕らは、あのえんとつ町の住人たちを誰一人として笑うことはできない。
えんとつ町は今のこの世界にそっくりじゃないだろうか。
狭い世界の中でしか通用しない常識や価値観で人を縛り付け、それに疑問を持って行動する者は矯正されたり排除されたりするという点において、この社会とえんとつ町に違いはない。
思考停止し、マスメディアに踊らされ、何も考えずに生きている大人たちのなんと多いことか。
それだけならまだしも、自らの常識や固定観念から外れる人、新たな世界にチャレンジしようとする人を寄ってたかって排除する。
僕がこのブログで書いているような内容も、今の社会では一般的に受け入れられるものじゃない。
こういうスピリチュアルなことを人前で話せば、きっと眉をひそめられたり、苦笑いされたりすることだろう。
そう。主人公のルビッチや、その父親であるブルーノが、「煙の向こう側には星があるんだ」と言うだけで笑われ、罵られたりしたのと同じように。
だけど、映画のクライマックスでルビッチは、えんとつ町の住民たちに向かってこう言い放つ。
誰か見たのかよ?
誰も見たことないだろう?
だったら、まだわからないじゃないか!
異なる価値観や考え方であっても、それを受け止める寛容な社会、もっと人が自由に生き生きと暮らせる世界を僕はつくりたい。
それこそが人類の可能性であり、希望だと思う。
そのためにも、自分自身の軸をしっかりと持ち、自分の力を信じて進んでいこう。
改めてそう思わせてくれた映画だった。
ちなみに、一緒に映画を観に行った長女は、こんな感想文を書いていた。
みんなにいろいろ言われても、自分を信じて最後まで諦めない姿に感動しました。
私も、これからみんなにいろいろ言われることがあっても、自分の考えをしっかり持って、最後まで諦めない人になりたいです。
親として、そんな人になってほしいと心から願う。
ブログ村ランキングに参加しました。
ポチッと応援、いつもありがとうございます!^^
↓
2021年 良い年にしましょう!
波乱の2020年が終わって、新しい年が始まったね。
とはいえ、現実世界に区切りがあるわけではないので、今年も引き続き波乱が続くのかもしれない。
いや、むしろ、本格的な混乱はこれから始まるような気もする。
地球環境に多大な負荷をかけ、誰かの犠牲の上に成立するコマーシャリズムによって経済を回すシステムがいつまでも続くとは思えないから。
新型コロナウイルスは、この矛盾を炙り出して、狂ったシステムが崩壊するスピードを加速させる役割を果たしているんじゃないかと僕は思ってる。
だから、今年はさらに激動の年になるかもしれない。
今の世界を動かしている様々な仕組みが崩壊し始め、より良い新たなシステムを生み出すための混乱期に突入するかもしれない。
だけど、それに対して僕は全く恐れを感じていないし、むしろワクワクしている。(笑)
世界がどんなふうになろうと、身の回りで何が起きようと、それをどう捉えて、どんなふうに行動するかは僕次第なんだよね。
バシャールが教えてくれたように、あらゆる出来事はニュートラルで無色透明のはずだから、それにどんな意味を与えるかは僕の考え方一つだ。
だから、これまで以上に、周囲で何が起きてもブレない軸(自分軸)を明確にしておかなきゃいけないなぁと思ってる。
ちなみに、あまね理樺さんが昨日公開されていた動画では「眼鏡」という比喩でそのことを説明されていて、わかりやすかったのでシェアするね。
あまねさんがチャネリングで宇宙からのメッセージを伝えてくれている部分だけ書き起こしています。(文意が変わらない程度に若干編集あり)
─────── 以下 書き起こし ───────
あなたの心の中に何を描きますか?
何にフォーカスしたいのかというところに、まず意識を向けてみましょう。
この世界で起きる出来事は幻想みたいなもので、同じ出来事が起きたとしても、どの側面から自分自身がアプローチしていくのかによって見えてくるものは大きく変わっていきます。
例えば、あなた自身が自分自身をより高めたいというフォーカスをもって現実を見るのであればそういう情報が入ってくるでしょうし、行動にもつながっていくでしょう。
けれども、この世界は自分の力ではどうにもならないとか、自分はすべて外側の要因によって左右されていると捉えるのであれば、そういった世界が展開していくでしょう。
だから、今この日(元旦)に、どんな人生にフォーカスしたいのか、どんな人生を生きたいのか決めてください。
その強い意志と意図とともに “眼鏡” をかけてみましょう。
人生の中ではいろいろな出来事があって、それにブレさせられて、落ち込んだり、憎しみを感じたり、楽しくない状況になったり、逆にすごく楽しいと感じるような状況になったりと、まるで寄せては返す波のようなものです。
けれども、あなたがビシッと決めた “眼鏡” を通してこの世界を見ると決意すれば、それはきっとそうなるでしょう。
ですので、喜びに満ちた現実を自分自身で創造するという “眼鏡” をかけて、この青い空のようにもっと高く飛翔していきたい、と意図する。
それだけで十分です。
これをこうしてくださいとか、こうなるという具体的な目標がなくても、今年2021年にあなたが使う眼鏡をしっかり設定しておけばいいのです。
何かの出来事によって “眼鏡” が外れそうになって、いろんな感情が起きて、翻弄されたり、のたうち回ったり、叫んだりしても、その後に “眼鏡” があったことを思い出して、もう一度かけ直す感じです。
そして、この “眼鏡” は一色だけでなくても構いません。
システマチックにいくのであれば、いろいろな色の “眼鏡” を幾つか設定しておいて、その時々でかけ直すということを試してみてはいかがでしょうか。
それは、自分自身の内側の感情を客観的に見たり、自分という存在を客観視していくことにもつながります。
困ったときに眼鏡ケースを取り出して色を入れ替えてみて、現実がどういうふうに見えるのかということにフォーカスを向けてみるといいでしょう。
これが2021年、最初に皆さんに送るメッセージです。
忘れないでほしいのは、これからどんな現実があなたの目の前に現れてくるとしても、あなたがそこから何かを学ぼうとしているということに変わりはないということです。
それさえしっかり押さえておけば、あなたは、流れに翻弄されて巻き込まれて生きるような人生とはサヨナラできるでしょう。
この新しい空気を吸い込んでみてください。
そして、大いなる自分、大いなる意思、大いなる宇宙というものと時々つながってみるといいでしょう。
これが私たちの新年のメッセージです。
─────── 書き起こし 以上 ───────
2021年スタート!沖縄の聖地よりライトランゲージメッセージ
世界で何が起きようと、それをどう捉えるかは自分次第。
だったら、楽しいことにフォーカスして、今起きていることはより良い世界へと繋がっているんだと信じて生きていきたい、と僕は思う。
2021年が、僕にとっても皆さんにとっても良い年になりますように・・・ではなくて、自分の力を信じて、自分自身の意思で良い年にしましょう!!
