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 さあ、面白くなってきました。

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神社に「神」はいない。

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いつも年明けには家族で初詣に行くんだけど、今年は何となく外出を控えていることもあって、まだお参りに行っていない。

ただ、僕にとって初詣はそれほど重要なイベントでもないので、行かなかったからといって特にどうということもないんだけどね。

 

僕は宗教を信じていないので、当然ながら神社に「神様」がいるなんて全く思ってない。

それは神社だけでなくて、お寺にしろ教会にしろ、どこでもそうなんだけど。

 

以前書いたように、僕ら自身が「神」の一部なんだから、「神」に会うために神社に行く必要もないと思ってる。

 


本当に神に祈りたいなら、神社に行かなくてもどこででもできる。

 

じゃあ、どうして僕が神社に行くかというと、ただ単に樹木が多くて、良い散歩になるから。

僕にとって神社やお寺というのは、きれいに整備された公園と同じだ。

普通の公園と違って清潔感があるし、静寂を感じられる。

 

ただ、同時に「気持ち悪さ」もある。

 

以前も書いたことがあるけど、僕はお寺の生まれで、母方は神主の家系だ。

だから、お寺や神社という「場」が持つ雰囲気はよくわかっているつもり。

 

だけど、あの独特の雰囲気は、神仏がいるから醸し出されているわけではなくて、お参りに来る人々が放つ “エゴや欲望” のような重たい波動(周波数)によるものなんじゃないか?と思うことがある。

いわゆる「念」っていうやつだ。

 

そういう意味で、神社やお寺っていうのは清潔感や静寂があるけど、言い知れぬ「気持ち悪さ」も同時に感じる。

だから、僕はお参りしても長居したいとは思わない。

 

もちろん、あらゆる物質、あらゆる存在は固有の波動(周波数)を発しているから、その神社やお寺が建っている土地や自然環境に何か特別な波動を発するものがあれば、そこがパワースポットになっている可能性はあると思う。

だから、人はそこに何か “普通じゃない雰囲気” を感じるのかもしれない。

 

でも、そのことと、そこに「神」がいるかどうかは別の話だ。

 

世の中のあらゆるものは「神」(森羅万象・大いなる源)の一部だ。

野菜だって、ボールペンだって、靴だって、スマホだって、全部「神」の一部だ。

だから、僕らは神社に行かなくても、常に「神」に囲まれて生きている。

っていうか、自分自身も「神」だし。(笑)

 

そういう意味で言えば、神社ももちろん「神」の一部だね。

でも、それは世間一般で言われている意味の「神」とは違う。

自分自身が「神」であることと全く同じ意味で、神社も「神」っていうことだ。

 

だから、僕が神社にお参りに行ったら、「神である僕」が「神である神社」と対面するというだけのことだ。

願い事をするような場ではないし、そういう対象でもない。

 

ちなみに、おみくじはオラクルカードの仲間だと思うよ。

あと、御守りや破魔矢なんかに御利益があるとすれば、それはプラシーボ効果の一種だと思う。(笑)

 

ということで、今回はなんだか身も蓋もない話になってしまったけど(笑)、僕は、神社やお寺というものは一種の公園で、そこには “自分より上の存在” なんていないと思ってる。

 

もちろん、これは僕が勝手に思ってることであって、このことが真実だと言うつもりはないよ。

だから、反論されても困っちゃうので、温かく見守ってやってください。(笑)

 

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