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 さあ、面白くなってきました。

考え方一つで、人生はどんどん楽しくなるね

お酒をやめて良かった10のこと

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僕はもう何年も前から1日1食の生活をしてて、基本的に夕飯しか食べない。

 

といっても、そこまで厳密にやってるわけじゃなくて、食べたいときにはいつでも食べるし、休日は家族と一緒に2食摂ることもある。

数年前、職場の近くのパン屋さんにハマってて、しばらくお昼にパンを食べてたこともあった。

 

とはいえ、この1年くらい平日はほぼ夕飯だけしか食べてなくて、体重は標準体重をかなり下回ってる。

にもかかわらず、お腹周りだけがちょっと気になる…という状態がずっと続いてたんだよね。

 

その原因は自分でもわかってて、、、間違いなくお酒です。(笑)

 

休肝日は月に1回あるかないかくらいで、1年中ほとんど毎日お酒を飲んでたし。

まあ、量的には1~2合程度だから、酒量として多いほうではないと思うんだけど。

 

とはいえ、1日1食なのにお腹周りがスッキリしない原因は、ほぼ間違いなくお酒(≒内臓脂肪)だったと思う。

 

それで先月、ふと、お酒をやめたらどうなるか試してみようと思って、酒を飲まない生活を始めてみたんだよね。

 

あ。でも、完全に断酒してるわけじゃなくて、飲むのは週に2日まで、という緩いルールなんだけどね。

なにせ、僕のモットーは「自分に優しく。人にも優しく」だから。(笑)

 

 

で、今回は、毎日お酒を飲んでた僕が、1カ月以上 やめた(というか減らした)結果、気づいたことを書いてみるね。

 

 

お酒をやめて良かったこと

 

①有効に使える時間が増える

お腹周りをスッキリさせることが目的で始めたんだけど、結果的には、夜の時間が充実したことが何より良かったと思う。

僕はお酒を飲むとすぐに眠くなっちゃって、子どもを寝かしつけながらそのまま一緒に寝てしまうことも多かったし、寝なかったとしても、本を読んだり勉強をしたりという気にはなれなかった。

 

それが、お酒を飲まなくなってからはやりたいことが何でもできて、かなり有効に時間を使えるようになった。

自由に使える夜の時間を1日3~4時間として、飲まない日が少なくとも20日あるとすれば月に60~80時間になるから、これは結構大きいよね。

 

逆に言えば、今までどれだけの時間を無駄にしてきたのか?っていうことなんだけど。(笑)

 

②体脂肪が減る=体重が減る

これはまあ、当然といえば当然というか、これが目的で始めたことなんだけど、もともと少ない体重がさらに3㎏くらい減って、お腹周りは20代の頃に戻ってスッキリした。

 

てことで、たぶん内臓脂肪は全焼した・・・はず。(笑)

 

③体が引き締まる

内臓脂肪だけじゃなく皮下脂肪も減ったようで、筋肉の輪郭がハッキリしてきた感じがある。

筋トレは、毎日腕立てと腹筋をやってる程度だけど、自分ではアスリート体型になったなぁって感じるよ。

  

④出費が減る

これも当然だけど、お酒をやめると酒代が不要になるから、出費が減るよね。

僕は発泡酒とか第三のビールが苦手で、毎日ビールを飲んでたから、なおさら経済的なメリットを感じてる。

 

酒代が1日500円だったとすると、1カ月に10,000円以上、無駄な出費が減ったことになるね。

 

⑤お酒が不要な身体になる

 お酒を飲む機会が減ると、たまに飲むお酒が美味しくなるだろうな~と思ってたんだけど、実際にはそうでもなかったんだよね。

身体がお酒を求めなくなったからなのか、飲んでもそれほど美味しいと思わなくなってしまった。(笑)

これはかなり意外な結果だった。

 

しかも、飲む機会が減ったことで酔いやすい体質になったみたいで、飲める量が明らかに減ってしまった。

 

今は、【お酒を飲まない → 飲めなくなる → さらに飲まなくなる】 の好循環が生まれてる。

 

⑥自己肯定感が上がる(ような気がする)

「お酒を飲まない」という意思を貫徹することで、苦難を乗り越えたというか、壁を打ち破ったような気持ちになるので、自己肯定感がアップしたような気がする。

実際のところ、それほど大したことをしてるわけでもないんだけど、「なんかオレって偉い」っていう気持ちになるんだよね。(笑)

 

⑦身体の調子が良い(ような気がする)

これは感覚的なものかもしれないけど、お酒を飲まないと身体がスッキリして軽くなったような気がする。

ただ、物理的に若い頃の体型に戻ってるので、実際に体の調子は良くなってると思うよ。

 

⑧睡眠の質が上がる(ような気がする)

お酒を飲んでそのまま寝てしまうと夜中に目が覚めて、そこからウダウダして、明け方にまた寝て・・・みたいなことが多かったんだけど、寝たい時間に寝るようになってからは、睡眠の質が上がった気がする。

 

最近は睡眠が深くなってるからか、短時間の睡眠でもスッキリ目覚めることが多くなったような気がするよ。

あくまでも「気がする」っていうレベルだけど。(笑)


⑨体臭が減った(ような気がする)

これも気がするだけかもしれないけど、なんとなく体臭が減った気がする。

まあ、もともと体臭が強かったわけではないけど、ほら、枕の臭いとかあるじゃないですか。(笑)

 

でも、ちょっと調べてみたら、肝機能がアップすることで体臭が減るっていう記事もあったので、お酒を減らすと体臭が減るっていうのはあり得ないことでもないみたい。

まあ、よくわからないけど。(笑)


⑩抜け毛が減った(ような気がする)

これはほとんど願望に近いレベルなんだけど、お風呂で洗髪するときの抜け毛が減ったような気がする・・・いや減ったに違いない・・・ていうか減っててください!(笑)

 

 

 

ということで今回は、お酒をやめて(減らして)良かったことについて書いてみた。

飲む量を減らしたいなぁとか、最近飲み過ぎてるなぁっていう人がいたら、参考にしてみてね。

 

ちなみに僕の場合、最近は毎日、ビール代わりに炭酸水を飲んでるよ。

慣れてしまえば、もう炭酸水で十分って感じです。

 

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

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みなさまにお願いです。

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どうも!

灼熱の日差しが薄~い毛髪のスキマを余裕ですり抜けて、ジリジリと頭皮が焼ける毎日を過ごしているノリズムです!(笑)

 

 

さて。毎日すさまじい暑さですが、皆さん、夏はどんなファッションで過ごしていますか?

