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ネガティブな「ジャッジ」をされたときの対処法 【バシャール ゼミ No.1】

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他者から悪意のあるジャッジを受けたとき(批判されたとき)に、それにどう対応したらよいか?という質問を受けて、バシャールはこんなふうに答えている。

 

すべてのことは「意味付け」をしない限り中立(ニュートラル)です。

もしあなたが、すべては中立(ニュートラル)であるということを理解していたら、また、すべての選択は同等であるということを理解していたら、周りからの「ジャッジ」によって刺激を受けることはありません。

 

だから、その「ジャッジ」があなたに影響を与えることもありません。

それがあなたの好みではないというだけであって、あなたは影響を受けないはずです。


あなたをジャッジしようとする人は、単にあなたに「その人の意見」を伝えているだけです。

あなたが他人の意見や指摘にネガティブに反応するときというのは、相手の意見や指摘が「真実である」と、あなた自身が信じている証拠でもあるのです。

 

ですから、それは自分の中にある思い込みを見つけるチャンスなのです。
あなたがあなた自身をネガティブに批判していたのではないか、ということを。


望まない出来事を自分が望まない方向に活かせば、望まない結果を得ることになってしまいます。

 

心を開いて、想像力を広げて、「人生で起きることにはすべて意味がある」と理解する姿勢を持つことが大切です。

そのポジティブな姿勢を保って周りの出来事を見れば、仮にその出来事があなたの望まないことであったとしても、自分が望む方向に生かすことができるのです。

 

(バシャール)

 

ネガティブな「ジャッジ」っていうのは、「あなたが悪い」とか、「それはダメ」とか、「これは間違ってる」とか、「おまえはバカだ」とかいう具合に、決めつけて批判することだ。

 

今回の場合は、人から一方的にネガティブな決めつけをされたときに、どんなふうに対処したらいいのか?と質問者は尋ねている。

 

それに対してバシャールは、あらゆることが中立(ニュートラル)であるということをまず最初に認識しようね、と言っている。

 

「すべては中立」というのはバシャール理論の中核を成す考え方の一つで、このブログでも以前に書いたことがある。

 


あらゆることが中立、つまりすべての出来事にはもともと意味はないんだから、他者から何かを言われたとしても、そのこと自体は何の意味も持たないはずだ。

 

にもかかわらず、他者の言葉にネガティブな意味づけをしてしまうということは、自分自身の中に「確かにそうかも…」と思っている自分がいるからだよ、とバシャールは言ってる。

 

これはどういうことかというと、例えばこういうこと。

 

僕は昔からおでこが広いんだけど、40歳を過ぎてからますます生え際が上がってきた、というか全体的に髪の毛の密度が少なくなってきた。(笑)

僕自身は髪の毛の量なんてどうでもいいと思ってるから誰に何と言われても平気なんだけど、でも、もし僕が髪の毛のことをすごく気にしていたとして、誰かに突然「ハゲ!」って言われたら、腹が立ったり、悲しくなったり、傷ついたりすると思う。

事実として僕は禿げていて、それに対してネガティブな気持ちを持っているから、「ハゲ!」と指摘されることでネガティブな感情が増幅されちゃうわけだ。

 

だけど、もし僕の髪の毛がフサフサで、むしろ量が多くて困っていたとしたら、突然「ハゲ!」と言われても、「へっ? 何言ってるの?」くらいの反応だと思う。

だって、自分は全く禿げてないので、そんな指摘は見当違いだよ?って思うだけだから。

 

つまり、誰かの指摘をネガティブなものとして受け取るのは、自分にとってそれが図星だからだ。

図星だと思うから、本来ニュートラルであるはずのことをネガティブな現象として受け取り、そしてネガティブな感情を持ってしまうというわけだ。

 

そして、その出来事(他者からの指摘)をネガティブなままにしておくのであれば、結局、望まない現実を受け入れることになってしまう。

 

だけど、もしそのときに、自分の中のネガティブな思考( "禿げるのは良くないことだ" という自分の中の観念)に気づくことができたら、その出来事はむしろポジティブな出来事だったということになる。

禿げていることってそんなにダメなことなんだろうか? どうして禿げてるとダメだと思っちゃうんだろうか?っていうふうに思考を深めることができたら、そのネガティブな観念を手放せるかもしれない。

 

そして、もしネガティブな観念を手放せたなら、次回そういう出来事が起きても何も感じなくなる。

つまり、もう二度とネガティブな感情を持つこともない。

 

そんなふうに、他者から「ジャッジ」されるたびに自分の中の観念に気付いてそれを手放すことができるなら、他者からの「ジャッジ」というのは、むしろ自分にとって歓迎すべき、ポジティブなことだよね。

 

他者からジャッジされるという同じ事象であっても、それを「傷つけられた」と思ってネガティブな状態のままでいるか、それとも、「お? この出来事は自分に何を伝えようとしてるんだろう?」と考えてポジティブな方向へと進むか。

それは、自分の捉え方一つで決まる。

 

バシャールは、「すべては中立」という概念を用いて、そういうことを教えてくれているんだと思う。

 

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