ということで、今年もどうぞよろしくお願いします。m(_ _)m
ブログ村ランキングに参加しました。
ポチッと応援、いつもありがとうございます!^^
↓
ブログを始めてよかった。
いろいろあった2020年も、ついに今日が最終日。
まさに、コロナで始まりコロナで終わる感じだけど、僕にとって今年一番大きかったのは、やっぱりこの「はてなブログ」を再開したことかなぁ。
実を言うと、ブログを再開する前、今年8月にYouTubeでチャンネルをつくって、何本か動画(というよりラジオ)を配信してみたんだけど、どうも僕にはフィットしなくてね…。
僕は昔から話をするのが得意じゃないし、そもそも頭の回転が速いほうではないので、YouTubeで話をしていると、どうしても「んー」とか「えー」とか、言い淀んでしまうことが多くて。
それで、まずは原稿を書いて、それを読み上げるような形にしたらいいかも?と思ったんだよね。
でもそれだったら、YouTube用の原稿を兼ねてブログを書けば一石二鳥じゃない?と思って始めたのがこのブログだったんだけど、結局、ブログに集中することになっちゃった感じ。(笑)
まあ、いずれYouTubeのほうも再開するかもしれないけど、今はブログのほうが気楽で楽しいんだよね。
何より、はてなブログのいいところは、読者登録してくださったり、スターで応援してくださる方がたくさんいて、ブログを書くモチベーションを維持できることかな。
書き始めたときは「別に誰も読んでくれなくてもいいやー」と思っていたんだけど、次第に読んでくださる方が増えて、今では毎日100件前後のアクセスがあるので、それがとても励みになってる。
それと、僕がこのブログで書いている内容は、人に言ったらバカにされたり変な人だと思われたりするんじゃないか?と思って、これまで誰にも言わずに一人で悩んだり考えたりしてきたことなんだよね。
だけど、思い切ってそれを表現してみたら、読んでくださるだけでなくて共感してくださる方までいて。
そのことが本当に嬉しくて、ここまで続けてこれたんだと思う。
(といってもまだ3カ月くらいだけど…。笑)
ということで。
みなさん、いつも読んでくださって本当にありがとうございます!
来年も自分のスタンスで好きなことを書き連ねることとは思いますが、少しでも皆さんのお役に立てることを書けたらといいな、と思っています。
ということで、来年もよろしくお願いします!
どうぞよいお年をお迎えくださいませ。
ブログ村ランキングに参加しました。
ポチッと応援、いつもありがとうございます!^^
↓
「引き寄せの法則」の仕組みをパラレルワールドで考えてみた。
スピリチュアルに関心がなくても、「引き寄せの法則」という言葉を聞いたことのある人は結構いるんじゃないかな。
引き寄せの法則というのは、自分が望むモノや望むコト(つまり望む現実)を手に入れるための方法だ。
その方法を一言でいうと、自分が強く意識していることが現実になるということかな。
僕はヒックス夫妻による『引き寄せの法則 エイブラハムとの対話』という本で初めて知ったような記憶があるけど、ナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』をはじめとして、マイケル・J・ロオジエの『引き寄せの法則』やロンダ・バーンの『ザ・シークレット』といった有名なもの以外にも、多くの書籍が出版されている。
ちなみに、僕の大好きな宇宙人・バシャールは、この引き寄せの法則についてはほとんど語っていない。(というか、僕の記憶では、むしろ否定していたような気がする)
というのも、前回の記事で書いたように、バシャールの理論の柱となるパラレルワールドで考えると、厳密に言えば、自分が望む現実というのは「引き寄せるもの」ではないからだ。
「引き寄せる」という言葉を聞くと、自分が今いる一定の現実世界があって、そこに別の場所から何かを持ってくる(磁石のように引き付けてくる)というイメージが湧くと思うけど、パラレルワールド的に言えばそうじゃない。
パラレルワールドでは逆に、自分が望んでいるものが存在する別の世界に自分自身が移動するということになる。
つまり、“何か” の「引き寄せ」ではなくて、“何か” のほうへの「移行(シフト)」だ。
とはいえ、結果的には同じモノ、同じコトが手に入るのだろうから、そんなことを気にする必要はないのかもしれないけどね。(笑)
ただ、僕は左脳系の思考のほうが得意でパラレルワールドを信じているから、「引き寄せ」よりも「移行(シフト)」のほうが納得しやすいということかな。
じゃあ、望む現実へと「移行(シフト)」するっていうのはどういうことか?っていうのを説明したいんだけど、パラレルワールドについて理解していないとわかりづらいと思うので、この記事を先に読んでみてね。
パラレルワールド的に言うと、自分が望む現実というのは、おそらく今の自分のタイムラインとは少し違う世界に存在している。
だから、自分が望む現実を手に入れるためには、その “少し違う世界” に自分自身が移行する必要がある。
そのためにはどうすればいいかというと、今の自分自身の波動を、その “少し違う世界” の波動に合わせる(変える)ということだ。
例えば、今、時間は21時を過ぎたところで、僕はTBS系列のお笑い番組を見ているとする。
だけど、ふとNHKのニュースウォッチ9が見たいなぁと思ったらどうするか?