 

僕はTシャツが好きなので、夏場の私服のほとんどがTシャツと短パンと草履です。

ただ、1つ悩みがあってですね。

 

Tシャツが大好きなのに、お気に入りのTシャツばかり着てると、すぐにヨレヨレになったり黄ばんだりして、ひと夏着たら「ハイおしまい」っていうことが多いんです。

 

お気に入りだから何度も着て、でも何度も着るからすぐに着れなくなるんです。

すごく悲しいんですよね…。

 

そして、「それなら、来年また同じデザインのTシャツを買おう!」と思っても、もう二度と買えないという。

 

さらにさらに、じゃあ、もっといいデザインのTシャツを買おう!と思って探しても、なかなか気に入るものが見つからずに、探してるうちに夏が終わってしまった…。なんてことも。

 

僕は、こんな悩みを20年以上抱えて生きてきたわけですが、ついに堪忍袋の緒が切れました。(笑)

 

 

こうなったら、自分で自分のTシャツを作ってやる!!!

 

 

好きなデザインのTシャツを何着もつくっておけば、何も気にせずに好きなだけ着倒せるじゃないか!って、思ったんです。

 

それでいろいろ調べてみて、無地のTシャツの仕入れ先も見つけて、プリントしてくれるデザイン事務所さんとも今交渉中なんです。

 

 

・・・で、そんなことをしてるうちにふと思ったんです。

あれ? もしデザインを気に入ってくれる方がいたら、販売することもできるんじゃないか?って。

 

まあ、いわゆるひとつの下心ってやつです。(笑)

 

 

ということで、Tシャツに関することをいろいろ調べてみたいなーと思って、アンケートをつくってみました。

 

所要時間は2~3分程度なので、もしよかったらアンケートにご協力いただけないでしょうか?

決してTシャツを売りつけたりしませんので。(笑)

 

不躾なお願いで恐縮ですが、どうぞよろしくお願いします!😊

 

 

Tシャツに関するアンケート(クリックするとアンケートフォームが開きます)

https://questant.jp/q/O1U0XMA0

  

  

 

それでは今日はこの辺で。

 

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「他人との比較」から「理想との比較」へ

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前回の記事で、自分が大切にしたいことに優先順位をつけるといいかもね、っていうことを書いた。

 

 

僕自身、自分が本当に大切にしたいことを明確にしたことで、幸福度が急激にアップしたことも書いた。

これは本当に実感していて、かつての自分がウソみたいに、今は毎日が楽しいし、幸せに満ちてるんだよね。

 

もちろん、嫌なことや腹立たしいこともたくさんあるけど、長時間そこにハマって憂鬱な状態が続くことはなくなった。

 

 

それにしても、大切にしたいことの優先順位をつけると、どうして幸福度が上がるんだろう?

 

僕の場合は、おそらく「他人との比較」がなくなったからじゃないかと思う。

 

生きることは選択の連続だけど、もし大切にしたいことの優先順位が明確でないと、何か選択を迫られたときに、その都度、何らかの判断基準を持ち出して決めなきゃいけなくなるよね。

 

たとえば、会社から転勤するように言われて、単身赴任せざるを得ない状況だったとするね。
このとき、本当は転勤したくないけど、「これを断ったら昇進を諦めなきゃいけないかも?」とか、「給料が下がるかも?」とか、「職場に居づらくなるかも…」とか、いろいろなことが頭をよぎると思うんだよね。

 

そして、昇進にしろ、給料にしろ、職場でのポジションにしろ、その前提となるのが、「周囲の目」や、「職場の同期」とか「同年代の人」なんかとの比較だと思う。

天秤の片方に「単身赴任する」という選択肢を、もう片方に単身赴任しない場合のリスク、つまり「他人の目」や「他人との比較」を載せて比べて、どうしようかと考えることになる。

 

だけど、自分にとって本当に大切なことが明確になっていたとしたら、どうだろう?


たとえば、「自分は家族との時間が何より大事だ」と決めていれば、選択する際の判断基準は「自分が理想とするような家族との時間を持てるかどうか」だ。

そうなると、「単身赴任」と「家族との時間」の2つを天秤にかけるだけで済むから、「他人」が出てくる余地はなくなる。


まあ、ちょっと極端な例になっちゃったけど、そういうことなんじゃないかなぁと思う。

 


で、この「他人と比較しない」ということは、意外と幸福度に影響してると思うんだよね。


なぜかというと、他人と比べる場合、他人の動き次第で自分の立ち位置も変わってくるから、どうなるかわからない不安定感というか、常に緊張状態に置かれることになる。

昇進の道を閉ざさないために転勤に応じたのに、超優秀な同僚のほうが出世街道に乗っちゃった、なんてことは十分にあり得る。

 

でも、自分にとっての理想的な状態というのは自分で決めたことだから、自分次第でどうにでもなるよね。

 


つまり、自分と他人を比べないということは、人生という名の車のハンドルを他人に渡さないということだ。

逆に言えば、人生の選択権を自分の手に取り戻すことになるんじゃないかと思う。

 


そして、そのためにまず必要なのが、自分にとって本当に大切なことをリストアップして優先順位をつける、っていうことなんじゃないかな。

 

 

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

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本当に大切なことを、大切にできていますか?

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さっき、古い手帳をパラパラめくっていたら、こんな落書きを見つけた。

2017年4月6日の日付だから、4年くらい前に書いたメモみたい。

 

健康、時間的ゆとり、経済的ゆとり、家族や大切な人との良好な人間関係。

人生、これだけあれば十分。

 

それ以外のことの優先順位を上げるから、ややこしくなってくる。

 

確かに。おっしゃるとおり。

って、自分で書いたメモなんだけど。(笑)

 

でも、ほんとにそうなんだよなぁ。

 

 

僕は5~6年前に、出世や世間体を捨てて、自分にとって大切なことを最優先にして生きると決めた。

今も一応正社員として働いてはいるけど、9時-17時の時短勤務で、出勤は週に4.5日。

いい歳してるのに、職場での役職や肩書は何もない。

収入はもともと多くないのに、かつての半分程度。(笑)

 

だけど、立派な肩書を持って朝から晩まで働いていたころに比べると、幸福度は何倍も上がってるんだよね。

 

だから僕は、自分の選択を後悔したことは一度もない。

むしろ、自分にとって大切なことを最優先すると決めた当時の自分に、すごく感謝してる。

 

 

 

自分が本当に大切にしたいことは何なのかっていうのは、人それぞれ違っていて当然だと思う。

 

地位や名誉が大事だと思う人もいれば、世間のしがらみから自由であることを大切にする人もいる。

お金さえあれば何も要らないと考えてる人もいれば、家族と楽しく暮らせることが一番だという人もいる。

幅広い人脈を築くことを大事にする人もいれば、狭く深い人間関係を求めている人もいる。

 

