商店街の「変な服」を買う人は必ずいる。
このブログを本格的に書き始めてからまだ2カ月も経ってないのに、昨日初めてコメントをいただいて、すごく嬉しかった。
(あ!いつもスターをくださる方もとってもありがたいです。励みになります。)
僕が書いている記事の多くはスピリチュアル的な考え方が前提になってるけど、こういう話って日常生活で人に話すことはほとんどないから、誰かに共感してもらう機会もないんだよね。
むしろ、宇宙人とか波動とか次元上昇とか、そういう話をすると相手を困らせたり引かれちゃったりすることのほうが多いしね。(笑)
でも、どんな考え方であっても、どんな価値観であっても、世界中のどこかには自分に共感してくれる人が必ずいるんだよね。
その数が多いか少ないかは別として。
そういうことを考えるときに僕がいつも思い出すのが、商店街で売ってる「変な服」。
商店街で僕が服を買う機会はほぼゼロなんだけど、たまーに商店街の小さな洋服屋さんの前を通りかかると、「こんな服いったい誰が買うの?」と思うようなデザインの服が売られてたりするんだよね。(笑)
僕は好みがはっきりしてるほうだから特に「なんじゃこりゃ~!」って思うような服に出会うことが多いのかもしれないけど。
でも、そういう服も、単に僕が「変だ」と思ってるだけであって、それを「変だ」と思わない人はいくらでもいるんだよね。
少なくともその「変な」服をデザインした人、その「変な」服を仕入れてきた人、実際にその「変な」服を買うお客さんは、それが変だとは思っていないはずだから。
つまり、価値観なんて人それぞれで、こんな考え方は誰も共感してくれないだろうなぁと思うことであっても、世界中のどこかには同じような考え方の人が必ずいるんだよね。
極端な話で言うと、誰もが嫌悪するであろう凶悪な殺人犯をカリスマとして崇める人たちでさえ一定数いるわけだから。
今のところ、このブログを読んでくださるのはSNSなどで何らかの情報発信をしている方がほとんどだと思うけど、もし何も情報発信をしていない人がいたら、とりあえず自分の考えを発信してみるといいと思う。
最初は誰も読んでくれないし、当然ながら誰も反応してくれないけど、世界のどこかにあなたと同じような気持ちで暮らしてる人は必ずいて、インターネット上で発信し続けていれば、その情報はいつか必ずその人たちのもとに届く。
価値観の近い人たちとの交流は、自分という存在の肯定につながるから、今孤独を感じている人ほど、ネット上でどんどん情報発信してみたらいいんじゃないかな。
ただし、当たり障りのない内容ではなくて、心から湧き出てくる言葉をね。
ということで僕も、これからも遠慮せずにますます尖ったことを書いていこうと思う。(笑)