「ニュースウォッチ9を引き寄せよう!」と、どれだけ念じても、目の前で繰り広げられているお笑いはそのままだ。
じゃあどうする?
当然だけど、僕はテレビのリモコンを手に取って、受信する周波数帯(波動)を変えるべく、チャンネルボタンを押してNHKに切り替える。
そうすると僕の目の前の現実はニュースウォッチ9になる。
自分が望む現実に波動を合わせる(変える)というのは、テレビのチャンネルを切り替えるのと同じことだ。
だから、自分にとってポジティブな現実を手に入れたければ自分の波動をポジティブなものにすればいいし、ネガティブな現実を手に入れたければネガティブな波動にすればいい。
理屈としてはとても簡単だよね。(笑)
ただ、この物理次元の地球で暮らしている僕らにとって、波動を切り替えるのはそれほど簡単なことじゃない。
だからみんな苦労してるわけだ。
ちなみに、引き寄せの法則では、自分の望む現実を手に入れるために、自分の意識や思考を、その望む現実にフォーカスすることが大事だと言われている。
そのために、その望むモノやコトの写真を眺めたり、あたかも自分が既にそうなっているかのように強くイメージしたりすることが推奨されている。
これはどういうことかというと、つまり、今の自分の波動(周波数)を、そういう “望む現実” を既に手に入れたときの自分の波動に変えようとしているってことだ。
その波動に近くなればなるほど “望む現実” に近い現実が現れてくるわけで、つまりパラレルワールドで考えると、そいういう世界に「移行(シフト)」していくことになる。
それが、ノリズム的「引き寄せの法則」の仕組みです。(笑)
さあ、あなたもリモコンを手に取って、望む現実にチャンネルを合わせてみよう!
ブログ村ランキングに参加しました。
ポチッと応援、いつもありがとうございます!^^
↓
宇宙人が教えてくれたこと ④パラレルワールド
今日はちょっと難しい話になるかもしれないけど、僕の大好きな宇宙人・バシャールから教えてもらったシリーズの第4弾として、この世界(宇宙)の仕組み「パラレルワールド」について書くよ。
パラレルワールドというのは、日本語では、並行世界とか並行現実と呼ばれてる。
これは、バシャールが1970年代くらいから一貫して僕らに教えてくれている概念で、バシャールの理論を理解する上でカギとなる考え方の一つだ。
僕が物心つく前のことだからわからないけど、パラレルワールドというのはかなり斬新な考え方なので、1970~1980年代当時は、オカルト的な胡散臭い考え方として受け止められていたんだろうと思う。
でも、今では、このパラレルワールドという考え方は、物理学者が論じるようなテーマになっている。
結論的なことから先に言うと、僕らが生きているこの世界というのは一つだけではなくて、同じような、微妙に異なる世界が同時並行的に無数に存在するということだ。
ちなみに、パラレルワールドについて知らない現代人の多くは、時間軸の中で自分が今どこにいるかと言われたら、おそらくこんなふうに考えると思う。
既に過ぎ去った「過去」というものがあって、まだ経験していない「未来」があって、その間の「現在」に自分がいるのだと。
つまり、映画のフィルムで例えると、過去から未来へと向かってフィルムのコマを1つずつ進んでいるイメージかな。
でも、バシャールが言うには、世界はそういうものではなくて、ごくごく単純に言うと、下の図のようになっているらしい。
つまり、この世界(宇宙)というのは無限の数のフィルムが同時並行で存在しているような状態なんだと。
そして、本来、時間というものは存在せず、無限の数の「今」があるだけなんだと。
ちょっと難しくなってきたかな。(笑)
例えば、僕が今日、朝7時ちょうどに家を出て、歩いてセブンイレブンに買い物に行ったとするね。
そのとき、普通に考えたら、僕のタイムラインは、「朝7時ちょうどに家を出て、歩いてセブンに買い物に行った」という行為が時系列で並んでいる、ただそれだけの世界だよね。
でも、パラレルワールド的に考えると、僕が6時59分32秒に家を出た世界とか、7時3分16秒に家を出た世界とか、セブンではなくローソンに行った世界とか、歩いて行かずに自転車で行った世界とか、自動車で行った世界とか、そもそも買い物には行かなかった世界とか、無数の可能性に応じて、微妙に異なる無限の数の世界が同時並行的に存在しているということなんだよね。
その無限にある世界の中で、僕は「朝7時ちょうどに家を出て、歩いてセブンイレブンに買い物に行く」というタイムラインを選んだわけだけれど、ほかにも選択肢は無数にあったということになる。
もっといえば、過去も未来もなく、すべては現在なのだから、もう一度7時の時点に戻ってやり直せる可能性もゼロではない。
(※ ただ、この地球上の人間の世界では時間の概念が人類共通の大前提になっているから、その信念を覆して過去に戻れる可能性は限りなく低い)
バシャールによると、僕らは(意識的にやっているわけではないんだけど)自分の波動の状態によって、毎瞬毎瞬、それこそ1秒間に何十億回という猛烈なスピードで「フィルムのコマ」を移動しているらしい。
