自分の弱さを刻印された日。
前回の記事で「人助け」について書いている途中でふと思い出したことがあったので、今日はそれについてお話ししてみたい。
たぶんこのブログを読んでくださる方の誰も体験したことのない衝撃的な出来事だと思うけど、だからといってあまり役に立ちそうもない記事です。
しかも、ちょっと怖い内容なので、心臓の弱い方はここでそっとページを閉じていただいたほうがいいかもしれません。(笑)
あれは、今から10年と少し前のこと。
僕は、長女が生まれたばかり、母は末期ガンで闘病中、親類の葬儀とかも相次いでいて、何かとバタバタしていた時期だった。
初めての子どもが生まれたことで、僕も御多分に漏れず張り切って一眼レフカメラを買い、無駄にパシャパシャと写真を撮っては悦に入っていた。
子どもを撮るだけでは飽き足らず、職場にも毎日カメラをぶら下げて出勤し、通勤途中や昼休みに被写体を探してぶらぶら歩き回っていた。
その日も、昼休みに、職場のすぐ裏手にある車通りの少ない道路を散策していた。
カメラを片手にのろのろ、被写体を探してきょろきょろ。
立ち止まってはパシャ、立ち止まってはパシャ、と、大した腕もないのにカッコをつけて写真を撮っていた。
カメラにハマったことのある人はわかると思うけど、被写体を探しながら歩いていると、普段はまったく視野に入っていなかったものに改めて気づくことが多い。
その日も、何度も通ったことのある道路なのに、道路脇に今までまったく気づかなかった石碑があることに気づいた。
「あれ?こんなところにこんな石碑あったっけ?」と思って立ち止まり、早速カメラを抱えてファインダーをのぞき込んだ瞬間。。。
バーーーーーン!!!
と、それまで聞いたことのないような、ものすごい音がした。
僕は何が起きたのかわからず、ただ驚いた。
一瞬、交通事故かな?という考えが頭をよぎったような気もする。
そして反射的に音がしたほうを見ると、僕の目の前、2メートルほど先の路上に女性が横たわっていた。
ああ、交通事故だ…と思って駆け寄ろうとした瞬間、違和感を感じて足が止まった。
そこはもともと車通りの少ない道路なんだけど、周囲にはそれらしき車もバイクもなかった。
思考が止まるというのはまさにこのことだった。
視覚情報として周囲の光景は頭に入ってきているのに、おそらく10秒間くらい、自分の意思で思考することができず、頭が真っ白になって、ただそこに呆然と立ちすくんでいた。
路上で女性がうつぶせになっていて、僕がその傍に突っ立っている。
知らない人が見たら、僕が彼女を殴り倒したんじゃないかと思われても仕方のない状況。
しばらく経ってようやく頭が回り始めた僕は、さらにその場の違和感に気づいた。
明らかに異様だったのが、その女性が裸足だったことだ。
黒いレギンスの裾から素足が見えていた。
女性の周囲に脱げた靴が落ちているわけでもなかった。
そして、うつぶせになった彼女の前頭部からドロッとした赤黒いものが流れ出してきた。
ハッとして上を見上げると、確実に10階以上はある真っ黒いマンションが真横に建っている。
自殺だ…。
飛び降り自殺だ…。
状況が飲み込めた僕は、すぐに救急車を呼ばなきゃ!と思って、ポケットに左手を突っ込み、携帯電話(当時はまだスマホを持っていなかった)を取り出したまでは良かったんだけど、手が激しく震えていて片手ではボタンを押せない。
それで、両脇を締め、形態電話を持った左手を胸に押さえつけて震える手を固定し、右手で番号を押そうとした。
でも、今度は頭が混乱していて救急車を呼ぶ番号がわからない。
あれ?あれ?と、焦るばかりで全然思い出せない。
そしてハッと気づいて、「そうか!110番に電話しよう!」と思った。
だけど、胸に押さえつけた左手も、番号を押そうとする右手も、激しく震えていてなかなか3つの数字が押せない。
それでもなんとか1・1・0と押し、片手では携帯をしっかり持てないので、ぶるぶる震える両手で携帯を持ち、耳に当てた。
すぐに電話の向こうで「事件ですか?事故ですか?」という声が聞こえた。
えっ? 事件? 事故? えっ?