何を大切にしたいのか、どんな価値観を大事にしたいのかは人それぞれだから、当然、生き方も十人十色。

 

だから、地位や名誉が大事な人は、そのために力を注ぐのがいい。

お金が何より大事な人は、ガンガン稼ぐのがいい。

幅広い人脈が欲しい人は、たくさんの人とコミュニケーションをとるのがいい。

 

 

ただ、一つ気をつけなきゃいけないことがあるとすれば、それは、自分が求めていることと自分の行動とが嚙み合っていない場合。

 

自由を求めているのに、地位や名誉・世間体に囚われて、身動きが取れなくなっているとか。

家族と過ごす時間が大事だと思っているのに、仕事が忙しくて家族との時間が持てていないとか。

本当は深い人間関係を望んでいるのに、八方美人になってしまっているとか。

 

そんなふうに、求めていることと実際の行動や現実にギャップがあると、なかなか苦しい。

 

そうならないためには、自分が大切にしたいことや大事にしたい価値観を列挙して、それに優先順位をつけることから始めてみるといいかもしれない。

 

そして、優先順位が高いはずなのにそれを実現できていないのはなぜか、理想と現実とのギャップを解消するために必要なことは何なのか、ちょっと立ち止まって考えてみたほうがいいかもしれないね。

 

もしかすると、それは、優先順位が低いものまでたくさん抱え込んでることが原因かもしれない。

両手にモノを抱えたままで、さらに何かを得ようとするのは難しいからね。

 

そうなると、ちょっと辛いけど、優先順位の低い何かを捨てることから始めなきゃいけない場合もあるかもしれない。

 

「そんなこと言っても優先順位をつけるのは難しいよ…。」っていう人は、自分自身にこんな問いを投げてみるといいかも。

 

Q.もし、私が大きな災害や事故に遭遇して、有無を言わさずに全てのものを奪われたとして、これだけは返してほしいと願うものを3つ挙げるとしたら、それは何だろう?

 

 

かなり究極の質問だけど、こんなふうに考えると、自分にとって本当に大切なものが見つかるかもしれないね。

 

 

僕の場合は、お金や仕事よりも優先したいものがあったから今のような暮らし方をしてて、そこそこ満足してる。

ただ、まだまだ、今以上に自由に楽しく生きていきたいと思ってるから、より良い暮らし方・働き方を模索し続けてるよ。

 

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

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新型コロナ騒動ついに終了。~イベルメクチンありがとう~

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僕は、先日こんな記事を書いた。

 

 

 

新型コロナやワクチンに関する世相に怒りを感じたり、望まないことにフォーカスしたりするのはやめようという内容だった。

なので、もうコロナ関連の記事を書く必要もないんだけど、誰かの参考になるかもしれないので、今日はポジティブな点にフォーカスして記事を書くことにするね。

 

ただ、その前に、前提として新型コロナに関する僕自身のスタンスを書いておくと。


新型コロナの感染リスク
・高齢者にとっては怖い病気だけど、子どもや若者にとっては風邪と同程度。

新型コロナワクチンの接種リスク
・mRNAワクチンは治験中のワクチンで、長期的な安全性は確認できていない。
・若年層では、短期的にも副反応(重篤化・死亡)リスクが高い。
・高齢者や基礎疾患者に比べると、若者・子どもはワクチン接種リスクが圧倒的に高い。


この辺のことについては以前に書いたので、気になる方はご覧ください。 

 

新型コロナを冷静に考える ~①死者数と死亡率~

新型コロナを冷静に考える ~②PCR検査と感染者数~

新型コロナを冷静に考える ~③海外比較~

新型コロナを冷静に考える ~④子どものリスク~

新型コロナを冷静に考える ~⑤ワクチン~

若者はワクチン、ダメ。ゼッタイ。

 

 

で、ここからが今日の本題なんだけど、結論から言ってしまえば、僕は新型コロナの問題はイベルメクチンでほぼ解決するんじゃないかと思うんだよね。

 

イベルメクチンというのは抗寄生虫病薬で、ノーベル賞を受賞した大村智博士の発見によって開発された薬。

市販されてから40年以上経っていて、長年にわたって世界中で使用されてきたものなので、重篤な副作用リスクがないことは実証されている。


でも、この寄生虫の薬が新型コロナに効くということは1年前から現場で確認されているのに、特に日本では大々的には認められていない状態なんだよね。

(厚労省は新型コロナの治療薬として保険適用の対象薬に指定しているけど、使用を積極的に推進していない。)


これについては、ワクチンを製造している様々な製薬会社とか、イベルメクチンを製造しているメルク社の思惑とか、大人の事情がいろいろと絡んでいるようだけど、そこにフォーカスしちゃうとまたネガティブな記事になっちゃうので書かないよ。(笑)


気になる人は、こういう記事を読んでみるとわかりやすいと思う。

 


 


実際に、イベルメクチンは新型コロナに大きな効果を示していて、感染者や重傷者を劇的に減らしている国もあるので、日本国内での正式な承認を待ち望んでいる医療関係者は少なくないんだよね。

 

実はこのお薬は、27カ国で世界的に治験が行われており、コロナのお薬としてもかなり良い報告があります。

約35の論文をまとめて解析すると、予防として使えば91%効き、全体の評価としても7割程効果があるのではないかという結果が出ています。

イギリスなどでも、いま学者たちが集まり、イベルメクチンを推奨しますという報告書を出しています。

アメリカやイギリスがかなり動き始めていますので、今後はイベルメクチンが使えるような方向に行くのではないかと思っています。

日本もただ待っているのではなく、一時的に治験を進めながら緊急使用という形で認めていただいて、我々医師の裁量権のもとで使えるような形にしていただけないかと思っているところです。

 

東京都医師会・会長 尾﨑治夫氏

  

当院ではイベルメクチンを、院内倫理委員会での承認後、今年4月から入院患者に投与しはじめ、自宅療養患者の治療や、濃厚接触者の感染予防のための外来処方もしています。

高熱、肺炎で入院した患者十数例に単剤投与を行い、高齢患者を含めて半数はよくなっています。単剤で十分な効果が得られなければ、炎症を抑えるステロイドとアクテムラを併用投与しています。

抗ウイルス薬は早期投与が原則ですが、イベルメクチンは感染から少し日が経ってからでも、一定の効果が期待できます。抗ウイルス作用と抗サイトカイン作用という、二つの作用があるためで、肺の炎症が進んでいても、これらの作用で抑えられる可能性がある。

海外の多くの研究で効果が示されており、緊急使用を検討してもよいのでは、と考えます。

 
福岡記念病院・感染制御部長 向野賢治氏

   

