旗幟鮮明にすることは相手への思いやり。
旗幟鮮明(きしせんめい)という言葉がある。
「旗幟」は「旗(はた)と幟(のぼり)のこと」で、「旗幟鮮明」は、「はたじるしがあざやかではっきりしていること。転じて、態度・主義・主張などがはっきりしていること」(『広辞苑』岩波書店)
逆に「出る杭は打たれる」ということわざもあるように、日本では自分の意思や想いをはっきり主張することを良しとしない風潮もあるから、本心を隠しながら生きてる人も多いと思う。
僕自身は、以前「宇宙人ごっこのススメ」でも書いたように子どもの頃から自分の意見をはっきり言うほうだったから、周囲の人たちとの摩擦や軋轢は常にあった。
でもその代わりに、そんな僕のことを気に入ってくれる人や高く評価してくれる人もいて、そういう人とは普通以上に良好な人間関係を築けることも多い。
自分の意見をはっきり主張せずに、オブラートに包んで話をする人は、おそらく心優しい人が多くて、相手との人間関係をできるだけ壊さないようにしてるんだと思う。
日本人らしい、いわゆる「和」を重視するスタンスだよね。
僕もそれはとても大事なことだと思う。
だから本当は、自分の考えをはっきりと主張しながらも相手との関係性を大事にするような、アサーティブなコミュニケーションができると一番いいんだろうと思う。
ただ、僕はそういう高度なコミュニケーションがなかなかできずに、自分の主張によって相手との関係が壊れてしまうことも多かったような気がする。
だけど、それは必ずしもお互いにとって悪いことではないと思うんだよね。
だって、僕が自分の意見をはっきり言うことで、「この人とは合わないな」と相手が思うなら、僕から離れていけばいいだけだから。
逆に、もし僕が自分の言いたいことを我慢して、相手やその場の雰囲気に合わせて立場をハッキリさせなかったとしたら、相手は僕が何を考えている人なのかわからないままになってしまう。
というか、むしろ逆に僕のことを、自分と同じような考え方を持った人間だと勘違いしまう可能性が高い。
そうなると、その相手は、本当の僕ではない人と付き合い続けることになるわけだよね。
もし僕が自分の正直な気持ちを表に出していたら、その相手は「ああ、この人とは合わないから付き合うのはやめよう」とか、「あまり深い関係にはならないようにしよう」といった判断もできたはずなのに、僕が相手に判断材料を与えなかったために、正体不明の僕との繋がりを維持し続けなきゃならないことになる。
これはお互いにとって、とっても不幸なことだと思う。
だから、自分自身のためにも相手のためにも、自分の意見や想いはしっかり表に出したほうがいいと思うんだよね。
旗幟鮮明にすることは相手への思いやりでもあると思う。
当然、はっきりと自己主張することで離れていく人はいるだろうけど、逆に、掲げた旗に共感して歩み寄ってきてくれる人も必ずいるから、そういう人とは深い関係性を築けることになる。
たくさんの中途半端な人間関係よりも、本音で付き合える深い人間関係が少しでもあったほうが人生は充実すると僕は思ってる。
だからこれからも、できるだけ相手を傷つけないようにしながらも、しっかりと自分の想いは表現するようにしたい。
自分のためだけでなく、自分とどんな関係性を結ぶかの判断材料を相手に与えるためにも、自分の意見や想いはしっかり伝えるようにしたい。