「無駄な抵抗」はやめよう。
以前にも書いたことがあるけど、僕は、自分を押さえつけようとする相手に対して、反発・反抗するということを子どものころからずっとやってたんだよね。
小さい頃は反発の相手が親だったけど、それがやがて教師や部活の先輩になり、社会に出てからは上司や経営者、客先になり、世の中全体になり・・・と、相手は変われど常に何かに抵抗して生きてきた。
でも、どれだけ抵抗しても状況は良くならない、というかむしろ悪化してしまうことのほうが多かった気がする。
そして、5年くらい前にそういう「無駄な抵抗」をできるだけ手放すようにしたら、毎日が楽しくなったし、明らかに生きることが楽になった。
結局、何か嫌なこと、自分が望まないことが起きたときに、それに抵抗しようとすると、自分の意識(フォーカス)が「嫌なこと」や「望まない」ことに向かってしまうんだよね。
今だからわかるけど、これってスピリチュアル的にはとってもマズいことだ。
スピリチュアルでは、「感情が先で、現実は後」とか、「自分が感じたことや思考したことが現実になる」というのが定説だからね。
例えば、何か大事な場面で「どうか失敗しませんように…」と念じ続けていると、「失敗すること」に意識が向いているので、「失敗」が現実になってしまう。
そういう経験は、多かれ少なかれ誰にでもあるんじゃないかな。
ダチョウ倶楽部の上島さんが「押すなよ!絶対押すなよ!」と言うと、必ず押されてしまうというのも同じかな?
いや、あれは違うか。(笑)
そういえば、引き寄せの法則について書かれた書籍『ザ・シークレット』の中で、マザーテレサの言葉が引用されていた。
反戦集会には行かないけど、平和集会には行くわ。
(マザー・テレサ)
実際のところ本人が何を意図して言ったのかはわからないけど、書籍の中では、テレサは「戦争」ではなく「平和」にフォーカスしようとしていた、という意味合いで取り上げられていたと思う。
確かに、反戦集会はそのフォーカスが「戦争」に向いているけど、平和集会は「平和」に意識が向いている。
「戦争」よりも「平和」に意識を向けたほうが心地よいのは間違いないと思う。
ちなみに、僕はいつも通勤時に電力会社の前を通るんだけど、「原発反対」という汚れた横断幕を掲げて、拡声器を使って怒鳴り声を上げている集団をよく見かける。
僕自身、原発には断固反対だけど、そういう反対運動をしている人たちを見ていて心地よい気分になったことは一度もないし、応援したいとも思わない。
それは、ネガティブなことに意識が向いている人を魅力的だとは思えないからだろうと思う。
話がちょっとズレてしまったので元に戻すね。
何かに抵抗しようとすると、ネガティブな側面にフォーカスすることになってしまう。
そして、ネガティブなことを意識し続ければ気分はネガティブになり、結果的にネガティブな現実を生み出すことになる。
だから、その負のループから抜け出すためには、望まないことに意識を向けるのではなくて、望むことにフォーカスする必要があると思う。
- 戦争ではなく、平和な世界に
- 腐った世の中ではなく、理想の社会に
- 嫌な上司ではなく、理想的な上司像に
- 自分の嫌な面ではなく、理想の自分像に
- 病気の自分ではなく、健康になった自分の姿に
- 不足ではなく、充足に
- 不安ではなく、希望に
- 不幸ではなく、幸福に
フォーカスのポイントをネガティブな面からポジティブな面にずらすだけで、気分はガラッと変わる。
気分が変われば、現実も変わる。
だって、思考や感情は現実になるんだから。
信じるか信じないかは・・・
あなた次第ですっ! ド━━ m9(゚Д゚) ━━ン!
(笑)
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