「思考の流れ」を断ち切る時間
(この記事は前回 からの続きです)
人生で本当に大切なことは、すべておしっこが教えてくれた。
10.「思考の流れ」を断ち切る
朝起きた瞬間から夜眠りにつくまで、私たちの脳は常に回転して「思考」を続けています。
一説によると、人は1日に6万回思考し、その9割方は同じことを繰り返し考えているそうです。
私自身は何万回も思考している実感はありませんが、明確に意識していないときでも、ぼんやりと何かを考え続けているのはわかります。
何も考えない瞬間というのはほとんどなくて、ダラダラと何かを考えているのだろうと思います。
もしかすると、今の時代、特にスマートフォンが普及してからは、その傾向が強くなっているのかもしれません。
音声を聴きながら外出したり、空いた時間には常にスマートフォンの画面を見続けて、トイレにもスマホを持ち込む人は少なくないでしょう。
そうなると、日常生活の中に「空白の時間」がなくなって、同じような思考が途切れることなく続いてしまいがちです。
つまり、スマートフォンによって、「思考」が連続しやすい状態になっていると私は思います。
そして、そんな状態が四六時中続けば、少しずつ疲労が蓄積し、気づかないうちに身も心も疲弊してしまうことでしょう。
マインドフルネスや瞑想などが見直されて、世間に広がってきたのには、もしかするとスマートフォンの普及も影響しているのかもしれません。
私の記憶では、日本でマインドフルネスに関する記事やニュースをよく見かけるようになったのは2016年ごろからですが、日本国内でスマートフォンの普及率が初めて50%を超えたのが2015年なのです。
あらゆる情報が掌の中に収まり、私たちの「思考」がますます増えていくのと期を同じくしてマインドフルネスのブームが始まったのは、実に興味深いことだと思います。
ですが、マインドフルネスにしろ瞑想にしろ、一般人には敷居が高くて、習慣にできているのは一握りの人だと思います。
それに比べると、「尿道瞑想」は誰にでもできる簡単なものですし、トイレに行くときにすればいいので習慣化しやすいと思います。
おしっこをするときに、尿道の感覚に意識を集中するだけです。
たったそれだけで、一時的に「思考」の流れを断ち切ることがでるのです。
ほんの数十秒間の瞑想ですが、それによってリフレッシュすることができるだけでなく、幸福感を得ることもできます。
忙しい現代人の手軽な瞑想法としては、これ以上ないほどに最適なものだと私は思います。
ということで、ここで改めて尿道瞑想のやり方を記載しておきます。
【尿道瞑想】
①できるだけ身体の力を抜いてリラックスする。
②目を閉じて、顔の筋肉を弛緩させる。
(口を半開きにして呆けたような顔になるのがベストです)
③おしっこが出始めたら、尿道の感覚に意識を集中して排泄の気持ちよさを味わう。
(自然に呼吸が深くなると思います)
④最後の一滴までその状態を続ける。
⑤おしっこができることに感謝して終了する。
これを1日5回ほど、おしっこするたびにやることで、「思考」を断って気持ちの切り替えができるようになります。
しばらく続けていれば、生活の質が変わるのを実感できると思いますよ。
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あなたは、あなたのままでいい。
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9.あなたはあなたのままでいい
尿道瞑想をしながらおしっこをしているとき、その瞬間そこにあるのは心地よさだけです。
本能のおもむくまま生理現象に身を任せているだけで、至福の時間を過ごすことができます。
気持ちを奮い立たせて頑張ったり、努力して励んだりする必要は全くありません。
なぜなら、おしっこなんて、何かを成し遂げたり結果を出すために励んだりするようなことではないからです。
ただリラックスして自然な流れに身を任せていれば、身体はその機能を完璧に果たして、おしっこを滞りなく身体の外に排出してくれます。
