僕は「偉業」を成し遂げたい。
もう20年以上も前のことになるけど、僕は新卒で入った最初の職場で心が折れて、1年間で仕事を辞めた。
周囲の人からは最低でも3年間は辞めないほうがいいと言われたけど、到底3年間ももちそうになかった。心も身体も。
そして仕事を辞めてから1年間は何もせずにプラプラして過ごした。
いや、実際にはパチプロとして生きていたんだけど、まあ、世間から見れば“何もしてない人”だよね。(笑)
当時は、とにかく誰にも会いたくなかった。
仲の良かった友人や、家族とも会いたくなかった。
ましてや、中途半端な知り合いには絶対に会いたくなかった。
あのときの僕は、自分には人に誇れるものなんて何ひとつないと感じていて、自分にまったく自信を持てない状態だったから。
就職氷河期の真っ只中に何とか滑り込んだ会社を1年で辞めてしまい、心も病んでしまって、もう人生は終わったと思っていた。
だから、そんな、自分で自分を認められない自分、俺はもうダメだと思っている自分を人に見られることが耐えられなかったんだろうと思う。
ただ、あのときの僕にとって、知人がほとんどいない東京で一人暮らしをしていたのが幸いだった。
外出しても知人に会う確率は限りなくゼロに近い環境だったから。
もしあれが地元の福岡だったら、僕は完全に引きこもりになっていたと思う。
大都会の東京で、周囲に知人が全くいない環境だったからこそ、毎日外出できていたんだと思う。
“仕事場”であるスロット屋さんに行っても、当然知らない人ばかりだしね。(笑)
(店の常連同士でたまに話をすることはあっても、相手の過去には立ち入らないのが暗黙のルールだった。)
人に会いたくない理由のもう一つは、僕にとって人や社会は恐怖の対象でしかなかったということもある。
人や社会は、何かにつけて僕から自由を奪おうとする存在だと思ってた。
あれをしろ・これをしろ、あれはしちゃいけない・これはしちゃいけない、お前はダメだダメだと常に僕を否定してくる存在だった。
だから、あれだけ騒音と悪臭にまみれた劣悪な環境にもかかわらず、知人が一人もいない、誰とも話をしなくていいパチスロ屋という“仕事場”がとても落ち着ける場所だったんだろうと思う。
そんなことを考えながら、思い出すメッセージがある。
僕の大好きな言葉の一つだ。
To be yourself in a world that is constantly trying to make you something else is the greatest accomplishment.
常にあなたを何者かに変えようとする世界の中で自分らしくあり続けることが、最も素晴らしい偉業である。
Ralph Waldo Emerson (エマーソン)
当時の僕は、毎日“何もせず”に一日中スロットマシンを回し続ける日々だったけれど、あの無駄に思える1年間は、自分が自分であるために必要な時間だったんだろうと思う。
ただ、あのとき「自分らしく」あれたかというと、そうではなかった。
自分を変えようとする何者かから逃げるだけで精一杯だった気がする。
それに今現在でも、「キミは自分らしい生き方をしているか?」と言われたら、まだそこまでのレベルには達していないと思うしね。
でも、常に自分を変えようとする世界の中で自分らしくあり続けることこそが偉業なんだと思えば、すごく気持ちが楽になる。
自分に余裕がない、何かに追い立てられて生きていると感じるようなときは、おそらく「自分軸」ではなく「他人軸」で生きているときだ。
そんなときは少し自分を俯瞰してみる。
宇宙的な規模での大きな空間軸と人類の歴史という長いスパンでの時間軸(つまり広い視野)で眺めてみたときに、今自分がとらわれている問題は本当にそこまで重要なことなんだろうか?と。
そして、エマーソンの言葉を思い出してみる。
仕事で成果を上げることよりも、子どもを立派に育て上げることよりも、何かを手に入れたり勝利したりすることよりも、「自分らしくあり続ける」ことのほうが偉業なんじゃないか?と。
そうやって僕は今日も心穏やかに生きている。