40年前から世界各国で年間3億人に服用され、副作用がほとんどなく安全性が確立されている。

感染初期に自宅待機する人も安心して飲めます。

投与してみて、経過がよくなったこと以上に、自宅で医師に相談できず薬は解熱剤程度というなかで、患者さんの不安を取り除く効果も感じました。

 
医師・衆議院議員 中島克仁氏

  

 
そして、東京オリンピックを開催するに当たって、新型コロナ治療の最前線にいるアメリカの医師団体FLCCCアライアンスと、その会長のピエール・コリー博士が、日本オリンピック委員会にこんな内容の文書を送ってる。

 

イベルメクチンを中心としたプロトコル(手順)にビタミンを加えたものによって、この病気のすべての段階を予防、治療できることが、何十もの査読ずみの研究成果として明らかになっています。

この非常に安全、効果的、かつ安価で広く入手可能な薬剤は、ノーベル賞を受賞した優秀な日本人研究者によって、約50年前に世界に与えられたもので、今回のパンデミックにおいて、何十万人もの新型コロナ患者とその家族に救命効果をもたらしたことは、世界的に評価されるべきです。

イベルメクチンが広く配られると、プログラム開始後、10日以内に感染者数と死亡者数が劇的に減少します。

これはメキシコ、インド、ペルー、ブラジルなどの国々で実際に起きた成果です。
(中略)
世界の目が東京に向けられているいま、日本のリーダーたるあなた方にとっては、パンデミックから抜け出し、当初意図されたように開催することで五輪の栄光を世界に示すチャンスです。


「イベルメクチンで感染者数・死亡者数を劇的に減らせる」米国の医師団体が提言 未だに流通しない裏事情とは より

 

 

ちなみに、イベルメクチンの緊急使用を認める議員立法も国会に提出されているけど、今は国会閉会中なので、ちょっと時間がかかりそうだね。

  

でも、僕はイベルメクチンが新型コロナ問題の救世主になると思う。

日本では、保険適用されているのにイベルメクチンの存在自体を知らない医師も多いようだし、そもそも在庫が少ないので、使いたくても使えないという面もありそうだけど。

 


僕自身について言えば、子どもたちが感染することは全く心配していないし、僕も妻も40代半ばで基礎疾患もないので、コロナに感染してもリスクは低い。

でも、万が一という可能性はゼロではないし、今後、変異種が広がった場合にどうなるかわからないということもあるので、2週間ほど前に個人輸入でイベルメクチン(のジェネリック・ストロメクトール)を注文したよ。

 

もちろん個人輸入なので完全に自己責任の領域だけど、ピンときた人はお守り代わりに買っておいてもいいかもね。(保険が効かないからちょっと高いけど… )

 

 

ちなみに僕は、こんな感じでコロナ問題はほぼ解決すると思う。

  • 高齢者・基礎疾患者 →ワクチンで予防&イベルメクチン等で治療
  • 30~50歳代 →イベルメクチンで予防
  • 20歳代以下 →放置


よし、これでついにコロナ騒動は終了だ! (笑)

 

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

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コンフォートゾーンをかき回せ!

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今日は6月30日。

今年も半年が過ぎたね。

 

コロナ禍のゴタゴタのせいなのか、はたまた年齢的なものなのか、今年も猛スピードで時間が過ぎていく感じがする。

そして、なんだか同じような毎日が続いているような気もする。


でも、同じような日々が続くというのはあまり良いことじゃない、と僕は思ってる。

 


僕らは人間には(というか動物はみんなそうだと思うけど)コンフォートゾーンというものがあると言われてる。

コンフォートゾーンっていうのは、快適な空間、安心していられる居心地のいい状態のことだね。

人間の場合は、多くの人にとって自宅や自分の部屋はコンフォートゾーンだと思うし、日常のルーティーンなどもコンフォートゾーンの延長だと思う。


で、僕らは通常、そのコンフォートゾーンの中で暮らすことを望んでる。

コンフォートゾーンの中にいる限り、比較的安心して、ストレスも少ない状態でいられるから。

多くの人は、コンフォートゾーンの外に飛び出すような急激な変化を回避して、日々同じような状態が続くことを無意識レベルで望んでいるんだと思う。


ただ、ここで一つ問題があるんだよね。

毎日が安全・快適で、ストレスなく暮らせるのは喜ばしいことなんだけど、一方で、コンフォートゾーンの内側にいると変化が起きにくいというデメリットがある。

 

そして、変化がないと人は成長できない

 


大人に比べて子どもの成長スピードが速いのは、コンフォートゾーンから強制的に追い出されやすい(= 変化しやすい)環境に置かれていることがあると思う。


子どものころは、どんなに居心地が良いクラスでも1年に1回クラス替えがあったり、小学校から中学校、中学校から高校へと、自分の意思とは関係なく生活環境を変えられちゃったりするよね。

それ以外にも、有無を言わさず学校の年中行事に参加させられたり、強制的にテストを受けさせられたり、習い事や塾での競争があったりもする。

そして何より、人生で初めて見聞きするような情報への接触頻度も高い。

 

その良し悪しは別として、子どもは、そういう外部からの強制的な変化によって成長を促進されているんだと思う。

 


でも、大人になると、自らコンフォートゾーンを抜け出すことを意識しなければ、なかなか変化が起きづらい。

もちろん、今回のコロナ騒動のような出来事によって強制的にコンフォートゾーンから追い出されることもあるし、大きな企業に勤めていれば、転勤とか部署異動で強制的に生活環境を変えられることもあるけれど、それは日常的なことじゃないよね。


だから、僕ら大人が自分を成長させたかったら、自ら変化を起こすしかない。

とはいえ、変化を起こすということはコンフォートゾーンを乱すことになるから、ちょっと勇気が要る。


でも僕は、同じような毎日に安住して、気づいてみれば死が目前だった、なんてのはイヤだな。

 


変化するといっても、コンフォートゾーンから大きく飛び出すような急激な変化でなくてもいい。

 

急に引越しをするとか、突然仕事を辞めるとか、離婚するとか、無理矢理そんなことをする必要はない。

コンフォートゾーンを軽くかき回したり、コンフォートゾーンの縁をツンツンする程度の小さな変化でもいい。

 

通勤経路をちょっとだけ変えてみるとか、スーパーやコンビニでいつもは立ち寄らないコーナーに行ってみるとか、めったに話をしない職場の同僚に話しかけてみるとか、全く関心のないスマホアプリをインストールしてみるとか、今まで読んだことのなかった雑誌を立ち読みしてみるとか、用もないのにお花屋さんに入ってみるとか、あまり興味のないテーマでブログを書いてみるとか(笑)、どんなことでもいい。


いつもとちょっとだけ違うことをやって、生活の中に小さな変化を起こしてみよう。

自分の意思で変化を起こそう。


その小さな変化が、もしかしたら1年後の大きな変化につながっているかもしれない。

そして、その1年後の大きな変化は、自分自身の大きな成長へとつながってるかもしれない。

 

 

そういえば、昔、とあるロック歌手が「ジジイになる前に死んでやる」って言ってたけど、自ら変化し続けられるなら死ぬ必要はないよね。(笑)

 

というか、幾つになっても自ら変化し続けている人を「ジジイ」とは呼ばない。

 

  

それでは今日はこの辺で。

 

shivai !! 

