「人助け」は必ずしも正義じゃない。
困っている人に手を差し伸べたり、弱い者を助けたりすることは人間として当然のこと、大事なこと、それが正義だと子どものころから教えられてきた。
だけど本当にそうなんだろうか?
僕は最近、そう思わなくなった。
むしろ、安易に「人助け」をすべきじゃないと思ってる。
「人助け」が自分と相手という2者の間で行われるとすると、下の図のような構造になると思う。
- A: 相手が必要としていて、自分も手助けしたい。
- B: 相手は必要としてるけど、自分は手助けしたくない。
- C: 相手は必要としていなくて、自分も手助けしたくない。
- D: 相手は必要としていないけど、自分は手助けしたい。
この4パターンで考えると、CとDは相手が必要としていないわけだから「人助け」をしちゃいけないゾーンだと思う。
相手がどんなに困っているように見えたとしても、こちらが勝手に推察して手を貸すというのは、ただのおせっかい。
以前、街なかで体の不自由な人が立ち往生していたので「大丈夫ですか?」って声をかけたら、すごく嫌な顔をされたことがあった。
それで、僕は逆にカチンときて、「何だよ、人がせっかく親切にしてあげてるのに!」って思っちゃったんだけど、考えてみれば彼はまったく悪くないと思う。
そもそも、「親切にしてあげてるのに!」と思うこと自体が相手を自分より下に見ている証拠だと思う。
相手としては別に「助け」を必要としていないのに、しかも上から目線の人間からおせっかいをされそうになるなんて、いい迷惑だもんね。
基本的に、このCやDの場合に手を貸すということは、相手が成長する機会を奪うことにもなる。
そんな権利はこちらにはないわけだから、相手が必要としていないのに「助ける」というのは、単なる自己満足にすぎない。もっといえば、ただのエゴだ。
次にAの場合は、相手が必要としていて自分もやりたいと思っているわけだから、ここは「人助け」をしていいゾーンだと思う。
ただ、このときに考えておかなきゃいけないのは、助けるほうが上で助けられるほうが下、という上下関係をつくらないことだと僕は思ってる。
先日、GACKT氏がYouTubeでボランティアについて語っているのを見た。
彼は3.11の大震災直後に、大量の物資を集めて被災地に運ぶという活動をしていたそうなんだけど、当時、なぜか激しいバッシングを浴びたらしい。
そこから学んだ教訓をYouTubeの中で語っておられたので、ちょっと長くなるけど引用したい。
【GACKT】
車を運転しています。
車を運転してたら、車線変更をしたいおばさんが自分の左前にいて、なかなか入れない。
入れないということは車の運転が下手だということなんですよ。
何回も入ろうとしているけど全然入れない。
中田さんだったらどうします?【中田】
左前にいるんですから、スピード緩めたり、入りやすく…。
【GACKT】
つまり入れてあげるっていうことですよね。
その後、急に彼女がバッとブレーキを踏んで、中田さんはゴーンと(彼女の車に)ぶつけた。
そうしたらおばさんが降りてきて、「どこ見て運転してんのよあんた!!」となったら、どう思います?【中田】
うーん…。入れたのに何でこんなことにならなきゃいけないんだろうって、やっぱ憤りますよね。
【GACKT】
そうですよ。ボランティアって多分これなんですよ。
ボランティアって、「入れたのに」じゃないんですよね。
「入れてあげたのに」っていうのは、それエゴなんですよね。【中田】
えーっ。厳しいですね。
【GACKT】
もっと言うと、入れないのは彼女の技術が足らないわけじゃないですか。
技術が足らない彼女を入れてあげるっていうことにそもそもリスクが存在するんですよ。
で、自分でケツから突っ込むリスクも含めて受け止められるのかっていうことが大切で、それができないんだったら、入れるなっていう話なんですよ。【中田】
すごいなぁ。そのメンタルはなかなか難しいものがありますね。
【GACKT】
もちろん人の気持ちって、そうは言ってもやっぱり優しくしてあげたい、親切にしてあげたいって、いろいろあると思いますよ。
でも、そこから起こり得る事故が自分に関わってくる可能性もあるんですよね。
それも含めたうえで自分の行動をとれっていうことなんですよ。【中田】
そのメンタルで(ボランティアを)やってらっしゃるということですね。
【GACKT】
それを学んだんですよね、3.11のときに。
つまり、本来「人助け」っていうのは、それだけの覚悟がないとできないことなんだと思う。
その覚悟さえできていれば、Aのゾーンでは喜んで「人助け」していいと思う。
そして最後に、4つのパターンのうち、相手は助けを求めているのに自分はやりたくないというBのゾーン。
これはとっても難しいけど、僕はこの場合は「人助け」をすべきではないと思ってる。
なぜかというと、やりたくないのに「人助け」をすると、ほぼ間違いなくエゴになるから。GACKT氏の言う「入れてあげたのに」というマインドになってしまうから。
もちろん、命にかかわるような場合は別かもしれないけど、相手が求めていたとしても自分がやりたくないのならやら、基本的にはやらない。
別のやりたいと思っている人が「助ける」のがベストだと思う。
つまり、「人助け」は人として当然のことでも正義でもない。
相手が望んでいて、かつ、自分もやりたいと思い、対等の立場で覚悟を持ってできるときにだけやればいいことじゃないかな。
だから、「人助け」をしなかったからといって罪悪感を持つ必要はないし、それを理由に人から責められるべきではないと思う。
でも、だからこそ、それを覚悟して人助けができる人は素晴らしいと僕は思ってる。