「幸せ」はどこにあるの?
前回は、目的志向でいくのかプロセス志向でいくのかを意識しておいたほうがいいかも? っていう話をしたところでタイムアウトになってしまいました…。
ということで今日こそは、前回たどり着けなかった「目的地」に向かって突き進みます!(笑)
僕たちはこの長いようで短い人生を、目的を持って生きているというより、その時その時の状況に合わせながら生きている、つまり生きるというプロセスの中で翻弄されている時間のほうが長いんじゃないかと思う。
だけど(というか、だからこそ)僕は、人生の目的について早めの段階で考えておいたほうがいいんじゃないかと思ってる。
考えた結果、「人生に目的はない」とか「生きること自体が目的だ」という答えに至るとしてもね。
いつかどこかの段階で「死」に直面したら、否が応でも考えざるを得なくなると思うので、それなら早めに考えておいたほうが後で慌てなくて済むし。
まあ、人生の目的なんていうと大げさになってしまうけど、おそらく多くの人は、幸せになりたい・幸せでありたい、幸せな人生を送りたいと思ってるんじゃないかな。
では、ここで質問です。
あなたは今、幸せですか?
今よりも幸せになるためには何が必要だと思いますか?
どうだろう?
今幸せだと感じている人は多いと思うけど、それほど幸せではないと思っている人もいるかもしれない。
じゃあ、今幸せな人も、そうでない人も、どうすればもっと幸せになれるんだろうか?
- もっとお金があれば…
- 健康な身体になれば…
- 人間関係がもっと良くなれば…
- もっと良い仕事に就けたら…
- もう少し時間に余裕があれば…
- 趣味の時間がたっぷりあれば…
- 彼女(彼氏)ができたら…
- 子どもが健やかに成長したら…
- 結婚できたら…
いろいろ考えられるよね。
じゃあ、僕がもっと幸せになるために必要なことが仮に「お金」だったとして、僕はその必要なだけのお金を手に入れることができたら、それで本当に「幸せ」になれるんだろうか? それで本当に「幸せ」であり続けることができるんだろうか?
もちろん、お金を手に入れたその瞬間は「幸せ」を感じられるかもしれない。
だけど、お金はいずれなくなるし、たぶん僕は、お金を手に入れたら今度はさらに「幸せ」になるために必要なこと、つまりお金以外の何かを探し始めることになるんだろうと思う。
そして、もしその次の何かを手に入れたとしても、さらにまた次の何か、さらにまた次の…と、延々と「幸せ」になるための要素を探し続けることになるんじゃないだろうか。
そして、死の間際に人生を振り返ってみたときに、僕はきっとこう思うに違いない。
この短い人生の中で、何度か幸せな瞬間を味わうことはできたけれど、結局のところ人生のほとんどは「幸せ」探しの時間だった、と。
僕は、「幸せ」について考えるとき、いつもこの言葉を思い出す。
成功とは、いいと思うものを得ること。
幸福とは、得るものをいいと思うこと。
(ウォーレン・バフェット)
バフェットさんは僕が尊敬するアメリカ人の投資家だ。
世界一の投資家で世界有数の大富豪なのに、金融の中心地であるウォール街から遠く離れたネブラスカ州のオマハで質素な暮らしをしていて、「オマハの賢人」とも呼ばれてる人。
成功とは、いいと思うものを得ること。
幸福とは、得るものをいいと思うこと。
もしこの言葉が真実だとすると、既に手に入れたものをいいと思うこと、つまり、今持っているものに満足することが「幸せ」だということになる。
そして逆に、いいと思うものを得ること、つまり欲しいものを手に入れることは「成功」ということになる。
僕らは、幸せになるためにはあれが必要だ、これが必要だ、あれが欲しい、これも欲しい、と、持っていないものにばかりフォーカスして暮らしている。
だけど、バフェットさんの説でいくとそれは「成功」の定義であって、「幸福」の定義ではない。
つまり、「何かを手に入れれば幸せになれる」という考え方は、目的地を間違えたまま歩き続けているのと同じことになるんじゃないだろうか。
もちろん、人生を楽しむためにも「成功」はしたい。
でも、“成功 = 幸せ” ではない。
成功は成功としてそれを目指しながらも、幸せは幸せとして別にしっかり考えないと、僕たちはいつまで経っても「幸せ」という目的地にたどり着くことができないかもしれない。
そして逆に、バフェットさんの「幸せ」の定義がそのとおりであるなら、僕らは今すぐにでも「幸せ」になることができるし、これからもずっと「幸せ」であり続けることができると思う。
あえて最後にもう一度質問したい。
あなたは今、幸せですか?
あなたが今よりも幸せになるためには何が必要だと思いますか?