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あなたの夢は「配送中」

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僕には、実現したい夢や願望がたくさんあって、既に実現したものもあれば、そうでないものもある。


きっとあなたもそうなんじゃないかな?

 

 

願望実現については世界中で様々な書籍が出版されているし、YouTube上にも関連動画が数え切れないくらいたくさんある。

そりゃもう、どれから手をつければいいかわからないくらい、本当にたくさんの「願望実現」情報があふれてる。

 

ちなみに、願望実現に関して僕が最初に読んだ書籍は、おそらく『ザ・シークレット』だったと思う。

 

 

でも、巷にあふれている無数の情報も、そのベースとなる考え方はかなり似通ってるんだよね。

結論から言ってしまえば、「自分が信じていることが現実になる」というところに行き着くと思う。


「信じていることが現実になる」ということについては、このブログで何度も書いてきたけど、この考え方は「現実というのは自分自身が創り出した幻である」というスピリチュアル的な世界観に通じている。

もし仮に、現実を創り出しているのが自分自身だとするなら、自分が信じていることが現実としてあらわれるのは当然のことだもんね。

 


まあ、それはさておき。

 

「自分が信じていることが現実になるなんて、ほんとかよ~」と思う人は少なくないと思う。

「その程度のことで願望が実現するなら、誰も苦労しないよ~ (笑)」って。


だけどね、自分の夢や願望が実現することを本気で信じるのって、実は結構難しいことなんだよね。

 

それは、たとえばこんなふうに考えるとわかりやすいかもしれない。

 

 

僕はAmazonでよく買い物をするんだけど、みんなはどうかな?

ネット通販で注文を出したら、その後あなたはどうする?


僕は、Amazonでポチッとしたら、あとは届くのを楽しみに待ってる。


オーダーはちゃんと通っただろうか?とか、

もしかしたら詐欺かもしれないとか、

途中で何かあって届かないんじゃないか…とか、

そんなことを心配したり、不安を感じることはない。


それはなぜかというと、Amazonの通販システムを信用しているからだと思う。

だから、オーダーしたものが届かないかも?なんて考えもしないんだよね。

そのうち届くから大丈夫って、完全に信じきっているわけだね。

 

 

一方で、僕が何か大きな願望を持っていたとするね。

たとえば、年収10億円になりたいとか。


で、僕が自分の人生に対して、「年収10億円になりたい!」という願いを放ったとする。

そのときの僕の心境はどうだろう?


おそらく、「年収10億円って…。いや、そりゃ実現すれば嬉しいけど、そんなの無理でしょ…」という気持ちが真っ先に湧き上がってくると思う。

それはつまり、自分の願望が実現することを信じていない状態だよね。

 

 

Amazonからの荷物が届くことはまったく疑っていないのに、自分の願望が実現することは信じられない。

だから結果的に、Amazonの荷物は届くけど自分の願望は実現しない、という現実があらわれるってわけ。(笑)

 

こんなふうに、自分の望みが現実化するということを心の底から(潜在意識レベルで)信じるというのは、実はなかなか難しいことなんだよね。


だから、願望実現のテクニックとして、まずは自分自身が信じられるレベルの願望をオーダーするとか、何度も何度も繰り返し言葉に出して潜在意識を書き換えるなんていう手法もあったりする。

 

まあ、そういうテクニックはいろいろあるんだけど、最初に書いたように、結局のところ「信じていることが現実になる」というベースの部分は変わらない。

 そういう意味では、Amazonでポチるのと同じくらいの感覚で、夢や願望を放てるようになったら、僕らの人生は相当変わるんだろうなぁと思う。


「年収10億でよろしく」ポチッ →「商品は発送されました」、みたいな展開を疑いなく信じられたらいいよね。(笑)

 

Amazonの商品だって、注文した次の瞬間に手元に届いてるなんてことはあり得ない。

それと同じように、夢や願望だって、望んですぐに現実化するわけじゃない。

 

でも、オーダーした願望は確実に発送されていて、今は配送中。だからあとは受け取るだけなんだって、ワクワクしながら待っていればいいんだと思う。

まあ、口で言うほど簡単じゃないんだけどね。

 

でもさ、Amazonは信じられるのに自分の人生を信じられないって、なんだかちょっと寂しいよね…。(笑)

 

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

shivai !! 

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スティーブ・ジョブズ 最期の言葉

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前回の記事で、立花隆さんの「死」の話を書いた後に思い出したことがあるので、今日はそれについて書くね。

 

僕はスティーブ・ジョブズのスタンフォード大学でのスピーチが好きなんだけど、それとは別に、ジョブズが死の間際に残した『最期の言葉』というのをインターネット上で見たことがある。


それはこんな内容。

 

スティーブジョブス最後の言葉
STEVE JOBS Last Words 

 

I reached the pinnacle of
success in the business world.
私は、ビジネスの世界で、成功の頂点に君臨した。

In others’ eyes, my life is an epitome of success.
他の人の目には、私の人生は、
成功の典型的な縮図に見えるだろう。

However, aside from work, I have little joy.
In the end, wealth is only a fact of life that
I am accustomed to.

しかし、仕事をのぞくと、喜びが少ない人生だった。
人生の終わりには、富など、私が積み上げてきた
人生の単なる事実でしかない。

At this moment, lying on the sick bed and
recalling my whole life,
I realize that all the recognition and wealth that
I took so much pride in, have paled and become
meaningless in the face of impending death.

病気でベッドに寝ていると、
人生が走馬灯のように思い出される。

私がずっとプライドを持っていたこと、
認証(認められること)や富は、
迫る死を目の前にして
色あせていき、何も意味をなさなくなっている。

In the darkness, I look at the green lights from
the life supporting machines and hear the
humming mechanical sounds,

この暗闇の中で、生命維持装置の
グリーンのライトが点滅するのを見つめ、
機械的な音が耳に聞こえてくる。

I can feel the breath of God and of death drawing closer…

神の息を感じる。死がだんだんと近づいている…。

Now I know, when we have accumulated
sufficient wealth to last our lifetime, we should pursue
other matters that are unrelated to wealth…

今やっと理解したことがある。

人生において十分にやっていけるだけの
富を積み上げた後は、富とは関係のない
他のことを追い求めた方が良い。

Should be something that is more important:
もっと大切な何か他のこと。

Perhaps relationships, perhaps art,
perhaps a dream from younger days …

それは、人間関係や、芸術や、
または若い頃からの夢かもしれない。

Non-stop pursuing of wealth will only turn
a person into a twisted being, just like me.

