「ありのままの自分」で生きるということ
「そのままの自分でいいんだよ。」っていう言葉をよく目にしたり耳にしたりする。
でも、「そのままの自分でいいんだよ」という言葉が心に響くという人の多くは、たぶん、今のままじゃいけないと思ってる人なんじゃないかな。
だから、「そのままでいいんだよ」って言われても、「でも、そのままだととても苦しいんだけど…」って思っちゃう。
僕が思うのは、「そのままでいい」ということと「今のままでいい」というのは違うってこと。
「そのままのあなた」というのは「今のあなた」ではなくて、「ありのままのあなた」という意味なんだよね。
つまり、余計なものを手放して身軽になった本来の自分ってこと。
雪が降り積もった斜面で野球のボールを転がしたら、どんどん大きくなって雪玉ができちゃうよね。
で、「今のあなたは」この雪玉。
「ありのままのあなた」が野球ボール。
野球ボールの周りについた雪が「余計なもの」ってことになる。
じゃあ、僕にとって「余計なもの」って何なの?っていうと、自分がこれまでの人生の中で社会から植え付けられてきたいわゆる常識や、価値観、社会規範、しがらみとか、
そうのが余計なものだと思う。
あ。今言った「社会」っていうのは親とか教師とか友達とかも含めてのことね。
そういう、本来の自分とは関係ないものを手放して手放して、最後に残ったものが「ありのままのあなた」なんだと思う。
今、もがき苦しんでいる人の多くは、社会から押し付けられた「本来の自分とは関係ないもの」のせいで生きづらくなってるんだと思うよ。
言ってみれば、たくさんの重しをつけたまま海に入って溺れかかっている状態。
もちろんそういうスリリングな状況を楽しみたい人は、これから先も重荷を抱えて海を泳ぐのもいいかもしれない。
だけど、もしそうでないのなら、そんな要らない荷物は捨てちゃったほうが楽しく泳げる。
でもさ、どうやってその荷物を捨てればいいの? そもそもどんな荷物を抱えてるのか自分ではわからないんだけど…っていう人もいると思う。
そんな人は、
- ◯◯でなければいけない
- ◯◯しなければいけない
- ◯◯するのが当然だ
- ◯◯しないなんておかしい
- 普通は◯◯するでしょ
- ◯◯しないなんて非常識だ
って、自分が思いこんでることを書き出してみるといいかも。
あとは、自分が自分に付けてる社会的なラベルと、その意味を考えてみるのもいいかもね。
- 親として◯◯でなければいけない
- 母として◯◯でなければいけない
- 父として◯◯でなければいけない
- 子供として◯◯でなければいけない
- 男として◯◯でなければいけない
- 女として◯◯でなければいけない
- 学生として◯◯でなければいけない
- 大人として◯◯でなければいけない
- 上司として◯◯でなければいけない
- 部下として◯◯でなければいけない
- 社会人として◯◯でなければいけない
こういうのは本来の自分とは何の関係もないことだよ。
ちなみに僕は家庭で、子どもたちから、「もっとお父さんらしくして!」とか
「もっと大人らしくしてよ!」ってよく言われるんだけど、それは僕にとって誉め言葉なんだよね。
ああ、俺は自由に生きることができてるんだなぁ~って。(笑)
もちろん僕は、それによって失ってるものもあるのかもしれない。
家庭でも職場でもそのほかの場でも「ちょっと変わった人」って思われてると思う。
僕のことを嫌いになった人もいるかもしれない。
ていうか、絶対いる。(笑)
だけど、正直そんなことはどうでもいいんだよね。
自分自身が幸せになることがまず第一だから。
それに、僕が親らしくしないことで、子供は親に頼らず生きていけるたくましさを持つ。
僕が上司(先輩)らしくしないことで、部下(後輩)は自分でやらなければと自覚する。
僕が部下(後輩)らしくしないことで、上司(先輩)は緊張感を持って仕事する。
僕が社会人らしく・日本人らしくしないことで、この社会に新しい価値観が生まれる。
「ありのままの自分」でいることで、僕自身が幸せになるのはもちろんのこと、人の可能性を引き出すこともできると僕は信じてる。