それぞれの世界
先日、Aさんという60代の女性と話をする機会があった。
Aさんには、Bさんという息子がいて、今は結婚して横浜に住んでいる。
で、先日、Bさんの奥様(Cさん)が泣きながらAさんに電話をかけてきたそうだ。
AさんにとってCさんは義理の娘に当たるわけだけど、電話口でCさんは、「Bさんが3回目のワクチンを打ってくれないんです!」と、嗚咽しながらAさんに訴えたそうだ。
息子のBさんとしては、過去2回の接種での副反応が酷くて、もうあんな思いはしたくないという気持ちなんだけど、妻のCさんは「ワクチンを打たずにコロナに感染したらどうするの!」ということで、必死の訴えをしていたわけだ。
この話を聞いて、とても腑に落ちたことがあった。
それは、地球という同じ場所に住んでいるようでいて、僕ら人間は一人一人異なる「世界」で生きているんだなぁということだ。
ちなみに僕自身は、おそらく皆さんご存じのように、新型コロナはほぼ風邪だと思ってるし、ワクチンも打っていない。
コロナを何とも思っていない僕と、コロナに大きな恐怖を感じているCさん。
おそらく僕とCさんは、事コロナに関しては対極の「世界」に住んでいるはずだ。
僕の目に映る今の世の中と、Cさんが見ている世界は全く異なるものだと思う。
で、これはコロナに限った話じゃなくて、別のテーマに関しても、一人一人が異なる世界を見ているはずだ。
どんな理由であれ戦争は絶対に嫌だという人と、遠い国の戦争なら経済が活性化するのでラッキーだと思っている人では、生きている「世界」が違う。
毎日ビールを飲むことに幸せを感じる人と、お酒なんて絶対飲まないという人、
アイドルの追っかけに命を懸けている人と、芸能人には何の関心もない人、
一生懸命努力して成長することに人間の価値があると考えている人と、テキトーに楽しく生きればいいんだよという人、
三度の飯よりパチンコが好きという人と、ギャンブルする人は許せないという人、
不倫は悪だと思っている人と、人間なんだから不倫ぐらいするでしょと考える人では、この世界は全く異なって見えるはずだ。
いや、こんな例を挙げるまでもなく、当たり前の話だよね。
地球上の80億の人間が、それぞれ異なる価値観や嗜好を持って生きていて、どれが正しいわけでもどれが間違っているわけでもない。
誰もがそれぞれの世界でそれぞれの世界を生きているという、ただそれだけのことなんだ。
自分と対極の「世界」で生きている人を見ると違いが鮮明になるのでわかりやすいけど、そもそも自分と全く同じ「世界」で生きている人はこの世に存在しない。
僕の世界は僕の世界であり、あなたの世界はあなたの世界だ。
親であろうと、子どもであろうと、配偶者や恋人であろうと、親友であろうと、みんな自分とは異なる「世界」で生きているわけだ。
でも、その別々の「世界」には接点や共通点もたくさんあって、その接点でどんなふうに接し、振る舞い、交流するか、というのが面白いところなんだと思う。
人生っていうのは、異なる「世界」に住む人間同士が、いかに接点を味わい楽しむか?というゲームなのかもしれない。
先日、Aさんの話を聞きながらそんなことを考えたのでした。
それでは今日はこの辺で!
shivai !!
(誰もあなたの進む道を邪魔することはできない)
ブログ村ランキングに参加しました。
ポチッと応援、いつもありがとうございます!^^
↓