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 さあ、面白くなってきました。

考え方一つで、人生はどんどん楽しくなるね

「社会貢献」ってどういうこと?

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前回前々回からの流れで、今日は「社会貢献」について書こうと思う。


僕が一番最初にボランティアと呼べる活動をしたのは、たしか大学生の頃だったと思う。

当時、たまたま知り合った授産施設の経営者に誘われて、その施設の入所者がみんなで海水浴に行くのをサポートした。

その施設は比較的重度の人も多くて、初めて介助のようなことをする僕は要領がわからず大変だったけれど、みんなに喜んでもらえて、とてもやりがいを感じたのを覚えてる。

 

ただ、それでも僕の心の中には、自分とは違うところがたくさんある彼らを特別視する気持ち(つまり偏見)が強くあることを突きつけられた。

その自分の中にある偏見と向き合うのがキツくて、それ以降、障害者ボランティアをするのはやめた。

 

それが、30代になってNPOで活動するようになってからは「社会貢献」意識が高まって、いろいろなところで(障害者ボランティアではない)ボランティア活動をしていた時期があった。

 

ただ、今考えてみると、あのときは純粋な奉仕の気持ちというよりも、ボランティア活動をすることで自分の存在価値を確認したかったんだろうな、と思う。

当時は自分に自信が持てなくて、仕事にしろ人生にしろ暗中模索状態だったから、言ってみれば「ボランティア」を利用して自己肯定感を高めたかったんだろうと思う。

たぶん自分でも無意識にそれがわかっていたから、心の底に罪悪感が少しずつ溜まっていってたんじゃないかな。

慈善活動のようなことをしながら、実は自分のためにやってるだけじゃないか、って。

だから結局、そういう活動は5〜6年しか続かなかった。

 

そして、それ以降は、ボランティア活動や地域活動に誘われても参加するのが億劫になってしまって、ほとんど断っている。

たまに、自分がやりたいと思えば参加することもあるけどね。

 

だから僕は、もう何年も「社会貢献」活動からは遠ざかっているんだけれど、一方で、最近は自然災害などが多発していることもあり、世の中の「社会貢献」に対する意識は高まってきているように思う。

僕の気持ちと世の中の機運とが完全に反比例していて、なんとも言えない後ろめたさを感じることも多かった。

 

それが、数年前にこんな言葉を知ってからは、気持ちが軽くなったんだよね。

 

社会貢献は“リスが隠した木の実”

  

これはどういうことかというと。

森で暮らすリスは自分が見つけた木の実を食べて、余った分は地面に穴を掘って隠すんだよね。後でまたお腹が空いたら食べようと思って。

でも、どこに隠したのかを忘れて、結局そのまま放置されてしまうことも多い。

そうすると、しばらく経ってそこから木の芽が生えてきて成長し、いずれ大木になる。長い目で見ると、そうやって森全体が成長していくことになる。

自分が食べるために木の実を隠すというリスの利己的な行動が、結果的に森全体(社会)に貢献しているわけだ。

 

この話を聞いて、僕はホッとした。

肩に力を入れて「社会貢献」活動をする必要はないし、それができないからといって罪悪感を感じる必要もない、って思えた。

僕は自分のやりたいことをやって、僕自身が幸せであることが、僕にとっての最大の「社会貢献」なんだって。

 

このブログにしても、今の僕はこうして書くことが楽しいからやっているだけで、当然「社会貢献」だなんてまったく思っていない。

だけど、もしこのブログを読んだ誰かの参考になったり役に立ったりしたとすれば、それは立派な「社会貢献」なわけだ。

 

自分自身がまったく意識せずに楽しんでやっていることが結果的に誰かの役に立つこと。

今の僕にとっての「社会貢献」の定義はそれだ。

 

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