「幸せ」はいつまで続くの?
最近の記事はちょっとスピリチュアル色が薄れていて、皆さんからお叱りを受けてるので(←ウソです。笑)今日はスピリチュアル増し増しで行きます!
前回の記事(「幸せ」はどこにあるの?)で、自分が今既に持っているものに満足することこそが「幸せ」なんじゃないか?ということを書いた。
ただ、この考え方には弱点がある。
それは、何かを持っていないと「幸せ」ではないということになりかねないことだ。
その持っているものが、お金であれ、パートナーであれ、家族であれ、健康な体であれ、家や車であれ、良好な人間関係であれ何であれ。
もちろん、人間としてこの地球上で生きている限り、何かを持って(所有して)いない人はいない。
どんなに粗末なものであっても、服や下着はほとんどの人が持っているだろうし、さらに極端なことを言えば、生きているということは、少なくとも肉体(身体)は持っていることになる。
だけど、形あるものはいつかなくなる。
諸行無常。すべては変化する。これは宇宙の法則だ。
どんなに丈夫な建物でも、めちゃくちゃ堅い宝石でも、いつかはなくなる。
自分自身の肉体もそう遠くないうちに消滅してしまうだろう。
つまり、“形あるもの = いつかなくなるもの = 自分の外側にあるもの”に幸せを求めても、その幸せはいつか消えてしまうということだ。
だから、永久不滅の本当の「幸せ」を手に入れたいのであれば、“形のないもの = 自分の内側にあるもの”にそれを見出すしかない。
じゃあ、形がなくて自分の内側にあるものって何なの?というと、僕は「魂(ソウル)」だと思う。
僕らの本質は、脳みそでもなく、心でもなく、当然肉体でもなく、魂だ。
肉体が滅んでも存在し続けるのは魂だけだ。
だから、魂としての自分自身の存在そのものに「幸せ」を感じることができれば、僕らは未来永劫「幸せ」な状態であり続けることができる。
「いやいや、キミは何を言ってるんだ、タマシーなんてどこにあるんだよ。w」と言いたいのはわかるよ。うん。(笑)
でも、僕は魂の存在を信じていて、僕の本質は魂(ソウル)だと思ってる。
(スピリチュアル的に言えば、“ハイヤーセルフとかオーバーソウル” なんだけどね)
そんな胡散臭いこと言われても信じられないという人も多いと思うけど、ただ、形のあるもの(自分の外側にあるもの)に「幸せ」を求めても、それはいずれなくなっちゃうってことはわかってもらえるんじゃないかな?と思う。
あ。誤解のないように言っておくと、僕は、形あるものが大事じゃないということが言いたいわけではないよ。
この地球という3次元の世界で生きている以上、形あるものはとっても大事だと思うし、それを感じて味わうために僕は今生きているんだと思ってるから。
そういえば、糸井重里さんがこんなことを言ってたので、最後に紹介したい。
いつか無くなるものを求めちゃいかんのだよ。
無くなるものは、求めるためではなく、
そいつで遊ぶために、この世にあるんだからな。
セイフティ・マッチ(糸井重里)
いや、ほんとそうだよなぁ。