「嫌なオトナ」になってない?
僕は今40代半ばで、おそらくもう人生の折り返し地点は過ぎてる。
気持ち的には二十歳前後のころから変わってないつもりなんだけど、やはりそこはしっかり歳をとってるんだよね。
そのことを一番実感するのが肉体的な衰えかな。
健康診断のたびに数値が悪化したり、今までしなかったような病気にかかったりもするようになったし。
あとは、町内対抗のスポーツ大会なんかでも実感するね。
気持ちだけは若いころと同じなのに、身体がついてこなくて転んでしまったり、怪我をしてしまうことも増えた。
怪我をした後で回復するのにも時間がかかるようになったしね。
それと、もう一つ老いを実感するのが、子どもに対する接し方かなぁと思う。
僕はどちらかというと独立心が強くて反抗的な子どもだったので、僕を押さえつけようとする親や教師をはじめとする大人たちが大嫌いだった。
特に、僕が通っていた中学校は校則が厳しいことで有名で、靴や靴下の色、制服の丈なんかはもちろんのこと、男子は全員、坊主刈りと決められていた。
もちろん体罰は当然のようにあったよね、昭和だったし。(笑)
坊主刈りや靴下の色なんて今考えても意味不明なんだけれど、当時はなおさら違和感と反感を覚えながら生活していた。
そして、もし自分が大人になったら、絶対に子どもを押さえつけたりしない人間になろうと思ってた。
だけど、実際に自分が大人になってこの歳になってしまうと、子どもに自分の考えを押し付けようとしたり、口うるさく言ったりしてしまうことがある。
長女が反抗期に入ってからは特に、伝え方やタイミングに気を配ったりはしてるつもりなんだけど、ついついやかましく言ってしまうこともある。
まさに、「自分がなりたくないと思ってた大人」になってしまってるわけだよね。
それを気づかせてくれるのがテンジロウさんのブログで、僕はこの記事を読むたびに身が引き締まる思いがする。
よかったら、ぜひ読んでみてほしい。
自分と家族のことをここまでさらけ出して記事にされているテンジロウさんの勇気を、僕は心からリスペクトする。
程度の差こそあれ、こういう経験をしたことのある親は少なくないんじゃないかな。
そして、人類は太古の昔からこういうことを繰り返してきたんだろうと思う。
でも、いくら子どものためを思って言っているとはいえ、伝えたいメッセージが相手に届かなかったら意味がないんだよね。
メッセージは届かないわ、子どもとの関係は悪化するわじゃ、いったい何をやってるのかわからなくなる。
むしろ、最初から何も言わないほうがマシなのかもしれないとすら思う。
とはいえ、何も言わないんだったら一緒に暮らしている意味はないし。
だから結局のところ、まずは冷静に話を聞き、相手の気持ちを考えつつこちらの思いも伝えるという、基本的なコミュニケーションが大事なんだよね。
相手に「子ども」というレッテルを貼って接するのではなくて、人と人としての通常のコミュニケーションが行われれば、もっと良好な家族関係を築くことができるんだろうと思う。
そのためにも、将来的に子どもとどういう関係を結んでいきたいのか、自分が目指しているのはどこなのか、ということを明確にしておく必要があるんだろうと思う。
手遅れになる前に。
まずは子供の反論を許せる大人になろう。
話はそれからだ。
(「テンジロウのブログ」より)
身に染みる。
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