ないものは、あげられない。
自分が持っていないものを人に与えることはできない。
これはまあ、当然そうだろうと思う。
例えば、「タバコを1本くれない?」と言われても、喫煙しない僕はタバコを持っていないから、人にあげることはできない。
じゃあ、僕が仮に喫煙者で、今タバコを1本持っていたとする。
そのとき、誰かから「1本くれない?」と言われたらどうだろうか?
僕はたぶん躊躇すると思う。
あげたら自分の分がなくなっちゃうから。
もし仮に5本持っていたとしても、しばらくタバコを手に入れる手段がない場合は断るかもしれない。
あるいは、その相手が自分の苦手な人だったりしたら、10本持っていても断るかもしれない。
100本持ってたら、1本くらいあげてもいい。(笑)
つまり、自分が十分に持っていないものを快く人に与えるというのは、なかなか難しいってことだ。
そして、これはモノだけでなくて、形のないものについても言えるんじゃないかと思う。
例えば、自分がすごく落ち込んでいて元気がないときに、心の底から人に笑顔を振りまくのは難しい。
自分の心にゆとりがないときに、純粋に人に優しくするのもなかなか難しいことだと思う。
だから、幸せな世界にしたければ、まずは自分自身を幸せで「満たす」ことが必要なんだろうと思う。
自分自身を幸せで「満たす」ことができれば、その幸せは自然に溢れ出す。
溢れ出た幸せは家族や身近な人を幸せにする。
家族や身近な人を幸せで満たせば、その周囲へ、またその周囲へと広がっていき、やがて世界全体に幸せが行き渡る。
つまり、自分の望む世界に住みたければ、望むことが溢れ出るほどに自分自身を「満たす」必要があるってことだ。
楽しい世界に住みたければ自分自身を楽しさで「満たす」ことがスタート地点だし、優しい世界に住みたければ、まずは自分自身を優しさで「満たし」てあげなきゃいけない。
そして、そのためには我慢することをやめたほうがいいと僕は思う。
だって、我慢は「不足」のもとだから。
我慢すればするほどに「欠乏」していくから。
我慢を美徳だと思っている人は多いと思うけど、僕は断固として我慢には反対だ。
聖人君子であれば別かもしれないけど、持っていないものを人に差し出すのはかなりハードなことだ。
だから、我慢すると「不足」して、それは他者への怒りや妬みにつながる。
そうならないためには、できるだけ我慢せずに「満たす」ことに意識を向けたほうがいい。
まずは自分自身を「満たす」こと。
自分の至福を最優先すること。
自分の心の中のバケツが至福で満たされれば、その至福は周囲に溢れ出す。
至福に溢れた世界に僕は住みたい。
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