しかも、幸福感まで伴って。
結果なんて、求めなくても後から自然についてくるのです。
ですが、私たちはふだんの生活において、何らかの結果を出さなければいけないというプレッシャーに追われています。
持っていない何かを手に入れるために、あるいは自分以外の何かになるために、頑張って、我慢して、苦労して、努力しています。
しかも、それを美徳と考えていたりします。
「無理をして頑張らなければ欲しいものは手に入らない」「我慢して努力しなければ幸せにはなれない」ということが当然であると考えている人が、世の中の多数を占めています。
でも、その結果、心を病んだり、身体を壊したり、家庭が崩壊したりする人が世の中にどれだけいることでしょうか。
確かに、「頑張って努力したことで“成功”した人」は世の中にたくさんいるかもしれません。
しかし、人類史上「頑張って努力しても“成功”しなかった人」のほうが圧倒的多数を占めると思います。
そうであるなら、無理して何かを手に入れようとしたり、何らかの結果を出そうとしたりしなくても、そのままのあなたでいればいいのではないでしょうか。
大きな志を持って行動することは素晴らしいことですが、そのままあるがままのあなた、自然体のあなたでいることもそれと同等以上に素晴らしいことだと私は思います。
あなたがあなた自身であることにこそ、あなたが生きている意味があるのですから。
おしっこは教えてくれました。
“何かを成し遂げる必要はないし、何かを手に入れる必要もない。何かになる必要もない”
“あなたはそのままで十分に素晴らしい存在なんだよ”
と。
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他人と比べる必要はない。
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8.他人と比べる必要はない
女性がトイレの中でどんなふうに用を足しているのかはわかりませんが、男性の場合は小便器がオープンスペースに設置されていることが多いので、ほかの人がどんな様子でおしっこしているのかを目にする機会があります。
何人も横一列に並んでいる状態で用を足していると、いろんな人が思い思いのやり方で用を足していることがわかります。
スマホを片手にゲームをしながら用を足している人、電話で誰かと話している人、隣の人としゃべっている人、便器に描かれた的を一生懸命狙っている人、酔っ払ってふらふらしながら便器に向かっている人、などなど、みんな自分のしたいようにおしっこしています。
さすがに、私のようにおしっこをしながら瞑想をしている人はいないかもしれませんけどね。(笑)
でも、排泄中に瞑想をしているからといって誰かから怒られることはありませんし、「これが正しいおしっこの仕方だぞ!」だなんて、作法を強要されることもありません。
逆に、「隣の人がこうしているから自分もこうしなければ」とか、「自分はこうやっておしっこしてるんだから、隣の人もそうしないと腹が立つ」とか、そんな考えにもなりません。
そもそも、他人のおしっこの仕方なんて気にするようなことではないですし、人からどんなふうに思われているかなんていうことも全く気になりません。
みんなそれぞれ、思い思いのスタイルでおしっこをするのが当然だと思います。
もちろん、便器の中に排泄するという超基本的なルールはありますが。(笑)
それなのに、人は、トイレの外では他人の目が気になります。
自分と他人とを比べて劣等感を感じたり、逆に優越感に浸ったり、義務感に苛まれたりするのです。
ですが、本質的にはトイレの中も外も同じではないでしょうか。
自分は自分、他人は他人です。
おしっこの仕方を他人と比べる必要がないのと同様に、どんな物を持っているか、どんな体型か、どんな人と付き合っているか、どんな学歴か、どんな会社に勤めているか、どんな家に住んでどんな暮らしをしているか、などなど、他人と比べることではありません。
自分は自分、他人は他人です。
自分ならではの特徴を大事にして、自由に、自分ならではの生き方をすればいいだけなのです。