終わりを知らない富の追求は、
人を歪ませてしまう。私のようにね。

God gave us the senses to let us feel
the love in everyone’s heart, not the illusions
brought about by wealth.

神は、誰もの心の中に、
富によってもたらされた幻想ではなく、

愛を感じさせるための「感覚」
というものを与えてくださった。

The wealth I have won in my life I cannot bring with me.
私が勝ち得た富は、(私が死ぬ時に)
一緒に持っていけるものではない。

What I can bring is only the
memories precipitated by love.

私が持っていける物は、愛情にあふれた思い出だけだ。

That’s the true riches which will follow you,
accompany you, giving you strength and light to go on.

これこそが本当の豊かさであり、あなたとずっと
一緒にいてくれるもの、あなたに力をあたえてくれるもの
あなたの道を照らしてくれるものだ。

Love can travel a thousand miles.
Life has no limit. Go where you want to go.

Reach the height you want to reach.
It is all in your heart and in your hands.

愛は、何千マイルも超えて旅をする。
人生には限界はない。

行きたいところに行きなさい。

望むところまで高峰を登りなさい。

全てはあなたの心の中にある、

全てはあなたの手の中にあるのだから

What is the most expensive bed in the world? –
“Sick bed” …

世の中で、一番犠牲を払うことになる
「ベッド」は、何か知っているかい?
シックベッド(病床)だよ。

You can employ someone to drive the car for you,
make money for you but you cannot have someone
to bear the sickness for you.

あなたのために、ドライバーを誰か雇うこともできる。
お金を作ってもらうことも出来る。
だけれど、あなたの代わりに病気になってくれる人は
見つけることは出来ない。

Material things lost can be found.
But there is one thing that can never be
found when it is lost – “Life”.

物質的な物はなくなっても、また見つけられる。

しかし、一つだけ、なくなってしまっては、
再度見つけられない物がある。

人生だよ。命だよ。

When a person goes into the operating room,
he will realize that there is one book that he has
yet to finish reading – “Book of Healthy Life”.

手術室に入る時、その病人は、まだ読み終えてない
本が1冊あったことに気付くんだ。

「健康な生活を送る本」

Whichever stage in life we are at right now,
with time, we will face the day when the
curtain comes down.

あなたの人生がどのようなステージにあったとしても、
誰もが、いつか、人生の幕を閉じる日がやってくる。

Treasure Love for your family,
love for your spouse, love for your friends…

あなたの家族のために愛情を大切にしてください。
あなたのパートーナーのために、
あなたの友人のために。

Treat yourself well. Cherish others.

そして自分を丁寧に扱ってあげてください。
他の人を大切にしてください。

  

 

確かにそうだよなぁと思う。

ビジネスで大きな成功を収めたジョブズの言葉と考えると、さらに納得感がある。

 

 

でもね、実はこの文書のソースは見つけられなくて、実際のところ、本当にジョブズが書いたものなのかどうか、真偽不明みたいなんだよね。

 

ジョブズの言葉かもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 

 

でも、じゃあ、実際のジョブズの「最期の言葉」って何だったんだろう?と思って調べてみると、公式な記録はジョブズの伝記に残されてた。

 

 

本人もよく語っていたように、ジョブズは家庭的とは言いがたい男だったかもしれない。

だが、本当のところは、最終的な結果も含めて判断すべきだろう。

会社のトップとしての彼は、要求が厳しく気難しいリーダーだったかもしれないが、熱狂的と言えるほど忠誠心の強いチームを作ったし、社員に心から愛されてもいた。

同じように、家庭においては、無愛想で家族をあまり顧みない人間だったかもしれないが、しっかりした子どもを4人ももうけ、彼らの愛に包まれて最期を迎えることができた。

 

その火曜日の昼下がり、ジョブズは、子どもたちの目ばかりを見つめていた。

そしてあるとき、パティに目をとめ、子どもたちをじっと見つめ、そしてローリーンに視線を移したあと、どこか遠くを見る目になった。

 

「うわぁ」

 

つぶやきが漏れる。

 

「うわぁ、うわぁ」

 

最後の言葉だった。

意識がなくなる。

午後2時ごろのことだ。


『スティーブ・ジョブズ II』講談社

 

 

ジョブズの本当の最期の言葉は、「うわぁ。うわぁ。うわぁ」だったみたい。

これは英語の原文では、「OH WOW. OH WOW. OH WOW.」となっている。


「オー・ワオ、オー・ワオ、オー・ワオ」ってことだね。

 


スピリチュアル的なことへの関心・造詣も深かったジョブズは、死の直前に何を見たのだろう。


僕自身は、これまでに何度も書いてきたように、人は肉体的に死んだとしても魂はずっと生き続けると信じてる。

だから、ジョブズはきっと最期に、死後の世界を垣間見たんだろうと思う。


ワオ!こりゃ凄いぜ! ってね。

 

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

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僕は、立花隆になりたかった。

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今朝、目覚めてすぐに飛び込んできた立花隆さんの訃報には驚いた。

 

高齢であることは知っていたけれど、なぜか立花さんが亡くなるというイメージが僕の中にはなかったからだ。

淡々と、飄々と、でも舌鋒鋭く、物事の核心に切り込んでいく彼の姿は、僕から見るとどこか浮世離れしていて、だから「死」とは結び付かなかったのかもしれない。

 

いや。

でも、考えてみると、最近は立花さんをテレビや雑誌で見る機会は少なかったし、著書もずいぶん長い間読んでいない。

だから、死のイメージがなかったというよりも、単に僕が彼のことを忘れていただけのような気もする。

 


今朝、そんな彼の訃報を知って軽いショックを受けた後で、はたと気づいた。


「そういえば僕は、立花隆になりたかったんだ」って。


10代後半から20代にかけて、彼の著作に触れたり、テレビの映像で彼の声を聴いたりするうちに、僕は立花さんのような仕事に強い憧れを持つようになった。

科学、政治、哲学、文化、そしてスピリチュアルまで、あらゆる分野の垣根を超えて自らの知的好奇心の赴くままに取材をして文章を書く。

 

僕はそういう仕事がしたかった。

いや。仕事がしたかったというより、そういう生き方がしたかったんだろうと思う。


だから就職活動のときは、立花さんの原点の一つとも言える文藝春秋社を受けた。

まあ、当然ながら書類審査で落ちたんだけどね。(笑)


