雇われて働くことの意味。
国の統計を調べていたら、2020年10月時点の日本国内の就業者数は6,694万人で、そのうち雇用者数(雇われている労働者)は約5,998万人らしい。
日本で働いている人の多くが、誰かに雇われて仕事してるってことになるね。
ただ、このデータの就業者数には役員が含まれていないし、雇われ社長とかも相当数いるはずなので、実際は数字以上に雇われて働いている人がいると思う。
ところで、僕らが仕事をしている時間って、人生の中でどのくらいの割合を占めるか考えたことある?
最近は政府が70歳定年の方針を出しているから、仮に20歳から70歳までの50年間に、毎日8時間、年間250日働くとするね。
で、残業とか通勤の時間も拘束されるわけなので、それを仮に合計2時間とすると、1日当たり10時間が仕事に関連して費やされる時間ってことになる。
つまり、雇われて働いている人が70歳までの間に仕事によって拘束される時間は…
10時間 × 250日 × 50年 = 125,000時間になる。
ちなみに、先日書いた記事(命とは何か?)で「命というのは自分が持っている時間のことだ」という日野原重明さんの言葉を紹介したけど、それでいくと20歳から70歳までの間の僕らの命は…
24時間 × 365日 × 50年 = 438,000時間っていうことになる。
僕らの命は438,000時間で、このうち125,000時間の労働をしているということは、つまり雇われて働いている人は、自分の命の3分の1近くを削ってお金に替えているっていうことだ。
イメージ的に言うと、心と身体の3分の1を切り落として、それを売ることで残り3分の2の心身をキープしてるという状態。
「金をやるから命をくれ」と言われて「はい、どうぞ!」っていう人は少ないと思うけど、「金をやるから時間をちょうだい」って言われると、みんなホイホイ差し出しちゃう。
もちろん、雇われていたとしても自分が本当にやりたい仕事を楽しんでやっている人も少なくないとは思うけれど、おそらく大半の人は、どちらかというと「仕事だから仕方なく」という感じじゃないかな。
僕自身も今の仕事がそんなに好きなわけではないし、やっていて楽しいと思うこともほとんどない。
でも、そうなると、ちょっと立ち止まって考えてみたくなる。
今の仕事は自分の命を削ってまでやらなきゃいけない仕事なんだろうか?
せっかく命を削ってお金に替えるのなら、もっと命を活かせる、命を輝かせる使い方はないんだろうか?
まあ、ここでちょっと考えたからと言って、何か素晴らしいアイデアとか、誰もが幸せになれるような答えを出せるわけではないんだけど。
でも、雇われて働くというのは命を削ってお金に替えることだっていうのは忘れずにいたいと思う。