おしっこは教えてくれました。
“おしっこの仕方だけじゃなく、どんなことも他人と比べる必要はないんだよ”
“おしっこするときのように、もっと自由に、もっと気楽に、自分のスタイルで生きようよ”
と。
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「感謝のレベル」が低いほど幸福度は上がる
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7.感謝のレベルが低いほど幸福度は上がる
人は毎日おしっこをしますが、普通におしっこができるということを「ありがたい」と感じる人がどれくらいいるでしょうか。
おそらく、おしっこをするたびに感謝の気持ちが湧いてくるという人は、あまりいないと思います。
ですが、過去におしっこしたくてもできない状況に陥ったことのある人は、少なくないのではないでしょうか。
近くにトイレがない場所で尿意を催して、しばらく我慢せざるを得なかった経験をお持ちの方はいらっしゃると思います。
あるいは、早くおしっこしたいのにトイレに行列ができていて、なかなか順番が回ってこなくて辛かった、なんていうケースもありそうです。
膀胱炎になったことがある方は、排尿時の痛みや残尿感などで苦しめられたご経験をお持ちでしょう。
ふだん何気なく暮らしていると忘れがちですが、したいときにスムーズにおしっこができるというのは、実はとってもありがたいことです。
「病気になって初めて健康のありがたさがわかる」というのはよく言われますが、おしっこしたくてもできない状況になって初めて、普通におしっこできることのありがたさに気づくのです。
とはいえ、私たち人間は忘れっぽい生き物ですので、そのありがたさをすぐに忘れてしまいます。
でも、おしっこをするときに毎回尿道瞑想をすると、心地よさを味わえるだけでなく、スムーズにおしっこができることへの感謝の気持ちも湧いてきます。
「ああ、気持ちいいなぁ。おしっこができてありがたいなぁ、幸せだなぁ」
と、トイレに行くたびに思うことができたら、もう最強です。
なぜかというと、おしっこにすら感謝できる人は、きっとほかのどんなことにも感謝できるようになるからです。
おしっこができて幸せ。
空気があって幸せ。
水を飲めて幸せ。
目が見えて幸せ。
身体を動かせて幸せ。
物が買えて幸せ。
食事ができて幸せ。
友達がいてくれて幸せ。
スマホを持っていて幸せ。
もう、何にでも感謝できます。
そして、感謝できるということは、その瞬間満たされているということです。
おしっこするという、一見取るに足らないような小さなことに感謝できるようになると、人生の幸福度はどんどん上がり始めます。
だからこそ、感謝のレベルは低いほうがいいのです。
おしっこは教えてくれました。
“おしっこできるという、ただそれだけのことに感謝できるようになれば、もう最強だよ”
“感謝のレベルが下がれば下がるほど、人生の幸福度は上がるから”
と。
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今この瞬間はニュートラル。
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6.今この瞬間はニュートラル
私たちは、四六時中何かを考えています。
ほんの些細なことから人生の大問題まで、意識しているかしていないかに関わらず、常に頭の中で何かを思考している状態です。
最近は瞑想を習慣にしている人も増えてきていると聞きますが、それでも多くの人にとって完全に「思考」から解放されるのは、深い睡眠をとっているときくらいかもしれません。
では、私たちが日常的に何を「思考」しているかといえば、基本的には「未来のことか過去のこと」、そして「自分のことか他者のこと」です。
そして、その大部分が「未来に対する不安や恐怖」と、「過去の出来事に対する後悔や怒り」という人も少なくないと思います。
この仕事の納期は間に合うだろうか?
