世界の「創造主」は自分である。
僕は、新型コロナウイルスによる自粛期間中の今年4月に、こんなツイートをしてた。
誤解を恐れずに言うと。#新型コロナウイルス のおかげで。
— ノリズム (@qinon) 2020年4月17日
家族と過ごす時間は増加
交通事故は半減
ムダな消費で経済を回す仕組みは停止
環境汚染は良化
米国での学校発砲事件はゼロ
ほかにもいいこといっぱい
これまでの生き方を考え直すという意味で
今は文明の転換点なのかもしれない。
当時の僕は、新型コロナのおかげで世の中は良くなってるんじゃない?って、本気で思ってた。(今でも思ってる。)
でも、これを書いた時点で世界は混乱の真っ只中。
かなりピリピリしたムードだったから、新型コロナが良いことだなんて言える雰囲気ではなかったんだよね。
それもあって、僕は「誤解を恐れずに言うと」って冒頭で書いたんだと思う。
ただ、このツイートを発信しようがしまいが、僕自身はその時とてもハッピーだった。
マスコミが不安を煽り、SNSがそれを拡散し続ける中、僕自身は、新型コロナをきっかけにして世の中は良くなっていくに違いないと思ってワクワクしてたんだよね。
何が言いたいかというと、僕は4月の時点で、同じ地球上で暮らしているにもかかわらず、おそらく世の中の大多数の人とは違う現実を生きていたということ。
同じ空間の中にいて同じ現象を見ているのに、ある人は「もう人類は終わった…」と感じ、ある人は「やった!これから素晴らしい世界になる!」と思ってる。
つまり、自分自身の物の見方や受け止め方を変えれば、世界は全く違ったものになるということ。
逆に言えば、受け止め方を変えさえすれば、世界を変えられることになる。
「こんな腐った世の中、最悪だよ…」と考えていれば腐った最悪な世界の中で暮らすことになるし、「地球はなんて素晴らしいんだろう、最高だ!」と思っていれば最高の世界で生きていくことができる。
ただ、長年培ってきた思考パターンとか、これまで生きてきた環境は人それぞれだから、そんなふうに物の見方を変えるのって簡単なことじゃないよね。
そんなときに僕がいつも思い出すのが、この話。
(たしかデール・カーネギーの書籍だったと思うんだけど。確認できたら出典を書きます。 出典は『7つの習慣』でした。)
私は地下鉄の車両に乗り込んだ。
乗客は静かに座っていた。
ある人は新聞を読み、ある人は目を閉じ休んでいた。そこに、ひとりの男性が子供たちを連れて車両に乗り込んできた。
すぐに子供たちがうるさく騒ぎ出し、それまでの静かな雰囲気は一瞬にして壊されてしまった。子供たちは大声を出したり、物を投げたり、なんとも騒々しく、気に障るものだった。
しかし、その男性は私の隣で目を閉じて座ったまま。
私はいらだちを覚えずにはいられなかった。
子どもたちを注意もせず、ただ座っているだけの彼の態度が信じられなかった。
こんな状況に巻き込まれたら、誰だってイライラするよね。
「ああ…最悪だ…。よりによって、どうしてこんな連中がこの車両に乗ってくるんだよ…」って思うかもしれない。
もし、朝の通勤時だったとしたら、一日中嫌な気分で過ごすことになる可能性もあるよね。
ただ、この話はまだ続きます。
周りの人たちもいらいらしているように見えた。
私は耐えられなくなり、彼に向かって控えめに、「あなたのお子さんたちが皆さんの迷惑になっているようですよ。もう少しおとなしくさせることはできないのですか?」と言ってみた。彼は目を開けると、まるで初めてその様子に気がついた表情になり、柔らかいもの静かな声で、こう返事した。
「ああ、本当にそうですね、どうにかしないと……。たった今、病院から出てきたところなんです。一時間ほど前に妻が…あの子たちの母親が亡くなったものですから……。いったいどうすればいいのか……。子供たちも混乱しているみたいで……」
その瞬間の私の気持ちが想像できるだろうか。
突然、その状況を全く違う目で見ることができた。
違って見えたから違って考え、違って感じ、そして、違って行動した。私の心にその男性の痛みがいっぱいに広がり、同情や哀れみの気持ちが自然にあふれ出してきたのである。
「奥さんがなくなったのですか、それは本当にお気の毒に。何か私にできることはないでしょうか?」
一瞬にしてすべてが変わった。
どうだろう。
この男性は、表面的な現象の裏にある背景を知ったことで、世界が180度変わってしまった。
おそらくこの男性とそれ以外の乗客は、同じ地下鉄の同じ車両に乗っていながら全く違う光景を見ているはずだと思う。
あなたの世界はあなた自身が創っているのだから、見方ひとつ、受け止め方ひとつで世界は一瞬にして変わる。
変えようと思うか思わないかは・・・
あなた次第ですっ! ド━━ m9(゚Д゚) ━━ン!
(笑)