抵抗するから「問題」になる。
自分にとって嫌なことや望まないことが起きると、僕らはそれを否定したり抵抗したりする。
でも、そうしてしまうと、前回書いたように、自分にとってネガティブなことにフォーカスしてしまうことになる。
そして、ネガティブなことにフォーカスし続けても状況はなかなか改善しない。
嫌な現実そのものではなく、その現実が自分にとってポジティブな状況に変わった後のことに意識を向けるほうが、より良い未来を手に入れやすい。
それについても前回書いた。
だけど、現実に、今嫌なことに直面しているのに、ポジティブな方向にフォーカスするって、なかなか難しいよね。
じゃあ、僕らはその目の前の「望まない現実」にどう向き合えばいいんだろうか?
僕は、抵抗するのをやめるという方法もあるんじゃないかと思う。
だって、否定したり抵抗したりするから “問題化” するのであって、抵抗しなければそれは “問題” にはならないはずだから。
基本的に、他人を変えることはできない。
変えられるのは自分の意識の向け方だけ。
そうであるならば、自分の意識や考え方を変えて、抵抗するのをやめる。
そうすると、自分にとって “問題” だと思っていたことが “問題” ではなくなる。
例えば、ここ数日の寒波に加えて緊急事態宣言まで出て、子どもが家の中でゲームばかりしてる、とする。
それを見て、「この子はもう! 一日中だらだらゲームばかりして!」とイライラするのは、子供の行動や態度が自分にとって好ましくないものであり、その状況に対して「もっとちゃんとしてよ!」と抵抗してしまうことが原因だと思う。
そしてその抵抗によって、「子どもがだらだらゲームをしている」ということが “問題化” してしまう。
だけど、これって “問題化” すべきことなんだろうか。
子どもがだらだらゲームをすることの何が “問題” なんだろうか?
きっと、「そんなことではろくな大人になれない」とか、「だらだら遊んでないで勉強しないとまともな大学に入れない」とか、「こんな状態では真っ当な社会人になれない」などといった思いが自分の中にあるんだろうと思う。
でも、本当にそうなんだろうか?
世の中には「だらだらゲームをする子ども」を見ても何とも思わない人もたくさんいるはずだ。
だとすると、対処すべきは「外側の現象=子ども」ではなく、「内側の観念=自分の思い込み」なのかもしれない。
もしかしたら、「だらだらゲームをする子ども」が目の前にいるという現象は、自分自身の思い込みに気づくためのきっかけなのかもしれない。
- だらだらしていると、ろくな人間になれない
- ゲームばかりしていては、まともな大人になれない
という自分の中の「観念=思い込み」に気づくことができれば、「そういえば自分も子どもの頃はだらだらしてたけど、今は一応ちゃんと生きてるよなぁ」とか、「自分も昔はファミコンやプレステに熱中してたときがあったなぁ」とか、「そんなにゲームが好きならゲーム会社に就職すればいいかも」とか、「元気に生きてくれてるだけでありがたいことだよな」なんて思えたら、目の前の現実に “抵抗” しようという気持ちが薄れてくる。
抵抗する気持ちが薄れると、その現実が “問題” ではなくなる。
そして “問題” でなくなれば、次回また同じようなことが起きてもそれに腹を立てたりイライラしたりすることがなくなる。
自分にとって嫌な出来事が起きたときに、反射的に抵抗するのではなく、ちょっと踏みとどまって「その出来事が自分に伝えようとしているメッセージは何なのか?」ということを掘り下げることができれば、その現象は “問題” ではなくなるかもしれない。
抵抗するから “問題” になる。
それを “問題” にするかしないかは自分次第だ。
ブログ村ランキングに参加しました。
ポチッと応援、いつもありがとうございます!^^
↓