このままだと生活が苦しくなりそうだ。
会社の業績が心配だな。
新型コロナに感染したらどうしよう。
日本は将来的に大丈夫なんだろうか。
中国や北朝鮮が攻めてくるかもしれない。
巨大地震にいつ襲われるかわからない。
子どもたちの将来が不安だ。
親の介護をどうしよう。
自分が急に死んだら、家族はどうなるんだろう。
あの時、あんなことをしなければよかった。
若いころにもっと勉強しておけばよかった。
あの人はどうしてあんな態度をとったんだろう。
子どものときに受けた親からの体罰が許せない。
今朝の夫(妻)の態度に腹が立つ。
職場の上司がいつも偉そうにするのがムカつく。
余計な一言で大切な人を傷つけてしまった。
もっと裕福な家に生まれたかった。
あのとき別の道を進んでいれば今頃きっと…。
こんな思考を延々と繰り返している人もいるのではないでしょうか。
もちろん、未来への希望を感じてワクワクしたり、過去の出来事を思い出して嬉しくなったりすることもあるとは思いますが、どちらかといえば未来や過去に対してネガティブな思考をしていることのほうが多いかもしれません。
でも、実際のところ、過去はもうここには存在していないし、未来はまだやってきていないのです。
少なくとも、あなたがこの文章を読んでいる今この瞬間には、あなたが後悔することや苦しいこと、怒りを感じることは起きていないと思いますし、不安や恐怖を感じることも起きていないはずです。
今、背中にナイフを突きつけられて、無理矢理にこの文章を読まされているような人がいれば、話は別ですが。(笑)
おしっこをしながら尿道に意識を集中していると、当たり前ですが、今この瞬間は過去でも未来でもなく、文字どおり「今」であることがわかります。
本来「今」には、後悔も怒りも不安も恐怖もないはずです。
逆に言えば、喜びや楽しさや、ワクワクすることもありません。
過去のことを思い出して楽しくなったり、未来のことを想像してワクワクするのです。
つまり、「今」この瞬間はポジティブでもネガティブでもありません。
「今」は常にニュートラル、無色透明なのです。
しかし、今がニュートラルであるからこそ、私たちは自分の意志で自由に色をつけることができます。
ポジティブな色を付けることも可能ですし、ネガティブな色をつけることもできます。
ちなみに私は、尿道に集中しておしっこをしながら頭を空っぽにしているのですが、そのとき自然と「あー気持ちいーー」という感情が湧いて、満たされた気分になります。
おしっこをしている「今」という瞬間に、私はポジティブな色を塗っているわけです。
ニュートラルな「今」を自分で好きなように塗っていいのであれば、心地よい色、楽しい色、面白い色をつけたほうが幸せですよね。
おしっこは教えてくれました。
“今この瞬間は過去でも未来でもない。何の色もついていないニュートラルな状態だよ”
“そのニュートラルな「今」にどんな色を塗るかは、キミ次第。好きな色を思う存分に塗ればいいんだよ”
と。
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「感覚」こそ生きる証。
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人生で本当に大切なことは、すべておしっこが教えてくれた。
5.「感覚」こそ生きる証
私たち人間には、「五感」と呼ばれる機能があります。
具体的には視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚という5つの感覚のことで、人間が自分の外側の世界を知覚するために備わっています。
もちろん、身体に障害がある方の中には、一部の感覚がない方もいらっしゃるでしょう。
病気の後遺症で、一時的に感覚を失った方もいらっしゃるかもしれません。
でも、この文章を読んでくださっている方は、少なくとも視覚か聴覚をお持ちの方だと思いますし、どちらかといえば、五感すべてが機能している方のほうが多いと思います。
しかし、日々忙しく暮らしている私たち現代人は、身体に備わった「感覚」をあまり意識することなく生きているのではないでしょうか。
たとえば、ある人がオフィスでパソコンに向かって仕事をしているとします。
そのとき、指先がキーボードやマウスなどに触れる感触を味わいながら入力したり、下着や靴下が肌に触れる感覚を感じながらデスクに座っていることがどれくらいあるでしょうか。
窓の外で聞こえる自動車や飛行機のエンジン音、廊下を歩く人の足音、書類のこすれる音、パソコンに内蔵されたモーターの回転音や遠くで聞こえるコピー機の音、誰かのため息や内緒話など、かすかな音までを敏感にキャッチしようとしていたら、仕事どころではなくなります。
同僚が飲むコーヒーの香りや、近くの人の香水あるいは体臭くらいであれば意識するかもしれませんが、書類にしみ込んだインクの臭いや、電子機器が放つ独特の臭い、ネジやクリップの金属臭までかぎ分けようとする人はいないでしょう。
昼休みに、舌先の感覚にじっと集中しながらコンビニ弁当を食べている人なんて、見たことがありません。
そしてトイレに行ったときに、おしっこが尿道を通る感覚に意識を集中している人も、どちらかといえば少数派だと思います。(笑)
私たちは常に何らかの感覚を得ながら生きているはずなのに、それを意識せずにいる時間のほうが圧倒的に長いのです。
これは実にもったいないことだと私は思います。
なぜかというと、感覚というのが自分の外側の世界を知覚するために備わった機能だとすると、それを意識せずに暮らすということは、この地球上で生きることの意味(の一部)を放棄しているのと同じことだからです。
想像してみてください。
もし、なんらかの理由であなたが五感をすべて失ったとしたら、どうでしょうか?
