希望とは何か?
「希望」という言葉にどんなイメージを持っているかは、人それぞれ微妙に違うかもしれない。
僕自身に関して言えば、「希望」という言葉には、なんというか、薄っぺらさというか、白々しさみたいなものを感じることもあって、積極的に使いたい言葉ではなかった。
ちなみに、辞書ではこんなふうに説明されている。
【希望】
1 あることの実現をのぞみ願うこと。また、その願い。
2 将来に対する期待。また、明るい見通し。(出典:デジタル大辞泉)
どちらにしても、将来的に自分にとって良いことが起きるという願いや期待を表す言葉みたい。
僕もずっとそんなふうに思っていた。
仮に今はそうでなかったとしても、いつかきっと良い状態になる、いつかきっと良いことが起きると思える気持ちが「希望」なんだって。
だけど実際には、良いことが起きるかどうかなんて全くわからないし、現実として望まないことばかりが続くことも珍しくはない。
最愛の人を亡くして悲しんでいる人や、大病を患っている人に対して、「そのうちきっといいことがあるよ」なんて軽々しく言えない。
僕が「希望」という言葉を薄っぺらく感じていたのは、そういう思いがあったからだと思う。
だから僕は、「希望」という言葉が好きか嫌いかと言われると、正直なところ、あまり好きな言葉ではなかった。
でも、以前、田坂広志さんの話を聞いて、自分が考えていた「希望」の概念がガラリと変わってしまったんだよね。
田坂さんはこんなふうにおっしゃっていた。
「希望」とは何か。
いま、この世界には、「悲しみ」や「苦しみ」が溢れている。
しかし、いつか、この世界にも、「良きもの」がやってくる。その「未来」を信じられることを、我々は、「希望」と呼びます。
しかし、「希望」という言葉の本当の意味は、そうではないのかもしれません。
いま、この世界に溢れている「悲しみ」や「苦しみ」。
そのことも含め、すべてのものごとが、この世界に「良きもの」が生まれてくるための深い「意味」を持っている。その「意味」を信じられることを、我々は、「希望」と呼ぶのかもしれません。
(田坂広志/風の便り 第59便)
僕はそれまで、「未来にはきっと良いことが起きる」という期待が持てることを「希望」と考えていたけれど、もしそれが期待できない状態だったら、そこに「希望」はないということになってしまう。
期待が持てないときには「希望」はない、ということになってしまう。
つまり、「希望」という言葉の意味が「未来にはきっと良いことが起きる」という期待なのだとしたら、「希望」の有無は、自分自身がそのとき置かれた環境や自分自身のメンタルに左右されてしまうことになる。
でも、「希望」というのは、おそらくそういうものではないはずだ。
田坂さんがおっしゃるように、「この先どんな出来事が起きたとしても、そこには必ず自分にとって良い意味が含まれている」ということが「希望」だとするならば、自分が今どんな状況にあったとしても、常に「希望」が存在することになる。
人生にはいろんな出来事がある。
嬉しいことや楽しいことばかりじゃない。
恋人にフラれること、受験や就職活動がうまくいかずに打ちひしがれること、大きな病気を患うこと、突然会社をクビになること、事業に失敗すること、大切な人を亡くすこと、思いがけない災害に巻き込まれること、などなど挙げればキリがない。
でも、どんなことが起きたとしても、それは自分にとって「良い意味」を持っている。
その確信。
それこそが希望だ。
希望とは、「きっと良いことが起きる」という期待ではなく、「起きることにはすべて良い意味がある」という確信だ。
「希望」はそこらじゅうに溢れている。
今、この目の前にも「希望」がゴロゴロ転がっている。
今の僕は心からそう思える。
・・・ということで、ここからはちょっと話が変わるんだけど、「希望」という言葉にそんな意味を込めて、Tシャツを作りました。(笑)
そうです、以前みなさんにご協力いただいた、あのアンケートの件です。
こんな季節外れな時期だけど、もしよかったら。(笑)
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最後に宣伝臭くなっちゃったけど、それでは今日はこの辺で!
shivai !!
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