働き方は2つある。
僕は大学受験に失敗して、高校卒業後に駿台予備校に1年通ったんだけど、あれは今思い出しても何とも言えない重たく暗い1年間だった。
高校時代に付き合っていた彼女とは遠距離恋愛になって気持ちがどんどんズレていってしまうという、勉強以外での苦しみもあったしね。
まあ、そんな辛い1年間ではあったけど、駿台予備校では面白い先生にたくさん出会った。
数学の秋山仁先生とか、英語の表三郎先生なんかは個性が強烈だったので、今でもはっきり覚えてる。
でも、僕が一番感銘を受けたのは、英語の奥井潔先生だ。
直接教えてもらう機会はなかったんだけど、予備校の中にビデオライブラリーがあって、そこで奥井先生の授業を見ることができた。
正直に言うと、先生の話で英語の勉強に関することはまったく覚えていない。
そもそも奥井先生ご自身が、受験英語を教えるつもりが全くない方だったから、当然といえば当然なんだけど。(笑)
奥井先生は凛とした佇まいの風貌も、そして中身も大学教授のような方で、雑談でお話しされる文学とか社会学とか歴史なんかの話がすごく面白かった。
ちなみに、こんな話をするんだよ。
この情報的知識のうちで、皆さんの関心が捉えたものだけが、諸君の心の中に蓄積される。
そしてこれが整理される。分類される。
そしてまとまった形で諸君の心の中に入り込んできたときに、これをknowledgeと言うのであります。
これが知識というもので、情報的知識は必ずknowledgeに変化せしめられなければならないのである。
そして、このknowledgeを実にたくさん持っている人を、博学多識の人と呼ぶのである。
こういう人はたくさんいる。
そして大切なのは、この知識を実生活の中に活用し、活かす力を、これをwisdomと言うのであります。
これを知恵と言う。
この知恵という言葉には実践的な意味が非常に深く入っている言葉であることを忘れてはいけません。
そして実践的ということは、倫理的という言葉と同じ意味なのであります。
wisdomは、知識を具体的に実生活の中で活かす、倫理的、実践的な力を、これをwisdomと名付け、このwisdomがcultureとしっかりと結びつく言葉なのであります。
情報的知識は見事に整理された知識に転じ、この知識は具体的に実生活の中で活きなければならないのであって、この活かす能力のことを知恵、wisdomと名付ける。
そういう倫理的な、そして実践的な力を知恵というのであり、cultureはこの知恵という言葉と合体するのであります。
(奥井潔)
つまり、情報としての「知識」を単に情報のままにとどめておくのではなく、実生活の中で生かせる「知恵」に昇華させて、それを「文化」へとつなげていくことが大事だっていう話なんだけど、「knowledge」「wisdom」「culture」という3つの単語を説明するためにこんな話をする英語講師はいないと思う。(笑)
そんな奥井先生の言葉の中で、僕が一番印象に残っているのが、ハンナ・アーレントを引用しながら話してくださった、「働く」ことについての話だ。
奥井先生は、同じ「働く」を表す単語であっても「labor」と「work」では全く意味合いが違うということを言われた。
そして「labor」をする人、つまり「laborer」は、したくない仕事をお金のためにする人のことだとおっしゃっていた。
一方で「work」をする人、つまり「worker」は、自分の仕事が面白くてたまらない人だと。
「laborer」は、やりたくない仕事をしているから、早く終業時間が来ないかということばかり考えて働いている。
一方で「worker」は、仕事が面白くてたまらないので、やり始めると際限なく仕事をやりたくなってしまって、睡眠時間まで削ってしまうことさえある。
だけど体調のことを考えて、本当はもっと仕事したいけれど明日に備えて今日はこの辺でやめておこう…と考えるのが「worker」だと。
君たちは決して「laborer」にならないでください、どうか「worker」になってください、と熱く語っておられた奥井先生の言葉は、当時19歳だった僕の心を揺さぶった。
だけど、今、僕はworkerだろうか?
そもそも、今までworkerとして仕事をしたことがあっただろうか?
若い僕らに情熱をもって語ってくださった、まさにworkerであった奥井先生に対して、胸を張れる生き方を僕はまだできていない。
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