「正義」とどう向き合うか?
アメリカでは、大統領選挙から2カ月以上経っても混乱が続いている。
日本ではあまり情報が入ってこないからよくわからないけれど、アメリカ国内では、トランプ派とバイデン派が、いまだに国を二分する対立を続けているみたいだね。
トランプ派から見ればバイデン派は「悪」だし、バイデン派から見たらトランプ派は「悪」だ。
そして、当たり前だけど、トランプ派もバイデン派も、自分たちが「正義」だと思っている。
「正義」と「正義」がぶつかるから、激しい対立が起きる。
ところで、僕が大学のときに専攻していたのはカンボジアの現代政治だった。(マニアック~!笑)
カンボジアはその昔、東南アジアの大部分を支配していたほどの強大な国(クメール王朝)だったんだけど、20世紀に入ってからは、大国の思惑に翻弄された挙句に内戦でボロボロになるという悲劇的な歴史をたどった。
なかでも、クメール・ルージュ(いわゆるポルポト派)によって何百万人もの国民が死に追いやられた時期については、安易に語ることができないほど悲惨だ。
ちなみに、このクメール・ルージュによる政権下では全国民の7人に1人とも言われるほど多くの人が亡くなったんだけれど、クメール・ルージュ自身は自らを「悪」だとは全く思っていない。
むしろ彼らは、自分たちはブルジョアジーから搾取されている農村部の貧しい人々を開放して、「地上の楽園」をつくるという理想に燃えていたんだよね。
つまり、自分たちは「正義」を行っていると信じていたわけだ。
だけど、彼らにとっての「悪」であるブルジョアジーを排除するために、国中の教師、医者、弁護士、政治家、公務員、企業経営者・・・といった知識階級を皆殺しにするという凄まじい政策をとった。
そのために、まだ物心つかない幼い子どもたちを洗脳して少年兵に仕立て上げ、家族でさえも密告させ殺害させるというような、言語に絶するほどの行為を行った。
繰り返しになるけれど、彼らクメール・ルージュ自身は、「地上の楽園」をつくろうしている「正義」の側にいると思っていたんだよね。
彼らにとってブルジョアジーは「悪」だから、「悪」を排除する自分たちは「正義」だと。
僕らは今の時代の日本にいるから、彼らの所業を酷いことだと思えるけど、でも彼らを非難することができるかといえば、そうでもないかもしれない。
例えば自粛警察。
電車や地下鉄の中で、マスクをしていないからといって怒鳴りつけたり殴りかかったりする人がいるというニュースは何度も目にした。
彼らはコロナ流行下でマスクをする自分は「正義」であり、マスクをしない「悪」の人に対してはどんなことをしてもいいと思っているんじゃないかな。
例えばモンスターカスタマー。
自分が購入した商品やサービスを提供している企業に対して、理不尽なクレームを入れたり法外な要求をしたりする人たちのことは、何年も前から問題になっている。
これも、彼らが、客のほうが偉い=自分は「正義」だと思っていることが原因だ。
煽り運転をする人、ネット上での誹謗中傷行為、人種差別を煽るレイシストなどなど、例を挙げればキリがないほど世の中には「正義」が溢れていて、彼らは「悪」を叩きまくっている。
だけど、その「正義」で世の中はよりよくなるんだろうか?
その「正義」が勝てば世の中は楽しいものになるんだろうか?
僕はそうは思わない。
前回の記事で書いたように、あらゆる物事は本来、中立(ニュートラル)なはずだ。
その物事を「正義」と見るか「悪」と見るかは立場によって異なるわけだから、絶対的な「正義」も絶対的な「悪」もあり得ない。
だから、白か黒か、ゼロかイチか、という思考では本質を捉えきれないと思う。
本質でないところでいくらガチャガチャとやり合っても、本質的な問題解決には至らないもんね。
ちなみに僕は、ノーベル賞候補にもなった環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんが好きじゃない。
それは、「正義」を振りかざして「悪」に激しく噛みつく彼女のスタンスが好きじゃないから。
そして、なぜ「正義」を振りかざす彼女が好きじゃないかというと、僕の中にも「正義」を振りかざして人を攻撃したくなる自分がいるから。
グレタさんを見てると、そんな自分の中の嫌な部分を見ているような気分になってしまうんだろうと思う。
どれだけ「正義」を振りかざして「悪」を攻撃しても、世の中は良くならない。
でも、頭ではわかっていているのに、瞬間的にブワッと、自分は「正義」だという感情が出てくるときがあって、僕はそれが苦しい。
最近のアメリカ大統領選に絡む混乱を見ながら、僕は、おまえは自分の内面の「正義」とどう向き合うんだ?と問いかけられているような気がしてる。
きっと、大事なのは「正義」ではなく、その先の何かのはずなんだけど。
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