フィルムのコマ自体は「静止画」なんだけど、ものすごいスピードでコマを送るから、あたかも時間が経過しているように見えるだけだとバシャールは言っていた。
ちょっと話がズレちゃったけど、つまり、僕らは一つの世界の中だけで生きているわけではなく、無数のバージョン・無限の広がりがある世界を生きているというのが、パラレルワールドの大前提だよ。
だから、無数のバージョンの中には、僕が日本の総理大臣になっているタイムラインもあるし、プロ野球選手として大活躍しているタイムラインもあるし、南の島で一年中サーフィンをして暮らしているタイムラインだってある。
でも、じゃあ、なぜ僕は今、総理大臣ではなく、プロ野球選手でもなく、サーフィンもせずに、夜中にパソコンに向かってブログを書くという「今の僕」をやっているのかというと、それが現在の僕の「波動(周波数)」だから、というのがその答え。
(※ もっと正確に言うと、そのバージョンの自分の波動にフォーカスしているから、ということになる。)
今の僕の「波動」を、総理大臣になっているバージョンの僕の「波動」に一致させれば、次の瞬間、僕は総理大臣になっている世界に移ることができる。
でも僕は、そんな自分になりたいとは思わないし、そもそも総理大臣バージョンの自分がどこかに存在するなんていうことを心の底から信じていない。
だから、総理大臣バージョンの波動にはならず、結果として今の波動の延長線上で生きることになる。
逆に言えば、意図的に自分の波動を変えることで、自分が望む世界に行くことは可能だ。
スピリチュアル界隈で「波動」が重要視されるのは、これが理由なんだよね。
上の図で、僕は今、主にEというタイムラインを生きているとするね。
で、現在はE-5という位置にいるとする。
だけど、もっとお金持ちのバージョンの僕が存在しているAというタイムラインの世界もどこかにあって、そっちに行きたいと思えば行くことは可能なんだけど、そのためには自分の波動をAのタイムラインの波動に合わせなきゃいけない。
もし、すぐにAの波動に合わせることができれば、僕は一瞬でE-5からA-6に移ることができる。
でも、お金持ちになるなんて不可能だよ…と思っていたらそうはならないし、少し時間がかかるかもしれないけどいずれお金持ちになると信じていれば、E-6、E-7、E-8、E-9と進んでいった後でA-10に移るという可能性だってある。
つまり大事なのは、僕らが生きている世界は一つではなく、無限のバージョンの世界が存在していて、そのバージョンは自分の意思で選択できるということ。
これが、パラレルワールドについてバシャールが教えてくれたことだ。
この話に続いて「引き寄せの法則」についても話すつもりだったんだけど、今回は長くなっちゃったからこの辺で終わりにするね。
今回も、この内容は僕の解釈なので、興味がある人はぜひ自分で調べてみてね。
最後まで読んでくれて、どうもありがとう!
ブログ村ランキングに参加しました。
ポチッと応援、いつもありがとうございます!^^
↓
責任を背負い過ぎてない?
僕はどちらかというと、性格的にいろいろと考え過ぎてしまうタイプなので、若いころから「真面目だよねー」って言われることも多かった。
最近はかなりテキトーに生きてると思うんだけど、30代の半ばくらいまでは結構いろいろと思い悩んでた。
特に20歳前後のころは、社会問題にも関心があったし正義感も強かったから、常に世の中のことを憂えて生きていたような気がする。
環境問題から、世界各地の紛争や戦争、貧困、いじめ、犯罪、自殺、教育、労働環境、日本の政治や財政、先進国による途上国の搾取・・・と、それはもう、「問題」と名のつくありとあらゆることを憂いて、あたかも自分がすべての問題の当事者であるかのように思い悩んでいた。
だけど、それがほぼ偽善のようなものであるということも、自分でわかっていた。
で、そんなとき、僕の恩師の知人である、作家の日野啓三さんと一緒にお酒を飲む機会があって、まだ学生で青臭い理想を抱いていた僕は、日野さんに、日ごろ自分が思い悩んでいる様々な問題について、どう考えたらいいのだろうかと質問した。
おそらく眉間にしわを寄せて、思い詰めたような顔で話をする僕に、日野さんはとても穏やかな口調でこうおっしゃった。
「世界中で起きている全てのことについてあなたが責任を負う必要はないし、何もかもを背負い込むことなんてできないですよ。もしそれができると考えているのなら、むしろそれは傲慢というものかもしれません」
その言葉を聞いて少し肩の荷が下りたような気持になったけれど、まだ若く正義感に燃えていた僕は、どこか釈然としない思いもあった。
でも、今になって考えてみて、改めて思う。
世界中のすべての問題を背負い込もうとしてたなんて、ずいぶん欲張りだな、と。
日野さんのおっしゃるとおり傲慢だな、と。(笑)
そして、当時の僕は、もしかしたら自分自身の中にある不満を、世の中の問題にすり替えていたのかもしれないという気さえする。
本当の “問題” は自分自身の中にあるのに。
世界中で起きている様々な出来事のどの側面を見ているのか?