僕「えっ?」
警「事件ですか?事故ですか?」
僕「えっ?…わかりません…」
警「どうしましたか?」
僕「えっと、女性が…。女性が…倒れています。よくわかりません。飛び降り自殺じゃないかと。バーンっていうすごい音がして、道路に女性が倒れていました」
警「その女性は動ける状態ですか?」
僕「動けないと思います。動いてないです」
警「息をしていますか?」
僕「わかりません」
警「あなたは人工呼吸や心臓マッサージはできますか?」
僕「できます。…けど…できません。今はできません。足が動きません」
ピクリとも動かずに血を流して路面に横たわる女性を前にして、情けないことに僕は恐怖で足がすくみ、その場から動けなくなっていた。
まさしく、足に根が生えたような状態で、金縛りに遭ったようだった。
電話口で警察からあれこれ指示をされたような気もするけど、まったく何も出来ず、ただただ救急車が到着するのを願った。
でも、救急車はなかなかやってこない。
そのうち、ようやく僕の足が動くようになった。
とはいえ、動けるようになっても怖くて彼女に近寄ることはできなかった。
おそらく顔面は潰れているに違いないので仰向けにするのは僕には耐えられないし、そんな状況で人工呼吸なんてとても無理だと思った。
そして何より、そのときになって猛烈に怒りの感情が湧いてきた。
もしちょっとでもタイミングがズレていたら、もしわずかでも落ちる場所が違っていたら俺も死んでたじゃないか!と。
そこからはもう、いろんな感情がぶわーっと噴き出してきて、頭の中はめちゃくちゃになっていた。
死体(だったと思う)を目の前にした恐怖。
俺を巻き添えにする気か!という怒り。
もし巻き込まれていたら…という恐怖。
いったい彼女にはどんな辛いことがあったんだろうという憐み。
この女性の家族がこれを知ったらどう思うんだろうという悲しみ。
この女性も赤ちゃんの頃はきっと幸せに生きてたはずなのに…という切なさ。
今すぐに人工呼吸をすれば助かる可能性がゼロではないかもしれないという葛藤。
そういった感情が一度に押し寄せてきて、僕は大混乱に陥っていた。
そして、その場からまったく動けないまま、救急車よ早く来てくれ、早く来てくれと、祈り続けた。
でも、待てども待てども救急車はやってこなかった。
消防車が来た(よくわからないけど救急車よりも早く消防車が来た)のは10分くらい経ってからだと思うけど、僕にはもっと長い時間に思われた。
そしてそのときには周りに野次馬が集まり始めていた。
頭から血を流した女性が道路に倒れていて、僕が横に立っている。
パッと見れば、どう考えても僕が加害者だ。
消防隊員にその場を任せて、僕はとにかくその場から早く立ち去りたかった。
僕が加害者ではないとわかってくれている人がいたとしても、頭から血を流して道路に倒れている人を助けようともせずに側に立っているだけの人間が、その人の目にどう映るだろうか。
情けない。
瀕死状態の人に手を貸すこともせずに、ただ突っ立っているだけ。
人としておかしいだろう。
困っている人がいたら手を差し伸べるのが人間ってもんだろう。
いつも偉そうなことを言ってるくせに、お前はそんなこともできないのか。
自分の中から自分を責める言葉が次々と湧いてくる。
だけど結局、僕は何もできないまま、到着した消防隊員に状況を手短に話すと、名刺を渡して、彼女を振り返りもせずにその場を立ち去り、会社に戻った。
当然、その直後に警察が職場にやってきて事情聴取を受けたんだけど、その後彼女がどうなったかについては聞かなかった。
いや、聞けなかった。
だから、もし彼女が亡くなってしまっていたとしたら、僕があのときすぐに人工呼吸や心臓マッサージをしなかったのが原因じゃないか、という考えが何ヶ月間も頭の中をぐるぐる回っていた。
でも一方では、それから半年くらいは高い建物の下を歩くのが怖くてたまらなかったし、彼女に対する怒りの感情も完全にはなくならなかった。
あの経験で僕が思い知らされたのは、ただただ自分の弱さだった。
口では偉そうなことを言っていても、いざとなったら足がすくんで何もできない自分。
救えたかもしれない命を、エゴのために見殺しにした自分。
それから何年も、そんな気持ちがずっと心の底にこびりついていた。
でも、最近になって思う。
あれが僕なんだと。
別にそれでいいじゃないかと。
弱い自分でもいいじゃないかと。
弱いからといって、瀕死の女性に手を差し伸べられなかったからといって、僕が僕自身を責める必要はないし、人から責められる筋合いもないと。
もし、いつかまたそういう状況に遭遇したとしても、僕はきっと同じようなことしかできないだろう。
でも、それでいい。
そんな自分もすべてひっくるめて僕なんだ、と。
■追記
先日、大阪で、飛び降り自殺をした人の巻き添えになって女子大生が亡くなったというニュースを見た。
ネット記事の見出しを見ただけで、中身を読む気になれなかったので詳しいことは知らない。
しかし、同じような状況にありながら、亡くなったその女子大生と、生きている僕との違いは何なのだろう。
答えなんて出るわけもないんだけど。
ただ、生かされたこの命を大切にしなきゃ、ということはわかる。