そのような状態であったとしたら、あなたはどのようにして「生きている」ということを認識できるでしょうか?
おそらく真っ暗闇の中で、自他の区別もつかずに、ぼんやりと意識だけが漂っているような状態だと思います。
いえ、もしかしたら意識すらも持たないかもしれません。
五感があるからこそ、私たちは生きていることを実感できるのです。
ですから、感覚を疎かにするということは、生きることを疎かにしているとも言えるのです。
美しいものを眺め、美味しい料理を味わい、心地よい音を聴いて、良い香りを嗅ぎ、何かに触れる感触を楽しむ。
私にとってこれらは、「生きる意味」の大部分を占めています。
この世に生まれ、地球上で暮らす私たちに与えられた素晴らしい機能である「五感」。
細やかな「感覚」を日ごろから意識して味わうことによってこそ、私たちはより主体的に、そしてより良く、この人生を送ることができるのだと思います。
おしっこはおしえてくれました。
“尿道だけじゃなく、もっといろんな「感覚」に意識を向けたほうがいいよ”
“「感覚」こそが生きている証であり、そこに生きる喜びがあるんだよ”
と。
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幸せになるために「頑張る」必要はない。
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人生で本当に大切なことは、すべておしっこが教えてくれた。
4.幸せになるために「頑張る」必要はない。
あなたは何のために生きているのですか? と10人に聞けば、10通りの答えが返ってくるでしょう。
もちろん、何のために生きているかわからないという人もたくさんいると思います。
しかし、突き詰めて考えてみると、どんな人でも幸せになるために(幸せになりたいと願って)生きているのではないでしょうか。
にもかかわらず、多くの人が、身の回りに転がっている無数の「幸せ」に気づかないまま暮らしているように感じます。
まるで、自分の身近なところには「幸せ」などなくて、どこか遠くに行かなければ手に入らないと思い込んでいるかのようです。
まさに「灯台下暗し」です。
ですが、先に書いたように、本来「幸せ」というものはどこか遠くにあるものではありません。
今ここ、目の前にある「幸せ」に気づくか気づかないか。ただそれだけのことなのです。
私のように、おしっこをすることにすら「幸せ」を感じられる人間がいるというのが、その証拠でもあります。
そして、この「尿道瞑想」の凄いところは、何の努力も、苦労も、「頑張り」も要らないということです。
健康な人にとっては、おしっこなんて頑張ってするようなことではありません。
単に、したいからするだけです。
でも、したいからするだけなのに、そこに意識を向ければ幸せになれるのです。
いえ、むしろ、したくてするからこそ幸せになれるのかもしれません。
なぜなら、したくないことをしても、その瞬間そこにあるのは苦痛や苦しみだからです。
私は、したくないこと(自分が嫌なこと、辛いこと、苦しいこと)に対して、自己を犠牲にして時間を使うことが「頑張る」ことだと考えています。
逆に、したいことをしているときというのは、傍から見ると頑張っているように見えたとしても、本人は全く頑張っているつもりはなく、ただ夢中になっているだけです。
つまり、自分自身が「頑張っている」ときというのは、したくないことをしているということなのです。
したくないことをしていて幸せになれるわけがありませんよね。
ですから、したくないことをする、つまり頑張るというのは「幸せ」の対極にある行為なのです。
頑張ることは善でもなければ美徳でもありません。
人は、頑張れば続るほど「幸せ」から遠ざかってしまいます。
おしっこは教えてくれました。
“したいことをするから幸せになれるんだよ”
“頑張れば頑張るほど幸せは逃げていくよ”
と。
(次回へ続く)
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