そしてそれに対してどんな感情を持つのか?
その感情は自分の中にあるどんな観念や思い込みから生じているのか?
僕の大好きな宇宙人・バシャールは、あらゆる出来事は中立(ニュートラル)であり、そのこと自体に意味はないと教えてくれた。
そうであるならば、本来無色透明であるはずの事柄に色を付けて “問題” にしてしまっているのは僕自身だ。
そういえば、先日、カズレーザーさんという方がこんなことを言っていた。
この世で起きたこと全部、どこか遠い世界の話だと思ってるんですよね。
身近だって思ったことないんですよ。
政治とかも、もちろん勉強はするけど、どっちに転がろうが、たぶん僕は生きていける。
1つひとつのニュースに、真正面からぶち当たってないのかもしれないです。
もちろん、『このニュースひとつで人生が変わる人がいるんだな』って想像はします。けど、すべてを自分ごととしてしゃべるのはよくないと思うんですよ。
感情的な意見が先にいっちゃいますから。
コメントするときは、個人としての感情をなるべく挟まないようにしてますね。
他人事として見てるくらいが、ちょうどいいんじゃないですかね。
ニュースなんて、見なくても生きていけるじゃないですか。どっちでもいいことに、体温奪われたくないんですよ。
どっちでもよくないですか? 自分のことだって、ネットニュースに何を書かれても関係ないって思ってます。
こうやって今日お会いしたうえで『カズレーザーすげえ嫌なやつだった』って言われたら『不快にさせて申し訳ないな』と思うけど、しゃべったことない人に『嫌なやつだ』って言われても、記事書かれても、別にどっちでもいいんですよね。
僕はこのカズレーザーさんという人のことはほとんど知らないんだけど、おっしゃってることは共感できるなぁと思った。
昔の僕だったら、「何て無責任な人だ!」と思ってイラッとしてたかもしれないけど。(笑)
でも、今これだけ混乱している世界において、自分の外側で起きていることに振り回されると、わけがわからなくなってしまう。
かつて日野さんがおっしゃったように、「世界中で起きていることのすべてに責任を負う必要はないし、何もかもを背負い込むことなんてできない」わけだから、自分の感覚を大事にして、ある意味 “自己中心的” に生きることを心がけたいと思う。
だからといって、それは決して「社会に無関心」であることとは違うし、「何かを見て見ぬふり」するわけでもない。
ただ、起きていることに振り回されることなく、冷静に淡々と、できるだけニュートラルに物事を見たいと思う。
その中から、自分が心からやりたいと思うことがあればやればいいし、やりたくないことはやらない。
自分の軸を大事にして、外側で起きていることとの距離感を保ちつつ自分のスタンスを決めるのがいいんだろうな、と思う年の瀬でした。
ブログ村ランキングに参加しました。
ポチッと応援、いつもありがとうございます!^^
↓
2021年・風の時代、どう生きる?【あまね理樺さん経由のメッセージ 】
波乱の2020年もあと5日余りですね。
新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない中で強力な変異種が見つかったり、アメリカ大統領選もまだ結果が確定していなかったり、落ち着かない年末だよね。
こんな状況で、来年はいったいどんな年になるんだろう?って不安に思ってる人も少なくないと思う。
僕は、昨日アップされた、あまね理樺さんのYouTube動画を見てとても勇気づけられたので、みんなにもシェアするね。
あまねさん経由の宇宙からのチャネリングメッセージの書き起こしです。(文意が変わらない程度に若干編集しています)
─────── 以下 書き起こし ───────
待ちに待った時代が来ました。
今までと何が大きく違うのかというと、ここから先は、自分自身の力を信じることによって人生を大きく変えていくことができるということです。
イマジン。
イメージしてみましょう。
あなたはどんな未来を生きていますか?
なぜそんなことを言うかというと、私たちには無数のタイムラインがあって、そのいろいろなタイムラインのどこを生きるのかは、自分自身の選択と、今この瞬間の決断によって決まります。
まず、イメージできることが一番重要で、イメージできることこそが、世界を生きるための大きな鍵になります。
あなた方の目の前に現れることができないものは、イメージすることができません。
ですので、どんな誇大妄想であったとしても、あなた自身が想像できるということは、あなたの中にそれを叶えるパワーがあるということです。
そのことを思い出しましょう。
2021年からはどんな時代になるでしょうか?
私たちはこう思います。
自分自身がイメージしたものが叶っていく速度が今よりももっと速くなっていく世界です。
今までの常識や信念、既存の価値観といったものを破ろうとする人や、それ以上のこと、人が思い付かないようなことをやろうとする人は「愚か者」と呼ばれることが多いですが、「愚か者」こそが勝利していく時代がこれからやってきます。
ですので、そんなことをやって何になるの?とか、こんなことをやったって意味がないとか、誰かに何か言われるからやめよう、などと自分自身が思うことに対してチャレンジしていくことをお勧めします。
なぜなら、そこに今までにない大きなチャンスがあるからです。
あなた方は、そもそも、体験するためにこの世界にやってきています。
ですので、体験こそが宝だということを、もう一度お伝えしておきます。
この肉体(ボディ)というものを使って何かを触ったり、行動したり、感じたり、そこで起きる感情(エモーション)に流されたりということ自体が生きる意味であり、そのダイナミズムや波を十全に感じることのできる感性を育てていくこと、そしてその波を恐れずに乗りこなしていくことが、この水瓶座の時代にはとても大切です。
なぜなら、予想外の出来事がこれからも起こり続けるからです。
予想外とはいったい何でしょうか?