その後は、新聞社に落ち、テレビ局に落ち、、、結局マスコミ業界の最下層で働きはしたものの、身も心もボロボロになって仕事を辞めてからは、「立花さんみたいになりたい」という夢はすっかり忘れてしまっていた。


そして今日、約20年ぶりに思い出したというわけ。

僕は立花隆になりたかったんだ、って。


それがどうした?と言われたらそれまでなんだけど、ちょうど時代の転換期に当たる今、そして僕自身も人生の転換期にある今、かつての夢の一つを思い出すことができて良かった。

僕の知的好奇心を大いに刺激して、夢と希望を持たせてくれた立花隆さんに心から感謝したい。

 


ちなみに、立花さんの代表作の一つに『臨死体験』という著書があるんだけれど、立花さんは人生の最期にどんな景色を見たんだろう。


死の間際の風景と、それに対する独特の深い考察を聞いてみたかった。

 

死を恐れていなかった彼に、冥福を祈るような野暮なことはしない。

ただ、最後に聞きたかった。

 

立花さん、「死」はどんなでしたか?

 

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

shivai !! 

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大谷翔平は、なぜ大谷翔平になれたのか?

Embed from Getty Images

 

今シーズンは毎日のように、大谷翔平選手の活躍が目に耳に飛び込んでくる。

 

日本人選手がメジャーリーグでレギュラーになるというだけでも凄いことなのに、彼はそんなレベルを遥かに超えて、投手と打者の両方で超一流のプレーを見せてくれている。

 

今日現在、両リーグトップ(タイ)の23本のホームランを打っているし、投手としても3勝を挙げている。

3勝というとちょっと見劣りするかもしれないけれど、内容は決して悪くないんだよね。

 

ちなみに、僕は大谷選手のことを詳しく知ってるわけじゃないよ。

もちろん、彼が高校時代や日ハム時代に日本で活躍していたことは知っているし、高校1年生のころに書いたというマンダラートも見たことがある。

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出典:スポニチ(大谷 花巻東流“夢実現シート”

 

 

だけど、彼のプレーをちゃんと見るようになったのは、彼がメジャーに移籍してからのことだ。

だから、僕は大谷選手がどんな練習をしてきて、どんな考え方で野球に取り組んできたのか等々については全く知らない。

 

その点、今回の記事は僕の完全なる推測、というかほとんど妄想なので、どうぞご了承ください。(笑)

 

 

ところで、こういう話を耳にしたことがある人は少なくないと思う。

誰もが認めるような大きな成果を残した有名人が、もし別の道に進んでいたらどうだっただろうか? と。

 

もし大谷選手がバドミントンの選手だったら、どうだっただろう?

もし大谷選手がプロゴルファーだったら、どうだっただろう?

もし大谷選手が起業家だったら、どうだっただろう?

 

といった類の話だ。

 

 

僕はこういう話をするとき、いつもこんなふうに思う。

大谷選手は野球を選んだからこそ大成功したに違いない、って。

 

彼がもし別のスポーツを選んだり、スポーツとは全く別の道に進んでいたりしたら、今のような大活躍には至らなかったんじゃないかと思う。

 

もちろん、彼ほどの体格と身体能力があれば、どんなスポーツであっても一流の成果を残すことができると思う。(あ。競馬の騎手とかは無理ね。笑)

ビジネスの道を選んだとしても、それなりの成果を上げることができるだろうと思う。

 

でも、それでも、今のような大成功を収めることはできなかったに違いない。

なぜそう思うかというと、大谷選手は “野球が” 好きだから

 

やはり、何だかんだいっても、人間は自分の好きなことをやっているときが一番輝いていると思う。

どれだけ上手にできることであっても、自分がそれを好きになれなかったら、どこかで壁にぶつかったり、行き詰まったりするだろうと思う。

(一見成功してるように見えても心を病んでしまう可能性すらあるし)

 

でも、好きなことであれば、そういう壁やハードルを軽々と越えていくことができる。

そして、夢中になって楽しんでいるうちに、結果は後からついてくる。

 

 

そういえば、ブラジル代表のサッカー選手・ネイマールはこんなふうに言っていた。

 

楽しむことを忘れなければ、結果は自然についてくる。

 

(ネイマール)

 

自分が心の底から楽しめることをやっていれば、結果は勝手に出るということだ。

大谷選手の場合は、それが野球だったということだろう。

 

 

だけど大谷選手は、体格にしろ運動神経にしろ、僕ら一般人とは全然違う。

彼はそういう生まれ持った幸運のおかげで成功したんじゃないか?と言う人もいるかもしれない。

 

でも、そういった先天的な特徴や、実家の経済力みたいなことだけが成功を左右するとは思えない。

だって、どれだけ体格や身体能力に優れていても大成しない人はいるし、家庭が裕福でも不幸になる人はたくさんいるもんね。

 

じゃあ、いったい何が人生の成功を決めるんだろうか?

僕のような一般人(といっても、僕はいろいろ平均以下だけど。笑)が成功を収めるためには、何が必要なんだろうか?

 

 

僕は、それこそ、まさに「頑張らない」ということなんじゃないかと思う。

 

なぜかというと、どんな道に進むのがベストであるのかをあらかじめ知っている人はいないから。

大谷選手だって、プロ野球の道に進むのがベストかどうか、幼いころにはわからなかったはずだ。

 

 

仮に、大谷選手が、両親や友人の影響、あるいは住んでいる地域の事情なんかによって、子どものころに空手を習っていたとするね。

だけど、彼にとって空手は、そこまで好きなスポーツじゃなかったとする。

 

そういうときに、周りの人が「頑張れ!頑張れ!」と励まし、本人も「頑張らなきゃ!」と思って、それほど好きでもない空手を頑張り続けていたとしたら、どうなってただろう?

 

彼のことだから、今ごろ空手の日本チャンピオンくらいにはなっているだろうし、もしかしたらオリンピックで金メダルをとってたかもしれない。

でも、それは彼にとって「成功」と言えるんだろうか?

