「苦手」を分解してみる。
先日、校区のドッヂボール大会があった。
うちの子どもたちは3人とも小学生なんだけど、真ん中の小3の女の子はスポーツが苦手で、去年も一昨年も、ドッヂボール大会の前になると憂鬱な雰囲気を漂わせて、やる気がまったくなかった。
それが今年は、去年までのあの態度は一体何だったんだ?というくらいに張り切ってて、実質的なチームのキャプテンになってしまっていたので、思わず笑ってしまった。
どうやら今年は、練習のときに上手な男の子が投げたボールを偶然キャッチできて、それが自信に繋がったらしい。
もともとリーダーシップのとれる子なので、自信が持てるようになるとあっという間にリーダーになっちゃうという面白いプロセスを見せてもらった。
そんな次女の活躍を見ていて改めて気づいたのが、苦手なことを分解してみると苦手じゃなくなるかもしれないということなんだよね。
ドッヂボールが苦手な子は、ドッヂボールの何が苦手なのかまでは考えていなくて、とにかく「ドッヂボールが苦手!」「だからドッヂボールが嫌い!」って思ってる。
でも、ドッヂボールみたいな一見単純に見えるスポーツでも、ボールを投げる、キャッチする、拾う、パスする、避ける、逃げる、作戦を考える、声を出して鼓舞する…といったように、その構成要素は幾つもあるんだよね。
ちなみに件のうちの次女は、ボールを投げること以外はどれも苦手じゃなかったんだけど、「ドッヂボール = ボールを投げる」「ドッヂボール = 当たると痛い」という単純な図式の中にいたので、「とにかくドッヂボールが嫌い!」な状態だったわけ。
でも、プレイの中身を分解してみるといろいろな要素があって、その中には自分の得意なことを発揮できる面もあったんだよね。
もちろん、うちの子本人がドッヂボールの要素を分解してそうなったんじゃなくて、たまたま結果的にそこに至ったわけだけれど。
で、これは当然ながら子供に限った話ではないと思うんだよね。
僕らも、何か苦手なことや嫌なこと、嫌いな人がいたとして、それを丸ごと一括りにして「苦手!」とか「嫌!」と思って終わりにしてることが結構あると思う。
でも時にはそれをせずに、いったん要素に分解してみるといいかもしれない。
そうすると、「これは苦手だけどあれは大丈夫」とか「こっちは嫌いだけど、あれはまあ許せるか」という感じで、見方が変わるかもしれない。
見方が変わると当然ながら関係性が変わるから、自分の周囲の環境が変わっていくことになる。
そして、周囲の環境が変われば人生が変わり始めることになる。
人間って面白いね。