それは、あなた方が見たことのない夢のことです。
2020年に新型コロナウイルスというものが全世界を覆い、私たちは急激に生産活動をストップさせられる事態に入りましたけれども、これ自体が本当に予想外のものであると同時に逆のベクトルも働いていますので、あなたが予想することを起こすことも可能な時代です。
それが水瓶座の時代といえます。
イマジン。イマジン。イマジン。
それを信じることができるかどうかが大きな鍵になります。
人はそれを「愚か者」と言うでしょう。
あなたも、「バカじゃないの?」と言われるかもしれません。
けれども、そこで、本当にやってみたいのかどうか、ということに意識を向けてみてください。
そして、あなたの魂や、あなたのすごく深いところがそれを望んでいるのであれば、それをやってみること自体があなたの人生の目的であったり、あなたの魂の本質というものにたどり着くための鍵になるかもしれない、早道かもしれないということをもう一度強調しておきます。
2021年、水瓶座の時代というのは、本当にたくさんの無数のレイヤーが交差していて、どの世界を選んでいくのかということが、選ぶ人によって大きく変わってくるということが言えます。
このことを、何度も何度も強調したいと思います。
愚か者であっていいのです。
やりたいことをやっていいのです。
その恐れの裏側にある意味というのは、大きな潜在的な可能性に通じているものかもしれません。
だから、恐れているだけでなく一歩踏み出してみる勇気が、あなたがあなたでいるための大きな鍵となってくるでしょう。
それを人は「愚か者」と言うでしょう。
「愚か」であれ、「愚か」であれ。
そしてトライしてみましょう。
それがきっと2021年を生きる鍵になるでしょう。
そのことを、この冬至という日にあなた方に贈るキーポイントとしてお伝えしたいと思います。
信じる者のところには大きなパワーが集まってきます。
そして、そのパワーを個人のために使うことも必要かもしれませんが、それをさらに膨らませて、大きな志、いろんな人たちのパワーを集めてこの地球を変えていくということに使ってみてはいかがでしょうか?
そのための仲間づくりということも、私たちは推奨します。
大きな話になってしまっていますが、それだけの大きなチャンスであり、皆さんが今、変革の時期のピンポイントにいるということは、皆さん自身も感じていらっしゃることだと思います。
この時代を乗りこなすチャンスを与えられたことを楽しみ、そしてそれを信頼し、アップダウンがあったとしても、ジェットコースターに乗るような気持ちで、情熱(パッション)や、乗りこなす喜びにフォーカスを当ててください。
あなた方の深いところの魂は何でも知っているということを理解し、その「深い自分」と「人間人格としての自分」を一致させていくということについて考え、トライしてみましょう。
皆さんへ愛を込めて。宇宙連合より。
─────── 書き起こし 以上 ───────
こういうメッセージは音が持つ波動というのも大事だと思うから、よかったら、ぜひ直接聴いて感じてみてね!
ブログ村ランキングに参加しました。
ポチッと応援、いつもありがとうございます!^^
↓
自分が持つパワーと影響力を知っていますか?
以前、「有名になりたい」という願望を持ってる人は少なくないということを書いた。
有名になることで得られるものは、「多くの人から認められる」というのもあるけど、世の中に対して「大きな影響力を持てる」ということもあると思う。
誰もが知ってるような「有名人」がマスコミ経由で何かを発言したら、その言葉の影響力はとっても大きいもんね。
だけど、じゃあ、「無名人」には影響力がないのか?というと、そうじゃない。
実は「無名人」だって大きな影響力を持ってる。
例えば、ある日の朝、僕が何かムシャクシャしていて、イライラしながらコンビニに行ったとする。
で、コンビニで何かちょっと気に食わないことがあって、店員さんに八つ当たりしたとする。
そうすると、八つ当たりされた店員さんは嫌な気分になり、テンションが下がる。
その店員さんは、僕が店から出た後も接客を続けるわけだけど、テンションが下がっているから、ほかのお客さんへの対応が悪くなる。
そして、接客を受けたお客さんは嫌な気持ちになる。
そのお客さんは店を出た後で、その嫌な気持ちを誰かに伝播して、その伝播された人も別の誰かに・・・
仮に店員さんが朝から晩まで一日中仕事をしたとすると、相当な数の人に接客するわけだから、僕のネガティブな感情は指数関数的に広がって、想像もできないくらいの広範囲に大きな影響を与えることになるわけだ。
逆に言えば、僕が、もし店員さんが嬉しくなるようなことをしたとすれば、そのポジティブな感情、好影響も広範囲に広がっていくということになる。