 

それほど好きでもないスポーツを頑張って頂点に立てたからといって、それが「成功」とは言えないと僕は思う。

 

じゃあ、どうすれば「成功」を手にすることができるのか。

そこで大事なのが、「頑張らないこと」なんじゃないかと思う。

 

空手をやってみて、何か違う…と感じたら、そこで無理に頑張らないで、別の道を探してみる。

次にバレーボールをやってみたけど違和感を感じるなら、また別のことをやってみる。

 

そういうことを繰り返していくうちに、いつか大谷選手にとっての「野球」にたどり着けるんじゃないかな。

 

 

あ。今更だけど、僕がここで言う「頑張る」っていうのはこういう意味だよ。

 

頑張る

自分にとって嫌なこと、辛いこと、苦しいことに対して、自己を犠牲にして時間を使うこと。

 

(ノリズム大辞典)

 

ちなみに、「頑張らないシリーズ」の記事についてはこれまでに何本 も書いてきたので、ご参考まで。

 

 

 

頑張り続けるというのは、自分の本当の気持ちを押し殺してその場に留まり続けることを意味する。

自分の気持ちを殺したところに「成功」や「幸福」なんてあるはずがない。

 

だから僕らは「頑張っちゃいけない」んだ。

 

「頑張らないこと」を続けていけば、きっといつか「頑張らなくてもうまくできること」や「時間を忘れちゃうくらい夢中になってしまうこと」が見つかる。

 

そんな宝物を見つけることができたら、そこで初めて全精力を注ぎ込む。

それが「成功」の秘密なんじゃないかな?

 

そして、それが大谷翔平が大谷翔平になれた理由なんじゃないかな?

彼のアメリカでの大活躍を見ながら、そんなことを考えたのでした。

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

shivai !! 

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「意識」と「エネルギー」

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今日は、前回書いた記事の続きみたいな内容になると思う。

あの記事を書いた後も、意識を向ける対象には気をつけなきゃいけないなぁって改めて感じた。

 

 


で、いろいろ考える中で、これって「エネルギー保存の法則」的に考えることもできるんじゃないか?って思ったんだよね。

 

「エネルギー保存の法則」って覚えてる?

たしか中学生のころに理科の授業で習ったやつ。

 

エネルギーが、ある形態から他の形態へ変換する前後で、エネルギーの総量は常に一定不変であるという法則。

高所にある物体は落下によって位置エネルギーが減少するが、運動エネルギーを得て、その和は常に一定であり、これを力学的エネルギー保存の法則とよぶ。

 

デジタル大辞泉

 

つまり、エネルギーというのは使ったからといってなくなってしまうわけじゃないということなんだよね。

一見なくなったように見えても、ただ単に形を変えただけだから、もともとのエネルギーの総和は常に等しいということだね。

 


で、これが「意識を向ける先」と何の関係があるのか?ということだけど。


僕らは日常生活のほとんどの時間、常に何かに意識を向けて暮らしてる。

「あー。明日もまた仕事かぁ」と考えてるときは、仕事のネガティブな側面に意識を向けているだろうし、「あの子可愛いなぁ」と考えてるときは、好きな女性のポジティブな面にフォーカスしてる状態だと思う。

そのフォーカスする対象が、人なのか物なのか、あるいは何らかの概念なのか、はたまたイメージなのかはわからないけれど、僕らは常に何かに意識を向けている。


で、意識を向けるということは、その対象に向けてエネルギーを使ってるということになると思う。

じゃあ、そのときに使ったエネルギーがどこに行くかというと、もちろん脳内の活動で消費されてるんだろうけど、それだけじゃなくて、そのフォーカスした対象にエネルギーを与えてる面があるんじゃないか?って思ったんだよね。


仕事の嫌な側面にフォーカスすると「嫌な仕事」にエネルギーを充填してることになるだろうし、素敵な女性にフォーカスすれば、その女性にエネルギーを送っていることになるんじゃないかな?って。

 

まあ、あくまでも自分の頭の中での話だけどね。


でも、もしそうだとすると、「エネルギー保存の法則」によって、僕がネガティブなことにフォーカスすればするほど、自分が持つエネルギーは減少して、その分ネガティブなもののエネルギーが増加することになる。

(同様に、ポジティブなことに意識を向ければポジティブなことがエネルギーを得てパワーアップすることになるね)


だとしたら、ネガティブなものにエネルギー(パワー)を与えたくはないよね。

もし自分にとって嫌な現象が起きたとして、そのことばかり考えてたら僕の中のエネルギーはどんどんそっちに移動してしまって、その嫌な出来事はエネルギーを吸収してどんどんパワーアップすることになっちゃうわけだから。

嫌な現象がパワーアップするのを手助けするなんて、そんなの絶対嫌だよね。(笑)


そんなことをするくらいだったら、僕は、自分が好きな人とか、自分が好きなモノ・コトにエネルギーを与えたいと思う。

 

何かにフォーカスすると自分のエネルギーがそっちに移動する、っていうふうに考えると、意識を向ける対象について今よりも慎重になるかもしれない。

 

そして、ネガティブなことにフォーカスしそうになったら、「自分は今、望まないものにエネルギーを与えてしまってるけど、それでいいの?」って自問することもできるよね。

 

うんうん。エネルギー保存の法則、ちょっと意識してみよう。

 

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

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もう、やめます。

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ここ最近、ずっとモヤモヤしてたんだよね。

日常生活でも、ブログを書くときにも。ずっと。

どうしてそうなってるのかは薄々わかっていたんだけど、見て見ぬフリをしてた。

 


そのモヤモヤの正体は「対立感情」。

 

 

僕は以前にこんな記事を書いたことがあった。

 


この記事は、「望まないものにフォーカスするのではなく、望むものに意識を向けよう」という記事だったんだけど、僕はここ最近、ずっと「望まないもの」に意識を向け続けていた。


この1カ月の間に書いたブログ記事の大半がまさにそうだった。

 

新型コロナと、ワクチンだ。


新型コロナに関する世間の空気や、ワクチン接種に対する風潮、そういうものに対して僕は怒りを感じてた。

そして、それを発信しなければという義憤に駆られていた。

だから、ずっと「反ワクチン」ということに意識を向けて生活し、このブログやSNSに書き込んでいた。

 


でも、対立の意識で「望まないもの」にフォーカスすればするほど、それが自分の中で膨らんでいくんだよね。

そして、膨らめば膨らむほど、それが自分に対して大きなパワーを持つことになる。

で、大きなパワーを持ったその「望まないこと」は、どんどん自分にのしかかってくる。

だからさらに対立・抵抗しようとする・・・

 


完全に悪循環にハマってしまってた。

 

望まないものにフォーカスするのではなく、望むものに意識を向けよう。

マザー・テレサの言葉を思い出しながら。

 

反戦集会には行かないけど、平和集会には行くわ。


(マザー・テレサ)

 

 

自分がこの1か月間書いてきたことが間違った内容だとは全く思わないけれど、意識を向けるポイントを変えよう。

 

「反ワクチン」を叫ぶことで望まないことにフォーカスするのはもうやめた。

「怒り」をモチベーションにするのはもうやめた。


新型コロナワクチンが不要になる、明るい世界に意識を向けることにしようと思う。

 

  

 

それでは今日はこの辺で。

 

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