そう考えると、「無名人」だからといって僕らは決して無力なんかじゃなく、実はものすごいパワーを持っているわけだ。
ちなみに、作家の本田健さんは著書の中でこんなことを言っていた。
アメリカの心理学者の研究によると、都市部に住んでいる一人の人間は、1万人から2万人の人に心理的に影響を与えているというデータがあります。
たとえば、あなたがコンビニエンスストアで、レジの人に「おはよう」って気持ちよく言えたなら、レジの人は少し幸せな気分になります。その幸せになったレジの人が、来店するお客さんや同僚の人に「ありがとうございます」って気持ちよくいえたとします。
すると、いわれたお客さんも同僚の人も、ちょっといい気分になれたり、まわりの人にやさしく接することができるでしょう。
それが、その人たちの家族や友人たちにも広がっていく。
もしかしたら人間だけではなくて、ペットや植物たちにも幸せが注がれるかもしれません。接触した人たち、だいたい1万人か2万人、いえ、それ以上にいい影響が広がるというわけです。
逆に、コンビニの人にイライラした、不機嫌な態度で接したら、マイナスの影響が同じだけの人数に伝播していきます。
いま、世界的にも大変なことがさまざま起こっています。自分にできることは何もないと絶望的な気分になるかもしれません。しかし、目の前にいる人に対して笑顔で「ありがとう」ということが、実はすごいインパクトを及ぼしているかもしれないのです。
(本田健)
自分の言動が毎日1~2万人に 影響を与えていると考えると、ちょっと恐ろしいよね。
ちなみに僕は、コンビニにしろスーパーにしろ飲食店にしろ、会計時に必ず「ありがとうございます」って言うようにしてる。
その「ありがとう」の言葉で店員さんが良い気分になるかどうかはわからないけど、自分の影響力の大きさを考えると、何も言わずにブスッっとしてるという選択肢はなかなかとりづらい。(笑)
僕ら一人一人の小さな行動が、実は世の中にインパクトを与えていて、気づかないところで世界に影響を及ぼしている。
その自分のパワーを自覚して意識的に生きることができれば、無力感に苛まれることなんてないし、むしろ世の中をより良くしていくことができるかもしれない。
ということで。
宗教を信じてない僕には何の関係もない日だけど(笑)、今日はクリスマス。
いつもはお店で「ありがとう」しか言ってないけど、今日は笑顔も意識してみようと思う。
でも、笑顔を意識すると顔が引きつっちゃうんだよなぁ。(笑)
ブログ村ランキングに参加しました。
ポチッと応援、いつもありがとうございます!^^
↓
風の時代とか、バシャールとか。
日本時間では12月22日の深夜に、木星と土星が397年ぶりに大接近した。
これはいろいろなニュースメディアでも取り上げられていたから、知ってる人も多いと思う。
ちなみに占星術では、この木星と土星の接近のことをグレートコンジャンクションと呼んでいて、約20年に一度の周期で起きている現象。
ただ、ここまでの超大接近は400年近くなかった、ということらしい。
さらに、これまでの約250年間は「地の星座」を意味する牡牛座・乙女座・山羊座のグループで起きていたグレートコンジャンクションが、これからは「風の星座」と呼ばれる双子座・天秤座・水瓶座のグループのほうで起きるようになる。
この星座グループの移動はグレートミューテーションと呼ばれていて、今回はグレートコンジャンクションとグレートミューテーションが同時期に起きるという、珍しい天体ショーだったわけだ。
それもあって、占星術の世界では、この12月22日を境に「風の時代」に突入したと騒がれている。
そのことは以前このブログに書いた。
ただ、「風の時代」が始まったからといって世の中が突然変わるわけじゃない。
今後、「死と再生」の象徴である冥王星が水瓶座に定着するまで4年間かけて変化が加速するので、「風の時代」が本格化するのは2024年からだと言っている人も多い。
「風の時代」の価値観や仕組みが世の中に定着するのは、次のグレートコンジャンクションが起きる2040年くらいだと言う人もいる。
いずれにしても、占星術的にはいよいよ「風の時代」が幕開けして、新しい時代が動き始めた。
これからますます、風の時代的な価値観が世の中に浸透していくんだろうと思う。
それは、例えばこんなこと。
- 物質より精神
- モノよりコト
- 理論より直観
- 結果よりプロセス
- 秘密よりオープン
- 権威より対等
- 強制より自由
- 競争より調和
- 組織より個人
- 所有より共有
- 受動より能動 などなど…
一言で言うと、風のように軽やかな時代になるっていうことかな?
まあ、占星術を信じるか信じないかは別にしても、今年のコロナ騒動とか、アメリカ大統領選に絡む混乱とか、中国のキナ臭い動きなんかを見ても、世界規模で何か大きな変化が起きつつあることを感じている人は多いんじゃないかな。
ちなみに、僕の大好きな宇宙人・バシャールは、占星術的なことについてはあまり話をしないし、もちろん「風の時代」なんていうことも言っていないと思う。
ただ、最近YouTubeにアップされた公式動画の中で「木星と土星の大接近」について触れていたので、その内容をシェアするね。
────── 以下 “超訳“書き起こし ──────
今回の「木星と土星の接近」というイベントは、地球上の多くの人々の個人意識や集合意識の反映であって、この出来事が地球上の人々に影響を与えるわけではありません。
この現象は「針の目の変革期*1」の一部の出来事です。
占星術的に見ると、木星は、癒し・豊かさ・拡大・解放の象徴であり、土星はそれらを調整して、社会的、政治的、経済的、生態学的に、社会の様々な側面で大きな変化をもたらす象徴です。
そして木星は、これまであなたが長い間考えてきたことを現実化するのをサポートしてくれます。
木星の癒しのエネルギーを受け取って、あなた自身の本当の力を拡大させてください。
そして、この機会に “本来の自分ではないもの” を手放して、自分自身を輝かせてください。
“本来の自分ではないもの” は、あなたが “針の目” を通過するときに必要のないものです。
自分にフィットしないものを手放してください。
そして、あなたの周りで起きていることに細心の注意を払ってください。
そうすることで、あなたは自分自身の感覚を磨いて、ポジティブなこととネガティブなこととの違いを見分けられるようになります。
これまで私たちがシェアしてきた “波動” と “あなた自身” を一致させることについて、自分自身に許可を出してください。
それによって、あなたはさらに前進します。
これらが、「木星と土星の接近」が表していることであり、今起きていることです。
今あなたは、自分が本当に求めている現実に足を踏み入れ、新たな冒険に向かうための準備ができています。
(バシャール)
────── “超訳“書き起こし 以上 ──────
僕は英語が得意なわけじゃないので、上記の内容はGoogle翻訳を使いながらの「超訳」だよ。(笑)
間違ってるところもあるかもしれないので、英語が得意な人はぜひ動画を確認してみてね。
Bashar speaks on the rare 12.21.2020 Jupiter / Saturn Conjunction
ブログ村ランキングに参加しました。
ポチッと応援、いつもありがとうございます!^^
↓
*1:バシャールは今年(2020年)の春ごろ、現在の地球は台風のような混乱の真っ只中にあって、僕たちは針の穴のように小さな台風の目をくぐり抜けている最中だ、というメッセージを発していた。
旅と人生とスピリチュアル ③ ~シンクロニシティ~
このシリーズは前回で終わりにするつもりだったけど、もうちょっと書きたくなったので、3回目行きま~す!(笑)
ちなみに、その①・その②はこちらです。
僕は、できるだけ予定を決めずに旅行するのが好きで、学生時代に一人で海外に行くときは、いつも行き当たりばったりの旅だった。
前回まで書いた初めての海外一人旅も、もともとはトルコ国内を旅行して帰国するはずだったのに、なぜか途中でエジプトに行くことになって、しかも砂漠の真ん中のオアシスに滞在して帰ってきた。
結局、トルコに行ったはずが、エジプトがメインの旅行になっちゃったという。(笑)
こんなの、あらかじめスケジュールを立てていたら、まずあり得ないことだよね。
スケジュールがちゃんと決まっていれば、宿泊場所や交通機関も事前に予約されているから安心できるし、安全も一定程度保証されている。
でも、そのかわり、思いもよらない偶然の出来事(シンクロニシティ)に出会う確率は低くなる。
僕は、旅の醍醐味はシンクロニシティだと思ってる。
偶然が重なって、想像もしなかったような体験、オンリーワンの体験をすることが旅の面白さだと思う。
じゃあ、シンクロニシティとの出会いを妨げているのは何かというと、それはやっぱり「~ねばならない」じゃないかな。
いつまでにここに行かねばならない、今日の夜はこのホテルに泊まらねばならない、明日の〇時の電車に乗らなければいけない、アレをしなきゃいけない、コレをしないと予定が狂う・・・
旅程がしっかり決まっていればいるほど、自由に選択できる余地はなくなる。
大量の「~ねばならない」のせいでシンクロニシティに気づきにくくなってしまうし、仮に気づいたとしても、予定が決まっているとシンクロに乗っかることができない。
これは何も旅に限ったことではなくて、僕らの普段の生活もそうかもしれない。
日常生活の中にある無数の「~ねばならない」のせいで僕らは身動きが取れなくなっていて、シンクロニシティに出会ってもそれを受け入れることができない。
だから生活がどんどんつまらないものになっていく。
企業に就職して、会社が決めた大量の「~ねばならない」範囲の中で仕事をしていれば、給料はそれなりに保証されるし、定年を迎えるまで経済的に大きな不安を抱えずに暮らせる可能性は高い。
でも、そのかわり面白みに欠ける人生になっちゃうかもしれない。
仕事じゃなくても、何でもそうだ。
「~ねばならない」が多ければ多いほど、シンクロニシティは起きづらくなり、結果的に人生はどんどんつまらなくなる。
だから、楽しい人生にしたいのであれば、まずは「~ねばならない」を少しずつ減らしていくことが大事なんだろうね。
そして、そのためには自分の軸をしっかり持つことが必要だ。
そういえば、このブログを始めたばかりの頃に、僕はこんな記事を書いていた。
この記事の中でも書いたけど、今回も僕の大好きなスティーブ・ジョブズの言葉を紹介したい。
あなたの時間は限られています。
だから、他の誰かの人生を生きることで
時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけません。
それは他人の考えに従って生きることと同じです。
他人の考えに溺れるあまり、
あなたの内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、
自分の心と直感に従う勇気を持つことです。
あなたの心や直感は、
自分が本当は何をしたいのかを知っています。ほかのことは二の次で構わないのです。
スティーブ ・ジョブズ・スタンフォード大・卒業式スピーチ・2005年
「~ねばならない」の多くは他人軸(他人の考え・他人の価値観)だ。
他人軸を手放して自分軸を取り戻すということは、自分の感覚を信じることだ。
そして、自分の感覚を信じて行動して初めて、シンクロニシティを活用することができる。
旅の醍醐味がシンクロニシティであるのと同様に、人生を楽しむ秘訣もきっとシンクロニシティだと僕は思ってる。
ブログ村ランキングに参加しました。
ポチッと応援、いつもありがとうございます!^^
↓